【完結】獅子は鬼を喰らうか

香澄京耶

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ep9 日常と戸惑い

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 剣が空気を切る音が心地いい。
 町の鍛冶屋で鍛錬用にと選んだ剣は、ずっしりと重い。
 普段使いには向かないが、今の身体には程よい剣だ。

 汗を拭って井戸の水をかぶる。
 初夏とはいえ、井戸水はまだ骨身に沁みる冷たさだが、鍛錬後の身体にはちょうどいい。
 井戸付きの裏庭があるから選んだといっていいこの宿は、思ったより快適だ。
 芝生の匂いが風に乗って頬を撫でて、ほっと息をつく。
 
 ここを拠点にして一ヶ月。大した問題もなく、日々は過ぎていた。
 
 とりわけ、食堂の飯が美味い。
 今日も、目の前へ差し出された料理に思わず唸る。
 柔らかく煮込んだ肉と芋、添えられた卵にシチュー。朝から豪勢だ。
 身体を作り直すにあたって、バランスが完璧な料理に感謝した。しかも、日によっては胃に負担をかけないよう脂の少ない料理まで用意される。
 
 食堂で何度か酔っ払いの相手をしているうちに、こちらが何も言わずとも、当然のように料理が出てくるようになった。
 寡黙な宿の店主に、こういうのが好みだろう、と見透かされているようだった。

「ありがとう。店主にも感謝を伝えてくれるか。」
 給仕係の赤髪の少女がにこりと笑った。
「もちろんです。伝えておきますね――“シオン”さん。」
 
 厄介事を見逃せないのは、騎士団としての慣れのようなものだった。
 だが、どうやらそれで信用を得たようで、日々の宿代と食事も、まとめて後払いで構わないと言って受け取らなくなった。
 店主が何を考えているかは分からない。だが、静かに滞在を歓迎してくれている様子が心地いい。

 食べて、鍛えて、眠る。一ヶ月、それだけを繰り返した。
 淡々とした日々が、静かに心を落ち着かせていく。張り詰めていた精神は、実感していた以上に摩耗していたらしい。
 
 思えば、王妃には二度、命を救われている。
 解放されるに至ったのも、随分と尽力してくれただろう事は理解していた。
 元は王妃の願いが引き金だったが、それも国を思っての事だと思えば、到底恨む気にはなれなかった。
 
「だんちょー!」
「ぐっ……!」
 
 片手で腕立てをしていた所に、突然天井から降りかかられた。
 気配を察して咄嗟に強化魔法を使って頭を床につけず済んだが、タイミングが悪ければ腰と頭がやられるところだ。
 
「お前な!」
 文句を言おうと振り返った先、リオの首筋や鎖骨に残された歯形に気づいて言葉を止める。
 
「……陛下か。」
 
 痛々しい歯形と散らされた赤い跡に、思わず顔が歪んだ。
 
「お前、本当に大丈夫なのか。」
 
 会ってみると言っていた後から、リオがアルセインに接触していた事は知っている。
 止めても聞かないので好きにさせてはいた。普段の調子は軽くとも、リオの実力は確かだ。何かあってもうまく誤魔化すだろうと思っての事だった。
 
 だが、こんな痕をつけられているとは思わなかった。
 普段から首元を隠す服ばかり着ていたから気づかなかったが――以前から、こうだったのかもしれない。
 
「痛くないか?」
 気を揉んで言えば、予想外にきょとんとした顔をする。
 
「だんちょー、大丈夫だよ。これ、わざとだから。
 跡が見える方が好きなんだって。だから、回復かけずにそのままにしてるの。
 俺も楽しんでるし、大丈夫。」
 
「跡が見えるほう。」
 思わず鸚鵡返しにして――思い当たったそれに顔を覆いたい気分になった。
 
「お前ら、そういう関係なのか。」
「うん、最初からずっと。」
 
 理解できる領域ではなかった。
 受け止めきれず、咄嗟には言葉が返せない。
 
「――お前は、了承しているんだな?」
「うん。俺、あの王様嫌いじゃないよ。どっちかっていうと、好きかな。おーひ様とも、話したし。」
「……おまえ、大物だな。」

 もはや何も言うまい。
 下手なことを言えば面倒になると分かって口を噤んだ。

「だんちょーってさ、」
「何も言うな。」
 面白げな顔に、何となく言葉の先が読めてリオの口を塞ぐ。
 
「あんがい、うぶだよね。」
 塞がれたまま、無理矢理に言葉を吐いたリオを心底呪いたい。
 
「黙れ。……今日は、何かあったのか?」
 話を多少強引に逸らすつもりで問いかける。様子から、何かしら用事がある事は分かった。

「ねー、だんちょー、“シオン”って名前、どこからもってきたの。」
 
 完全に不意を打たれて、一瞬で胸が跳ねた。
 
 動揺に気づいたのか気づかなかったのか、リオの様子は変わらない。
 この流れで、“爆弾”とも言える話題を投下するリオの意図に顔をしかめる。
 
 宿で名前を尋ねられたときに咄嗟で作った仮名が、まさか今になって突っ込まれるとは。
 そのまま名乗る訳にはいかない、とそう思って考えを巡らせたとき、真っ先に“あの顔”が浮かんだなど――言えるはずがない。
 ましてや、なぜその顔が思い浮かんだのかなど、なおのこと。
 
「俺、似たような名前、一個思い当たるんだけど。」

「――そういえば、お前に隷属の首輪の効果を試した事がなかったな。」
 目を眇めて言えば、降参したようにリオが両手をあげた。

「あれ凄い痛いんだから、勘弁して。“遊び”ならいいけど、素面の時はちょっと。」
 
「今、俺は一気にお前の言葉を聞きたくない気分になった。」

「もう言わない。……今日はね、だんちょーに報告があって。」
「……聞こう。」
 言動は気に食わないが、内部の情報源はここしかないのは確かだ。
 
「第一の団長が、探し回ってるよ。」

 脈が乱れる。
 わざとらしい流れが恨めしい。
 
「第三がね、ずっと騒いでるんだよ。だんちょー、内臓見えかけても次の日には仕事してたのに、今回はおかしいって。」
 
「なんだそれは。」
 ――もっと、まともな理由で心配できないのか、あいつらは。
 想像ができて頬が引きつる。
 
「第一の団長も腕ちぎれかけても同じだったって。──似た者同士だね。」
 
 リオの声が、ことさら柔らかく響いた。
 
 はっとして見た灰金の瞳が、優しい色を帯びていて驚いた。
 
「なにを、」
 初めて見る表情に、言葉が止まった。
 
「俺はね、だんちょー。
 だんちょーが……俺のものだったらいいなって、思うけど。
 そうじゃない方がいいとも思ってて。
 やっぱりね、可愛がってくれる今が、いちばんいいの。」

「リオ……?」
 リオの言いたい事が分からずに、眉を顰めた。
 
 「――だからね。“いいよ”。」

 頭が混乱して、なんの話だ、とは咄嗟に問えなかった。
 沈黙を気にした風でもなく、リオは笑ってカイルを抱きしめてから、すぐに離れた。
 
「またね、だんちょー。」

 言葉を返す前に、気配は消えた。
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