愛洲の愛

滝沼昇

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4.篝火夢幻

➄ 風魔の幻助

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「待て」
 大名屋敷の立ち並ぶ人気の無い辻で、壱蔵は籠かきを制した。彼らも望月衆の下忍である。
 既に辺りを囲む異様な空気を察していた。
「籠を囲め」
 壱蔵の低い声での命に、たちまち籠かきや伴連らが籠を囲むべく態勢を整えた。四方の何処からの襲撃にも備えた防御の構えである。
「壱蔵……」
 先程の興奮とは打って変わった不安げな声で、千代丸が籠の中から壱蔵を呼んだ。
「動かれてはなりませぬ。御心静かに」
「相解った」
 刀の柄に右手を掛け、壱蔵は左手で鯉口を切る瞬間を推し量っていた。
「来るぞ」
 虫の音が止んだ。殺気が空を覆い尽くし、やがて雨のように黒影と具現化して籠めがけて降り注いで来た。
「守れ! 」
 黒影が掲げる刃先が月に反射する。真直ぐに落下するその光の筋に向かって、壱蔵が飛礫つぶてを放った。
 パラパラと音を立てて飛礫が影に当たる。落下速度の違いを見切った壱蔵が抜き様に三人、斬り捨てた。
 刀を鞘に納めると同時に、もう三人が下忍の手によってそれぞれ絶命していた。

 黒山が動くように、籠を守る下忍達が籠ごと移動を始めた。壱蔵はその横にぴたりと付き従った。
 壱蔵らの足を止めるべく矢が飛来するが、ヒュンという微かな音を聞き逃す事無く、壱蔵が刀で弾き、叩き折り、その発射地点めがけて小柄を放った。
「グゥッ……」
 壱蔵の小柄を食らった射手の落下をきっかけに、矢の飛来数が減って隙が出来た。
 下忍に矢の防御を任せ、壱蔵は続けざま、苦無を放った。木の葉型の棒手裏剣は、軌道がぶれることなく真直ぐに射手の急所を捉えたのであった。
「柳沢の命であろう、出て参れ」
 矢の雨が止んだ。射手は皆、撃ち落とされたからすの様に、辻に黒い躯を晒している。
「江戸詰め藩士にしては、骨があるな」
 壱蔵の問いに、腹に響く様な低音が返答をした。
 壱蔵をからかうその言葉の後には、ご丁寧に嘲笑が付け加えられた。が、そんな子供騙しの挑発にのる壱蔵ではない。背中に千代丸の籠を庇ったまま、壱蔵は刀の血振りをしてゆっくりと鞘に納めた。
「風魔の亡霊と見た」
「如何にも。風魔ふうま幻助げんすけと、覚えて冥土へ行くが良い」
 籠の中から、千代丸が壱蔵に何かを問うように体を寄せてくるのが解る。
 壱蔵は背中手に一寸扉を開け、今にも壱蔵の着物を握りしめそうなか細い手に、大丈夫だと手を添えた。
「あの美童は、貴様の弟よな」
「それがどうした」
「今頃は、我の手の者が、誅しておろう」
 壱蔵はククッと喉の奥で笑った。
「見くびられたものよ」
「何」
 相手の声に動揺が生じた。風魔一党はかつて関東一円で北条家の子飼いとしても活躍した程の忍の一門ではある。如何に伊賀や甲賀のような生き残り方は出来ずに落ちぶれたとは言え、仁介の命を餌にして壱蔵の動揺を誘おうとは、児戯にも劣る戦法であった。
「戦国忍としての誇りを踏みにじるが如き卑小な貴様に、風魔の名を名乗る資格は無かろう。早々に、愛刀・千子正重せんごまさしげの露と消えよ」
「ぬかせ! 」
 数個の苦無とともに、黒い影が籠を守る下忍の頭上めがけて飛来した。壱蔵の居合いの一閃は躱わされ、すかさず、黒い影は絶命した下忍の背中を蹴って闇に踊り、壱蔵の間合いに凶刃を向けた。着地と同時にかまいたちの如く弧を描いて俊速に嬲る様な刃先から、壱蔵は小刀をも抜いて二刀の構えで防御の態勢を取った。しかし、下がれば千代丸の籠が無防備になる。壱蔵は息を吐き、重心を落とすべく摺り足で左足を右足の三足分余り下げ、右半身となった。
 火花を散らし、闇の中で四本の刀が壱蔵の額のすぐ上で激突した。壱蔵は両の手に握る刀を頭上で十時に重ね、剣圧に耐えた。その火花の中によって、金と血にに飢えた醜悪な顔が露になった。
「ふん、苦労知らずの藩士如きが」
 痘痕面を更に歪ませて、幻助が壱蔵を圧倒した。が、それは壱蔵の誘いであり、押し込みすぎた幻助の体は、不意にその場から姿を消した壱蔵の残像によって前のめりにたたらを踏んだ。
「何処を見ている」
 壱蔵は消えた訳ではない。一瞬の力の均衡の傾きを読んで、体を抜くようにして幻助の背後へ回ったのである。剣圧頼りで動きの鈍い大男と壱蔵を侮っていた幻助は、忍よりも迅速で軽やかな動きに、まんまと後手を取った。素早く態勢を戻して壱蔵に刃先を向けるが、既に首筋には、壱蔵の刃先が食い込んでいた。
「柳沢の密命だな」
 口元に力を込めた幻助の唇をねじ開けるように、壱蔵が容赦なく左手の小刀の刃先を差し込んだ。幻助が刀を口にくわえさせられたまま、顎を血に染めて苦痛の声を上げた。
「貴様が舌を噛むより先に、この刀で膾切りに削いでやっても良いが、どうだ」
 声にならない声で激しく幻助が呻いた。どうやら、殺せ、と言っているようである。
「柳沢の遠謀は水目藩取り潰し。貴様ら一党、どこまで手を伸ばしておるのだ。貴様如きは下忍頭が良い所。真の頭目は他におるな」
 幻助が、血走った眼を向けてニヤリと笑った。壱蔵は刀を口から抜き、両刀を鋏のように幻助の首筋に交叉させた。
「我らの狙いはあくまで風魔再興ふうまさいこう。柳沢も江戸留守居役も、金蔓の一つに過ぎぬ」
「江戸留守居るすい……御子柴主膳か」
「哀れな加山の小僧共よ。風魔の血は絶えぬ、断じて絶えぬ。千代丸を殺し、鶴丸を殺し、必ずや再興を……」
「やはり、御子柴の藩乗っ取りの企みも、絵図面を引いたは柳沢か」
 幻助は最期の余力で、傷だらけの舌を噛み切り、絶命したのであった。

 壱蔵は確信した。
 水目藩は甲賀忍の里を抱え、尾張や紀伊にも程近い。京の情報も大阪等の商業都市の情報も、江戸より早く得る事が出来る。実際、木材の切り出しを巡って度々尾張徳川家中と悶着を起こし、大阪への物品搬送経路を巡って紀伊徳川家中と揉めた事もある。それ程、両徳川家に近い所に、水目藩はあるのだ。
 しかも加山家は神君家康公お墨付きの帝鑑間詰ていかんまづめ永代譜代えいたいふだい格である。両徳川とくせん家の首根っこを押さえるのにこれ程の適役はなかろう。保明はまだ3万石の若輩に過ぎず、如何に側用人として綱吉の寵愛を被ろうと、両徳川家とくせんけに対抗するには至らない。

 今の内に水目藩を傘下にして両家の実情を把握する事が、将軍家を安泰せしめ、己の暗躍の布石ともなろう。
 後は、頃合いを見て水目藩を取り潰し、幕府の財源にすれば良い。

 宮仕えの長い壱蔵の脳裏を、綱吉公に献身的に仕える保明の姿が過った。
 
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