愛洲の愛

滝沼昇

文字の大きさ
9 / 78
3.15の出発

➁ 女傑降臨

しおりを挟む

 昨年娶ったばかりの妻・朱実あけみから、燦蔵は志免の身の上に起こった事を知り、不動明王の如き形相で髪を逆立てる勢いで怒り狂った。

 燦蔵はこの時21歳。愛洲兄弟の三番目にして望月忍の後継者であり、母方の祖父であるこの望月家当主・厳斎から甲賀望月流の奥義を授かりし手練者である。妻の朱実もこの里で育った望月の分流の娘で、やはり望月流の使い手であった。

「おまえさん、いいのかい。いくら御主君御落胤とはいえ、うちの大事な志免をあんな風にされて、黙っていられるのかい」
「ええい、兄者への具申は無用、斬る! 」
 刀を抜いて土間へと降りた燦蔵の前に、細身の女が立ち塞がった。壱蔵いちぞうの妻・綾乃である。水目藩次席家老の娘で、この山里に凛と咲き誇る百合の花のような美しい女であった。
「退いてくれ、姉者」
「ならぬ」
「志免があのような目に遭うたのだ、黙っていられるか! 」
 押し通ろうとする燦蔵の巌の様な巨体を、綾乃は両手を広げて制止したのであった。
「燦蔵、何も私は、鶴丸の出自故に耐えよと申しているのではない。あの子は、物の善悪を知らぬままに育ってしまっておる。このままではどのみち、あの子に未来は無い。斬り捨てるのは容易い事。だが、あの子を里で預かっておきながら、物の道理を教えてやらなんだ我らに、責めはないのだろうか」
「鶴丸には、爺様も我らも手を尽くした。それがどうだ、忍の腕だけがめきめきと上達致したものの、性根はさっぱりときていやがる。殿の御落胤ごらくいん等という話も眉唾だ。あれの母は里でも有名な色狂いの女。誰の子か、知れたものではないわ、クソッ」
 怒りに任せて捲し立てた燦蔵の頬を、綾乃が思い切り張り倒した。泣く子も黙る望月燦蔵も、綾乃にかかっては形無しであった。

 何者にも臆することのないこの義姉は、あの一徹者の長兄・壱蔵が心底惚れ込み、綾乃の意に染まぬ相手との見合いの席に上がり込み、その手を取って連れ去ってきたという程の女性である。一男一女に恵まれた後は、この里に残り、女衆おんなしの長として、この里をしっかりと切り盛りしていたのであった。それ以上に、里の者を慈しみ、弟達に惜しみない愛情を注ぐ綾乃に、誰も、当の夫である壱蔵ですら、頭が上がるものではなかった。
「姉者……」
「出自を知る我らの、奥底にあるその思いが、あの子を歪ませたのではないか。私にはむしろ、なすがままに抗う事も出来なんだ志免の弱さの方が気にかかる」
「し、志免は悪くないやいっ」
 子供のように頬を膨らませる巨漢の弟の反論に、綾乃は肯定するように微笑んで頷いた。
「無論じゃ。けれど、未来あるあの子達を、このままにはしておけまい。燦蔵、ここは一つ、あの子達に任せてみぬか」
「任せるとは……」
「壱蔵殿から繋ぎが参り、江戸の千代丸様がご病床の中から、急ぎご対面を望んでおられるとの事。かといって、千代丸様擁立派の御方様や御子柴様が黙っているとは思えぬ。が、鶴丸には志免のみ従わせよ」
「綾乃姉さん! 」
 燦蔵の背中で話を聞いていた朱実が、思わず手にしていた湯呑みを落とした。
「燦蔵は影ながら御守りすれば良い。あくまで道中は志免に護衛致させるのじゃ」
「姉者、幾ら何でも……」
「望月の御爺様には了解を得た。この上は一刻も早く鶴丸に、いえ、鶴丸君に出自の真実を打ち明け、江戸へ出立致させるのじゃ。良いか、ただ藩の為にとあの子を担いだのでは、獣に権力を握らせてしまうも同じ事。それでは千代丸様の御覚悟は水泡に帰し、加山家断絶の沙汰を待つまでもなく領民共々飢え死にする仕儀と相成ろう。今こそ、鶴丸君に人としての道を教えなくてはならぬ」
 綾乃の言葉に、それでも燦蔵は口元をへの字に曲げたまま、中々首を縦に振ろうとはしなかった。
「燦蔵、良い子だから」
 殺気が駄目なら微笑みでとばかりに、綾乃はにっこりと微笑んで燦蔵の頬を撫でた。
「し、仕方ないな……」
「ちょいとおまえさんっ! 」
 泣く子も黙る望月燦蔵、女難の時であった。
 
  
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...