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ep12 執着の果て
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王の執務室で衝立の手前に置かれたソファに腰を下ろすと、当然のようにルシオンが隣へ座った。
ここに至るまでが、少々骨が折れた。
ルシオンは『なんで来た』と言わんばかりに、カイルの入室そのものを露骨に拒んだ。それでも、「隣に立つんだろ」と言えば最終的に渋々折れてはくれた。
だが、今度は外で待てと言っても、頑として首を縦に振らなかった。
「口出しはしない。隣に立つんだろう」──そう返されては、拒めるはずもない。
リオの言葉が脳裏をよぎる。
『──似た者同士だね。』
否定は、出来ないかもしれなかった。
赤と金を基調に作られた絢爛ながらも品のいい執務室は、普段あまり入る機会がない。
“騎士団長”として呼ばれる事がないと踏み入れられない領域とも言えた。その空気が精神を保ってくれるようで妙に心強かった。
「リオ。この向こうにいるのは、カイルだね?」
アルセインの声が、共に衝立の向こうにいるリオへ向けられる。
気色ばむ声音に、いつかの怖気が戻ってくるような気がして、背筋を伸ばして口を開く。
「国王陛下。このようなご状況でのお目通り、ご容赦ください。理由は、お分かりかと思いますが。」
発した声は自分でも固いと分かる程だったが、団長としてのいつもの振る舞いを装えて内心安堵した。
だが、次に被せられた言葉は国王としてのそれではなかった。
「第二団長の反逆を“あえて放置して”正解だった。こうすれば、君に会えると思ってね。まさか、こんな邪魔が入るとは思わなかったけども。
やはり、この衝立は邪魔だな。だが、撤去はレグナード卿が許してくれそうもない。――カイル、その男を殺してくれないか。」
やや早口な声音には、どこか浮き立つような気配が滲んでいた。
「……それは、国王陛下としての“命”ですか。」
自然と、声が低くなった。アルセインはつまらなそうに「冗談だ」と返してきたが、冗談で済む話ではない。
「陛下が言えば、ご冗談にならないのはご存知でしょう。」
「命令すれば、君は私のものになるのか。」
いつになく不遜な声だった。
「どこにも行けないようにしてから、部屋に繋ごうか。薬物も悪くない。」
きっと、この衝立の向こうでは、あの瞳が愉しげに揺らいでいるに違いない。
隣の気配が立ち上がりそうになるのを、手で制した。
アルセインはこちらを気にした様子もなく続ける。
「……そんなこと、されたくはないだろう?だから、大人しく戻っておいで。」
わざとらしく優しく紡がれる声に息を吐く。一線を引いて接しようと思ったが、無駄なようだった。
「陛下。幼い頃の俺の命は、国の政策で救われました。
それを思えば、尽くすのが当然なのかもしれません。
……ですが、どうか。俺が尊敬できるアウレシア王国のままでいてください。
俺が騎士として仕えたいのは、為政者としての陛下です。」
はっきりと言い切れば、向こう側の気配が揺らいだような気がした。
「……口付けを、許したではないか。」
「契約上のものです。」
「私の顔を、気に入っていただろう。」
「――それは否定しません。」
間が空いたのは、過去の安直な自分を恥じたからに他ならない。
ルシオンの手が肩に置かれたが、構う暇もなく払いのけた。
「君が、許したから。」
確かに、と思う。中途半端に許した。
「今は後悔していますよ。」
「私に笑ってくれた。」
そんなに笑った覚えはない、と思うが、過ごした時間は少なくない。
「……色々な話をしましたからね。」
「私に、心を預けてくれただろう。」
それは、違う。
胸の奥で、冷たいものが鳴った。
「――俺は、陛下に心を預けたことなど、一度もありません。」
「うそだ。あの期間、君は私に身体を預けた。」
一拍、息が詰まった。
――勝手にやっておいて、どの口がそれを言う。
自由を奪われた怒りが再燃して、制御できずに魔力が漏れ出た。感情のままに衝立を薙ぎ倒す。
「カイル!」とルシオンの制止が飛ぶが、耳に入っただけだった。
だが、感情任せにアルセインの襟首を掴み上げた瞬間――ぎらつく瞳の奥に、どこか影のような疲れが揺れた気がして、衝動の行き場を失った。
国王相手でも一発くらい殴ってやろうと思っていたのに、気持ちが続かない。
甘いのは分かっている。
それでも、王として仰いだ男がここまで追い詰められているのを見て、怒りよりも先に、どうしようもない痛みのようなものが浮かんでしまった。
それは恐らくは、国を背負う為政者としての姿を知っているからだった。
すっかりやつれたような姿にどうにも怒りが持続できない。
「これは、初めて見る君の姿だね。」
血に飢えた獣のような目で、うっとりと呟くアルセインに、諦めのような、呆れのような思いが渦巻いて――長く息を吐いた。数拍して、手を離す。
これだけでも首が飛んでもおかしくない行動だが、そもそも、今の状況は国家転覆と捉えられて全員処刑されても文句は言えない。不敬と思うのは今更だった。
「……俺の心は、俺だけのものです、陛下。
魂も信念もまるごと理解できないのであれば、それは俺ではありません。――陛下が執着されているのは、俺の抜け殻です。死体ですら、ない。」
疲れた思いのまま、静かに言葉を紡ぐ。
どこか悲しいこの男に響けばいいと思った。
過去の王族が血の欲望のままに振る舞って国が滅びかけた事もある、と王妃は言っていた。それだけ衝動は容易いものではないのだろう。
それでも、もう充分に付き合った。
「……陛下。俺達は少しも互いを見ていなかった、という事です。
そんな人間に、俺の肉片の一欠片さえ、持たせるつもりはありません。
騎士団として、たとえ国のために死んでも──“貴方のため”になど絶対に死にません。
無理にというなら、陛下にも手の届かない土地で、すべて俺の意思で、楽しく生き抜いてやりますよ。」
呪いのようなその衝動に、恐らく言葉は届かないのだろう。それでも重ねるしかなかった。
「なぜだ。」
目を見開いた姿に、こちらの意図は届かずとも“何か”は届いたのかもしれないと想像した。
「なぜでもです。」
断言すれば、くしゃりと歪めた顔に、今度はこちらが初めてみる顔だ、と思う番だった。
――やはり駄々っ子だ、と思うのはいい歳をした一国の王を捕まえて思う事ではないかもしれない。
顔を両手で覆って項垂れるアルセインに、憐れみにも似た思いが過ぎったが、それは切り捨てるべきだと理性が訴える。
「陛下。俺は国に忠誠を捧げています。ですが――陛下には心も身体も預けられません。契約は、ここで終了させていただきます。」
きっぱりとそう伝えると、リオが慰めるようにアルセインの背中に手を添えた。
「王様。ずっと独り占めしてたんだから、もういーじゃん。じゅうぶん、欲張りだよ。」
労わるようなその声は、どこまでも優しい響きをもっていた。
「……だんちょーがここまで付き合うなんて、王様だけだよ。」
誤解を与えそうな言葉に声を出しかけたが、しい、と人差し指を唇へ押し当てたリオに口を閉じた。
「俺たちにしか分かんないことが、あるの。」
ぼたぼたと机に落ちるアルセインの涙を、リオが甲斐甲斐しく拭き取るのを黙って見つめる。
二人にしか許されない空気に、ひどく場違いな気分がして、踵を返した。
だが、現状に思い当たって数歩で足を止める。
さすがに迷ったが、きっと今言わなければ言う機会がない。
関係を断ち切れば、臆面もなく直接話す機会など一切ない。
それが分かっているからこそ、騎士団長としての思考に戻った。
「陛下。騎士団の話をします。」
それを前置きとして言ったのは、アルセインの心情に対して、最低限の配慮をした結果だった。
ルシオンがあっけにとられたように、目をひらく。
「お前、容赦ないな……」
「容赦も何も。お前も団員も、後で咎められたら俺が後悔する。この件は、書面に残せない。」
「……だんちょーって、そういうとこ、あるよねぇ。俺、感心する。」
呆れた視線に、逆に呆れる。
為政者としての国王は、そんなに脆い人間でもなければ、責務からも逃げる人間でもない。
その確信は、もしかしたら――そう思えるだけの時間を共に過ごしてきたからなのかもしれなかった。
「何もかも水に流す代わりに、今回の事は一切不問にしてください。
それから、死にかけた分、地下組織の報奨は第一、第三できっちり貰いますよ。」
「おまえな……」
「今じゃないと言えないだろ。」
さすがに間が悪いのは自覚している。
反論しつつルシオンの視線に怯んで眉を顰めれば、にわかに空気を震わせるような笑い声が響いた――アルセインだ。
「……カイルの、望む通りにしよう。」
静かな声だった。
この声の方が執務室に馴染む、と実感する。……為政者としての、彼だ。
思いがけず安堵して、だからこそ、つい気になっていた事を付け加えた。
「それから……リオは、俺が大切にしている者です。傷つけたら――許しませんよ。」
「……たいせつ?」
アルセインの呟きのような声が耳に届いた刹那、ルシオンに腕を掴まれて引き寄せられた。
威嚇のような喉の音が聞こえる。
何が起きたか分からずに、ルシオンを見上げて視線の先を辿った。
アルセインの、光を失っていたはずの瞳が、ゆっくりと持ち上がった。
涙に濡れた瞳が、熱をもって怪しく揺らいでいる。
それは、いつも見た執着の色だった。
「たいせつ――大切……。なるほど、――それは、いい。」
どこか恍惚とした表情にぞくりと背が震えた。
為政者としての顔をすっかり消した彼の姿に、やはり、この男に深入りしてはいけないと本能が訴えてくる。
「……君が望むなら、優しく扱おう。“カイルが大切にしているリオ”を。」
「いいね――それ、最高に好み。」
アルセインも異常だが、同じように恍惚とした表情を浮かべるリオも異常だ。
それに返答をする気も、視線を合わせる気も起きなかった。
「……行くぞ。」
呆然としたまま、ルシオンに背を押されて、背後で聞こえた僅かな水音に、嫌な予感が背を撫でた。
――まさか。こいつら。こんな状況で。
リオの赤い跡が頭をよぎる。
扉を開いた途端、呑気なリオの声が届いた。
「だんちょー、さいこー」
爛れた関係に巻き込まないでほしい。
意味は分からないが、現状を思うに碌なものではない気がする。
動揺する感情へ蓋をするように扉を閉めた。リオがそれでいいのであればそれで、と思うが落ち着かない。
「放っておけ。お前が思ってるより、奴は強かだ。」
「……それは、そうだが。」
どうにも気になるのは、まだ幼さを残す時分から彼を知っているからかもしれない。
「それよりも自分のことを気にしろ。お前は、どうも不用心だ。」
返す言葉もない。
なぜ、あのような事になったのか、いまだに理解出来ないのだから、言い訳など出来る筈もなかった。
「お前と話したい。俺の部屋へ行ってもいいか。」
「団員達は」
「部屋へ入る前に指示しておいた。それから……今朝、王妃殿下にも話を通しているからな、問題ない。」
「……お前、隙がないな。」
「昨夜のお前の話を聞いて思っただけだ。お前が戻れるように、出来ることは全部しようとな。」
詳細は分からない。
だが、それが一晩で整う類のものではないことだけは分かった。
「俺の隣に、戻ってこい。」
まっすぐな瞳でそう言い放つルシオンの笑顔を見て、不意に、何かが胸を押し上げた。
ここに至るまでが、少々骨が折れた。
ルシオンは『なんで来た』と言わんばかりに、カイルの入室そのものを露骨に拒んだ。それでも、「隣に立つんだろ」と言えば最終的に渋々折れてはくれた。
だが、今度は外で待てと言っても、頑として首を縦に振らなかった。
「口出しはしない。隣に立つんだろう」──そう返されては、拒めるはずもない。
リオの言葉が脳裏をよぎる。
『──似た者同士だね。』
否定は、出来ないかもしれなかった。
赤と金を基調に作られた絢爛ながらも品のいい執務室は、普段あまり入る機会がない。
“騎士団長”として呼ばれる事がないと踏み入れられない領域とも言えた。その空気が精神を保ってくれるようで妙に心強かった。
「リオ。この向こうにいるのは、カイルだね?」
アルセインの声が、共に衝立の向こうにいるリオへ向けられる。
気色ばむ声音に、いつかの怖気が戻ってくるような気がして、背筋を伸ばして口を開く。
「国王陛下。このようなご状況でのお目通り、ご容赦ください。理由は、お分かりかと思いますが。」
発した声は自分でも固いと分かる程だったが、団長としてのいつもの振る舞いを装えて内心安堵した。
だが、次に被せられた言葉は国王としてのそれではなかった。
「第二団長の反逆を“あえて放置して”正解だった。こうすれば、君に会えると思ってね。まさか、こんな邪魔が入るとは思わなかったけども。
やはり、この衝立は邪魔だな。だが、撤去はレグナード卿が許してくれそうもない。――カイル、その男を殺してくれないか。」
やや早口な声音には、どこか浮き立つような気配が滲んでいた。
「……それは、国王陛下としての“命”ですか。」
自然と、声が低くなった。アルセインはつまらなそうに「冗談だ」と返してきたが、冗談で済む話ではない。
「陛下が言えば、ご冗談にならないのはご存知でしょう。」
「命令すれば、君は私のものになるのか。」
いつになく不遜な声だった。
「どこにも行けないようにしてから、部屋に繋ごうか。薬物も悪くない。」
きっと、この衝立の向こうでは、あの瞳が愉しげに揺らいでいるに違いない。
隣の気配が立ち上がりそうになるのを、手で制した。
アルセインはこちらを気にした様子もなく続ける。
「……そんなこと、されたくはないだろう?だから、大人しく戻っておいで。」
わざとらしく優しく紡がれる声に息を吐く。一線を引いて接しようと思ったが、無駄なようだった。
「陛下。幼い頃の俺の命は、国の政策で救われました。
それを思えば、尽くすのが当然なのかもしれません。
……ですが、どうか。俺が尊敬できるアウレシア王国のままでいてください。
俺が騎士として仕えたいのは、為政者としての陛下です。」
はっきりと言い切れば、向こう側の気配が揺らいだような気がした。
「……口付けを、許したではないか。」
「契約上のものです。」
「私の顔を、気に入っていただろう。」
「――それは否定しません。」
間が空いたのは、過去の安直な自分を恥じたからに他ならない。
ルシオンの手が肩に置かれたが、構う暇もなく払いのけた。
「君が、許したから。」
確かに、と思う。中途半端に許した。
「今は後悔していますよ。」
「私に笑ってくれた。」
そんなに笑った覚えはない、と思うが、過ごした時間は少なくない。
「……色々な話をしましたからね。」
「私に、心を預けてくれただろう。」
それは、違う。
胸の奥で、冷たいものが鳴った。
「――俺は、陛下に心を預けたことなど、一度もありません。」
「うそだ。あの期間、君は私に身体を預けた。」
一拍、息が詰まった。
――勝手にやっておいて、どの口がそれを言う。
自由を奪われた怒りが再燃して、制御できずに魔力が漏れ出た。感情のままに衝立を薙ぎ倒す。
「カイル!」とルシオンの制止が飛ぶが、耳に入っただけだった。
だが、感情任せにアルセインの襟首を掴み上げた瞬間――ぎらつく瞳の奥に、どこか影のような疲れが揺れた気がして、衝動の行き場を失った。
国王相手でも一発くらい殴ってやろうと思っていたのに、気持ちが続かない。
甘いのは分かっている。
それでも、王として仰いだ男がここまで追い詰められているのを見て、怒りよりも先に、どうしようもない痛みのようなものが浮かんでしまった。
それは恐らくは、国を背負う為政者としての姿を知っているからだった。
すっかりやつれたような姿にどうにも怒りが持続できない。
「これは、初めて見る君の姿だね。」
血に飢えた獣のような目で、うっとりと呟くアルセインに、諦めのような、呆れのような思いが渦巻いて――長く息を吐いた。数拍して、手を離す。
これだけでも首が飛んでもおかしくない行動だが、そもそも、今の状況は国家転覆と捉えられて全員処刑されても文句は言えない。不敬と思うのは今更だった。
「……俺の心は、俺だけのものです、陛下。
魂も信念もまるごと理解できないのであれば、それは俺ではありません。――陛下が執着されているのは、俺の抜け殻です。死体ですら、ない。」
疲れた思いのまま、静かに言葉を紡ぐ。
どこか悲しいこの男に響けばいいと思った。
過去の王族が血の欲望のままに振る舞って国が滅びかけた事もある、と王妃は言っていた。それだけ衝動は容易いものではないのだろう。
それでも、もう充分に付き合った。
「……陛下。俺達は少しも互いを見ていなかった、という事です。
そんな人間に、俺の肉片の一欠片さえ、持たせるつもりはありません。
騎士団として、たとえ国のために死んでも──“貴方のため”になど絶対に死にません。
無理にというなら、陛下にも手の届かない土地で、すべて俺の意思で、楽しく生き抜いてやりますよ。」
呪いのようなその衝動に、恐らく言葉は届かないのだろう。それでも重ねるしかなかった。
「なぜだ。」
目を見開いた姿に、こちらの意図は届かずとも“何か”は届いたのかもしれないと想像した。
「なぜでもです。」
断言すれば、くしゃりと歪めた顔に、今度はこちらが初めてみる顔だ、と思う番だった。
――やはり駄々っ子だ、と思うのはいい歳をした一国の王を捕まえて思う事ではないかもしれない。
顔を両手で覆って項垂れるアルセインに、憐れみにも似た思いが過ぎったが、それは切り捨てるべきだと理性が訴える。
「陛下。俺は国に忠誠を捧げています。ですが――陛下には心も身体も預けられません。契約は、ここで終了させていただきます。」
きっぱりとそう伝えると、リオが慰めるようにアルセインの背中に手を添えた。
「王様。ずっと独り占めしてたんだから、もういーじゃん。じゅうぶん、欲張りだよ。」
労わるようなその声は、どこまでも優しい響きをもっていた。
「……だんちょーがここまで付き合うなんて、王様だけだよ。」
誤解を与えそうな言葉に声を出しかけたが、しい、と人差し指を唇へ押し当てたリオに口を閉じた。
「俺たちにしか分かんないことが、あるの。」
ぼたぼたと机に落ちるアルセインの涙を、リオが甲斐甲斐しく拭き取るのを黙って見つめる。
二人にしか許されない空気に、ひどく場違いな気分がして、踵を返した。
だが、現状に思い当たって数歩で足を止める。
さすがに迷ったが、きっと今言わなければ言う機会がない。
関係を断ち切れば、臆面もなく直接話す機会など一切ない。
それが分かっているからこそ、騎士団長としての思考に戻った。
「陛下。騎士団の話をします。」
それを前置きとして言ったのは、アルセインの心情に対して、最低限の配慮をした結果だった。
ルシオンがあっけにとられたように、目をひらく。
「お前、容赦ないな……」
「容赦も何も。お前も団員も、後で咎められたら俺が後悔する。この件は、書面に残せない。」
「……だんちょーって、そういうとこ、あるよねぇ。俺、感心する。」
呆れた視線に、逆に呆れる。
為政者としての国王は、そんなに脆い人間でもなければ、責務からも逃げる人間でもない。
その確信は、もしかしたら――そう思えるだけの時間を共に過ごしてきたからなのかもしれなかった。
「何もかも水に流す代わりに、今回の事は一切不問にしてください。
それから、死にかけた分、地下組織の報奨は第一、第三できっちり貰いますよ。」
「おまえな……」
「今じゃないと言えないだろ。」
さすがに間が悪いのは自覚している。
反論しつつルシオンの視線に怯んで眉を顰めれば、にわかに空気を震わせるような笑い声が響いた――アルセインだ。
「……カイルの、望む通りにしよう。」
静かな声だった。
この声の方が執務室に馴染む、と実感する。……為政者としての、彼だ。
思いがけず安堵して、だからこそ、つい気になっていた事を付け加えた。
「それから……リオは、俺が大切にしている者です。傷つけたら――許しませんよ。」
「……たいせつ?」
アルセインの呟きのような声が耳に届いた刹那、ルシオンに腕を掴まれて引き寄せられた。
威嚇のような喉の音が聞こえる。
何が起きたか分からずに、ルシオンを見上げて視線の先を辿った。
アルセインの、光を失っていたはずの瞳が、ゆっくりと持ち上がった。
涙に濡れた瞳が、熱をもって怪しく揺らいでいる。
それは、いつも見た執着の色だった。
「たいせつ――大切……。なるほど、――それは、いい。」
どこか恍惚とした表情にぞくりと背が震えた。
為政者としての顔をすっかり消した彼の姿に、やはり、この男に深入りしてはいけないと本能が訴えてくる。
「……君が望むなら、優しく扱おう。“カイルが大切にしているリオ”を。」
「いいね――それ、最高に好み。」
アルセインも異常だが、同じように恍惚とした表情を浮かべるリオも異常だ。
それに返答をする気も、視線を合わせる気も起きなかった。
「……行くぞ。」
呆然としたまま、ルシオンに背を押されて、背後で聞こえた僅かな水音に、嫌な予感が背を撫でた。
――まさか。こいつら。こんな状況で。
リオの赤い跡が頭をよぎる。
扉を開いた途端、呑気なリオの声が届いた。
「だんちょー、さいこー」
爛れた関係に巻き込まないでほしい。
意味は分からないが、現状を思うに碌なものではない気がする。
動揺する感情へ蓋をするように扉を閉めた。リオがそれでいいのであればそれで、と思うが落ち着かない。
「放っておけ。お前が思ってるより、奴は強かだ。」
「……それは、そうだが。」
どうにも気になるのは、まだ幼さを残す時分から彼を知っているからかもしれない。
「それよりも自分のことを気にしろ。お前は、どうも不用心だ。」
返す言葉もない。
なぜ、あのような事になったのか、いまだに理解出来ないのだから、言い訳など出来る筈もなかった。
「お前と話したい。俺の部屋へ行ってもいいか。」
「団員達は」
「部屋へ入る前に指示しておいた。それから……今朝、王妃殿下にも話を通しているからな、問題ない。」
「……お前、隙がないな。」
「昨夜のお前の話を聞いて思っただけだ。お前が戻れるように、出来ることは全部しようとな。」
詳細は分からない。
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