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第二話『焼き芋』

八卦見娘と幼馴染・一

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 縁側に立ったおみつは眩しい昼の太陽を手をかざしながら目を細めて眺めた後に、うんと大きく伸びをした。風がふわりと頬に触れ心地よく通り過ぎていく。冬の気配をまとった秋風は心地よいけれど、少しだけ冷たくもある。もうすぐ火鉢が手放せない季節になるねぇ、とおみつはしみじみ考えた。
 おみつは先ほど一人の客の先見を終えたところだ。三日後に飼っている猫が逃走することを伝えると、大層それを可愛がっているらしい木綿問屋の主人は涙を流しておみつに感謝を述べた。いいことをした、なんて気をよくしながらおみつは葉茶屋を手伝おうと店の方へ軽い足取りで歩みを進めた。本日はこれ以降おみつの商いへの来客はない……そのはずだ。飛び込みの客も多いけれど、それに身構えていても仕方がないのだ。

「あら、おみつ。ちょうどよかった。お客さんよ」

 葉茶屋の店先に出ると、母のりんに早速そう声をかけられた。さぁ手伝うぞと意気込んでいたおみつは、なんだか拍子抜けした気持ちになる。りんは紺の紬を身に着け、しっとりとした立ち姿で佇んでいる。そして艶やかな微笑をおみつの客がいるらしい方へと向けていた。この笑顔が男衆の顔を脂下がらせ、たくさんの茶を買わせるのだ。
 今日はどなたがいらしたのかしら。そう思いながら客の方へ向かうと、そこにいたのはおみつの年の離れた幼馴染、醤油問屋早坂屋の手代松五郎だった。手には風呂敷を持っており、それはなにやらしっとりと湿っている。商いの客だと思っていたおみつは、松五郎の浅黒く精悍な顔を見て拍子抜けした。

(……松さんが、改まった様子でなにをしに来たのかしら? まさか普段あんなに馬鹿にしていて占いをしてもらいに来た、なんて言わないわよねぇ)

 おみつは松五郎を見つめたまま首を傾げる。松五郎はなんだかばつが悪そうに、おみつから視線を逸らした。

「おみつ、上がってもらいなさいよ。おたまにお茶を運ばせるから」

 りんに言われておみつは首を傾げながら松五郎を客間へと通した。客間にどかっと腰を掛けた松五郎は、なんだか尻の座りが悪いというかもじもじと落ち着かない様子である。茶を運んできた女中のおたまにも上の空という様子で礼をいい、またうろうろと視線を彷徨わせてしまう。
 普段はせっかちすぎるくらいなのに。彼は一体どうしたのだろうとおみつは眉間に皺を寄せた。

「松さん、いい加減なにをしにきたのか教えてくれてもいいんじゃないの?」

 口をへの字にして開かない松五郎を見ていると、おみつの語気も自然と荒くなる。そんなおみつを気まずそうに一瞥し、松五郎はようやく口を開いた。

「……卦を見て欲しくてよぉ」
「まぁ!」

 もごもごと言った松五郎の言葉を聞いて、おみつは目をまんまるに開いた。けれどすぐに悲しそうに眉を下げてしまう。おみつには松五郎を客として扱うわけにはいかない理由があるのだ。

「ねぇ、松さん。私の商いのことは知っているでしょう?」

 おみつは畳の目をふくふくとした指でいじりながら、気まずそうな声を出した。松五郎はそんなおみつに重々しく頷き返す。

「一両と、手土産だろう。そんで卦が出なくても返金はしねぇ。そうだな」
「そう、そうなの。私のお客はね、一両払って猫が家出するのが見えました、って言われても笑って済ませられるような人じゃないとだめなの。松さんとは、商いはできないわ」

 庶民にとっての一両は、とても重い。見えたり見えなかったりする上に、役に立つものが見えるかすらわからないおみつの先見は『一両を損しても笑っていられる』裕福な客のためのものである。一両を笑い飛ばせない者の依頼を受け、結果が出なかったのなんだと面倒ごとになるのをおみつも三好屋も当然避けたい。これは知人だからとて譲れない。

「どうしても、だめか?」
「だめよ、松さん。これは商売としてのけじめなの。命の危険に関わるようなことなら、お代を頂かずお受けするけれど……。たぶん、違うのでしょう?」
「んーまぁ、そうだな」

 そう言って松五郎は気まずそうに頬をかいた。おみつと松五郎との付き合いはとても長い。だからおみつは彼の雰囲気でなんとなくわかったのだ。今回の件はおそらく……浮ついた話なんだろうと。

「じゃあだめよ」

 おみつが意思を曲げるつもりのない引き締まった表情で言うと、松五郎は大きな息を吐いた。

「まぁ、そう言われるんじゃあねぇかとは薄々思ってたんだ。すまねぇな、手間ぁ取らせちまってよ」

 松五郎はそう言いながらぽりぽりと頭をかいた。そして茶をぐいっと一気に飲むとその場から立ち上がり、ずかずかと大股で廊下へと向かった。

「松さん! 風呂敷を忘れてるわ!」
「中身ごとやるよ。どうせどっちも安物だ」

 座布団の横に残されたずしりと重い風呂敷を慌てて渡そうとすると、松五郎はくいっと片側の口角を引き上げるようにして笑いながらそう言った。

「見送りも結構だ。じゃあな、大福」
「もう……!」

 大股で去って行く松五郎の大きな背中を、おみつはうんと眉を下げながら視線だけで見送った。幼馴染なのに薄情だと我ながら思うのだけれど。一つを許せばもう一つ、そしてさらにもう二つと、人の箍はすぐにゆるんでしまう。だからおみつはよほどのことがない限りは、商いの掟を破るわけにはいかないのだ。

「松さん、なにを持ってきたのかしら……」

 おみつは松五郎が持ってきた緑色の風呂敷をそっと解く。すると中から現れたのはまだ少し温かい甘藷……つまりは焼き芋だった。
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