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6. お役者吉次と音羽
➃ 泥人形
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手練れの燦蔵に操られた馬は、瞬く間に志免らを乗せた馬の背を視界に納める程にその差を縮めた。
手綱を握る鶴丸の腰に、志免がしっかりとしがみついていた。吹き上げる風が顔に当たるのを嫌がってか、志免は顔を鶴丸の背に埋めている。
「あの馬鹿……顔を上げろ! 」
あれでは敵の襲撃に後れを取ると、燦蔵は大声を張り上げて志免に何とか伝えようとしたが、激しい蹄の音が二頭の間を距離以上に隔ててしまっていた。
燦蔵は既に、前方の視界の端を覆う森の中に蠢く影を捉えていた。苦無を手にするが、とても届く距離ではないし、陰の動きはあの吉次の比では無い。
「しまった」
二人を乗せている為に限界を超えて減速を始めた馬の背を目掛け、巨大な鴉が飛び出した。正に獲物に向かって飛びかかるかのような獰猛さで、鴉は鶴丸と志免の二人を馬の背から弾き飛ばした。
鶴丸と志免の体は、森とは街道を挟んで反対側の土手を転がり、一面に広がる田んぼの泥の中に落ちたのだった。
無人となった馬は、鴉によって手綱を引かれ、燦蔵の方へと息を荒げる鼻先を向けた。
「たぁっ」
燦蔵は減速を許さず、真っ向からその鴉からす目掛けて馬を疾走させた。鴉も、真直ぐに燦蔵へ向かって来た。
二頭の馬首が悲鳴を上げて激突する寸前に、二人の乗り手は宙に舞い上がった。馬が断末魔の悲鳴を上げて体を絡め合いながら、土手を滑り落ち、田んぼに嵌り落ちた。哀しい嘶きが響き渡ると同時に、燦蔵と鴉とが斬撃を応酬しながら着地した。どちらも、その敏捷さが奇跡であるかの様な堂々たる体躯である。
森から長い影が道の上に伸びる。残り僅かな日照を、灰色の雲が遮った。黒覆面をし、全身を黒装束に固めた敵の姿は、まさに逢魔ガ刻の鴉であった。
「御伽衆とは、気味の悪い奴ばかりだな」
間合いを計る燦蔵の悪口に、黒ずくめの敵が覆面の下から低音の笑いを返した。
「さっきの女形野郎よりは、少しは使えると見た。名くらい聞いてやろう」
「御伽衆二番鑓にばんやり、音羽。愛洲の燦蔵、死ね」
森が語っているかの様な柔らかな低音が音羽の口から発せられた。
と、名乗りが合図であったかの様に、田んぼの其処ここから泥人形が突然出現した。
いや、予め潜んでいた音羽の下忍達である。彼らは泥を被った全身の中で唯一目だけをギョロリと開け、一斉に志免と鶴丸に襲いかかった。
「そのチビだ、チビを殺れ」
音羽が志免を指差した。志免と鶴丸は、田んぼ泥に足を取られながらも、背中合わせになって斬り結ぶ態勢を取っていた。が、囲みを狭める泥人形の多さに、恐ろしさよりも気味悪さを覚え、明らかに狼狽えていた。
「鶴丸、志免」
二人の方へ駆け出そうとした燦蔵の足下に、音羽の放った苦無が刺さった。
「おまえの相手は俺がする」
音羽が先に踏み込んできた。
燦蔵は一の太刀を撥ね除けて身を屈め、音羽の体躯の下をくぐり抜けるようにして後ろを取った。
音羽が振り向かぬままに背後の燦蔵に向かって刀を突き出した。燦蔵は体をくの字に折るようにして飛び退き様、あらぬ方向に苦無を放った。志免に斬り込んだ泥人形の首筋に、その苦無は刺さったのであった。
「よそ見をするな」
音羽の手から、鎖が放たれ、燦蔵の右手首を捉えた。その鎖には鎌が繋がっており、音羽はその鎌の柄を左手に、右手でじりじりと鎖を手繰り寄せにかかった。巨漢とは程遠いものの、どちらも忍としては筋骨逞しい大柄な体躯の持ち主である。力比べは拮抗し、たがいに鎖を握る手を血に染めながらのせめぎ合いとなった。
「燦兄ぃ、こっちは大丈夫だ! 」
鶴丸が頼もしい声を上げた。燦蔵配下の下忍が田んぼに飛来し、志免に群がる泥人形と斬り合いを始めたのだ。鶴丸は、泥に足を取られた志免を背に庇って戦っている。それこそ、若君を守る忍の如くであり、狼狽えている志免の方が、余程若君然としていた。
燦蔵は横目で鶴丸の奮戦を確かめ、フッと笑みを洩らした。そして、互角に引き合っている鎖の均衡から己の力をスッと抜いた。必然的に音羽の方へと強烈に燦蔵の体が引き寄せられるが、燦蔵はその引力にむしろ加速をつけ、音羽めがけて飛んだ。
音羽が鎌を宙へ向けて一文字に一閃するが、燦蔵は道の真上に飛び出ている松の枝に飛び乗っていた。空かさず音羽が跳躍してその枝ごと断とうと逆袈裟に鎌を斬り上げるが、地面に落ちたのは、鎖が巻き付いた道中合羽と松の枝のみであった。一瞬の替わり身に、音羽は燦蔵の気配を見失った。
手綱を握る鶴丸の腰に、志免がしっかりとしがみついていた。吹き上げる風が顔に当たるのを嫌がってか、志免は顔を鶴丸の背に埋めている。
「あの馬鹿……顔を上げろ! 」
あれでは敵の襲撃に後れを取ると、燦蔵は大声を張り上げて志免に何とか伝えようとしたが、激しい蹄の音が二頭の間を距離以上に隔ててしまっていた。
燦蔵は既に、前方の視界の端を覆う森の中に蠢く影を捉えていた。苦無を手にするが、とても届く距離ではないし、陰の動きはあの吉次の比では無い。
「しまった」
二人を乗せている為に限界を超えて減速を始めた馬の背を目掛け、巨大な鴉が飛び出した。正に獲物に向かって飛びかかるかのような獰猛さで、鴉は鶴丸と志免の二人を馬の背から弾き飛ばした。
鶴丸と志免の体は、森とは街道を挟んで反対側の土手を転がり、一面に広がる田んぼの泥の中に落ちたのだった。
無人となった馬は、鴉によって手綱を引かれ、燦蔵の方へと息を荒げる鼻先を向けた。
「たぁっ」
燦蔵は減速を許さず、真っ向からその鴉からす目掛けて馬を疾走させた。鴉も、真直ぐに燦蔵へ向かって来た。
二頭の馬首が悲鳴を上げて激突する寸前に、二人の乗り手は宙に舞い上がった。馬が断末魔の悲鳴を上げて体を絡め合いながら、土手を滑り落ち、田んぼに嵌り落ちた。哀しい嘶きが響き渡ると同時に、燦蔵と鴉とが斬撃を応酬しながら着地した。どちらも、その敏捷さが奇跡であるかの様な堂々たる体躯である。
森から長い影が道の上に伸びる。残り僅かな日照を、灰色の雲が遮った。黒覆面をし、全身を黒装束に固めた敵の姿は、まさに逢魔ガ刻の鴉であった。
「御伽衆とは、気味の悪い奴ばかりだな」
間合いを計る燦蔵の悪口に、黒ずくめの敵が覆面の下から低音の笑いを返した。
「さっきの女形野郎よりは、少しは使えると見た。名くらい聞いてやろう」
「御伽衆二番鑓にばんやり、音羽。愛洲の燦蔵、死ね」
森が語っているかの様な柔らかな低音が音羽の口から発せられた。
と、名乗りが合図であったかの様に、田んぼの其処ここから泥人形が突然出現した。
いや、予め潜んでいた音羽の下忍達である。彼らは泥を被った全身の中で唯一目だけをギョロリと開け、一斉に志免と鶴丸に襲いかかった。
「そのチビだ、チビを殺れ」
音羽が志免を指差した。志免と鶴丸は、田んぼ泥に足を取られながらも、背中合わせになって斬り結ぶ態勢を取っていた。が、囲みを狭める泥人形の多さに、恐ろしさよりも気味悪さを覚え、明らかに狼狽えていた。
「鶴丸、志免」
二人の方へ駆け出そうとした燦蔵の足下に、音羽の放った苦無が刺さった。
「おまえの相手は俺がする」
音羽が先に踏み込んできた。
燦蔵は一の太刀を撥ね除けて身を屈め、音羽の体躯の下をくぐり抜けるようにして後ろを取った。
音羽が振り向かぬままに背後の燦蔵に向かって刀を突き出した。燦蔵は体をくの字に折るようにして飛び退き様、あらぬ方向に苦無を放った。志免に斬り込んだ泥人形の首筋に、その苦無は刺さったのであった。
「よそ見をするな」
音羽の手から、鎖が放たれ、燦蔵の右手首を捉えた。その鎖には鎌が繋がっており、音羽はその鎌の柄を左手に、右手でじりじりと鎖を手繰り寄せにかかった。巨漢とは程遠いものの、どちらも忍としては筋骨逞しい大柄な体躯の持ち主である。力比べは拮抗し、たがいに鎖を握る手を血に染めながらのせめぎ合いとなった。
「燦兄ぃ、こっちは大丈夫だ! 」
鶴丸が頼もしい声を上げた。燦蔵配下の下忍が田んぼに飛来し、志免に群がる泥人形と斬り合いを始めたのだ。鶴丸は、泥に足を取られた志免を背に庇って戦っている。それこそ、若君を守る忍の如くであり、狼狽えている志免の方が、余程若君然としていた。
燦蔵は横目で鶴丸の奮戦を確かめ、フッと笑みを洩らした。そして、互角に引き合っている鎖の均衡から己の力をスッと抜いた。必然的に音羽の方へと強烈に燦蔵の体が引き寄せられるが、燦蔵はその引力にむしろ加速をつけ、音羽めがけて飛んだ。
音羽が鎌を宙へ向けて一文字に一閃するが、燦蔵は道の真上に飛び出ている松の枝に飛び乗っていた。空かさず音羽が跳躍してその枝ごと断とうと逆袈裟に鎌を斬り上げるが、地面に落ちたのは、鎖が巻き付いた道中合羽と松の枝のみであった。一瞬の替わり身に、音羽は燦蔵の気配を見失った。
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