愛洲の愛

滝沼昇

文字の大きさ
21 / 78
4.篝火夢幻

➅ 篝火

しおりを挟む
 化粧を落とし、湯浴みを済ませ、仁介は先程まで舞っていた能舞台の正中に座していた。

 頬にかかる後れ毛から水滴が滴り落ち、浴衣の胸元を濡らしている。ぞんざいにうなじまとめた髪からも、雫が滴っていた。

 篝火はもう消えかかっている。だが、仁介は目を閉じたままじっと、座していた。
 まだ、保明の見事な鼓の音が彼の体を包んだままになっていた。
 兄と、兄が命を懸けて守ろうとしている若君に加勢すべく飛び込みながら、あの時、あの舞いの最中、仁介は確かに保明に抱かれていたのだ。
 鼓と舞いとが闇の中で絡み合い、融合し、一つの作品となって水面を染めていたのだ。
 あの瞬間の舞いの一つ一つを思い起こす度、仁介の五体は疼く。

「仁介」
 その背中に、愛しい声が掛かった。いや、今は愛しい兄の命を握る、敵の声である。
「美世之介が、白足袋に細工がしてあったと騒いでいたそうだ」
 保明が、仁介の冷えきった肩に女物の打ち掛けを被せた。すると、夜気の冷たさに青ざめていた仁介の唇に、朱が差したのだった。
「おまえがやったのだな」
 美世之介とは、今日舞う筈であった美童である。仁介から見たら、着飾って舞い踊るしか能の無い美童故に、足をくじくように白足袋に細工をするのにも何の躊躇もいらなかった。保明の声にも、今更咎め立てをする様な険しさ等皆無である。
「久しぶりに、夢幻の世界に身を委ねた」
 保明は脇差を床に放り、仁介の背中を抱き締めるように跪き、頬を擦り寄せて来た。
「兄を狙ったその手で、抱くおつもりか」
 じっと宙を見据えたまま、仁介は喘ぐように囁いた。
「何の事だ」
「兄は、決して死にませぬ」
「仁介」
曼珠沙華まんじゅしゃげの舞はせめてもの、兄に倒されるであろう者達への手向けにございます」
「勝ち気な事よ」
 保明が唇を寄せた。が、仁介はそれを躱し、保明の腕の中から擦り抜けて立ち上がった。
「あなたの首を掻き切ってしまいたい」
 仁介の頬を、涙が伝った。月の光に反射し、その双眸は尚も熱く濡れ光っている。
「お前を思うさま抱いた後の寝首であれば、好きに致すが良い」
 保明も立ち上がった。仁介より長身の保明に抱き締められると、仁介の唇は必然的に保明の首筋を撫でる事となる。
「私は三万石では終わらぬ。私のご奉公は始まったばかりだ。私と共に、歩まぬか」
「御免被ります。所詮あなたは、綱吉公への忠義に囚われの身ではありませぬか」
 答えぬ保明の首筋に、仁介はそっと噛み付いた。
「憎らしい」
「私もだ。この世で唯一、私の思いのままにならぬおまえが、憎らしい」
 仁介の耳朶に、保明が歯を立てた。あっと小声で呻いて顔を上げた仁介の唇を、保明は待ち兼ねたように吸い上げた。喉を鳴らし、仁介が保明の愛撫に応え、舌を絡めた。やがて思い直したように仁介が逃げようと身を引きかけたが、保明が濡れ髪の中に手を差し込んでその小振りの頭を押さえ、離れる事を許さなかった。
 いつもの保明なら、仁介の抗いにそれ以上の踏み込みを見せる事は無い。だが、この時ばかりは、仁介の抗いを意に介さず、天岩戸を開けるようにして仁介の体の芯へと挑みかかるのであった。
 二人はそのまま舞台の上に崩れ落ちた。着崩れた浴衣の奥に、保明が手を差し入れ、下帯すら付けていない仁介の体の奥深くに触れた。冷えきっていた体に、熱が走った。
「嫌です、嫌だ」
「ならぬ。今日と言う今日は逃さぬ。これまで涼しい顔を見せては来たが、一度として、お前を抱かずに帰した事を後悔しなかった日は無い」
「見え透いた嘘を」
「本当だ。ずっと、こうしたかった」
「もうすぐ私の口を塞ぐからですか。殺すおつもりでしょう、全てを知る私を」
 二人の体の横に投げ出されたままの保明の脇差を見つめ、仁介が切な気に問うた。
「お前自身が言った事だ」
「私が? 」
「この私がただの男であれば、と。おまえこそ、水目藩とは無縁の、ただの笛奏者であれば、これほど苦しまずには済んだものを」
 仁介の両肩を押さえつけ、保明はその白く滑らかな胸板に食らいついた。
「苦しんで、下さったのですか」
 小さく喘ぎ、仁介が目を潤ませて微笑んだ。
「嬉しい……」
 嗚咽で震える唇の愛おしさに、保明が顔を近づけた時、不意に虫の音が止んだ。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...