愛洲の愛

滝沼昇

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5.暗闘

➁ 肉感的人妻

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 まだ青々とした草木が顔を直撃する。それを腹立たし気に払いのけながら、鶴丸は必死に燦蔵の背中を追っていた。
 隊列は、燦蔵、鶴丸、志免の順である。
 一応、守られるべき人物という事で鶴丸が真ん中を歩いているのであるが、前を行く燦蔵は獣より早足であり、後ろを付いてくる筈の志免は草に躓いたり泥濘に足を取られたりと鈍足で、気を緩めると見通しの利かぬこの獣道で孤立してしまいそうな体たらくであった。

 勿論、三人の周りは、燦蔵の配下が付かず離れず護衛をしている。
 鶴丸の耳にも時折、燦蔵に指示を求める声が聞こえてきた。
「このまま進めば、東海道から宮宿へ抜ける間道にぶつかります」
 風に揺れる草木の擦れ合う音に混じって聞こえてきた微かな声に、燦蔵が足を止めた。
「うわっ、何だよ」
 前をろくに見ずに歩いていた鶴丸がまともに燦蔵の背中に顔をぶつけ、同様に、後ろを付いて来た志免が鶴丸の背中に顔をぶつけた。
「誰かいる」
 燦蔵が、身を低くして辺りの気配を伺った。
「匂いが違う」
 配下と明らかに気配が違うという意味である。
 燦蔵の獣並の五感は、壱蔵も一目置く程の鋭敏さである。燦蔵の呟きに、鶴丸と志免はおろか、囲んでいた部下達も、敵襲に備えて殺気の鎧を身に纏った。
「きゃあああっ」
 刹那、青空を引き裂く様な女の悲鳴が轟いた。女と聞いて、鶴丸が燦蔵を押し退ける勢いで走り出した。慌てて追いかけようとする志免の手首を掴み、燦蔵が素早く囁いた。
「今からおまえが鶴丸だ、いいな」
 意味を把握できずに首を傾げる志免を引っ張り、燦蔵は鶴丸の後を追って走り出した。
 燦蔵の部下の報告通り、幾らも走らぬうちに獣道は間道と合流した。街道ほど整備された感はないが、流石に熱田神宮を背中に控える宮の宿間近とあって、伝馬も走れるだけの十分な道であった。

 鶴丸が草むらの中から間道に躍り出た時、丁度目の前にある茶店で、若い女が雲助にからかわれている所であった。
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