〈感情高度文明都市〉Dear:*** from massnomadic

薪槻暁

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26.I can know the man who are (not) massnomadic

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***B

 
 ようやく目的地に到着したようだった。感覚でしかないけれど多分、東京タワーの展望デッキほどの高さ。壁は全面ガラスだからか外が丸見えで、風が入り込んでこないことが不思議に思ってしまうほど。

 真っ白な床と天井で、白いベッド、その隣に一人用の机に背もたれが大きい椅子がある。螺旋階段のように登ってきた途中、何度も閑静な部屋を横目に見てきたけれど、ここまで広い部屋は無かった。だからだ。ミユが連れていかれた執務室がきっとここだと思った訳は。

 それに、ベッドの上には横たわっている少女の姿があって、白髪の人間が椅子に深々と座っているのが見えたのだ。肩幅が広いため恐らく男だろう。顔は体の向きを僕を背にしているためこちらからは確認できない。

 彼?は椅子の肘掛けに乗せていた自分の右腕を少し浮かせるとこの塔の監視カメラの映像が同時に空中に投影された。

 そしてまるでジャグリングでもするかのようにモニターの映像を掌の上で投げている。

「やあやあ。この場の代表者オーナーとして君のことを歓迎するよ」

 やがて一言だけ呟くとゆっくりと椅子を回転させた。

 そこで僕は嫌でも気付いたのだ。若く見える白髪の人物がそうは存在しないことを。そして僕は唯一その人物とどこかで出会ったことがあるということさえも。

「カイトくん」

 僕を見据える眼鏡の奥の瞳は、不気味に笑っている姿がまた映っていて。

「お前は…………」

 マスノマディックにしか僕には見えなかったのだ。

 ***

 殺風景な内装だった。天井と床は漂白剤でも撒かれたかのように真っ白。絨毯や壁紙などの内装を彩るアイテムとは縁がないようで、無機質な部屋というのがもっともらしい表現だと感じた。

 壁は全面ガラス張りで花畑の向こう側に見える都市ビルが玩具のように見えた。

 家具らしきものは資料類が重ねて置かれた机に椅子、その隣に白無垢のベッドがあるだけ。そして白髪眼鏡の男が椅子に座っていて、ベッドの上には仰向けで寝かされている少女の姿。

 男は警戒している僕を見据えると手始めとばかりに話を始めた。

「まさかここに来るとはねえ。私も驚いちゃったヨ。この世界の監視塔ともいえる場所に乗り込んできてさーあ。んでも、歓迎していることには変わりはないんだヨ。珍しい来客だから、ちょっと気分が高まっちゃってネ」

「お前がドクターなのか?」

「んもう、いきなり本題?キミ猪突猛進すぎだってばーー。日本料理、フレンチでも最初は前菜、エントリー。会話も同じぐらい重要だヨ?」

 くるくると椅子に座りながら横回転をするドクターらしき男。その顔と着ている服にしても僕とミユが公園で倒れている男の人たちを救った時に遭遇したマスノマディックに瓜二つだ。

「分かった。なら僕も焦らないよう心に留めておく。その皮切りとしてはなんだが、マスノマディックって知っているか?」

「マスノ……デック?それは物の名前かい?それとも人の名前かい?だとしたらダッサイ名前だねぇ。今時キラキラネームなんか流行らないくせにさぁ」

 やはりだ。この男と僕が出会ったあいつは別人だ。顔や服装は同じでも仕草や口調がこれっぽっちも似ていない。そもそもあいつはこの男のように人間らしく感情を表に顕わにしなかった。

 男たちの下腹部に刺さっていたホログラムナイフを取り除き、流血さえも消失させた人物。だが、僕が本当に人間のように見えないと思ったのは行動だけじゃなかった。

『ボクは感情と記憶の集合体……マスノマディック、とでも呼んでおこう』

 何が起きているのか分からなくて、しどろもどろになっていた僕を眺めて笑っていただけなのに。

 その表情が不気味で何を考えているのか全く読み取れなかったのだ。まるで感情の部分だけが黒く塗りつぶされているようだった。

「そうか……」

 だから即刻違うと僕は判断した。この男とマスノマディックは別人だと。

 そもそも違うからといって気後れしているわけじゃない。ドクターでは無い方が良かったとも思っちゃいない。

 ただもしマスノマディックがドクター本人だとしたら、どうして公園に居た男たちの腹部に刺さっていたナイフを、ニクシミが僕に刺したナイフを

 その答えが聞きたかっただけだったのだ。

「それで、他にはないのかなあ。質問はimportant。実験も結果よりも過程が大事なんだ。その過程を導くような『質問』は私にはウェルカムだヨ」

「ならそのベッドで横たわっている少女を返せ。そしてニクシミを、彼を解放しろ」

「NONNON.だーかーら、それでは質問ではなく答えじゃないかーー。いきなりメインディッシュに手を付けるのはいささかジャンクフードを食べるのと同じだヨ」

 何を言ってもこの白髪男には僕の言い分に対して聞く耳を持たない。早くミユのことを取り戻したいと思いつつ、だからこそ気持ちを抑えることにした。

「っ……ならお前の名前を教えてくれ」

「オーケィ!!SO!!そう!!私が欲しかったのはそれだ。グッドチョイス、グッドプラン!!いいぞ、私の思っている通りだ!!」

 刹那、男は飛び上がるように立ち上がり両手を左右に開かせると同時に白衣の裾が舞い上がる。そして、まるで自分の部屋を歓迎するかのような口調で言った。

「私は、この感情思念センター中央管制室兼執務室の人間。そして多数のエモーショナーを司る、ドクターだ!!」

 と、僕に向かって威勢よく言い放った。

「やはりお前がドクターだったのか………」

 ニクシミの感情ベクトルを操作している人物、張本人。この男の所為で彼の感情は偽物になってしまった。

「って言っても、君に紹介することなんてもうこれぽっちもないけどネーー。だって、あのニクシミ君がほとんど話してくれたしさ」

 ドクターは広げた両手を白衣のポケットに突っ込むとつまらなそうに言った。

「ぜーーんぶ、MBTを覗かせてもらったヨーー」

 だからか、僕はそんな素っ気ないこの男の姿、動作に対して言葉にできない怒りがこみ上げてきた。刺されて一度穴が空いた下腹部から再び流血が押し出されてしまうほどの熱が僕の全身を巡らせていた。この男を成敗したい。そんな欲に駆られていた。

「それで……………どした」

「ん?何か言ったかネ?スマンスマン、私も少しばかり耳が遠くなっているのは自覚してるんだけどねえ」

「ニクシミをどうしたんだ!!」

 思わず声が出てしまった。溜まりに溜まったマグマによって火山が噴火してしまったように、僕のドクターに対する心の火も一気に燃え上がったのだ。問い詰めたいという欲求の塊によって。

 ニクシミは時間がないと言った。そして廃棄処分とも言った。それが一体何を意味するのか大体予想はついていたけれど、僕は本人に確認しておきたかったんだと思う。

 ドクターは掌の上で駒を弄ぶような高慢に浸る笑みをして言った。

「捨てたよ」

「は………?」

「実験に要らなくなったから処理しただけだヨ。それが何か?」

「それが何か………?」

 僕は怒りがこみ上げて堪らなかった。今すぐ、この男の頭を床に叩きつけて今までの行為を懺悔させてここから突き落としてやりたいとも思った。この手で殴り飛ばしたいとも。つまりは、彼の痛みを知らしめてやりたかったのだ。物として処理される心の痛みを。

「ニクシミは、あの人は……一人の人間だった……感情を、ホログラムの存在の重要性を考えてて、このMBTに支配された世界の中で生き生きしてた」

「僕よりも人間らしいと思ってしまうときだって何度もあった。ただひたすらに前を向いて生きるそんな姿が憧れに感じるときもあった。それなのに………」

「それなのに、お前はその想いを裏切った!!MBTによって操作された、ただの物体だと、彼の感情を踏みにじったんだ!!」

 ドクターは顔を掌で隠すように俯いている。両手で頬、口を全て覆うように、僕に見えないように。まるで自分の行いに悔いるような懺悔をしているように見えた。

 そして、沈黙が続いた後、弱弱しい力を込めた声でしゃべり始めた。

「ああ……私もそう思う時もあったさ……人間らしい表情、言動を見せて、この世界に対して一考さえせられるときもあった」

 すると、両手を顔から遠ざけ、ゆっくりと僕の目に視線を合わせた。

「だがっ‼‼‼‼奴は感情思念体、私がこの手で自ら造り上げた紛い物。そんな奴の考えを戯言を、なぜ聞かなくてはならない!!」

「キミは勘違いしているかもしれないが。これも一つの仮説に過ぎない事なんだよ」

「仮説……そんなことが出来るわけがないだろ!!」

「出来るとも!!私はそのために、研究者としての道筋に立っているのだ。あまり研究を舐めないでくれたまえ。奴が人間的な感情を抱くのも、ホログラムに対して思考を巡らすのもこの私がそう設計したからだ」

 再び掌、腕と共に両手を左右に開くと目を見開いて言った。

「そして、私の計画にキミの存在は支障だ、エラーだ。ゆえにこの自らの手で修正してみせる」

 ドクターは掌で弄んでいた空中にモニター画像を浮かびあげる。そこに手を触れると、人差し指でスライドさせた。すると突然、僕が立っているところから右に数歩移動したところに本一冊ほどが置ける机が浮かび上がった。

「今、キミの隣にオブジェクトを用意した。まずは机の上に置いてある小さなカプセルを受け取りたまえ」

 僕はドクターの言う通りに取りあげると、小指一本程の大きさの長細いカプセルだった。一端を指で押すともう一方の端から棘が出る仕組みだった。

「触っているのならもう分かると思うけど、そう。その中には棘が内蔵されてる。そんでその棘の先端にMBTが埋め込まれている」

 冷や汗が額から染み出てくる。ドクターが何を望むのか瞬時に判断したのだ。

「それを頭と体の分かれ目、つまり首の後ろ側、うなじに刺せ」

「おっと、刺さなければこの子の命はないよお」

 ドクターの右手の掌に瞬間的にナイフが収まっていた。おそらくニクシミが使っていたのと同じものだ。ホログラムナイフ、痛みだけしか味わうことはないが、意識を持っていかれたら最後。だから凶器に変わりはない。

「分かった。僕は首に刺す。だからミユ、その少女は解放してあげてくれ」

「ほほうーーう。そう言うなら行動で示してくれヨ」

 「ああ」と僕は答えると、右手で掴んだカプセルを自分のうなじに刺した。

 だがフェイクだ。刺すふりをしてそのまま背中側のTシャツに落としこんだのだ。

「よーし、じゃあこっちに来てくれ。そしてこの少女を起こして逃がすんだ」

 なるほど。やはりMBTは人の動きを指図できる外部機器なのか。ということはこのままドクターの言っている通りに近づければ抑え込むことも出来なくはない。あいにく護身術とかは習ったことはないけれど、相手を床に倒しひれ伏させることが出来ればなんとか僕に主導権が渡るはずだ。

 一歩、また一歩ゆっくりと近づく。彼と、ミユのもとへ。

 そして僕がミユの足先から数歩となった時、ドクターは瞬時にミユの喉元にナイフを突き立てた。

「やっぱり。あんまり私のことを見くびらないで欲しいな」

 僕を見る目付きが変わっていた。まるでロボットでも扱うかのような嘲笑だったのが、睨みつけるような目をしていた。

「後ろを振り返ってみろ、そうすりゃ分かる」

 無言のまま立っていた。何も出来ず、立っていることしか僕には出来なかった。このままドクターを襲い掛かろうとすればミユの喉元が僕の身代わりとなって掻っ切られてしまうだろうし、振り返って刺していないところを見せたところでどうにもならないと悟ったからだ。

 だから何もしなかった。何もせず、ただ聞いた。

「僕のことをMBTで操って何がしたいんだ?」

「何がしたいか……特にやることはないけどーー。まあキミの記憶を改ざんさせることくらいかな、私の研究が邪魔されない程度にネ」

「それはミユの記憶も含まれるのか……?」

「もちろんっ」

 MBTを刺せばミユのことを救えるのかもしれない。だけど、僕とミユが出会ったことも一緒に生活したことも、なかったことにされてしまう。前の世界にいた時の記憶しか残らなくなってしまう。いや、それどころか、僕自身が何者なのかすら忘却の彼方に置き去りにしてしまうかもしれない。そんなのは死と同然だ。自我が消され、ただ生かされるだけの存在。

 だが、刺さなければ、消さなければ誰かが死ぬ。そんなこと許せない。

「お?お?やっぱりTシャツの内側に隠してたかーー。まあ、そうだよねえ。だって私、MBTに命令してないもん。言葉だけで指令なんかしても意味ないのにねえ。ククッ、あはははっ!!」

 この男のことも許せない。人の感情を操って、何が実験だ。

「おお、そうそうカプセルを握って、そしてうなじのところにーー」

 僕はもうこの世から消えることになってしまうのだろうか。一度人生を止めたはずなのに、それをただ繰り返すだけなのに。

 今は悔しい。

 どうして自分で死ぬのか。どうして産んでくれた母親を裏切るようなことをするのだろうか。生きたくても生きれない人がいるのに、そんな人たちの思いをどうして踏みにじるのだろうか。

 生きたくても生きれない。そう、ニクシミという一人の人間がいるように。

 僕は彼を裏切るのだろうか。

「なんだ。どうして止めるんだ。そのまま首に刺すんだぞ」

 ぴたりと僕は右手の動きを止めた。棘が皮膚一枚触れるところで。

「止めた………」

「何を言っているのかね?」

「もう止めたと言っている!!僕はお前の言う通りになんてならない、彼の為にも、ミユの為にも」

 僕はカプセルを床に投げ捨て、代わりにドクターを睨む。

「ククッ。まるで矛盾しているなあ。お前が刺さないというのなら、この少女の命はないということだよ?それでもいいのかい?キミは他人を傷つけて自分は生きる。そんな卑怯者になるというのかなぁ」

「まぁいっか。キミがそう主張するのなら仕方ない。じゃ代わりにこの少女。THE ENDだネ。バイバーイ」

 そう言ってドクターはナイフを掴んでいる右手に力を込めようとした時。


「終わるのはテメェの方だ」


 聞き覚えのある声が部屋を反芻させた。

 そして、ドクターの体の背後から下腹部を突き抜けるようにナイフが貫通した。同時にドクターが握っていたナイフが掌から離れ、床に落ちるとともに消失した。溢れんばかりの血が大腸がつまっているあたりから流れ出していて、必死に止めようと両手で抑えている。

「お、お前は……まさか、いやそんなはずはない」

 驚きに満ちた声でうめき声をあげるドクター。そして彼の視線の先にいたのは紛れもなく、僕が知り得る、ニクシミ本人だった。
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