悪役令嬢は腐女子である

31・ゴゴゴゴゴ……

　ボクは姿勢を正して身体を最小単位に縮小する。
　二つ隣の席にはお父さんが座っている。
　湖瑠璃ちゃんが間に挟まっているのが救いとはいえ、迂闊な発言はできない。
　今のボクは餓えた猛獣の檻の中にいるも同然。
　些細なミスが命取り。
　お父さんの機嫌を損ねれば、明日にはマリアナ海溝に鉄球と共に沈められる。
　とにかく おとなしくしているんだ。
　湖瑠璃ちゃんがいる限り、お父さんの関心がボクに直接 向けられることはない。
　しかし、湖瑠璃ちゃんが不意に立ち上がり、
「では お父さま、お兄さま。わたしは少し お姉さまの様子を見に行って参ります」
　なんですと！？
「えっと、湖瑠璃ちゃん。どうしてセルニアの所へ行くのかなぁー？」
「お姉さまの本番までは時間がありますし、応援の言葉でもかけてきます」
「そっか、ならボクも……」
「お兄さまはお客様なのですから、ここでゆっくりなさってください。注文したシャンパン（ノンアルコール）もたくさん残っていますし」
「そ、そうだね」
　シャンパンなんて注文するんじゃなかったー！
「それでは、行ってきます」
　さらに春樹さんまで、
「では アッシも」
　そして二人は階段を降りていった。


　ボクとお父さまが残された。
「……」
「……」
　気まずい沈黙。
「……」
「……」
　重量挙げオリンピック並み重量感のある空気。
　これ どうしろと？
　ボク 泣きそう。
「……君はセルニアと仲良くしていると聞いたが、本当かね」
　唐突に質問されてしまった。
「……はい、仲良くさせて貰っていますです。お父さん」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」
　いきなり地雷を踏んでしまったー！
「……そうッスね。スンマセン」
「……」
「……」
　再び気まずい沈黙。
「……」
「……」
「……セシリアとも仲が良いようだ。あの子もずいぶんと懐いているようだし」
「はい。湖瑠璃ちゃんを妹のように思っています」
「私の娘を 軽々しく ちゃん付けで呼んで欲しくないのだがね。それと、義妹と思っているとはどういう意味だ？」
「ちゃん付けで呼んでスンマセン。それと深い意味はありませんです」
「……」
「……」
　三度 気まずい沈黙。
「……」
「……」
「……君はセルニアをなんと呼んでいる？」
「……セルニアと呼ばせてもらわせていただいておりますです」
「吉祥院家でミドルネームで呼ばせるのは特別な人間だけなのだが、なぜ 君がその名で呼んでいる？」
「色々ありまして」
「その色々を聞かせて欲しいのだがね」
「……話せば長くなるので」
「時間はたっぷりある」
　……
　これ どう考えても尋問だよ！
　間違いなく娘にまとわりつくゴミ虫を駆除しようと考えている。
「さあ、じっくり聞かせて貰おうか」
　お父さまは物凄い眼光を向けてきた。
　猪鹿蝶さんや春樹さんとは違う、生まれつきだけじゃない鋭さだ。
　ホントに泣きたくなってきた。
　
　
「お兄さま」
　いつの間にか湖瑠璃ちゃんが戻ってきた。
「お兄さま、いきなりですが お姉さまのところへ来ていただけませんか」
　天の救い！
「そうだね。もちろん行くよ」
「待て」
　吉祥院 父が止めた。
「セシリア、なぜその男をセルニアの所へ呼ぶ？」
　湖瑠璃ちゃんは言葉の意味を理解していないのか、素敵な微笑みで、
「お姉さまが来て欲しいそうです。やはり本番前なので緊張しているのでしょう。それで少しお話ししたいと」
「セルニアが、緊張を解すために、その男と話がしたいと？」
「はい。やはり親しい男の人とお話しすると、ヤル気が出ますから」
「親しい男だと？　私が来ていることはセルニアも知っているはずだが、私は呼ばなかったのかね？」
　湖瑠璃ちゃんは、その言葉に込められた嫉妬の念を全く感じとらず説明した。
「はい、お姉さまはこの方だけに来て欲しいそうです」
「……そうか、そいつだけを……」
　吉祥院 父は、肘掛けを掴む手の握力が最大限になった。
　その様子に全く気付かずに湖瑠璃ちゃんはボクの腕をとって、
「さ、お兄さま。お姉さまのところへ行きましょう」
　湖瑠璃ちゃんはほとんど抱きつくように密着して、ボクを引っ張っていく。
　そして 後ろから、
「……」
　吉祥院 父の凄まじい視線が感じられた。
　物理的な存在感を伴うほどの圧倒的視線。
　擬音にすれば、ゴゴゴゴゴ……ってな感じに。
　ボク、明日にはもうこの世にはいないかも。