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3.15の出発
➅ 縄目の鶴丸
しおりを挟む戻ろうと肚を決めたからにはと、志免は勢い込んで町中に戻った。すると、日暮れ後の暗がりの中、町中の掘割を渡す橋の袂に人だかりが出来ていた。
その野次馬が手にしている提灯を頼りに、志免はその人だかりへと駆けていった。
「すみません、ちょっと」
人を掻き分けた真ん中には、想像だにしなかった姿の鶴丸がいた。
「鶴丸! 」
真っ裸で縛り付けられていた鶴丸は、空腹と悔しさとで落窪んだ瞳を、真直ぐに志免へと向けた。
「一体誰がこんな酷い事を」
「白々しい、大方てめぇが意趣返しにやりやがったんだろうが」
縄を解けば即座に斬り殺しにかかりそうな殺気を、鶴丸は志免にぶつけて来た。
怖いと一瞬怯んだものの、志免は心の中で印を結んで己の気を鎮め、逃げずに鶴丸の側に歩み寄った。
「おい坊、噛みつかれるで」
「およしよ」
人混みの中から志免への制止の言葉がかけられた。
確かに鶴丸は、罠に嵌った野犬の様に殺気を剥き出しにして警戒している。しかしその姿は、哀れとしか言いようが無い。雨はとうに止んだというのに、体中から縄を伝って雫が落ち続け、日が暮れて涼しくなった風に晒されて肌が総毛立っている。目の下には青々と窪みが出来て、空腹で今にも倒れそうな顔色をしている。
誰一人、何ら手を差し伸べなかったであろう事は明白であった。
「寄るんじゃねぇよ」
「寄らなきゃ、縄が解けないじゃないか」
「ケッ、縄を解いて、恩を売るつもりか」
「恩どころか、本当ならこのまま縄ごとおまえを真っ二つに斬ってやりたいよ」
「志免……」
ざわめく野次馬に構わず、志免は苦無と呼ばれる木の葉型の棒手裏剣で縄を断った。苦無は武器である以上に、石垣をよじ登る時や穴を掘る時など工具的にも利用でき、忍には欠かす事の出来ぬ道具である。
「いつか自慢してた奴だろ、それ。壱蔵兄貴がお前の為に作ってくれたとかって……」
「子供の小さな手でも使えるようにと」
「今のお前の手には、その苦無は小さいな」
「でも、大切な道具だ。ほら、こんな風に、今でも立派に役に立っている」
鶴丸を拘束していた縄が、はらりと解けた。
「きゃああ」
晒された鶴丸の、少年離れした体格に、野次馬の中の女達が嬌声を上げた。志免は提灯の向こうから奇異の目を向けてくる野次馬を一瞥すると、丸めて背中に括り付けてあった黒い布切れを解いた。両手で端を摘んでバサリと振ると、農夫の野良着に変わった。丸めてあるときは黒の裏地で目立たぬが、追われた時等にはこれを一瞬で広げて表返し、忍装束の上からまとい、農夫を演じて逃げるのである。
「さぁ、行こう」
鶴丸を抱きかかえるようにして起こし、志免は野次馬の間を掻き分けるついでに商人の袂から手拭を擦り取り、橋の袂を後にしたのだった。
鶴丸を橋の袂に晒したのは、他でもない、仁介であった。志免にしでかした仕打ちの意趣返しの気持ちも多少はあったが、何よりも天へと伸びた鼻っ柱を早いうちに叩き折っておかないと、後々彼を守る事にさえ支障を来すと判断した為であった。
志免と鶴丸が町外れの地蔵堂に宿を取ったと部下からの報告を聞いた燦蔵の元に、仁介は風のように前ぶれなく姿を見せたのだった。
「仁らしいな、あの陰険なやり方は」
朱実が持たせてくれた握り飯を半分に割って、燦蔵は仁介に勧めた。
「御子柴が金で風魔の転び忍を雇ったと、兄上からの繋ぎだ。風魔再興の名目で金を集める、三度の飯より殺しが好きな奴らとか」
「噂には聞いている。『御伽衆』だろ。見た目は役者のように綺麗な連中で、男にも女にも自在に化けるし、町にも溶け込んで尻尾も掴ませない。そのくせ殺し方は残忍で、金の払いが悪けりゃ雇い主もブッ殺すときた」
「救い様の無い外道だな」
「ああ。それで、鶴丸は」
「志免がちゃんと縄を解いたよ。それを見届けて、ここへ来た」
「お互い、あいつにゃ甘いな」
それもそうだと、仁介は思わず声を上げて笑った。
「とにかく、御子柴だけでなく、柳沢の動きも気にかかる。或いは二人の利害が一致し、双方から刺客を放って千代丸君と鶴丸君を狙っているとも考えられなくもない。私はすぐに江戸へ戻る」
「俺には解せぬ。藩を潰すの潰さないのと命の遣り取りしておきながら、それでも笛を片手に、いそいそ会いにゆくのだろう」
「いそいそって……」
「柳沢の青瓢箪とじゃ、仁は幸せになれっこない。解ってる癖に」
水気のある紅い唇を綻ばせ、仁介は意味深に笑った。
が、その目には決して報われる事の無い恋への、虚しい決意と諦めとが混在している。
殺したい程に愛しい、相反する感情が同居する事等想像だに出来ぬ性格の燦蔵は、いつでも混在した感情を抱く仁介の複雑さを時に哀れに思うのであった。
「燦坊には、朱実がいるしな」
仁介はそう言って、燦蔵が分け与えた握り飯を口に放り込み、闇の中へ消えていった。
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