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第二話『焼き芋』

八卦見娘と幼馴染・十三

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 清助に刺されたおせんは、しばらくしてから目を覚ましたそうだ。傷は浅い割に大げさなくらいに出血しており、おせんは部屋にあった古布を巻きつけて自ら間に合わせの手当をした。そして一息ついた後に、ある考えに至ったのだ。

『私が生きていることに気づけば……清助さんがとどめを刺しに来るかもしれない』

 おせんは部屋で、どうしたものかと考えながら一人震えていた。そこに現れたのが狼弟子の一人、三吉である。おせんは渡りに船と三吉にすがった。

『私を、匿ってはくれないかい』

 三吉は部屋の惨状を見てなにかまずいことがあったのだろうと察し、おせんをひとまず自分の長屋で匿うことにした。おせんが落ち着いたら事情を聞いて、場合によっては一緒に番屋に行こう。三吉はそう考えていたようだが……悪いことにおせんは傷が原因か、高熱を出して寝込んでしまったのだ。

 ――その間に、松五郎が『おせん殺し』の下手人として捕まった。

 三吉は、ほとほと困り果ててしまった。『殺された』はずのおせんは自分のところに居る。松五郎が殺し損ねたのだろうか。そもそも松五郎は、本当に犯人なのか? 同じ師匠のところに通う者同士、何度か顔を合わせたことはあるが、松五郎が人を殺すような男だと三吉には思えなかった。そうは思うが真実を知っているおせんはずっと朦朧としながらうなされており、話を訊ける状態ではない。
 一人で番屋に行くかと悩んだ三吉だったが、惚れた女の『匿ってくれ』という言葉を反故にするのも気が引ける。このまま一緒にいればおせんが好いてくれるかもしれないという皮算用も胸にあり、三吉は悶々としながらも身動きが取れないままでいた。
 そして松五郎の捕縛から二日が経った頃。ようやっとおせんが正気づいたのだ。三吉は慌てて今の状況をおせんに話した。するとおせんは真っ青になり、少しやつれた頬を押さえてぽつりと言った。

『ああ……松五郎さんがお縄になるなんて。私のせいだ。だけど、どうしたらいいんだい』

 ――結局、三吉とおせんは番屋には行かなかった。
 番屋に駆け込めば松五郎が犯人だという誤解は解け、清助は捕まるがきっと軽い罪で済むだろう。結果的におせんは、軽い怪我で済んだのだから。痴話喧嘩の末のただの傷つけということで、悪ければお叱りのみですぐに放免されるに違いない。そしておせんの腹に清助の子がいる限り……またあのようなことが起きると、おせんはそれを恐れた。

『清助さんのことを好いてたけれど。だけど今は、腹の子が一番大事』

 おせんはそう言って、三吉に必死に頭を下げた。

『私が生きていることは、内密にしておくれ。この傷が治ればすぐに出ていくから』

 清助に『おせんは死んだ』と思わせていた方が、腹の子にとってもおせんにとっても安全なのだ。松五郎には酷なことになってしまうのはわかっていても、おせんは腹の子の安全を選ぶという決断をした。
 しかし狼弟子たちに当たりをつけて聞き込みをしていた米蔵に、三吉の長屋に居たおせんは見つかったのである。

「なんてこった……」

 米蔵の話を聞いた松五郎はその場でがくりとうなだれた。好いた女が、自分が誤解で捕まったと知っていて見捨てたのだ。その内心は複雑なものだろうと、おみつはおろおろとした。

「松さん、その」
「慰めようとすんじゃねぇよ。大福に慰められるともっと泣きたくならぁ」

 垂れた鼻を手のひらで拭って強がる松五郎に、おみつは気まずげな苦笑いを向けた。

「ははっ、泣くな泣くな。おめぇほどの色男なら、まだまだ次があるからよぉ」

 米蔵が無責任に明るい口調で言ってから、大きく表面が硬い手のひらで、ばしばしと松五郎の背中を叩いた。松五郎の背中はどんどん小さく丸くなる。

(このまま小さくなって消えちまいそうだねぇ)

 おみつはふくふくとした手でおたまが運んできた茶菓子を受け取ると、皆に振る舞ってから自分でも口にした。薄皮の饅頭は三好屋の近所にある、美味しいと評判の店のものである。しかし松五郎の様子に気を取られて、饅頭の味がいまいちわからないままにおみつは咀嚼し飲み下してしまった。

「おせんさんはどうなるんだい? なにか罪に問われるの?」

 おっとりとした動作でお茶を口にしてから、一太が米蔵に問う。

「まぁ、色々と仕方がねぇ状況でしたからねぇ。おせんも三吉も重いお咎めはなしですよ。おせんを匿った罰金くらいじゃねぇかと。清助は若旦那を襲った件もありますから、江戸払いくらいにはなるんじゃねぇかと。それと……」

 米蔵は言葉を切ると気まずそうに松五郎をちらりと見た。松五郎はそれに対して『もうどうにでもしろ』と言わんばかりにの視線を投げた後にそっぽを向いた。

「おせんは、献身的な三吉にほだされちまったみたいでねぇ。子供も自分の子として可愛がるから、夫婦になって欲しいと言われてうなずいたそうです」
「まぁ!」

 突然の良い話におみつはつい黄色い声を上げ、松五郎はあんぐりと口を大きく開く。

「ま。これで一件落着ってやつでさぁ」
「一件落着……かな」

 がははと大声で笑う米蔵を横目に見ながら、一太は苦い笑みを浮かべた。
 清助は江戸からいなくなり、おせんには新しい家族ができる。松五郎は嫌疑が晴れて大番屋から出ることができた。結果だけ見れば一件、落着万々歳だ。

「一応……一件落着、なのかしら」
「なぁにが一件落着だ。俺ばっかり損を被ってるじゃねぇか」

 ぶすりとして口を尖らせる松五郎に、おみつはかける言葉が見つからなかった。

「俺だって、おせんさんに子供くれぇいてもよかったのによ」

 小さく零れた松五郎の言葉が、ちくりとおみつの胸を刺す。
 おみつの力がもっと便利なものだったら。例えば、もうちょっとだけ先まで見ることができたのなら。
 清助に襲われるおせんの姿を見ることができて、おせんを松五郎に救わせる、なんてこともできたのかもしれない。その結果、結ばれたのはおせんと松五郎だったのかもしれないのに。

(ううん。かもれないばかりを考えては、いけないわね)

『すべてなんとかできるんなら、それは人じゃなくて神様だ。おみっちゃんは神様じゃなくて人なんだから、なんとかできなくて当たり前さ。それを気に病むことなんてないんだよ』

 一太にかけられた言葉を思い出し、おみつはふっと息を吐いた。

(私は人なんだから。神様のようなことを望むだなんて、おこがましいにもほどがあるわ。どうにもならないことは、どうにもならないのよ)

 一太に目を向けるとおたまの持ってきた茶のお替りを、のんびりとした表情で啜っている。その鷹揚とした様子を目を見ていると、なぜか安堵混じりの吐息が漏れた。

「そんじゃ、あっしはお暇しますかねぇ」

 米蔵は食欲がなさそうな松五郎の饅頭までぺろりと平らげた後に、『よっ』と小さく声を出してから立ち上がる。

「そうだね、私も帰ろうかな」
「じゃ、俺も帰るよ。戻ったばっかりなのに、店を抜けて来ちまったしな」

 一太と松五郎も異口同音にそう言うと、それぞれ腰を上げた。

「ほれ、大福。これは今回の礼だ。……迷惑かけちまって、悪かったな」

 店先まで見送りに出たおみつに、松五郎は照れ臭そうにいいながら風呂敷包みを手渡した。その覚えのある重さに、おみつはくすりと笑いを漏らしてしまう。

「焼き芋ね、松さん」
「馬鹿の一つ覚えでわりぃが、大福の喜ぶもんは他に知らねぇからな」

 精悍な顔にどこか吹っ切れたような笑みを浮かべてから、松五郎は踵を返して去って行く。その後ろに米蔵と一太も続き、三人の背中は少しずつ遠ざかって行った。

(妙な力があってもどうにもならないことばかりだけれど。……松さんを救えただけでも、良しとしなくちゃね)

 おみつは、小さく息を吐く。空を見上げるその顔は、先ほどの松五郎のように少しだけ吹っ切れたような表情だった。

「おっかさん。お客さんが居ないんだったら、松さんからもらったお芋でも食べない?」

 おみつは明るい声音で、店で暇そうにしているりんを呼んだ。
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