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揺れる尻尾
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石造りの関門が近づいてきた。六人の衛兵が左右に分かれて並んでいる。バートの狼耳に気づいたのか、衛兵の一人が顔を顰めたのが分かった。獣人嫌いの人間は少なくない。検問が楽に済めばいいけれど、と溜め息を吐く。
「止まれ」
顔を顰めた衛兵が、手のひらをこちらに向け、制止の合図をする。
「通行証はあるか」
衛兵はバートを一瞥すると、あからさまに先生に向けて声をかけた。バートは大人しく一歩下がり、この場を先生に任せることにする。なんと言ったって先生には『アレ』があるのだ。
「通行証はありませんが──」
先生はシャツの中からネックレスを取り出し、衛兵に見せた。金属製の板が下がっており、そこには先生の名前などが書かれているらしい。
見るや否や、衛兵が僅かに目を見開く。街の関所を通過するたびに見る光景だ。先生と旅するようになってから、この板のおかげで、街への出入りがうんと楽になった。
衛兵の一人が、透明な液体が入った小瓶を持ってくる。ネックレスの板部分が小瓶に浸されると、途端に液体は透明から黒色へ変化した。さらにその液体を紙に垂らすと、なにやら文字が浮かび上がってくる。衛兵はその文字を一度目で追うと、先生への尋問を始めた。
しばらく待っていたら、ネックレスが先生に返される。どうやら滞在許可が下りたらしい。
「行きましょうか」
先生に声をかけられる。結局ここでも、バートは名前を述べるだけだった。
関門をくぐれば、すぐに街の雑踏が耳を覆う。半月ぶりの人里の匂い、空気。旅も好きだが、街だって嫌いじゃない。漂ってくるスパイスの香りに鼻をヒクつかせながら、後で香りの出所を辿ってやろうと決めた。
「先生がいねぇときは半日かかったのになぁ」
「私も、この証明証が無ければ半日はかかっていたと思いますよ」
「アレなんなわけ」
「良く言えば従軍時代の特典、悪く言えば足枷ってところですかね」
「悪いところもあるんだ」
「私の移動記録が全部残りますから。一定期間更新が無いと最悪処分対象です」
「……だからたまに急いで街に入ってたんか……!」
悪天候などで足止めを食らったとき、先生が次の街への移動を急ぐことがあった。なるほど、更新期限が迫っていたということらしい。とはいえ街と街の移動に一ヶ月以上を費やすことは早々無い。更新期限はかなり短期間で訪れるということか。
「手放せばいいんですけどね。結局便利な側面が多くて」
先生は綺麗な切れ長の二重瞼を細めて、珍しい苦笑いの表情を見せた。
「ふーん。ま、俺は助かってるからこのまま更新してくれると助かるわ」
「そのつもりです」
さて、と先生が足を止める。その背後には、塔のような建物がそびえていて、入り口扉の上には堂々と『GUILD』の文字が並んでいた。
「私は先にこちらで手続きしてこようと思いますが、バートはどうしますか?」
「じゃ俺は宿探しておくわ。関門の右手に喫茶店があったろ、そこで落ち合おうぜ」
「わかりました。ではまた後で」
街に滞在している間、先生はこのギルドとやらから仕事を探してくる。バートはバートで獣人組合から仕事を貰うわけだが、手続きとやらが必要なギルドと異なり、顔を出せば大なり小なり仕事は貰えるのだ。人間ってやつは、手続きが好きである。
ひとまずは、この大きな荷台を預けてしまいたい。屋根付きの保管庫を持っている宿があれば良いが、都合良く見つかるだろうか。欠伸しながら、新しい街を見回した。
***
狭い部屋に、一人分の細くて小さい寝台。二人分の手荷物を部屋の隅に置いただけで圧迫感を覚えたが、まあ仕方が無い。ギルドで手続き中であろう先生に、心の中で謝罪しながら部屋を出る。
荷台の保管庫付きの格安宿だが、あいにく一人用の一部屋しか開いていなかったのだ。しかし他の宿は保管庫が通りに沿っていたり、宿泊代が馬鹿みたいに高かった。おまけにこの保管庫付き宿屋の主人曰く、三日我慢すれば二人部屋が空くらしい。ならば、三日だけ先生に我慢してもらおう、というわけだ。
先生はそこそこ嫌がるだろうな、と顰められる綺麗な顔を思い出す。先生は、あまりバートと近い距離に居たがらない。
(でもまあ、宿で贅沢できねぇし、宿探しを俺に任せた先生が悪いってことで……)
勝手に一人で納得してしまう。
それからバートは宿を出て、のんびりのろのろとした足取りで、約束の喫茶店へ歩き始めた。
この街をしばらく散策して気づいたことがある。どうやら男性が圧倒的に少ない。まったく居ないわけでは無いが、ほとんどが子供や老人だった。女性は老若問わず良く見かけた。なぜだろう、とは思うが、答えを探し出せるだけの知識も、考察できるだけの推察力も無い。バートはただぼんやりと、不思議な街だなぁ、と青空を見上げた。
指定した喫茶店にもやはり、若い男は見当たらなかった。カウンター内に佇むのは妙齢の女性で、そのすぐ隣では足が悪そうな男性の老人が静かに本を読んでいる。
「いらっしゃい」
店内の席は思ったより少なかった。おまけに丁度昼時だからか、テーブルが埋まってしまっている。仕方なくカウンター席に腰掛けた。
「見ない顔だね」
「さっき街に入ったところだよ」
「ああ、さっきのドデカい荷台を持ってた」
「アレ目立つよな」
振り返り、店の大窓に目を向ける。この店からはちょうど関門が見えた。しかし思い返すとバートは、店から見て荷台の奥を歩いていた。店主はバートが見えなかったのだろう。
「アンタ一人? 薄い茶髪の色男も居なかった?」
先生はどこの街に行っても女性の視線を釘付けにするから困る。バートとて、出身の村ではそれなりにモテたほうなのだが、先生と旅を始めてからは一度も女性に言い寄られていない。ぜんぶ先生に持って行かれてしまっていた。
「あとで来るよ」
言ってやれば、長らくスンと冷めた顔をしていた女性の口元がニッと笑う。
「やりぃ」
食器を拭く布巾を握ったまま、ぐっと拳を握った。
「狙わないでくれよ。俺と旅続けてくれなくなったら困るから」
「どうしようかなぁ」
店主はニヤニヤとバートをからかう顔をしていた。
「とりあえず、冷たい珈琲を。食事は色男が来てから頼むよ」
「はいはい」
冷たい表情を崩した店主が、楽しそうに鼻歌を奏で始める。席を埋める客たちも静かに会話を楽しんでいた。穏やかな時間を過ごせる喫茶店なのかもしれない。滞在中はそこそこ世話になりそうだ。
「……ん?」
と小さな声をあげたのは、カウンター内で静かに本を読んでいた老人だ。まだ誰もその声に気づいていないようだが、狼耳は聞き逃さなかった。
老人はゆっくりと顔をあげると、バートを見る。
「狼は、珈琲を飲んでもいいのかい?」
もう何十回と聞かれた質問だった。子供ならまだしも、こんな明らかに成人の顔と体をしたバートが頼んでいるのだから、問題ないに決まっているだろう。……とは思うが、無視するほど嫌なヤツにもなりきれない。
「狼人であって狼では無いんでね。人間が食べられるモンは食べられるよ」
「ほぉー、そういうものなのか」
「そういうもん」
多くの人間は獣人を『人の形をした獣』だと思っているが、どちらかといえば『獣の要素を持った人』のほうが近いと思っている。人間と獣人の人口差はとてつもないから、不理解も仕方ないといえば、仕方ないことなのだが。
「いや、なんせ獣人と話したのは十数年ぶりでね」
「そんなに? 少ねぇけど、街に一人もいねぇわけじゃねえだろ」
「呆けてんだよ、このじいさん。ハキハキ喋るから紛らわしいだろ」
「ああなるほど」
呆けたじいさんとの会話を楽しみつつ、珈琲も味わう。炭の風味が心地良い。店主の女性は、バートとじいさんの実りない会話をつまらなそうに聞いていた。
それから数分。穏やかだった喫茶店にカランカラン! と力強い鈴の音が鳴る。驚いて振り向けば、バートの半分も背丈がなさそうな子供が元気に「ただいまァ!」と声を張り上げていた。
「静かに帰って来いって言ったろ!」
店主の叱責が飛ぶが、子供は意に介した様子も無く、目が合ったバートに近寄ってきた。
「うわすげえー! 獣人じゃん! 耳! 尻尾もある!」
子供は嫌いじゃない、が、デカい声は嫌いだ。ガンガン頭に響くからげんなりする。だというのに、つい耳を下げてしまったがために「うわ動いた!」と余計な騒音を招いてしまった。
「客に迷惑かけるんじゃないよ、早く部屋に戻りな!」
「えっすげえ、触りてえ! 触って良い!?」
げんなりしつつ、そこに悪意が無いなら良くしてやりたいと思ってしまうのが、バートの悪いところだ。先生にもよく言われる。
もはや無意識で、バートは尻尾を揺らし「どうぞ」と返事していた。
「エッ!?」
子供のまんまるくて大きな目が、一瞬キラリと輝いた。それが微笑ましくて、つい笑みを零してしまう。
あれだけ騒いでいたくせに、いざ許可が下りると恐る恐る手を伸ばしてくるから可愛かった。
「尻尾はお前を取って食ったりしねぇよ」
尻尾を揺らして、手のひらにあたってやる。子供は無言のまま口を大きく開け、興奮を隠さない表情でバートと母親を交互に見やるから、その頭をわしゃわしゃと撫でつけてしまった。
「わ、わ、すげえ! ふさふさ!」
「だろうよ。手入れに気ぃ使ってるからな」
「耳、耳も、触って良い!?」
「優しくな」
隣の席に乗り上がってくる。背中を曲げて耳を差し出せば、そっ、とくすぐったいくらいの手つきで耳に触れられた。
「悪いね、相手させて」
店主が溜め息を零している。
「元気で良いじゃねえか」
「……ありがたい話だよね」
店主が、母親の顔で微笑んだ。平和でなによりである。
じいさんも嫌いじゃないが、子供も嫌いじゃないのだ。
久しぶりに、カランと喫茶店の扉が鳴った。
「おっ、色男」
先生は目立つ顔をしているから助かる。店主のその一言で、一気に店内が色めきだった。
「すみません、思ったより手間取ってしまって」
革靴を鳴らしながら駆け寄ってくる先生に、しぃ、と人差し指を立てる。バートの腕の中では、はしゃぎ疲れた子供がすやすや眠っていた。
驚いたのか、先生の体がピシャリと固まる。
「バ、バート、あなたっ、こ、こども」
「店主の子だよ。寝ちまって、ほら可愛いよな」
その手には、ぎゅっとバートの尻尾が握られていた。涎がべったりくっついているが、まあ許してやろう。カウンターから出てきた店主に、そうっと子供を引き渡す。
「尻尾気に入ったみてぇ」
「こんなに涎垂らして……、悪いねえ」
「いいよいいよ」
「これで拭いてくれ」
店主から渡された布巾で尻尾を拭う。先生はなぜかまだ、その場に突っ立っていた。
「触らせたんですか……?」
「興味津々で可愛くてよ」
「……っ、そうですか……!」
先生はなぜか歯を食いしばっていた。血管が浮き出るほど拳を握りしめている。よほど大変なことがあったのかもしれない。
が、そんなことより、早く座って食事を注文して欲しい。バートも先生に合わせようと我慢していたのだ。
「なに頼む?」
「とりあえず、冷たい、水をたくさん、いいですか」
「ここの珈琲うめぇのに水ぅ?」
「では珈琲も。あの、水を一気に飲みたくてですね」
「走ってきた?」
「いま心臓が走っています」
先生の前に、店主が水を置く。
「な? 色男だけどちょっとおもしれえんだよな、先生って」
先生を親指でさす。しかし店主はなぜか呆れた顔をしていた。
「おもしろがってんのアンタだけだよ」
「嘘だぁ」
店主に布巾を返す。拭いたばかりの尻尾は、少し湿っているがつやつやしていた。乾かそうと揺らしていれば、隣に腰かけた先生の視線がチラチラ尻尾に向いているのに気づく。
もしかして。
「先生も触ってみたかった?」
尻尾を振って、隣に腰掛けた先生の背中にぽんと当ててみる。言ってくれれば、いつだって触らせてやるのに。
「…………」
「先生?」
もしかして耳のほうだっただろうか。肩を寄せて、耳で頬を突いてみる。
「…………」
「違った? わり、こういうんじゃなかったか?」
無言が続く。かと思えば先生は美しい切れ長な二重の釣り目をじわじわ見開いて、それからへろへろ椅子から落ちていった。
ドサ、と情けない音がする。
先生は、真っ白になって床に転がっていた。体を張りすぎている。
「………………」
「な、やっぱおもしれえよ」
店主に言ってみるが、店主は静かに首を横に振っていた。数秒沈黙が続く。あまりに先生の返事が無いから、ようやくバートも焦りを覚えて椅子から飛び降りることになった。
「止まれ」
顔を顰めた衛兵が、手のひらをこちらに向け、制止の合図をする。
「通行証はあるか」
衛兵はバートを一瞥すると、あからさまに先生に向けて声をかけた。バートは大人しく一歩下がり、この場を先生に任せることにする。なんと言ったって先生には『アレ』があるのだ。
「通行証はありませんが──」
先生はシャツの中からネックレスを取り出し、衛兵に見せた。金属製の板が下がっており、そこには先生の名前などが書かれているらしい。
見るや否や、衛兵が僅かに目を見開く。街の関所を通過するたびに見る光景だ。先生と旅するようになってから、この板のおかげで、街への出入りがうんと楽になった。
衛兵の一人が、透明な液体が入った小瓶を持ってくる。ネックレスの板部分が小瓶に浸されると、途端に液体は透明から黒色へ変化した。さらにその液体を紙に垂らすと、なにやら文字が浮かび上がってくる。衛兵はその文字を一度目で追うと、先生への尋問を始めた。
しばらく待っていたら、ネックレスが先生に返される。どうやら滞在許可が下りたらしい。
「行きましょうか」
先生に声をかけられる。結局ここでも、バートは名前を述べるだけだった。
関門をくぐれば、すぐに街の雑踏が耳を覆う。半月ぶりの人里の匂い、空気。旅も好きだが、街だって嫌いじゃない。漂ってくるスパイスの香りに鼻をヒクつかせながら、後で香りの出所を辿ってやろうと決めた。
「先生がいねぇときは半日かかったのになぁ」
「私も、この証明証が無ければ半日はかかっていたと思いますよ」
「アレなんなわけ」
「良く言えば従軍時代の特典、悪く言えば足枷ってところですかね」
「悪いところもあるんだ」
「私の移動記録が全部残りますから。一定期間更新が無いと最悪処分対象です」
「……だからたまに急いで街に入ってたんか……!」
悪天候などで足止めを食らったとき、先生が次の街への移動を急ぐことがあった。なるほど、更新期限が迫っていたということらしい。とはいえ街と街の移動に一ヶ月以上を費やすことは早々無い。更新期限はかなり短期間で訪れるということか。
「手放せばいいんですけどね。結局便利な側面が多くて」
先生は綺麗な切れ長の二重瞼を細めて、珍しい苦笑いの表情を見せた。
「ふーん。ま、俺は助かってるからこのまま更新してくれると助かるわ」
「そのつもりです」
さて、と先生が足を止める。その背後には、塔のような建物がそびえていて、入り口扉の上には堂々と『GUILD』の文字が並んでいた。
「私は先にこちらで手続きしてこようと思いますが、バートはどうしますか?」
「じゃ俺は宿探しておくわ。関門の右手に喫茶店があったろ、そこで落ち合おうぜ」
「わかりました。ではまた後で」
街に滞在している間、先生はこのギルドとやらから仕事を探してくる。バートはバートで獣人組合から仕事を貰うわけだが、手続きとやらが必要なギルドと異なり、顔を出せば大なり小なり仕事は貰えるのだ。人間ってやつは、手続きが好きである。
ひとまずは、この大きな荷台を預けてしまいたい。屋根付きの保管庫を持っている宿があれば良いが、都合良く見つかるだろうか。欠伸しながら、新しい街を見回した。
***
狭い部屋に、一人分の細くて小さい寝台。二人分の手荷物を部屋の隅に置いただけで圧迫感を覚えたが、まあ仕方が無い。ギルドで手続き中であろう先生に、心の中で謝罪しながら部屋を出る。
荷台の保管庫付きの格安宿だが、あいにく一人用の一部屋しか開いていなかったのだ。しかし他の宿は保管庫が通りに沿っていたり、宿泊代が馬鹿みたいに高かった。おまけにこの保管庫付き宿屋の主人曰く、三日我慢すれば二人部屋が空くらしい。ならば、三日だけ先生に我慢してもらおう、というわけだ。
先生はそこそこ嫌がるだろうな、と顰められる綺麗な顔を思い出す。先生は、あまりバートと近い距離に居たがらない。
(でもまあ、宿で贅沢できねぇし、宿探しを俺に任せた先生が悪いってことで……)
勝手に一人で納得してしまう。
それからバートは宿を出て、のんびりのろのろとした足取りで、約束の喫茶店へ歩き始めた。
この街をしばらく散策して気づいたことがある。どうやら男性が圧倒的に少ない。まったく居ないわけでは無いが、ほとんどが子供や老人だった。女性は老若問わず良く見かけた。なぜだろう、とは思うが、答えを探し出せるだけの知識も、考察できるだけの推察力も無い。バートはただぼんやりと、不思議な街だなぁ、と青空を見上げた。
指定した喫茶店にもやはり、若い男は見当たらなかった。カウンター内に佇むのは妙齢の女性で、そのすぐ隣では足が悪そうな男性の老人が静かに本を読んでいる。
「いらっしゃい」
店内の席は思ったより少なかった。おまけに丁度昼時だからか、テーブルが埋まってしまっている。仕方なくカウンター席に腰掛けた。
「見ない顔だね」
「さっき街に入ったところだよ」
「ああ、さっきのドデカい荷台を持ってた」
「アレ目立つよな」
振り返り、店の大窓に目を向ける。この店からはちょうど関門が見えた。しかし思い返すとバートは、店から見て荷台の奥を歩いていた。店主はバートが見えなかったのだろう。
「アンタ一人? 薄い茶髪の色男も居なかった?」
先生はどこの街に行っても女性の視線を釘付けにするから困る。バートとて、出身の村ではそれなりにモテたほうなのだが、先生と旅を始めてからは一度も女性に言い寄られていない。ぜんぶ先生に持って行かれてしまっていた。
「あとで来るよ」
言ってやれば、長らくスンと冷めた顔をしていた女性の口元がニッと笑う。
「やりぃ」
食器を拭く布巾を握ったまま、ぐっと拳を握った。
「狙わないでくれよ。俺と旅続けてくれなくなったら困るから」
「どうしようかなぁ」
店主はニヤニヤとバートをからかう顔をしていた。
「とりあえず、冷たい珈琲を。食事は色男が来てから頼むよ」
「はいはい」
冷たい表情を崩した店主が、楽しそうに鼻歌を奏で始める。席を埋める客たちも静かに会話を楽しんでいた。穏やかな時間を過ごせる喫茶店なのかもしれない。滞在中はそこそこ世話になりそうだ。
「……ん?」
と小さな声をあげたのは、カウンター内で静かに本を読んでいた老人だ。まだ誰もその声に気づいていないようだが、狼耳は聞き逃さなかった。
老人はゆっくりと顔をあげると、バートを見る。
「狼は、珈琲を飲んでもいいのかい?」
もう何十回と聞かれた質問だった。子供ならまだしも、こんな明らかに成人の顔と体をしたバートが頼んでいるのだから、問題ないに決まっているだろう。……とは思うが、無視するほど嫌なヤツにもなりきれない。
「狼人であって狼では無いんでね。人間が食べられるモンは食べられるよ」
「ほぉー、そういうものなのか」
「そういうもん」
多くの人間は獣人を『人の形をした獣』だと思っているが、どちらかといえば『獣の要素を持った人』のほうが近いと思っている。人間と獣人の人口差はとてつもないから、不理解も仕方ないといえば、仕方ないことなのだが。
「いや、なんせ獣人と話したのは十数年ぶりでね」
「そんなに? 少ねぇけど、街に一人もいねぇわけじゃねえだろ」
「呆けてんだよ、このじいさん。ハキハキ喋るから紛らわしいだろ」
「ああなるほど」
呆けたじいさんとの会話を楽しみつつ、珈琲も味わう。炭の風味が心地良い。店主の女性は、バートとじいさんの実りない会話をつまらなそうに聞いていた。
それから数分。穏やかだった喫茶店にカランカラン! と力強い鈴の音が鳴る。驚いて振り向けば、バートの半分も背丈がなさそうな子供が元気に「ただいまァ!」と声を張り上げていた。
「静かに帰って来いって言ったろ!」
店主の叱責が飛ぶが、子供は意に介した様子も無く、目が合ったバートに近寄ってきた。
「うわすげえー! 獣人じゃん! 耳! 尻尾もある!」
子供は嫌いじゃない、が、デカい声は嫌いだ。ガンガン頭に響くからげんなりする。だというのに、つい耳を下げてしまったがために「うわ動いた!」と余計な騒音を招いてしまった。
「客に迷惑かけるんじゃないよ、早く部屋に戻りな!」
「えっすげえ、触りてえ! 触って良い!?」
げんなりしつつ、そこに悪意が無いなら良くしてやりたいと思ってしまうのが、バートの悪いところだ。先生にもよく言われる。
もはや無意識で、バートは尻尾を揺らし「どうぞ」と返事していた。
「エッ!?」
子供のまんまるくて大きな目が、一瞬キラリと輝いた。それが微笑ましくて、つい笑みを零してしまう。
あれだけ騒いでいたくせに、いざ許可が下りると恐る恐る手を伸ばしてくるから可愛かった。
「尻尾はお前を取って食ったりしねぇよ」
尻尾を揺らして、手のひらにあたってやる。子供は無言のまま口を大きく開け、興奮を隠さない表情でバートと母親を交互に見やるから、その頭をわしゃわしゃと撫でつけてしまった。
「わ、わ、すげえ! ふさふさ!」
「だろうよ。手入れに気ぃ使ってるからな」
「耳、耳も、触って良い!?」
「優しくな」
隣の席に乗り上がってくる。背中を曲げて耳を差し出せば、そっ、とくすぐったいくらいの手つきで耳に触れられた。
「悪いね、相手させて」
店主が溜め息を零している。
「元気で良いじゃねえか」
「……ありがたい話だよね」
店主が、母親の顔で微笑んだ。平和でなによりである。
じいさんも嫌いじゃないが、子供も嫌いじゃないのだ。
久しぶりに、カランと喫茶店の扉が鳴った。
「おっ、色男」
先生は目立つ顔をしているから助かる。店主のその一言で、一気に店内が色めきだった。
「すみません、思ったより手間取ってしまって」
革靴を鳴らしながら駆け寄ってくる先生に、しぃ、と人差し指を立てる。バートの腕の中では、はしゃぎ疲れた子供がすやすや眠っていた。
驚いたのか、先生の体がピシャリと固まる。
「バ、バート、あなたっ、こ、こども」
「店主の子だよ。寝ちまって、ほら可愛いよな」
その手には、ぎゅっとバートの尻尾が握られていた。涎がべったりくっついているが、まあ許してやろう。カウンターから出てきた店主に、そうっと子供を引き渡す。
「尻尾気に入ったみてぇ」
「こんなに涎垂らして……、悪いねえ」
「いいよいいよ」
「これで拭いてくれ」
店主から渡された布巾で尻尾を拭う。先生はなぜかまだ、その場に突っ立っていた。
「触らせたんですか……?」
「興味津々で可愛くてよ」
「……っ、そうですか……!」
先生はなぜか歯を食いしばっていた。血管が浮き出るほど拳を握りしめている。よほど大変なことがあったのかもしれない。
が、そんなことより、早く座って食事を注文して欲しい。バートも先生に合わせようと我慢していたのだ。
「なに頼む?」
「とりあえず、冷たい、水をたくさん、いいですか」
「ここの珈琲うめぇのに水ぅ?」
「では珈琲も。あの、水を一気に飲みたくてですね」
「走ってきた?」
「いま心臓が走っています」
先生の前に、店主が水を置く。
「な? 色男だけどちょっとおもしれえんだよな、先生って」
先生を親指でさす。しかし店主はなぜか呆れた顔をしていた。
「おもしろがってんのアンタだけだよ」
「嘘だぁ」
店主に布巾を返す。拭いたばかりの尻尾は、少し湿っているがつやつやしていた。乾かそうと揺らしていれば、隣に腰かけた先生の視線がチラチラ尻尾に向いているのに気づく。
もしかして。
「先生も触ってみたかった?」
尻尾を振って、隣に腰掛けた先生の背中にぽんと当ててみる。言ってくれれば、いつだって触らせてやるのに。
「…………」
「先生?」
もしかして耳のほうだっただろうか。肩を寄せて、耳で頬を突いてみる。
「…………」
「違った? わり、こういうんじゃなかったか?」
無言が続く。かと思えば先生は美しい切れ長な二重の釣り目をじわじわ見開いて、それからへろへろ椅子から落ちていった。
ドサ、と情けない音がする。
先生は、真っ白になって床に転がっていた。体を張りすぎている。
「………………」
「な、やっぱおもしれえよ」
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