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風邪ひきバート
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寒さを覚えて意識が浮上する。しかし瞼がどうにも重たい。それから息苦しさを覚え、自分が鼻を啜る音で、ようやく鼻づまりに気づいた。頭が痛くて、馬鹿みたいに寒い。
風邪を引いたな。
回らない頭でもこれくらいは分かる。気怠い体で寝返りを打ってみる。隣で寝ていたはずの男は、もう起きて活動を始めているらしい。
仕方なく体を起こす。毛布を体に巻き付けて、ドアを開けた。強い寒気に体を襲われ、くしゃみが吹き出た。歯の奥がガチガチ音を立てて噛み合う。昨日までの暖かい気温はどこへ。一面の雪景色に、思わず立ち尽くしてしまった。
寝床にしていた荷台を降りる。ふんわりと柔らかい雪の感触に足を包まれた。荷台から少し離れると、左右に雪の山ができているのが見えた。先生が荷台に積もった雪を下ろしたのだろう。
森の木々は若々しい緑色をしていた。暖かい時期の葉の色に乗った雪に、不思議な心地にさせられる。
鼻をヒクつかせてみたが、鼻が詰まってなんの匂いも感じない。仕方なく積もった雪の表面に目を凝らし、川のほうに続く足跡を見つけた。
足跡を辿れば、男が川に向かって仁王立ちしていた。
その先では、二つの手持ち木樽が、川縁に置かれた大樽と川の間をひとりでに往復している。大樽に川の水を移しているらしい。しかし相手は成人男性二人は押し込めそうな大樽である。飲み物用の木樽たちには少々荷が重いのではないだろうか。ひとりでに往復を繰り返す木樽たちを、なんだか応援したい気持ちになった。
「先生、おはよ」
「おはようございます」
「なにしてんの」
「ご覧の通り水を汲んでます。川が浅くて、大樽を入れられませんでした」
男がゆっくりと振り返る。
神経質そうな釣り目にバートの姿を入れるなり、ゆっくりと瞼を持ち上げた。髪色と同じ薄茶色の瞳の瞳孔がきゅうと開く。
「顔が赤いですね」
「風邪引いたかも」
先生の隣に立つ。先生は綺麗な顔をぐしゃりと歪めた。馬鹿を見る顔をしている。おそらくだが、先生はバートを馬鹿だと思ったようだ。
「どうして寝ていないんですか」
「え、先生に報告しよ、って思って」
「安静に待っていなさいよ」
大きな溜め息を吐かれた。それから、先生が肩にかけていた毛布でもう一巻きされてしまう。
「いいよ、先生が寒いだろ」
「私は魔法である程度調整できるので。貴方と違って」
「棘がある……」
もこもこ膨らんだ背中を支えられる。荷台に戻るよう促されているらしい。のろのろと歩いていたら、突然足元が浮いた。
「わ」
「毛布、落とさないようにしてください」
「はぁーい……。ありがと先生……」
体を浮かせて、荷台まで連れて行ってくれるようだ。魔法ってすごい。
「夜の間に、冬雪龍が通ったみたいですね。アイツは溜め息一つであたりを雪景色にしてしまう。荷台の近くに降りてこなくてよかったです。戦闘は免れないでしょうから」
「先生、よく寒さで起きなかったな」
「寝ぼけて自分に防寒魔法かけていたみたいです」
「自分だけ……」
「言いがかりです。川に向かう前に、荷台にも防寒魔法をかけました」
「でも夜中はぬくぬくだったわけじゃん」
「あんまり五月蠅いと、その尻尾の毛を剥いでマフラーにしますよ」
「ひ、ひどい」
つい尻尾を体に巻き付ける。毛並みの良い尻尾と耳は、成人した立派な狼人である証だ。
荷台に戻ると、なるほど、防寒魔法がかけてあるはずだ。外と違って暖かい。寝起きに感じた寒さは、バートが風邪を引いたせいだったようだ。
先生は着ていた服を脱いで、バートに寄越してきた。移動の邪魔になるからといって、防寒具を一切持ち歩いていないのが裏目に出た。
「回復するまではここに留まりましょうか」
この先は道の狭い森に入っていく。開けた道であればこの荷台でも移動できるのだが、前の街で聞いたかぎりだとそうも都合良くは行かなさそうだった。荷台を畳むとなれば、バートは荷台の中で寝たまま移動、というわけにもいかなくなる。
「飯足りる?」
「この寒暖差で死んだ動物もいるでしょう。このあと食べられる個体がないか見て回ります」
「悪いね、足止めさせちゃって」
先生は長い睫毛を瞬かせた。外は雪が降っているのに、堂々と上裸を晒していて凄い。本人の言うとおり体温調整はなされているのだろうが、見るからに寒そうである。
「いえ別に。私は先を急いでいないので」
「旅したいだけだもんな、先生は」
「まあ、……そうですね」
これはバートの故郷を目指す旅である。先生は『旅をしてみたい』なんて少年じみた理由で、ふらふらバートに着いてきただけである。
「食欲はありますか? 粥でも作りましょう」
「食べられそう。お願いします」
上裸の先生が、雪景色に出て行く。華奢なわけではないが、バートと比べると細身の先生だ。おまけにすこぶる秀麗で見るからに聡明な顔立ちをしている。見目に似合わぬ逞しさが、申し訳ないが可笑しくて、少し元気が出た。
冬雪龍は夜の間に去ったのか、新しい雪が降ってくる様子もなかった。陽が登りきる頃には雪解けも進み、寒さも収まってくるだろう。
毛布にくるまって横になる。風邪なんて久しぶりに引いた。こんなに、体のどこもかしこも気怠くなるものだっただろうか。粥が出来れば先生が起こしてくれるだろうから、バートは大人しく目を瞑った。
* * *
荷台の外側が暗くなっていく。積もった雪も、陽が直接当たる部分は溶けてしまったようだった。
バートと云えば、朝より激しい頭痛と目眩と寒気に襲われていた。確実に悪化している。先生が作ってくれた粥も、結局半分は残してしまっていた。念のため、と買い溜めておいた解熱剤も、効いた様子がない。
「せ、せんせ、……俺、死ぬかも……」
「死にませんよ」
「ほんとに寒い。あったかくなる魔法かけてよ……」
「できません」
「なんで……!」
先生は読んでいた本を閉じる。
「体温の変化は体を回復させるために起こっている場合もあると聞きます。それを魔法で阻害してしまうと治るものも治らなくなってしまう。あいにく私に医療の知識はないので、おいそれと魔法を使うわけにはいきません」
「ごめん全然頭に入ってこなかった。はやくあっためてもらっていい?」
「貴方ねえ」
先生は相変わらず上裸だ。相変わらず寒そうにしている様子もないから、荷台の中はとっくに温度をあげきってもらっているのだろう。それでも寒いのだから仕方がない。
「じゃあもう先生があっためてくんね……」
魔法を使ってもらえないのであれば人肌だ。雪山で遭難したときは人と体温を分け合えとよく聞くのだし。
意識が朦朧としている自覚はある。
「ば、バート?」
先生ににじり寄って、身をくるんだ毛布の中に先生を丸ごと引き込んでしまう。バートの体重に押し負けた先生と一緒に、荷台の床へと転がった。
「なにしてるんですか!?」
「うるさい、静かにしてくれ」
「はな、は、は、離れてください」
肩を押されて離されそうになるが、あいにく筋力はバートのほうが上である。体は寒いが顔は熱い。先生の胸に頬を寄せれば、少し冷たくて気持ちよかった。
相変わらず寒気は引いていかないが、人肌ってやつはそれだけで落ち着くらしい。先生には悪いが、このまま抱き枕になってもらいたい。そのまま体に腕を回し、足で捕まえる。
「先生抱き枕の才能あるわ」
しかし心地よかったのはほんのひとときで、すぐにほかほかと暑くなってくる。体の内側から響く冷たさと、肌の表面を覆う熱さと。
「…………?」
くっついただけでこんなに熱くなるものか。それほどにバートは高熱だというのか。
素肌の気持ちよさは名残り惜しいものの、体の外側と内側の温度差が気持ち悪くなってくる。耐えかねてゆっくり顔を見上げれば、先生が高熱を出したみたいに真っ赤な顔で、固まっていた。
「先生!?」
叫んでから、自分の大声が頭にガーンと響く。いやしかし、そんなことより先生だ。
「先生も風邪引いてんの!? え!? 火ィ出そうだけど!」
果たして高熱の体で意味があるのかは分からないが、咄嗟に自分の額を先生の額にあててみる。
瞬間、先生の体が勢いよくバートから離れて、荷台の壁に後頭部を打ち付けていた。
「先生ーッ!」
かなり重傷ではないだろうか。
「う、移ったか? わりい、なんか、調子乗ったかも、先生優しくて」
「…………」
「あっ、借りてる服返すわ、先生も寒いだろ」
服を脱ごうと、毛布から出たところで、すぐにまたかけ直される。
「……いえ、大丈夫です」
「でも」
「本当に、貴方が着ていてください」
強がりか、確かめようと顔を覗き込んでも逸らされる。それでも懲りずに追いかけていたら、ようやく観念した顔でこちらを向いた。
「熱はないので、そんなに耳を下げないでください……」
「でもよ……」
「……、汗をかいてるから冷えるのでは? 服は私が乾かします。自分の体でも拭いてなさい」
「確かに……」
別に気にしないのに、先生は律儀に背中を向けてくる。さっさと脱いでしまおうと服に手をかけたが、どうにも腕が重たかった。というか全身が先ほど以上に気怠い。変に騒いだからだろうか。
大声の反動か、なんだか息が苦しい気もしてきた。
「先生……」
「なんですか」
「あの、本当、わりいんだけど」
「はい」
「体拭いてくんね……、脱ぐのもしんどいかも……」
先生がゆっくり振り返ったのを確認して、体から力が抜けていく。あまり世話をかけさせてもいけないと、分かってはいるのだが。
「嫌だったら放っといて……」
数秒、返事をしなかった先生の前から突然、にょき、と柘榴色のなにかが出てくる。もう突っ込む余裕もないのだが、先生がなにもしないあたり無害なものだろう。
にょきにょきにょき、と数本生えてきたそれは、軟らかくぐねぐね動きながらバートに迫ってくる。故郷で見た枕絵に、こんなものがあったな、とぼんやり思い出した。確かダンジョンに出かけた女冒険者が、触手に気持ちよくされちゃったりするわけだ。
それが、のそのそとバートに近づいてくる。手足を絡め取られたかと思うと、起き上がらされ、一枚ずつ服を脱がされていく。
「な、なにこれぇ……」
「私の触手です。危ないものではないです」
「絵面やばくねー……?」
しかし体の一切に力を入れなくていいのは楽だ。脱がされた衣服は、順番に先生の元へ運ばれる。きっとあそこで乾燥されていくのだろう。そのうち全裸に剥かれたかと思うと、暖かく湿ったタオルが全身を掻き撫でる。べたついた汗が拭き取られていくのが気持ちいい。
両腕を持ち上げられて、脇の下まで丁寧に拭われた。
「わは、あんま見ないで欲しいかも……」
「すみません、見ないと操作できないので」
なんというか、なんというかである。
先生の表情はあからさまに『無』だった。そうである以上、なんかちょっとエロいかも、と思うのも失礼な気がするのだが、一度枕絵を思い出してしまったからには、もうそういうことが脳裏をよぎり続ける。
他意はないのだろう。触手が膝のあたりを絡めて、持ち上げられた。つい尻尾で下腹部を隠してしまうが、触手が容赦なく拭ってくる。
「あの、っ、ここは、自分で拭こうかなぁ、とか」
「……」
返事がない。完全に操作に集中していらっしゃるらしい。そもそも先生が直接手で拭いてくれればよかったのだが。先生は意外と潔癖なのかもしれない。普通に野営もするから、あまり気にしたことがなかった。
とはいえ、尻のあわいを撫でられるのは素直に恥ずかしい。
ようやく全身拭い終わって、乾燥された服が返ってくる。丁寧に着込まされて、毛布でくるまれた。
先生の言うとおり、汗を拭うだけでも体がかなりすっきりした気がする。
一仕事終えた顔の先生は、深く息を吐いていた。触手を何本も操るというのは、結構集中力を使うようだ。
「わるいね、先生。でもすっきりして気持ちいいわ」
「そうですか」
「ありがとな」
「いえ」
先生がバートの隣に戻ってくる。くっつかれるのはあんなに嫌がっていたくせに、案外近くで寝てくれるようだ。
「すっきりしているうちに寝てしまいましょう」
「おう」
ランタンの火が消される。真っ暗闇の中で、先生の気配が少しだけ近づいてきた。
「寒くなったら、寄ってきていただいても結構です」
「太っ腹だ」
「ただし私が寝てからにしてください」
「わ、わかるかな……」
「わかってください。では、おやすみなさい」
「おやすみぃ」
先生の言うとおり、体がすっきりしたからか、気怠いままではあるが少し落ち着いてきた。暗闇に目が慣れないうちに寝てしまおうと、瞼を閉じる。
いつも先生とは人一人ぶんを開けて寝るのだが、今日は吐息をそばに感じるほど近い。人の気配というのはどうにも心を落ち着ける。
いいものだな。
そんなことを考えているうちに、次第に意識も沈んでいった。
* * *
ちゅん、と小鳥の囀りで目を覚ます。
簡単に瞼は開いて、自然に体を起こしていた。
「…………治ったな」
はて、昨日の風邪はなんだったのか。大きく腕を回してみたって気だるさもなにもない。一過性の風邪だったらしい。早めに寝たおかげか、妙に頭もすっきりしていた。
近くに気配を感じて、隣を見やる。
先生が薄目を開けて、呆けていた。
「おはよう先生! 昨日は世話かけて悪かったな、おかげですっかり元気だぜ!」
長い睫毛が一度だけはためいて、陽の下では美しく煌めく瞳が今は虚ろにバートを見やる。
「…………それはよかったです…………」
見るからに、やつれている。しかし昨日のバートのように、発熱しているわけでもなさそうだ。
先生は「スー…………」と小さく息を吐いた。それからか細く音を絞り出す。
「私が寝てからにしろと言ったでしょう………………!」
かくん、と体が落ちる。目を瞑る様も画になった。高値のつく絵画とは、きっとこんな瞬間を切り取っているのだろう。いやそうではなく。
「先生?」
呼びかけるが返事がない。よく見れば、目の下に濃く隈ができている。
「先生!? 先生!!」
体を揺らしても、びくともしなかった。まるで生気をまるごと持って行かれたよう。もしかして、風邪をうつしただけでなく、一晩でここまで悪化させてしまったのだろうか。青ざめて、必死に呼びかけるが、目を覚ます様子はない。
「先生ーーーーッ!!」
バートの叫び声は、それから数刻後に先生が目を覚ますまで、森にこだまし続けた。
風邪を引いたな。
回らない頭でもこれくらいは分かる。気怠い体で寝返りを打ってみる。隣で寝ていたはずの男は、もう起きて活動を始めているらしい。
仕方なく体を起こす。毛布を体に巻き付けて、ドアを開けた。強い寒気に体を襲われ、くしゃみが吹き出た。歯の奥がガチガチ音を立てて噛み合う。昨日までの暖かい気温はどこへ。一面の雪景色に、思わず立ち尽くしてしまった。
寝床にしていた荷台を降りる。ふんわりと柔らかい雪の感触に足を包まれた。荷台から少し離れると、左右に雪の山ができているのが見えた。先生が荷台に積もった雪を下ろしたのだろう。
森の木々は若々しい緑色をしていた。暖かい時期の葉の色に乗った雪に、不思議な心地にさせられる。
鼻をヒクつかせてみたが、鼻が詰まってなんの匂いも感じない。仕方なく積もった雪の表面に目を凝らし、川のほうに続く足跡を見つけた。
足跡を辿れば、男が川に向かって仁王立ちしていた。
その先では、二つの手持ち木樽が、川縁に置かれた大樽と川の間をひとりでに往復している。大樽に川の水を移しているらしい。しかし相手は成人男性二人は押し込めそうな大樽である。飲み物用の木樽たちには少々荷が重いのではないだろうか。ひとりでに往復を繰り返す木樽たちを、なんだか応援したい気持ちになった。
「先生、おはよ」
「おはようございます」
「なにしてんの」
「ご覧の通り水を汲んでます。川が浅くて、大樽を入れられませんでした」
男がゆっくりと振り返る。
神経質そうな釣り目にバートの姿を入れるなり、ゆっくりと瞼を持ち上げた。髪色と同じ薄茶色の瞳の瞳孔がきゅうと開く。
「顔が赤いですね」
「風邪引いたかも」
先生の隣に立つ。先生は綺麗な顔をぐしゃりと歪めた。馬鹿を見る顔をしている。おそらくだが、先生はバートを馬鹿だと思ったようだ。
「どうして寝ていないんですか」
「え、先生に報告しよ、って思って」
「安静に待っていなさいよ」
大きな溜め息を吐かれた。それから、先生が肩にかけていた毛布でもう一巻きされてしまう。
「いいよ、先生が寒いだろ」
「私は魔法である程度調整できるので。貴方と違って」
「棘がある……」
もこもこ膨らんだ背中を支えられる。荷台に戻るよう促されているらしい。のろのろと歩いていたら、突然足元が浮いた。
「わ」
「毛布、落とさないようにしてください」
「はぁーい……。ありがと先生……」
体を浮かせて、荷台まで連れて行ってくれるようだ。魔法ってすごい。
「夜の間に、冬雪龍が通ったみたいですね。アイツは溜め息一つであたりを雪景色にしてしまう。荷台の近くに降りてこなくてよかったです。戦闘は免れないでしょうから」
「先生、よく寒さで起きなかったな」
「寝ぼけて自分に防寒魔法かけていたみたいです」
「自分だけ……」
「言いがかりです。川に向かう前に、荷台にも防寒魔法をかけました」
「でも夜中はぬくぬくだったわけじゃん」
「あんまり五月蠅いと、その尻尾の毛を剥いでマフラーにしますよ」
「ひ、ひどい」
つい尻尾を体に巻き付ける。毛並みの良い尻尾と耳は、成人した立派な狼人である証だ。
荷台に戻ると、なるほど、防寒魔法がかけてあるはずだ。外と違って暖かい。寝起きに感じた寒さは、バートが風邪を引いたせいだったようだ。
先生は着ていた服を脱いで、バートに寄越してきた。移動の邪魔になるからといって、防寒具を一切持ち歩いていないのが裏目に出た。
「回復するまではここに留まりましょうか」
この先は道の狭い森に入っていく。開けた道であればこの荷台でも移動できるのだが、前の街で聞いたかぎりだとそうも都合良くは行かなさそうだった。荷台を畳むとなれば、バートは荷台の中で寝たまま移動、というわけにもいかなくなる。
「飯足りる?」
「この寒暖差で死んだ動物もいるでしょう。このあと食べられる個体がないか見て回ります」
「悪いね、足止めさせちゃって」
先生は長い睫毛を瞬かせた。外は雪が降っているのに、堂々と上裸を晒していて凄い。本人の言うとおり体温調整はなされているのだろうが、見るからに寒そうである。
「いえ別に。私は先を急いでいないので」
「旅したいだけだもんな、先生は」
「まあ、……そうですね」
これはバートの故郷を目指す旅である。先生は『旅をしてみたい』なんて少年じみた理由で、ふらふらバートに着いてきただけである。
「食欲はありますか? 粥でも作りましょう」
「食べられそう。お願いします」
上裸の先生が、雪景色に出て行く。華奢なわけではないが、バートと比べると細身の先生だ。おまけにすこぶる秀麗で見るからに聡明な顔立ちをしている。見目に似合わぬ逞しさが、申し訳ないが可笑しくて、少し元気が出た。
冬雪龍は夜の間に去ったのか、新しい雪が降ってくる様子もなかった。陽が登りきる頃には雪解けも進み、寒さも収まってくるだろう。
毛布にくるまって横になる。風邪なんて久しぶりに引いた。こんなに、体のどこもかしこも気怠くなるものだっただろうか。粥が出来れば先生が起こしてくれるだろうから、バートは大人しく目を瞑った。
* * *
荷台の外側が暗くなっていく。積もった雪も、陽が直接当たる部分は溶けてしまったようだった。
バートと云えば、朝より激しい頭痛と目眩と寒気に襲われていた。確実に悪化している。先生が作ってくれた粥も、結局半分は残してしまっていた。念のため、と買い溜めておいた解熱剤も、効いた様子がない。
「せ、せんせ、……俺、死ぬかも……」
「死にませんよ」
「ほんとに寒い。あったかくなる魔法かけてよ……」
「できません」
「なんで……!」
先生は読んでいた本を閉じる。
「体温の変化は体を回復させるために起こっている場合もあると聞きます。それを魔法で阻害してしまうと治るものも治らなくなってしまう。あいにく私に医療の知識はないので、おいそれと魔法を使うわけにはいきません」
「ごめん全然頭に入ってこなかった。はやくあっためてもらっていい?」
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先生は相変わらず上裸だ。相変わらず寒そうにしている様子もないから、荷台の中はとっくに温度をあげきってもらっているのだろう。それでも寒いのだから仕方がない。
「じゃあもう先生があっためてくんね……」
魔法を使ってもらえないのであれば人肌だ。雪山で遭難したときは人と体温を分け合えとよく聞くのだし。
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「ば、バート?」
先生ににじり寄って、身をくるんだ毛布の中に先生を丸ごと引き込んでしまう。バートの体重に押し負けた先生と一緒に、荷台の床へと転がった。
「なにしてるんですか!?」
「うるさい、静かにしてくれ」
「はな、は、は、離れてください」
肩を押されて離されそうになるが、あいにく筋力はバートのほうが上である。体は寒いが顔は熱い。先生の胸に頬を寄せれば、少し冷たくて気持ちよかった。
相変わらず寒気は引いていかないが、人肌ってやつはそれだけで落ち着くらしい。先生には悪いが、このまま抱き枕になってもらいたい。そのまま体に腕を回し、足で捕まえる。
「先生抱き枕の才能あるわ」
しかし心地よかったのはほんのひとときで、すぐにほかほかと暑くなってくる。体の内側から響く冷たさと、肌の表面を覆う熱さと。
「…………?」
くっついただけでこんなに熱くなるものか。それほどにバートは高熱だというのか。
素肌の気持ちよさは名残り惜しいものの、体の外側と内側の温度差が気持ち悪くなってくる。耐えかねてゆっくり顔を見上げれば、先生が高熱を出したみたいに真っ赤な顔で、固まっていた。
「先生!?」
叫んでから、自分の大声が頭にガーンと響く。いやしかし、そんなことより先生だ。
「先生も風邪引いてんの!? え!? 火ィ出そうだけど!」
果たして高熱の体で意味があるのかは分からないが、咄嗟に自分の額を先生の額にあててみる。
瞬間、先生の体が勢いよくバートから離れて、荷台の壁に後頭部を打ち付けていた。
「先生ーッ!」
かなり重傷ではないだろうか。
「う、移ったか? わりい、なんか、調子乗ったかも、先生優しくて」
「…………」
「あっ、借りてる服返すわ、先生も寒いだろ」
服を脱ごうと、毛布から出たところで、すぐにまたかけ直される。
「……いえ、大丈夫です」
「でも」
「本当に、貴方が着ていてください」
強がりか、確かめようと顔を覗き込んでも逸らされる。それでも懲りずに追いかけていたら、ようやく観念した顔でこちらを向いた。
「熱はないので、そんなに耳を下げないでください……」
「でもよ……」
「……、汗をかいてるから冷えるのでは? 服は私が乾かします。自分の体でも拭いてなさい」
「確かに……」
別に気にしないのに、先生は律儀に背中を向けてくる。さっさと脱いでしまおうと服に手をかけたが、どうにも腕が重たかった。というか全身が先ほど以上に気怠い。変に騒いだからだろうか。
大声の反動か、なんだか息が苦しい気もしてきた。
「先生……」
「なんですか」
「あの、本当、わりいんだけど」
「はい」
「体拭いてくんね……、脱ぐのもしんどいかも……」
先生がゆっくり振り返ったのを確認して、体から力が抜けていく。あまり世話をかけさせてもいけないと、分かってはいるのだが。
「嫌だったら放っといて……」
数秒、返事をしなかった先生の前から突然、にょき、と柘榴色のなにかが出てくる。もう突っ込む余裕もないのだが、先生がなにもしないあたり無害なものだろう。
にょきにょきにょき、と数本生えてきたそれは、軟らかくぐねぐね動きながらバートに迫ってくる。故郷で見た枕絵に、こんなものがあったな、とぼんやり思い出した。確かダンジョンに出かけた女冒険者が、触手に気持ちよくされちゃったりするわけだ。
それが、のそのそとバートに近づいてくる。手足を絡め取られたかと思うと、起き上がらされ、一枚ずつ服を脱がされていく。
「な、なにこれぇ……」
「私の触手です。危ないものではないです」
「絵面やばくねー……?」
しかし体の一切に力を入れなくていいのは楽だ。脱がされた衣服は、順番に先生の元へ運ばれる。きっとあそこで乾燥されていくのだろう。そのうち全裸に剥かれたかと思うと、暖かく湿ったタオルが全身を掻き撫でる。べたついた汗が拭き取られていくのが気持ちいい。
両腕を持ち上げられて、脇の下まで丁寧に拭われた。
「わは、あんま見ないで欲しいかも……」
「すみません、見ないと操作できないので」
なんというか、なんというかである。
先生の表情はあからさまに『無』だった。そうである以上、なんかちょっとエロいかも、と思うのも失礼な気がするのだが、一度枕絵を思い出してしまったからには、もうそういうことが脳裏をよぎり続ける。
他意はないのだろう。触手が膝のあたりを絡めて、持ち上げられた。つい尻尾で下腹部を隠してしまうが、触手が容赦なく拭ってくる。
「あの、っ、ここは、自分で拭こうかなぁ、とか」
「……」
返事がない。完全に操作に集中していらっしゃるらしい。そもそも先生が直接手で拭いてくれればよかったのだが。先生は意外と潔癖なのかもしれない。普通に野営もするから、あまり気にしたことがなかった。
とはいえ、尻のあわいを撫でられるのは素直に恥ずかしい。
ようやく全身拭い終わって、乾燥された服が返ってくる。丁寧に着込まされて、毛布でくるまれた。
先生の言うとおり、汗を拭うだけでも体がかなりすっきりした気がする。
一仕事終えた顔の先生は、深く息を吐いていた。触手を何本も操るというのは、結構集中力を使うようだ。
「わるいね、先生。でもすっきりして気持ちいいわ」
「そうですか」
「ありがとな」
「いえ」
先生がバートの隣に戻ってくる。くっつかれるのはあんなに嫌がっていたくせに、案外近くで寝てくれるようだ。
「すっきりしているうちに寝てしまいましょう」
「おう」
ランタンの火が消される。真っ暗闇の中で、先生の気配が少しだけ近づいてきた。
「寒くなったら、寄ってきていただいても結構です」
「太っ腹だ」
「ただし私が寝てからにしてください」
「わ、わかるかな……」
「わかってください。では、おやすみなさい」
「おやすみぃ」
先生の言うとおり、体がすっきりしたからか、気怠いままではあるが少し落ち着いてきた。暗闇に目が慣れないうちに寝てしまおうと、瞼を閉じる。
いつも先生とは人一人ぶんを開けて寝るのだが、今日は吐息をそばに感じるほど近い。人の気配というのはどうにも心を落ち着ける。
いいものだな。
そんなことを考えているうちに、次第に意識も沈んでいった。
* * *
ちゅん、と小鳥の囀りで目を覚ます。
簡単に瞼は開いて、自然に体を起こしていた。
「…………治ったな」
はて、昨日の風邪はなんだったのか。大きく腕を回してみたって気だるさもなにもない。一過性の風邪だったらしい。早めに寝たおかげか、妙に頭もすっきりしていた。
近くに気配を感じて、隣を見やる。
先生が薄目を開けて、呆けていた。
「おはよう先生! 昨日は世話かけて悪かったな、おかげですっかり元気だぜ!」
長い睫毛が一度だけはためいて、陽の下では美しく煌めく瞳が今は虚ろにバートを見やる。
「…………それはよかったです…………」
見るからに、やつれている。しかし昨日のバートのように、発熱しているわけでもなさそうだ。
先生は「スー…………」と小さく息を吐いた。それからか細く音を絞り出す。
「私が寝てからにしろと言ったでしょう………………!」
かくん、と体が落ちる。目を瞑る様も画になった。高値のつく絵画とは、きっとこんな瞬間を切り取っているのだろう。いやそうではなく。
「先生?」
呼びかけるが返事がない。よく見れば、目の下に濃く隈ができている。
「先生!? 先生!!」
体を揺らしても、びくともしなかった。まるで生気をまるごと持って行かれたよう。もしかして、風邪をうつしただけでなく、一晩でここまで悪化させてしまったのだろうか。青ざめて、必死に呼びかけるが、目を覚ます様子はない。
「先生ーーーーッ!!」
バートの叫び声は、それから数刻後に先生が目を覚ますまで、森にこだまし続けた。
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「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
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