〈感情高度文明都市〉Dear:*** from massnomadic

薪槻暁

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23.The man likes red rose

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 ***B


 僕は全て話した。人生が嫌になって屋上から身を投げたこと。ミユという見知らぬ少女に兄と慕われたこと。そしてMBT、ホログラムといった近未来的技術が発達したこの世界に誘われたこと。

 そして彼もまた静かに僕の声に耳を澄ませていた。僕の話が一区切りつくと、彼はふうっと溜め息を吐いてから言った。

「お前が過ごしていた現実はオモシロイものだったのか?」

「面白いか、面白くないか。そのどちらかだったら面白くは…………なかったかな」

 飛び降りる。それが僕の人生の終着駅になってしまったんだ。楽しければ自分の命、失う必要なんてない。

「俺にはオモシロク見えて仕方ないな。皮肉じゃねぇぞ。単純にこことは違って、不完全な社会が羨ましいんだ」

「たしかに。お前のようにパートナーとの間で行き違いや、勘違いってもんもある。だが、それは無くてはならないもんだ。21513272、13943212という感情が一色単にされたこの世界はもう人間が思う感情じゃない」

「ははっ。それを皮肉って言うんだよ」

 「そうか、悪いな」と彼はばつが悪そうに言った。人の意思を、考えることを他者に操作された存在である彼。そのことを考えると僕なんかよりもよっぽど辛いんだろうと思う。誰かを好きに、嫌いになることも仕組まれてしまうなんて、人間がしていいことの範疇を超えている。

「君はエモーショナーって呼ぶんだよね?」

「ああ。俺は感情思念センターに属する試験体。感情の動向を探るよう命じられた紛い物の人間さ。もう、その肩書きもすでになくなっているがな」

「なくなっているって……どういうこと?」

「俺の感情は52233272ニクシミというベクトルを高められているんだ。言い換えりゃ、誰かを憎むという行為を助長する気持ちを、感情を外部から強めているんだ」

「そして俺が何を思うのか探る。それが俺自身の役目だったんだ。だが、もう上の奴は要らなくなったんだよ。用済みってわけだ」

 たかが実験の為に利用し、価値が無くなれば切り捨てる。代用品なんていくらでもある。再使用するなら、廃棄すればいい。まるで戦争中のような考え方だ。利潤と効率だけ考えていればいい、善悪の判断は後から考えろ。僕は非道とか、非人間と思うよりも、技術が発達している代償として失っているものが大きすぎると思った。

「その顔はどうしてそんなことをするんだ。って顔だな」

「たとえ君は……作られた……いわゆる人造人間だとしても」

「『人権はあるはずだ』そう言いたいのか?だがそいつはNOだ。俺達にそんなものは不必要。誰だって動物園の檻の中にいるサルどもに檻から出るための鍵を渡さないよな?それと同じだ。俺達は鑑賞されるだけ。それ以外に自由なんてねえんだ」

 彼は僕に向けて自虐的な笑みを浮かべていた。まるで見せつけるような嗜虐的な面持ちは僕の心を深く刻み込むような感覚に陥らせた。

21513272カナシイ、のか?お前のことを後ろから刺した俺だってのに、同情してるのか?」

「してるに決まってるだろ!!」

 咄嗟に声が出ていた。呆れるほどに、馬鹿みたいに声を荒らげて。花畑に似合わない怒号が辺りに響いていた。

「憎しみばかり考えてしまったとしても、それ以外の感情が無いわけない。それなのに、まるで飲みかけのペットボトルを捨てるような感覚で君は殺されてしまう。それを見過ごせるわけあるか!!」

 僕なんかが言える立場ではないのだろうけど、それでも誰かが彼の境遇に足を踏み入れる人が必要だと感じたのだ。上から物を言う自信なんてこれっぽちもないけれど、一人の人間として言いたかった。

「ハハッ……そこまで感情を表に出す奴は久しぶりに見たな」

「なんでそんな呆気らかんとしていられるんだよ……」

 そんな僕の問いには聞く耳を持たず、弱々しい声音で聞いてきた。

「なあ。ニクシミって必要な感情か?」

「いきなりだね」

「悪いな。どうしても聞きたくてよ。他人を見ても良い思いはしねえわ、何をしてもこの腹の奥が煮えるような精神的苦痛なんて必要には見えねえと思ってよ」

 憎悪。誰かを愛すると同時に芽生える感情。マイナスな思考の産物。他者を傷つける凶器にも成り得る道具。

 そんなものが必要かと言われれば、一見、要らないと思いがちだと思う。

「誰かを好きになっても、どうしてこっちを振り返ってくれないのかって、嫉妬してしまう。妬みと羨望の末路が憎悪。殺人事件さえも起きてしまうこともある感情だよ」

 だけど。

「だろう?なら俺なんて」

「必要ない、なんて言わせないよ」

 だけど、本当に心から好きだと思っているからこそ生まれる感情でもあるんだ。

「憎しみは少なからず人には必要な感情なんだよ。勘違いしているかもしれないけれど、その感情は全部を全部、拒むようなものじゃないよ?」

「なんだそれは?他人を陥れるような、そんな欲求にばかり駆られる感情じゃないのか?」

 彼は少しずつ取り乱していた。今まで信じていたことが嘘だったというように、冷静さを欠いていた。

「ね。僕の世界にはこんな言葉があるんだよ。『愛の反対は憎しみじゃない』とか『愛と憎しみは同じ』だとか」

「俺には当分理解できないな」

「理解出来るよ。むしろ出来ないわけない。君には感情がある。ロボットのような決められた動きしか出来ない人工物なんかじゃない」

 僕が説き伏せると彼は口を噤んだ。焦点を一輪の薔薇に合わせ、考え込んでいた。そして数分間、沈黙が続いた後、彼は口を開いた。

「分かった…………俺にもそんな時が来るのかもしれない、そう信じることにする」

 納得しているような様子はあまり見られなかったけれど、それでも彼は僕の言葉を一飲みはしてくれたようだった。

 だけど。

「だが。俺には未だお前のことを許せない」

 彼は一言だけ呟いたので、思わず僕は訊き返した。 

「許せないって……何を?」

「あの空のことだ。ホログラムで出来ている夜空や星、そしてこの快晴模様。お前はこれを見て、こう言っただろう?『ホログラムで出来た紛い物の空でも、そんな嘘偽りでも良いと』」

「……………なんだ。その突拍子もないようなことを聞かされた時のような顔は」

 ああ、彼の言う通り、気を抜いてしまった。僕は開きっぱなしだった口を一度チャックをして、閉まることを確認してから訊いた。

「あれだけ憎悪がどんなものなのか、深刻な悩みについて話していたのにまさかそんなことだとはね………」

「そんなこととはなんだ。俺にとっては重要な疑問だったんだ。真剣に答えてくれなきゃ困る」

 「ああもちろんだよ」と僕は彼に言いつつ、呼吸を一度整える。僕が言いたかった、あの時の僕自身の真意。

 それは。

「嘘でもいいんだよ。僕が言いたいのは

「偽物だっていい。だけど思いに嘘をついちゃいけない。綺麗に思ったら素直に『きれい』って言う。悲しいと思ったら『かなしい』って言う。それは自分自身しか知らないことなんだからさ」

「そういうものなのか?」

 彼は驚きに満ち満ちていて、目を見開かせていた。まるで絵本の中に登場するエルフにでも遭遇したかのような、はたまた写真でしか見たことが無かった海を間近で見物しているかのような、煌めきを、輝きを瞳に映しているかのようで。

 僕には彼がエモーショナーという、人工的に生み出された存在だとは到底思えなかった。


 ***


「それで君が廃棄処分されないためにはどうしたらいいんだ?」

 僕が彼をこんな花畑まで追ってきた理由。それは彼を救うためだ。マスノマディックという謎の人物からの伝令が僕に下ったのだけれど、だからってそれで決断したんじゃない。自分から、レンではなく彼を救いたかったからだ。

「悪いが俺には分からない。他を当たってくれとしか言えない、俺も残された時間はあとわずかだけどな」

 ようやく投げやりだった彼の口調の理由がわかったような気がした。要するに、もう助からないと信じ切っているからだ。

「ドクター、って言ったよね。君のことを監視している人のことをさ」

「そうだ。そして奴が俺の管理権限も持ち得ているはずさ。だが、一つ忠告しておくぞ。奴を脅しても、葬ったとしても俺の処分は取り消されない。もうこれは決まってることなんだ」

 彼は地面に転がった一輪の薔薇を拾い上げた。棘も葉もついていない、ただ花びらだけが上部に集まっているだけの一輪。

 そして空いている方の手で何もついていない一本の枝を拾った。

「俺はいずれこうなる運命だったのさ。後悔はない。お前がこうして感情とは何かを教えてくれたんだからな」

 その両輪を僕の目の前に持ってきて、見せつける。そんな彼の姿はこれ以上にないほどの明るさに満ちていた。

「そんな簡単に諦めるの?」

「諦めるもなにも何度も言っているだろう。俺は人工物。あくまでも操作されているロボットみたいなもんなんだ。エモーショナーとは名ばかりでな。そして内蔵されている寿命が短くされたんだ。もう長くないことはなにより俺自身が知っている」

 僕は悲劇だと思った。ボタン一つで何万人と消える爆弾とか、歴史で学んだことはあるけれど、その感覚と似ているのだと思う。他人事のように、テストが終わったら捨てる。用済みだから、もう必要ないからと、自分の都合に合わせるのが人間。

 華やかな笑顔を僕に差し向けてくる彼。どうみたって僕らの方が………

 すっと彼はベンチから立ち上がる。背伸びをしながら体の凝りを取っていく。

 そして僕の方を振り返って言った。彼らしく、

「俺をでくれよ。せめて自分がときぐらいは自分で決めたいからよ」

「今のシャレって言うんだろ?面倒な付き合いをさせてありがとう」

 頬をくしゃっとさせた微笑みはこれ以上に無いくらい人間らしく、そして儚いものだと思った。

 彼の左の掌に添えられた一本の赤いバラのせいで。
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