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宝石のゆくさき 後編
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捕縛された先、連れて行かれたのはこじんまりとした、妙に整った屋敷だった。
牢屋、斬首という僕がイメージしていたものとは異なりすぎて、それでも部屋から外に出られないのは、一応軟禁状態なのだから間違えてはいないのだろうと納得した。
軟禁とはいえ、部屋にはぎっしり詰まった本棚も置かれていて、食事も時間になれば用意される。
快適な生活に戸惑いつつ、どうせ死ぬのだと環境を甘受して大人しく沙汰を待っていると、唐突にその人物は現れた。
コンコン、という丁寧なノックは自分の置かれている環境とはそぐわない。
それでもようやくその時がきた、という意識のもと心持ち背筋を伸ばして扉を向いた。
「――どうぞ。」
声に呼応するように扉を開いた人物に驚いた。
まさか、この人がくるとは――咄嗟に片膝を立てて頭を垂れた。
普段はここまではしないが、今は罪人だ。
「ハルディン王太子殿下にご挨拶申し上げます。」
「いい――いつも通りにしろ。」
ひらひらと手のひらを振る殿下には緊張感のかけらもない。
「は。では――なぜ罪人相手に護衛もつけずにいらっしゃっているのです。殿下がご自分の価値もお分かりになられないとは思えませんが。」
素直に首を傾げて見上げれば、愉快そうに殿下の口が歪んだ。
「普段通りにしすぎだ。お前には中間がないのか。」
「あいにく罪人なもので。」
「お前のような罪人は見た事がない。」
ソファに腰を下ろした殿下を横目でみて、お茶を用意する。
侍女もいないこの部屋に誰も伴わず来たのは、僕に用意をしろということだろう。
殿下は昔から僕に何かをさせるのが好きだ。それは罪人となった今も変わりがないらしい。
「殿下、アプリコットティーでよろしいですか。僕の家には常備していなかった茶葉でして。物珍しさにここへ来てこればかり飲んでいるんです。」
「アプリコットが好きなのは意外だな。」
「僕はロマンチストですからね。こういった物を好むんです。」
「リアリストがよく言う。」
鼻で笑った殿下は、出したカップに躊躇いもなく口をつけた。
「殿下、警戒心が足りませんよ。」
「お前相手に警戒心など持っていない。」
澄ました顔で言うそれは最大限の彼の優しさなのだと思った。
僕がカップから口から離したのを見計らって、殿下が口を開く。
「お前の両親の斬首刑は先ほど執行された。」
想定していた通りの未来だ。
僕の両親は、金欲しさに奴隷制度の禁を破った。
この国で奴隷は認められているが、それはあくまで肉体労働であり、性的搾取は認められていない。
それを金に変えたのが僕の父母だということだ。吐き気のする事に。
人名と金額が記載されたリストを見た時は手の震えが止まらなかった。
愚かな両親だとは思っていたが、まさか、人の命すら鑑みないなんて。
同じ血が通っている事すら罪に思えた。
「そうですか――。僕はいつでしょうか。今日でも構いませんが。」
少しだけ心臓が動かなかったといえば嘘になる。それでも、既に受け入れている未来だった。
「お前は処罰されない。」
その言葉にかっとなってテーブルを叩いた。
「どうして……!」
咄嗟に伸びかけた手を理性が止めた。感情が昂っても流石に殿下の胸ぐらは掴めない。
「お前は、功労者だ。私達でも踏み入れるのが難しかった証拠を全て集めて、逐一報告してくれただろう。」
淡々とした静かな瞳が逃げるなと訴えてくる。
「王家としては、お前の功績を評価したいと考えている。フェルディオ家を存続させたいとも。」
「いいえ、殿下。フェルディオの名は、多くの人々の悍ましい記憶として没落させるべきです。民草もそう望みます。」
民草の支持というのは、安定あってこそだ。今回のことは支持率があがるいい案件になる。
ここでフェルディオを存続させると信頼が傾く可能性すらある。
「エンバー侯爵家が功績を上げたでしょう。誠実な彼らこそ、公爵に相応しい。」
言えば、少し殿下が面白くなさそうな顔をした。
「嫡男が言っていたな。ピターケルの定義に至ったのは、無名の手紙が数通もあったからだと。」
試すような口ぶりに深く息をついた。この人には誤魔化せない。
「フェルディオ家の悍ましさを知った時の、僕の気持ちが分かりますか。」
「知らんな。お前は私に一度も話した事がない。」
ふん、と不遜げに言う殿下の態度は、少し拗ねているように見える。
もしかすると、この人にも頼ってほしいという感情があったのかもしれないと今更な事を思った。
「フェルディオという名を聞くだけで、人生を塗りつぶされたような気持ちになる人々が居るという事です。実態が変わっても、それは消えません。」
ここ十年、散々考えた。
改善するには性根が腐りきっていて、潰すしかないという結論に至ったのも後悔はない。
「フェルディオ家は、この国に相応しくありません。」
「お前ごとそう評価するのは早計に思うがな。優秀な頭で全て計画通りに進んだようだが――元より、お前は采配をする立場にない事を忘れるな。」
冷たい視線が背中まで走る気がした。
為政者としての冷酷な一面が垣間見えた気がする。
それでも、ここで背筋を曲げれば、この十年という時間をかけてまで、ちまちまと何をやってきていたのだと自分に言わなければいけなくなる。
血が滲むような思いをした十年だった。
気付きたくもなかった鱗片を拾った時、呑気に生きていたかったと、どうしようもない事を正直数十では足りないほど思った。
だからこそ貫き通したものを、今の僕の感情でおざなりにしてしまうのは違う。
決意してからというもの、全てのものに苦しいながらもただ蓋をしてきたのだ。
僕が譲れないと思った、信念とともに。
ひとつだけ、僕自身だけが見つけた宝石だけ、最後まで手放せなかっただけだ。
それでも、ちゃんと最後には手放せた。
僕は、両親と違って正しく生きる事ができる。
そのために、僕は僕を信じるしかなかった。
睨むような視線を、意図的に殿下に向けたのは不敬そのものだろう。
それでも彼は何も言わない。
いつも、どんな態度で接しても本質を受け取ろうとする彼は間違いなく次代の為政者だ。
「今フェルディオ家にある全ての財産を、被害者の賠償と今後の領地を担う貴族に活用してください。」
殿下は再度カップに口をつけて、もったいぶったように声を出した。
「……それでは、お前が一文なしになる。」
当たり前の事を言われて、彼も落とし所を決めているのだと知る。
「問題ありません。」
じっと見つめると、殿下は小さく息を吐いた。
「お前は本当に、あれらから産まれたとは思えない程に優秀で頑固だな。」
今日処刑したと言ったその口でそんな事を言う冷血さに少しばかり驚いた。
きっと問題ないと思われる位には、僕も冷徹だと思われているのだろう。
殿下の世界はただの貴族だった僕より広い。
彼であれば、もっと早くに、もっと正確に処理できたのだと思う。
「僕を処刑してくれないのであれば、平民としてやっていくほかありません。」
「お前は気位の高い部分があると思っていたが。」
「高いからこそ、死以外で家の罪とどう向き合っていいか、結論がつかないのですよ。」
正直に言えば頭が混乱している。
一族の直系として処刑される未来しか想定していなかった。
少し思考が途切れるような思いがして額に手を当てる。
「そんなに思い悩むことか。」
「……悩みますよ。なんだと思っておられるんですか、今回のことを。」
「そうか、お前は優秀なだけに自戒の念が強いのだな。」
ふはは、と風体にあった笑い方をする殿下に何か言う気にもならなかった。
「いいだろう。お前のような人材を手放すなど勿体無いと思っていたが――存外、時間が必要なのだな。」
威風堂々とした体で立ち上がった殿下にあっけに取られる。
「なれば、時間をやろう。」
何も伝わっていない気がする、と感じた僕の心は恐らく間違っていない。
扉に向かう途中、殿下が振り返って面白そうな顔をこちらに向けた。
「そういえばお前が大切にしていた飼い犬だがな。しばらく煩くて手もつけられなかった。」
その言葉が頭で理解できるより先に立ち上がって殿下を見た。
僕が問う前に、笑い声混じりに殿下が声を重ねてくる。
「だが、今のお前ではイセルの傍には立てないと伝えてみたらな。面白いほど大人しくなったぞ。」
「殿下!僕は彼を縛り付ける事を望んでいません。」
「お前が望んでいなくとも、奴は望んでいるのだろう。優秀なようだから騎士団で預かることにした。安心しろ。」
面白そうにこちらを見る殿下に何も言えずに、ただ扉が閉まるのを見つめた。
***
鳥の大きい鳴き声で目が醒める。
この生活になったら怠惰に寝てやろうと思ったのに、三年経った今もそれは実現されない。
それもこれも、殿下に押し付けられた珍しいという鳥のせいだ。
けれど、換羽時に抜ける金色の美しい尾羽や、たまに生む卵はいい金額になるのを知って、殿下なりの気遣いだったのだろうと受け入れた。
「なんだ、ロイ、寂しかったのか?でも一緒に寝ると潰しそうで怖いしなあ……」
艶めく黒い羽が彼を思い出させて、つい似たような名前をつけてしまった。
首筋を撫でると、クルクルと猫のような喉音を立てて手のひらに擦り付いてくる。
ベッドの頭近くに整えられた寝床へ満足そうに収まるのを見て、もう少し寝ようと思う。
郊外に移り住んで三年、この土地では育ちにくい果物などを魔法で育てて生計を立てているものの、慣れていない労力とは見合わない。
いつの間にか頼られるようになって、近隣の村々の便利屋的なことをしているのも地味に体力を削っていた。
ロイを撫でながら、いい心地で意識が落ちていく中、懐かしい声が聞こえた。
「……こんなに、手をぼろぼろにして。」
遠くで優しい声が響いて、僕はそこまで彼を求めているのかと笑った。
ここしばらく、夢に出てくる事も減っていたのに。
「ぼろぼろだと、嫌い……?」
夢現で問いかけると、鼻を啜るような声が聞こえた。
「嫌いなはず、ないだろ……っ!起きて、俺の顔を見やがれ……!」
怒鳴り声にはっとする。
「……ロウ。ほんもの?」
「本物だ、ばか……!」
数度目を瞬いて視界に入る黒い髪が夢でないと悟る。
三年越しのロウだ。実感が湧かない。
そういえば昔、僕の私財で買ったこの家の合鍵はずっと昔にロウに渡していた。
「久しぶりだね。」
咄嗟に出たのはそんな簡潔な言葉だった。
ロウの眉が、幼い頃みたいにわずかに寄った。
「もっと、驚けよ……。」
「十分に驚いてる。」
言っても納得いっていないのだろう。
最後に会った時よりも一回り大きくなったような体躯に心臓が鳴る。
「なんで、ここに。」
「会いたかったからに決まってんじゃねーか!」
以前と変わらない真正面からの言葉に、思わず笑いが漏れた。
夢でもいい。
泣きそうに顰められた顔が僕を求めていて手が震えた。
最後まで手放せなかった彼が僕をずっと思ってくれたらいいのに、と。
蓋をしていた醜い願望のままだ。
きっとその願望が今を見せている。
「君は変わってないな。」
「変わった。強くなった。」
「僕のことなんて、忘れてくれてもよかったのに。」
「忘れられねえ。」
強い漆黒の瞳が逃さないとばかりに僕を射抜く。
掴まれた手に体温を感じて、目を見開いた。
――夢じゃ、ない?
指の力が痛いほど確かだった。
「迎えに来るために、五年と言われたところを死ぬ気で三年にしたんだ。」
「……どういうこと?」
あまりの気迫に意味が分からず問うと、
「もうあんたと一緒に居られる。褒賞で小さい屋敷も買ったから、一緒に暮らそう。」
もっと理解を超えた言葉が届いた。
「これは僕の都合の良い夢では……」
「夢じゃねえ。」
――思考が追いつかない。
今日は、少しだけ多く眠って、畑仕事をして。二つの村の依頼を片付けて、それから。
ああ、なんだっけ。
取り留めない思考よりも目の前の男に思考も目も奪われる。
頬を包み込まれて、きらきらとした黒曜石のような瞳が視界を覆った。
「あんたの夢でも、俺の夢でもない。俺を見ろ。」
「……君のことなんて、昔からずっと見てるよ。」
だって。最後まで君を見ていたかったから、手放せなかったのだから。
頬に感じる体温が、じわじわと現実を伝えてきて泣きそうになった。
「ロウ。」
「ん。」
優しい表情は変わらない。
でも、随分と大人びて見える。騎士団に入れたと殿下が言っていた。腕の傷が生々しくて泣きたくなる。
「……ロウ、無茶をした?痛い怪我はない?」
「あんたと居れるなら、無茶でもなんでもやる。」
そんなことを言われたら。
いよいよ、涙を堪えられない。
「ほんもの?」
「疑り深いな。」
泣きそうな、怒っているような、何かを言いたそうな。なんとも言えない顔がこちらを見つめてきた。
そっと抱きしめられた。
ロウの腕は相変わらず優しい。
その温もりに泣きたくなる心地を抑えながら、背中に手を添えた。久々の人の温もりがやけに温かく感じる。
「あのクソ殿下には腹が立ってるが、あいつのおかげで時間の短縮はできた。」
「くそでんか。」
聞き慣れない言葉を思わず鸚鵡返しにすると、こん、と扉を叩く音がした。
「……ここに私がいるのによく言う。」
空気を割るように届いた声にはっとする。
「殿下……。」
「ロウは説明が下手なようだから、私から話をしよう。」
なぜ、この場に。それに。
「殿下、あなたには鍵を渡していないのですが。」
やや冷たい目線を向けると、ロウが隣で頷いた。
「着いてくるって煩かったから、もっと言ってやれ。」
「んんっ……そこは目溢ししてくれないか。私がお前達を再会させたのだから。」
「――冗談ですよ。お久しぶりです……相変わらず、あなたも甘いままなのですね。」
権力の権化といってもいいのに、以前と変わらず軽口を受け入れてくれる彼に笑った。
「つまり。」
殿下が口を開く。
「君が処刑されないとなった時に、彼は君の傍に居たいと暴れた訳だ。
でも、今の立場では君を守りたいという願いは一生叶わないから、五年間、騎士として成果を上げれば、名誉男爵もありえると、そう伝えてみたのだが――」
呆れたような視線がじゃれつく隣の存在に向く。
「まさか、三年で達成するとは私も思っていなかった。思ったより腕が立つとは聞いていたが、本来何年あっても素質がなければ達成できない。」
殿下が面白そうな顔をしてこちらを見ている。
それは、つまり。
相当な難題をこなしたということで。
「やっぱり、無茶したんだ。」
「達成したんだから、いいだろ。漸く一緒に暮らせる。」
ぐりぐりと押さえつけられる頭は可愛いが、それだけで許容していい内容とも違う気がする。
――話が飛びすぎていて追いつかない。
困っているのを察してか、殿下が声を重ねてくる。
「雇っていた執事や侍女の噂で、ハルディン家の問題を解決したのはお前だということはもう市井にまで広まっている。
エンバー侯爵家嫡男も、功績を自分のものだけにしたくないとお前に辿り着いたようだ。合同研究として修正すると息巻いていたぞ。」
「は……?」
「つまり、お前がまた表舞台に立たないと、沙汰が不当として王族の評判はガタ落ちということだな。」
「なんでそんなことに。」
「さあな。お前の人望じゃないか。面白いことに、今じゃお前は聖人扱いだぞ。」
「それを止める事は出来た筈です。」
食ってかかると、面白そうな瞳を返された。
「誰も、そうはしたくなかったようだな。」
力が、抜けた。
世の中がそんなに自分に甘いなんて考えてもなかった。
「全てを犠牲にしてまで、できる事を最大限こなした者に、それ以上何を求める?」
殿下の問いかけには何も答えられない。
それだけ両親のやった罪は重い。人を蔑ろにした家系に生まれて、なぜ僕が幸せになれるというのか。
「俺は。」
ロウが強い声で口を挟んだ。
見上げた先、強い瞳が目を逸らすなと訴えてきた。
「俺は、世間の評価とか罪とか。そんな事はどうでもいいと言ったら、あんたは怒るか。」
必死にこちらを見つめる眼差しに何より心を奪われた。
「あんたが、俺と一緒に居てくれるなら、なんでもいい。そこに何か弊害があるなら、俺は動く。」
混乱した頭にただロウの言葉だけが響く。
「俺のことを宝石だと言ったが、あんたが居なけりゃ俺はただの石ころだ。」
無骨な手が頬に寄せられて、その熱さに少し身体が跳ねた。
「だから。」
言われている内容は、分かる。分かるけど何も追いつかない。追いついていけない。
「俺と一緒にいてくれ。」
はっきりと言われたそれに返答も出来ずにいると、ロウが笑った。心底、愛おしそうに。
「……あんたが顔を赤くするなんて、初めて見たよ。」
「だって、」
言葉を紡げずにいると、殿下が追い打ちをかけてくる。
「私もイセルの動揺する顔を見た事はないな……ロウの話以外では。」
しれっという声に殺意が湧いた。
絶対に分かっていて追い討ちをかけてきている。
「なるほど。俺の事には動揺するってことは――期待していいんだな?」
挑発するように言われて、なんとか言葉を捻り出した。
「……いつのまに、そんなに情緒的になったんだ。」
ロウはただ面白そうに笑って、こめかみに口付けてきた。
「あんたが全部教えてくれた事だ。」
そんな事、教えた覚えはない。そう思うのに、降りてくる口付けは拒否できなかった。
「だから、受け入れろよ。」
そっと離れた唇に苦笑した。
「君の事を拒否したことなんて、ないだろう。」
最後まで諦められなかった宝石が、手元できらめくのを諦められる人間がいるなら教えてほしい。
少なくとも、僕には無理だった。
「今日の依頼をこなした後でね――僕の宝石。」
どうしても。
彼の笑顔は、僕のゆくさきを照らすみたいに、なによりきらめいて見えるのだ。
喜んで抱き止めてくるロウがどうしようなく愛しいのだから、許してほしい。
僕はきっと、君の前なら幸せでいてもいいと思ってしまう傲慢な人間なのだから。
牢屋、斬首という僕がイメージしていたものとは異なりすぎて、それでも部屋から外に出られないのは、一応軟禁状態なのだから間違えてはいないのだろうと納得した。
軟禁とはいえ、部屋にはぎっしり詰まった本棚も置かれていて、食事も時間になれば用意される。
快適な生活に戸惑いつつ、どうせ死ぬのだと環境を甘受して大人しく沙汰を待っていると、唐突にその人物は現れた。
コンコン、という丁寧なノックは自分の置かれている環境とはそぐわない。
それでもようやくその時がきた、という意識のもと心持ち背筋を伸ばして扉を向いた。
「――どうぞ。」
声に呼応するように扉を開いた人物に驚いた。
まさか、この人がくるとは――咄嗟に片膝を立てて頭を垂れた。
普段はここまではしないが、今は罪人だ。
「ハルディン王太子殿下にご挨拶申し上げます。」
「いい――いつも通りにしろ。」
ひらひらと手のひらを振る殿下には緊張感のかけらもない。
「は。では――なぜ罪人相手に護衛もつけずにいらっしゃっているのです。殿下がご自分の価値もお分かりになられないとは思えませんが。」
素直に首を傾げて見上げれば、愉快そうに殿下の口が歪んだ。
「普段通りにしすぎだ。お前には中間がないのか。」
「あいにく罪人なもので。」
「お前のような罪人は見た事がない。」
ソファに腰を下ろした殿下を横目でみて、お茶を用意する。
侍女もいないこの部屋に誰も伴わず来たのは、僕に用意をしろということだろう。
殿下は昔から僕に何かをさせるのが好きだ。それは罪人となった今も変わりがないらしい。
「殿下、アプリコットティーでよろしいですか。僕の家には常備していなかった茶葉でして。物珍しさにここへ来てこればかり飲んでいるんです。」
「アプリコットが好きなのは意外だな。」
「僕はロマンチストですからね。こういった物を好むんです。」
「リアリストがよく言う。」
鼻で笑った殿下は、出したカップに躊躇いもなく口をつけた。
「殿下、警戒心が足りませんよ。」
「お前相手に警戒心など持っていない。」
澄ました顔で言うそれは最大限の彼の優しさなのだと思った。
僕がカップから口から離したのを見計らって、殿下が口を開く。
「お前の両親の斬首刑は先ほど執行された。」
想定していた通りの未来だ。
僕の両親は、金欲しさに奴隷制度の禁を破った。
この国で奴隷は認められているが、それはあくまで肉体労働であり、性的搾取は認められていない。
それを金に変えたのが僕の父母だということだ。吐き気のする事に。
人名と金額が記載されたリストを見た時は手の震えが止まらなかった。
愚かな両親だとは思っていたが、まさか、人の命すら鑑みないなんて。
同じ血が通っている事すら罪に思えた。
「そうですか――。僕はいつでしょうか。今日でも構いませんが。」
少しだけ心臓が動かなかったといえば嘘になる。それでも、既に受け入れている未来だった。
「お前は処罰されない。」
その言葉にかっとなってテーブルを叩いた。
「どうして……!」
咄嗟に伸びかけた手を理性が止めた。感情が昂っても流石に殿下の胸ぐらは掴めない。
「お前は、功労者だ。私達でも踏み入れるのが難しかった証拠を全て集めて、逐一報告してくれただろう。」
淡々とした静かな瞳が逃げるなと訴えてくる。
「王家としては、お前の功績を評価したいと考えている。フェルディオ家を存続させたいとも。」
「いいえ、殿下。フェルディオの名は、多くの人々の悍ましい記憶として没落させるべきです。民草もそう望みます。」
民草の支持というのは、安定あってこそだ。今回のことは支持率があがるいい案件になる。
ここでフェルディオを存続させると信頼が傾く可能性すらある。
「エンバー侯爵家が功績を上げたでしょう。誠実な彼らこそ、公爵に相応しい。」
言えば、少し殿下が面白くなさそうな顔をした。
「嫡男が言っていたな。ピターケルの定義に至ったのは、無名の手紙が数通もあったからだと。」
試すような口ぶりに深く息をついた。この人には誤魔化せない。
「フェルディオ家の悍ましさを知った時の、僕の気持ちが分かりますか。」
「知らんな。お前は私に一度も話した事がない。」
ふん、と不遜げに言う殿下の態度は、少し拗ねているように見える。
もしかすると、この人にも頼ってほしいという感情があったのかもしれないと今更な事を思った。
「フェルディオという名を聞くだけで、人生を塗りつぶされたような気持ちになる人々が居るという事です。実態が変わっても、それは消えません。」
ここ十年、散々考えた。
改善するには性根が腐りきっていて、潰すしかないという結論に至ったのも後悔はない。
「フェルディオ家は、この国に相応しくありません。」
「お前ごとそう評価するのは早計に思うがな。優秀な頭で全て計画通りに進んだようだが――元より、お前は采配をする立場にない事を忘れるな。」
冷たい視線が背中まで走る気がした。
為政者としての冷酷な一面が垣間見えた気がする。
それでも、ここで背筋を曲げれば、この十年という時間をかけてまで、ちまちまと何をやってきていたのだと自分に言わなければいけなくなる。
血が滲むような思いをした十年だった。
気付きたくもなかった鱗片を拾った時、呑気に生きていたかったと、どうしようもない事を正直数十では足りないほど思った。
だからこそ貫き通したものを、今の僕の感情でおざなりにしてしまうのは違う。
決意してからというもの、全てのものに苦しいながらもただ蓋をしてきたのだ。
僕が譲れないと思った、信念とともに。
ひとつだけ、僕自身だけが見つけた宝石だけ、最後まで手放せなかっただけだ。
それでも、ちゃんと最後には手放せた。
僕は、両親と違って正しく生きる事ができる。
そのために、僕は僕を信じるしかなかった。
睨むような視線を、意図的に殿下に向けたのは不敬そのものだろう。
それでも彼は何も言わない。
いつも、どんな態度で接しても本質を受け取ろうとする彼は間違いなく次代の為政者だ。
「今フェルディオ家にある全ての財産を、被害者の賠償と今後の領地を担う貴族に活用してください。」
殿下は再度カップに口をつけて、もったいぶったように声を出した。
「……それでは、お前が一文なしになる。」
当たり前の事を言われて、彼も落とし所を決めているのだと知る。
「問題ありません。」
じっと見つめると、殿下は小さく息を吐いた。
「お前は本当に、あれらから産まれたとは思えない程に優秀で頑固だな。」
今日処刑したと言ったその口でそんな事を言う冷血さに少しばかり驚いた。
きっと問題ないと思われる位には、僕も冷徹だと思われているのだろう。
殿下の世界はただの貴族だった僕より広い。
彼であれば、もっと早くに、もっと正確に処理できたのだと思う。
「僕を処刑してくれないのであれば、平民としてやっていくほかありません。」
「お前は気位の高い部分があると思っていたが。」
「高いからこそ、死以外で家の罪とどう向き合っていいか、結論がつかないのですよ。」
正直に言えば頭が混乱している。
一族の直系として処刑される未来しか想定していなかった。
少し思考が途切れるような思いがして額に手を当てる。
「そんなに思い悩むことか。」
「……悩みますよ。なんだと思っておられるんですか、今回のことを。」
「そうか、お前は優秀なだけに自戒の念が強いのだな。」
ふはは、と風体にあった笑い方をする殿下に何か言う気にもならなかった。
「いいだろう。お前のような人材を手放すなど勿体無いと思っていたが――存外、時間が必要なのだな。」
威風堂々とした体で立ち上がった殿下にあっけに取られる。
「なれば、時間をやろう。」
何も伝わっていない気がする、と感じた僕の心は恐らく間違っていない。
扉に向かう途中、殿下が振り返って面白そうな顔をこちらに向けた。
「そういえばお前が大切にしていた飼い犬だがな。しばらく煩くて手もつけられなかった。」
その言葉が頭で理解できるより先に立ち上がって殿下を見た。
僕が問う前に、笑い声混じりに殿下が声を重ねてくる。
「だが、今のお前ではイセルの傍には立てないと伝えてみたらな。面白いほど大人しくなったぞ。」
「殿下!僕は彼を縛り付ける事を望んでいません。」
「お前が望んでいなくとも、奴は望んでいるのだろう。優秀なようだから騎士団で預かることにした。安心しろ。」
面白そうにこちらを見る殿下に何も言えずに、ただ扉が閉まるのを見つめた。
***
鳥の大きい鳴き声で目が醒める。
この生活になったら怠惰に寝てやろうと思ったのに、三年経った今もそれは実現されない。
それもこれも、殿下に押し付けられた珍しいという鳥のせいだ。
けれど、換羽時に抜ける金色の美しい尾羽や、たまに生む卵はいい金額になるのを知って、殿下なりの気遣いだったのだろうと受け入れた。
「なんだ、ロイ、寂しかったのか?でも一緒に寝ると潰しそうで怖いしなあ……」
艶めく黒い羽が彼を思い出させて、つい似たような名前をつけてしまった。
首筋を撫でると、クルクルと猫のような喉音を立てて手のひらに擦り付いてくる。
ベッドの頭近くに整えられた寝床へ満足そうに収まるのを見て、もう少し寝ようと思う。
郊外に移り住んで三年、この土地では育ちにくい果物などを魔法で育てて生計を立てているものの、慣れていない労力とは見合わない。
いつの間にか頼られるようになって、近隣の村々の便利屋的なことをしているのも地味に体力を削っていた。
ロイを撫でながら、いい心地で意識が落ちていく中、懐かしい声が聞こえた。
「……こんなに、手をぼろぼろにして。」
遠くで優しい声が響いて、僕はそこまで彼を求めているのかと笑った。
ここしばらく、夢に出てくる事も減っていたのに。
「ぼろぼろだと、嫌い……?」
夢現で問いかけると、鼻を啜るような声が聞こえた。
「嫌いなはず、ないだろ……っ!起きて、俺の顔を見やがれ……!」
怒鳴り声にはっとする。
「……ロウ。ほんもの?」
「本物だ、ばか……!」
数度目を瞬いて視界に入る黒い髪が夢でないと悟る。
三年越しのロウだ。実感が湧かない。
そういえば昔、僕の私財で買ったこの家の合鍵はずっと昔にロウに渡していた。
「久しぶりだね。」
咄嗟に出たのはそんな簡潔な言葉だった。
ロウの眉が、幼い頃みたいにわずかに寄った。
「もっと、驚けよ……。」
「十分に驚いてる。」
言っても納得いっていないのだろう。
最後に会った時よりも一回り大きくなったような体躯に心臓が鳴る。
「なんで、ここに。」
「会いたかったからに決まってんじゃねーか!」
以前と変わらない真正面からの言葉に、思わず笑いが漏れた。
夢でもいい。
泣きそうに顰められた顔が僕を求めていて手が震えた。
最後まで手放せなかった彼が僕をずっと思ってくれたらいいのに、と。
蓋をしていた醜い願望のままだ。
きっとその願望が今を見せている。
「君は変わってないな。」
「変わった。強くなった。」
「僕のことなんて、忘れてくれてもよかったのに。」
「忘れられねえ。」
強い漆黒の瞳が逃さないとばかりに僕を射抜く。
掴まれた手に体温を感じて、目を見開いた。
――夢じゃ、ない?
指の力が痛いほど確かだった。
「迎えに来るために、五年と言われたところを死ぬ気で三年にしたんだ。」
「……どういうこと?」
あまりの気迫に意味が分からず問うと、
「もうあんたと一緒に居られる。褒賞で小さい屋敷も買ったから、一緒に暮らそう。」
もっと理解を超えた言葉が届いた。
「これは僕の都合の良い夢では……」
「夢じゃねえ。」
――思考が追いつかない。
今日は、少しだけ多く眠って、畑仕事をして。二つの村の依頼を片付けて、それから。
ああ、なんだっけ。
取り留めない思考よりも目の前の男に思考も目も奪われる。
頬を包み込まれて、きらきらとした黒曜石のような瞳が視界を覆った。
「あんたの夢でも、俺の夢でもない。俺を見ろ。」
「……君のことなんて、昔からずっと見てるよ。」
だって。最後まで君を見ていたかったから、手放せなかったのだから。
頬に感じる体温が、じわじわと現実を伝えてきて泣きそうになった。
「ロウ。」
「ん。」
優しい表情は変わらない。
でも、随分と大人びて見える。騎士団に入れたと殿下が言っていた。腕の傷が生々しくて泣きたくなる。
「……ロウ、無茶をした?痛い怪我はない?」
「あんたと居れるなら、無茶でもなんでもやる。」
そんなことを言われたら。
いよいよ、涙を堪えられない。
「ほんもの?」
「疑り深いな。」
泣きそうな、怒っているような、何かを言いたそうな。なんとも言えない顔がこちらを見つめてきた。
そっと抱きしめられた。
ロウの腕は相変わらず優しい。
その温もりに泣きたくなる心地を抑えながら、背中に手を添えた。久々の人の温もりがやけに温かく感じる。
「あのクソ殿下には腹が立ってるが、あいつのおかげで時間の短縮はできた。」
「くそでんか。」
聞き慣れない言葉を思わず鸚鵡返しにすると、こん、と扉を叩く音がした。
「……ここに私がいるのによく言う。」
空気を割るように届いた声にはっとする。
「殿下……。」
「ロウは説明が下手なようだから、私から話をしよう。」
なぜ、この場に。それに。
「殿下、あなたには鍵を渡していないのですが。」
やや冷たい目線を向けると、ロウが隣で頷いた。
「着いてくるって煩かったから、もっと言ってやれ。」
「んんっ……そこは目溢ししてくれないか。私がお前達を再会させたのだから。」
「――冗談ですよ。お久しぶりです……相変わらず、あなたも甘いままなのですね。」
権力の権化といってもいいのに、以前と変わらず軽口を受け入れてくれる彼に笑った。
「つまり。」
殿下が口を開く。
「君が処刑されないとなった時に、彼は君の傍に居たいと暴れた訳だ。
でも、今の立場では君を守りたいという願いは一生叶わないから、五年間、騎士として成果を上げれば、名誉男爵もありえると、そう伝えてみたのだが――」
呆れたような視線がじゃれつく隣の存在に向く。
「まさか、三年で達成するとは私も思っていなかった。思ったより腕が立つとは聞いていたが、本来何年あっても素質がなければ達成できない。」
殿下が面白そうな顔をしてこちらを見ている。
それは、つまり。
相当な難題をこなしたということで。
「やっぱり、無茶したんだ。」
「達成したんだから、いいだろ。漸く一緒に暮らせる。」
ぐりぐりと押さえつけられる頭は可愛いが、それだけで許容していい内容とも違う気がする。
――話が飛びすぎていて追いつかない。
困っているのを察してか、殿下が声を重ねてくる。
「雇っていた執事や侍女の噂で、ハルディン家の問題を解決したのはお前だということはもう市井にまで広まっている。
エンバー侯爵家嫡男も、功績を自分のものだけにしたくないとお前に辿り着いたようだ。合同研究として修正すると息巻いていたぞ。」
「は……?」
「つまり、お前がまた表舞台に立たないと、沙汰が不当として王族の評判はガタ落ちということだな。」
「なんでそんなことに。」
「さあな。お前の人望じゃないか。面白いことに、今じゃお前は聖人扱いだぞ。」
「それを止める事は出来た筈です。」
食ってかかると、面白そうな瞳を返された。
「誰も、そうはしたくなかったようだな。」
力が、抜けた。
世の中がそんなに自分に甘いなんて考えてもなかった。
「全てを犠牲にしてまで、できる事を最大限こなした者に、それ以上何を求める?」
殿下の問いかけには何も答えられない。
それだけ両親のやった罪は重い。人を蔑ろにした家系に生まれて、なぜ僕が幸せになれるというのか。
「俺は。」
ロウが強い声で口を挟んだ。
見上げた先、強い瞳が目を逸らすなと訴えてきた。
「俺は、世間の評価とか罪とか。そんな事はどうでもいいと言ったら、あんたは怒るか。」
必死にこちらを見つめる眼差しに何より心を奪われた。
「あんたが、俺と一緒に居てくれるなら、なんでもいい。そこに何か弊害があるなら、俺は動く。」
混乱した頭にただロウの言葉だけが響く。
「俺のことを宝石だと言ったが、あんたが居なけりゃ俺はただの石ころだ。」
無骨な手が頬に寄せられて、その熱さに少し身体が跳ねた。
「だから。」
言われている内容は、分かる。分かるけど何も追いつかない。追いついていけない。
「俺と一緒にいてくれ。」
はっきりと言われたそれに返答も出来ずにいると、ロウが笑った。心底、愛おしそうに。
「……あんたが顔を赤くするなんて、初めて見たよ。」
「だって、」
言葉を紡げずにいると、殿下が追い打ちをかけてくる。
「私もイセルの動揺する顔を見た事はないな……ロウの話以外では。」
しれっという声に殺意が湧いた。
絶対に分かっていて追い討ちをかけてきている。
「なるほど。俺の事には動揺するってことは――期待していいんだな?」
挑発するように言われて、なんとか言葉を捻り出した。
「……いつのまに、そんなに情緒的になったんだ。」
ロウはただ面白そうに笑って、こめかみに口付けてきた。
「あんたが全部教えてくれた事だ。」
そんな事、教えた覚えはない。そう思うのに、降りてくる口付けは拒否できなかった。
「だから、受け入れろよ。」
そっと離れた唇に苦笑した。
「君の事を拒否したことなんて、ないだろう。」
最後まで諦められなかった宝石が、手元できらめくのを諦められる人間がいるなら教えてほしい。
少なくとも、僕には無理だった。
「今日の依頼をこなした後でね――僕の宝石。」
どうしても。
彼の笑顔は、僕のゆくさきを照らすみたいに、なによりきらめいて見えるのだ。
喜んで抱き止めてくるロウがどうしようなく愛しいのだから、許してほしい。
僕はきっと、君の前なら幸せでいてもいいと思ってしまう傲慢な人間なのだから。
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