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4.篝火夢幻
⑦ 月下の陵辱
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仁介は浴衣を残し、反射的に保明の体の下から転がり出て舞台から水面に飛び降りた。
月の下に裸体を晒すことも厭わず、仁介は水音を立てて浅瀬の池を横切り、白砂利の上へ飛び込み様、地面と平行に体を浮かせながら掴んだ小石を闇へと放った。
全てを弾いた金属音が、保明の佇む舞台の両脇から聞こえた。しかし、その金属音が響く頃には既に、仁介は舞台の真向かいの客席に駆け上がり、備え付けの鑓を手に取っていた。
保明と仁介が、水面と白砂利を挟んで向き合った。
保明の殺気の中にも、仁介の殺気の中にも、愛撫への未練が燻っている。
酒席の灯の中に仁王立ちになっている白い体は、まるで蛇神であった。
女のように滑らかで、無駄な筋肉の無い華奢な肢体が、無骨な鑓を片手に、憤りと恋慕とが入り交じったその切っ先を真直ぐに保明に向けた。元結いの解れた濡れ髪が絡み付く頬が震えている。
グッと、仁介が唇を噛み保明を睨み据えた。
小刀を抜いた保明は、切っ先を下げたまま、その責め苦の様な視線に五体を晒した。
仁介の思慕が、殺気を媒体にして保明の心を抉っていた。そこには喘ぐ様な深い怒りもあった。
二人を隔てる不条理への無力感も。
「ならぬ……」
仁介は何者にも奪われてはならぬ……保明の左右後方で燻っていた殺気が弾けるのを察し、保明は思わず仁介の方へ踏み出した。
「待て、待てい! 」
制止の声を上げた保明に、仁介が一瞬、驚いたように目を見開き、そして微笑んだ。仁介を覆っていた数多の感情が失せ、『生き残る』というただ一つの決意だけが保明に伝えられたのであった。
保明の制止など意に介さず、黒い蝙蝠が二体、酒席に向かって飛来し、激しい斬り合いが始まった。
保明は制止の為に動揺した己を戒め、脇差しを鞘に納めて舞台の正中に下がった。そして、立ったまま、静かに瞑目を始めた。
千代丸歓待の為に誂えた屏風に、二本の刀が突き刺さった。咄嗟に屏風を盾にして身を屈めた仁介は刃の刺さったままの屏風を薙ぎ倒し、敵の背中の上をひらりと宙返って、舞台を背に白砂利の上に躍り出た。
流石に保明備えの鑓だけあって、室内戦向けに柄が短めになっている。長年慣れ親しんだ柄物であるかのように、仁介は細い裸体の周りで軽々と振り回した。
仁介の背後から飛来音をたてて、先端に分銅のついた鎖が能舞台の屋根から仁介の胴を捉えた、かのように見えた。
「消えた……」
思わず屋根の上から敵の驚きの声が聞こえたのも無理はない。白砂利の上で鎖が黒々と絡まっているのは例の鑓である。
「ここだ」
探すまでもなく、仁介の姿は既に屋根の上にあり、敵の懐から擦り取った苦無を背中越しに首筋に当て、微笑んでいた。
「いつの間に……」
驚愕の表情のまま、敵は仁介に頸部を断たれて池に落下した。
死体が池に落ちて水飛沫を上げると同時に、客席で遅れを取った先鋒の二人が屋根に上がっていた。
「どうやら、貴様らは下忍のようだな。腕の立つ奴らは頭目と共に兄を追ったか」
「貴様の様な色子、我ら下忍で十分」
「色子とは心外な。貴様らの様な野暮は、鯉に食われて死んでしまえ」
素手だと言うのに、仁介は余裕の笑みで二人の忍を挑発した。
二人が同時に突きかかって来た。仁介は恐るべき軽やかさで宙に舞い、後方へ大きく一回トンボを切ると、そのまま屋根の端に手を掛けて回転軸を固定し、体が振り下ろされた勢いを使って、屋根の下である能舞台の正中、保明の背後に着地した。
後を追って屋根から池に飛び降りた二人の下忍が、能舞台へ上がろうと舞台に手をついて上体を覗かせた時、突然保明が動き、抜き打ちの一閃で下忍二人の首を跳ねた。
「失せろ、下郎! 」
雷鳴の様な保明の怒号が、舞台の天井に激しく共鳴し、空気を振動させた。
肩を戦慄かせて背中を晒す保明に、仁介は臆する事無く歩み寄った。
「易々《やすやす》と斬られる私では無い事、お忘れか」
仁介が保明の背に手を伸ばした瞬間、振り返った保明が脇差を放り出してその裸体を抱き締め、乱れた濡れ髪に顔を埋めた。
「ああ、私を狂わせる、美しい宝玉め」
「思う様抱いて、そして寝首を下され。いえ、今宵だけは全てを捨てて……」
「言うな仁介。何も言うてはならぬ」
仁介の口封じは幻助の采配であり、幻助に命を下したのは他ならぬ保明自身である。
しかし、保明は自らの手で下忍を斬った。仁介を助ける為ではなく、抱く為にだ。
「保明様……私だけの……」
そして仁介もまた、全てを承知で、抱かれる為に保明の腕の中に戻ったのだった。
月の下に裸体を晒すことも厭わず、仁介は水音を立てて浅瀬の池を横切り、白砂利の上へ飛び込み様、地面と平行に体を浮かせながら掴んだ小石を闇へと放った。
全てを弾いた金属音が、保明の佇む舞台の両脇から聞こえた。しかし、その金属音が響く頃には既に、仁介は舞台の真向かいの客席に駆け上がり、備え付けの鑓を手に取っていた。
保明と仁介が、水面と白砂利を挟んで向き合った。
保明の殺気の中にも、仁介の殺気の中にも、愛撫への未練が燻っている。
酒席の灯の中に仁王立ちになっている白い体は、まるで蛇神であった。
女のように滑らかで、無駄な筋肉の無い華奢な肢体が、無骨な鑓を片手に、憤りと恋慕とが入り交じったその切っ先を真直ぐに保明に向けた。元結いの解れた濡れ髪が絡み付く頬が震えている。
グッと、仁介が唇を噛み保明を睨み据えた。
小刀を抜いた保明は、切っ先を下げたまま、その責め苦の様な視線に五体を晒した。
仁介の思慕が、殺気を媒体にして保明の心を抉っていた。そこには喘ぐ様な深い怒りもあった。
二人を隔てる不条理への無力感も。
「ならぬ……」
仁介は何者にも奪われてはならぬ……保明の左右後方で燻っていた殺気が弾けるのを察し、保明は思わず仁介の方へ踏み出した。
「待て、待てい! 」
制止の声を上げた保明に、仁介が一瞬、驚いたように目を見開き、そして微笑んだ。仁介を覆っていた数多の感情が失せ、『生き残る』というただ一つの決意だけが保明に伝えられたのであった。
保明の制止など意に介さず、黒い蝙蝠が二体、酒席に向かって飛来し、激しい斬り合いが始まった。
保明は制止の為に動揺した己を戒め、脇差しを鞘に納めて舞台の正中に下がった。そして、立ったまま、静かに瞑目を始めた。
千代丸歓待の為に誂えた屏風に、二本の刀が突き刺さった。咄嗟に屏風を盾にして身を屈めた仁介は刃の刺さったままの屏風を薙ぎ倒し、敵の背中の上をひらりと宙返って、舞台を背に白砂利の上に躍り出た。
流石に保明備えの鑓だけあって、室内戦向けに柄が短めになっている。長年慣れ親しんだ柄物であるかのように、仁介は細い裸体の周りで軽々と振り回した。
仁介の背後から飛来音をたてて、先端に分銅のついた鎖が能舞台の屋根から仁介の胴を捉えた、かのように見えた。
「消えた……」
思わず屋根の上から敵の驚きの声が聞こえたのも無理はない。白砂利の上で鎖が黒々と絡まっているのは例の鑓である。
「ここだ」
探すまでもなく、仁介の姿は既に屋根の上にあり、敵の懐から擦り取った苦無を背中越しに首筋に当て、微笑んでいた。
「いつの間に……」
驚愕の表情のまま、敵は仁介に頸部を断たれて池に落下した。
死体が池に落ちて水飛沫を上げると同時に、客席で遅れを取った先鋒の二人が屋根に上がっていた。
「どうやら、貴様らは下忍のようだな。腕の立つ奴らは頭目と共に兄を追ったか」
「貴様の様な色子、我ら下忍で十分」
「色子とは心外な。貴様らの様な野暮は、鯉に食われて死んでしまえ」
素手だと言うのに、仁介は余裕の笑みで二人の忍を挑発した。
二人が同時に突きかかって来た。仁介は恐るべき軽やかさで宙に舞い、後方へ大きく一回トンボを切ると、そのまま屋根の端に手を掛けて回転軸を固定し、体が振り下ろされた勢いを使って、屋根の下である能舞台の正中、保明の背後に着地した。
後を追って屋根から池に飛び降りた二人の下忍が、能舞台へ上がろうと舞台に手をついて上体を覗かせた時、突然保明が動き、抜き打ちの一閃で下忍二人の首を跳ねた。
「失せろ、下郎! 」
雷鳴の様な保明の怒号が、舞台の天井に激しく共鳴し、空気を振動させた。
肩を戦慄かせて背中を晒す保明に、仁介は臆する事無く歩み寄った。
「易々《やすやす》と斬られる私では無い事、お忘れか」
仁介が保明の背に手を伸ばした瞬間、振り返った保明が脇差を放り出してその裸体を抱き締め、乱れた濡れ髪に顔を埋めた。
「ああ、私を狂わせる、美しい宝玉め」
「思う様抱いて、そして寝首を下され。いえ、今宵だけは全てを捨てて……」
「言うな仁介。何も言うてはならぬ」
仁介の口封じは幻助の采配であり、幻助に命を下したのは他ならぬ保明自身である。
しかし、保明は自らの手で下忍を斬った。仁介を助ける為ではなく、抱く為にだ。
「保明様……私だけの……」
そして仁介もまた、全てを承知で、抱かれる為に保明の腕の中に戻ったのだった。
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