愛洲の愛

滝沼昇

文字の大きさ
13 / 78
3.15の出発

➅ 縄目の鶴丸

しおりを挟む
 
 戻ろうと肚を決めたからにはと、志免は勢い込んで町中に戻った。すると、日暮れ後の暗がりの中、町中の掘割を渡す橋の袂に人だかりが出来ていた。
 その野次馬が手にしている提灯を頼りに、志免はその人だかりへと駆けていった。
「すみません、ちょっと」
 人を掻き分けた真ん中には、想像だにしなかった姿の鶴丸がいた。
「鶴丸! 」
 真っ裸で縛り付けられていた鶴丸は、空腹と悔しさとで落窪んだ瞳を、真直ぐに志免へと向けた。
「一体誰がこんな酷い事を」
「白々しい、大方てめぇが意趣返しにやりやがったんだろうが」 
 縄を解けば即座に斬り殺しにかかりそうな殺気を、鶴丸は志免にぶつけて来た。
 怖いと一瞬怯んだものの、志免は心の中で印を結んで己の気を鎮め、逃げずに鶴丸の側に歩み寄った。
「おい坊、噛みつかれるで」
「およしよ」
 人混みの中から志免への制止の言葉がかけられた。
 確かに鶴丸は、罠に嵌った野犬の様に殺気を剥き出しにして警戒している。しかしその姿は、哀れとしか言いようが無い。雨はとうに止んだというのに、体中から縄を伝って雫が落ち続け、日が暮れて涼しくなった風に晒されて肌が総毛立っている。目の下には青々と窪みが出来て、空腹で今にも倒れそうな顔色をしている。
 誰一人、何ら手を差し伸べなかったであろう事は明白であった。
「寄るんじゃねぇよ」
「寄らなきゃ、縄が解けないじゃないか」
「ケッ、縄を解いて、恩を売るつもりか」
「恩どころか、本当ならこのまま縄ごとおまえを真っ二つに斬ってやりたいよ」
「志免……」
 ざわめく野次馬に構わず、志免は苦無と呼ばれる木の葉型の棒手裏剣で縄を断った。苦無は武器である以上に、石垣をよじ登る時や穴を掘る時など工具的にも利用でき、忍には欠かす事の出来ぬ道具である。
「いつか自慢してた奴だろ、それ。壱蔵兄貴がお前の為に作ってくれたとかって……」
「子供の小さな手でも使えるようにと」
「今のお前の手には、その苦無は小さいな」
「でも、大切な道具だ。ほら、こんな風に、今でも立派に役に立っている」
 鶴丸を拘束していた縄が、はらりと解けた。
「きゃああ」 
 晒された鶴丸の、少年離れした体格に、野次馬の中の女達が嬌声を上げた。志免は提灯の向こうから奇異の目を向けてくる野次馬を一瞥すると、丸めて背中に括り付けてあった黒い布切れを解いた。両手で端を摘んでバサリと振ると、農夫の野良着に変わった。丸めてあるときは黒の裏地で目立たぬが、追われた時等にはこれを一瞬で広げて表返し、忍装束の上からまとい、農夫を演じて逃げるのである。
「さぁ、行こう」
 鶴丸を抱きかかえるようにして起こし、志免は野次馬の間を掻き分けるついでに商人の袂から手拭を擦り取り、橋の袂を後にしたのだった。
 
 
 鶴丸を橋の袂に晒したのは、他でもない、仁介であった。志免にしでかした仕打ちの意趣返しの気持ちも多少はあったが、何よりも天へと伸びた鼻っ柱を早いうちに叩き折っておかないと、後々彼を守る事にさえ支障を来すと判断した為であった。

 志免と鶴丸が町外れの地蔵堂に宿を取ったと部下からの報告を聞いた燦蔵の元に、仁介は風のように前ぶれなく姿を見せたのだった。
「仁らしいな、あの陰険なやり方は」
 朱実が持たせてくれた握り飯を半分に割って、燦蔵は仁介に勧めた。
御子柴みこしばが金で風魔ふうま転び忍ころびしのびを雇ったと、兄上からの繋ぎだ。風魔再興の名目で金を集める、三度の飯より殺しが好きな奴らとか」
「噂には聞いている。『御伽衆おとぎしゅう』だろ。見た目は役者のように綺麗な連中で、男にも女にも自在に化けるし、町にも溶け込んで尻尾も掴ませない。そのくせ殺し方は残忍で、金の払いが悪けりゃ雇い主もブッ殺すときた」
「救い様の無い外道だな」
「ああ。それで、鶴丸は」
「志免がちゃんと縄を解いたよ。それを見届けて、ここへ来た」
「お互い、あいつにゃ甘いな」
 それもそうだと、仁介は思わず声を上げて笑った。
「とにかく、御子柴だけでなく、柳沢の動きも気にかかる。或いは二人の利害が一致し、双方から刺客を放って千代丸君と鶴丸君を狙っているとも考えられなくもない。私はすぐに江戸へ戻る」
「俺には解せぬ。藩を潰すの潰さないのと命の遣り取りしておきながら、それでも笛を片手に、いそいそ会いにゆくのだろう」
「いそいそって……」
「柳沢の青瓢箪あおびょうたんとじゃ、仁は幸せになれっこない。解ってる癖に」
 水気のある紅い唇を綻ばせ、仁介は意味深に笑った。
 が、その目には決して報われる事の無い恋への、虚しい決意と諦めとが混在している。
 殺したい程に愛しい、相反する感情が同居する事等想像だに出来ぬ性格の燦蔵は、いつでも混在した感情を抱く仁介の複雑さを時に哀れに思うのであった。
燦坊さんぼうには、朱実あけみがいるしな」
 仁介はそう言って、燦蔵が分け与えた握り飯を口に放り込み、闇の中へ消えていった。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...