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158・ネズミ
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上永先生のソウルメイトである可能性大のオッサンのねっとりした視線を振り切って、俺はレッスン室があるのとは別のフロアに来た。
場所にすると、このビルの最上階に当たる五階。
目的はなにか飲み物を買うためである。
事務所の中は外から見るよりも意外に広かった上に、セルニアの好みに合いそうな午後ティーかミネラルウォーターが売っている自販機が中々見つからないこともあって、結局ここまで来ることになってしまった。
飲み物一つ買うのに一苦労である。
おかげで無事に午後ティーを買うことができたけど、時間もそれなりにかかってしまった。
レッスン室を出てから、もう十分ほど経ってしまっている。
「早いとこ、戻らないと」
セルニアもそろそろ怪訝に思う頃だと思う。
自分の分も併せた缶を両手に持って、セルニアが猫モードになっている三階に戻るとしたときのことだった。
「おい、そこのスタッフ」
いきなり どこからか そんな怒声が響いた。
通りの良い凜とした声だが、スタッフって俺のことか?
周りを見回すも、それらしき人物はいない。
なので、振り向いてみると、なんか廊下の一番奥にある控え室のような所のドアが少し開いていて、そこからメガネと帽子をかぶった一人の女の子……
いや、男だ。
よく見ると男が顔を出していた。
海翔並みに可愛い顔した男だった。
海翔の他にもいるもんなんだなと、俺はヘンな風に感心してしまった。
「何グズグズしている! 飲み物買ってこいってさっき頼んだだろ! 全然 戻ってこないけど、まだなのか!?」
「は? 俺はスタッフなんかじゃ……」
ないんだか。
そんな俺の言葉などまったく聞かずに、
「良いからさっさと行けって言ってるんだよ! 俺の喉が乾いたままの状態にしておくなんて何様のつもりだ! 分かったらさっさと早く行ってこい! コーラゼロカロリーだぞ! 三分以内!」
「いや、だから……」
「うるさい口答えするなさっさと行け!」
「わ、分かった」
なんか体が勝手に答えてしまった。
やたらと命令なれた声に気圧されたというか、そもそも鳳上家で執事体験をやって以来、そこはかとない従属気質が体に染みついてしまったのだろうか。
なんてこったい。
とりあえずフロアの隅にあった自動販売機でコーラを買って戻る。
「買ってきたぞ」
「ふん、遅いぞ。三十点ってとこだ。もちろん千点満点で」
椅子にふんぞり返りながらの偉そうなそんな返事が戻ってきやがった。
百点満点で三点はないだろ。
「……ん?」
あれ、こいつどこかで見たことがあるような気がする。
あ、そうだこいつ、あの大晦日の時にぶつかってきた帽子の女だ。
あの時は気付かなかったけど、男だったのか。
今日は、あの時と違う帽子をかぶって、メガネをかけているから分かり難かったけど、この口の悪さは間違いない。
何でこいつがここに?
首をひねりながら訝しんでいると、
「っていうか、そう言えばお前誰だ?」
今さらそんなことを言い出しやがりましたこいつ。
「よく見ればスタッフとかじゃないな。なんか見かけない顔だけど。
不審者? ストーカー? それとも下僕志望?」
なんだその選択肢は。
「どれも違う。俺はただちょっと用事があって、ここを通りかかっただけだ」
「ふぅん。まあ、あんたが誰だろうと、俺にはどうでも良いんだけど」
自分から聞いておいてどうでも良いとか言うな。
おまけに心底、本当に興味がなさそうだし。
まあ、それはともかく。
この短時間のやりとりだけで、こいつができる限りこちらからは関わらない方が良い人種であることは分かった気がした。
間違いなく、氷姫と同系統の人間だ。
気が合うこと間違いなし。
それとも同族嫌悪になるだろうか。
とにかく、こういうヤツにはとにかく関わらない相手にしない反論しないの一手に限る。
「まあ、会ったばかりでアレだけど、俺はそろそろ……」
俺は速やかにこの場から立ち去ろうとして、
ピリリリリリ……
着信音が鳴った。
「はい、もしもし」
どうやらこの唯我独尊男のスマホだったようで、手に取って耳に当てると、
「ちょっとおまえ、どこをほっつき歩いてんだよ! ……は、何でそんなところに? コーラゼロカロリーをどこにも売っていなかったから? 何それ、意味わかんないんだけど」
受話口に向かって声を上げている。
とりあえず、俺はこの隙に離脱した方が良いな。
丁度良いチャンスだ。
電話に夢中な唯我独尊野郎から、バレないようにこっそりと部屋を出ようとして、
「ちょっと待て」
「ぐぼっ!?」
置いてあった傘の柄で、いきなり後ろから首元を引っ掛けられた。
「お、おま……いきなり何を……」
人の喉仏を本当の仏にする気か。
痛みで思わず涙目になって抗議する俺に、
「勝手に行くな。まだ ちゃんと俺に挨拶してないだろうが」
そんなことを言いやがる。
俺が、じゃなくて、俺に、ってところが端的にこいつの性格を表しているな。
「入退室の際の挨拶は礼儀の基本だろ。それをないがしろにするのは見過ごせないぞ」
「だからってな……」
「それに、お前に用事ができたんだよ。今のコーラといい、おまえ割りとつかえそうだから」
スマホをしまいながらじろりとこっちを見た。
「用事?」
「そうだ。おまえ、俺のマネージャーになれ」
「はあ?」
こいつはいきなり何を言い出すんだ。
「勘違いするなよ。マネージャーって言っても、なにも正式雇用して辞令を出そうってわけじゃない。そんなのはこっちもゴメンだし、お断りで願い下げだ。今だけのバイトみたいなもんだよ」
「いや、そういう問題じゃなくてな」
一時的だとか、永続的だとかじゃなくて、その辺歩いてた初対面の相手を捕まえて、マネージャーをやれってこと自体に問題があるだろ。
だがこの男は、はー、と息を吐いて、
「しょうがないだろ。人手が足りないんだからよ。猫の手も借りたいってやつだ。まったく、アホな日替わりマネージャーは迷子だし、睦月の方はなんだか知らないけど、絶対に外せない大切な用事があるとかでどっか行っちゃうし。ほんっとに誰も彼も使えねー」
文句言いながらかつかつと靴裏で床を叩く。
「とにかく良いな。これは決定事項だ」
「いや、なにを勝手に」
「ああ、もう。金払うから。とりあえず、今日一日で十万で良いだろ。十万円だ。喜べ」
俺は頭に血が上った。
こいつ俺が金で喜ぶ人間だと思っているのか。
俺は思わず言ってやった。
「へっへっへっ、そういうことでしたら話が早い。なんでも わたくしめにお申し付けくださいませ、旦那さま」
「おまえ金の話したとたんコロッと態度変わったな。
まあいい、頼んだぞ。ところでおまえ、名前はなんて言うんだ?」
「アッシの名前など気になさらず。アッシのことはどうぞ、ネズミと呼んでくだせえ」
「なんで時代劇の隠密みたいなしゃべりなんだ。
まあいいけど。そう言えば俺はまだ挨拶してなかったな」
そいつは帽子とメガネを取った。
そこから出てきたのは、肩当たりで揃えられたさらさらな赤髪と、左眼の下にある星形のメイクが特徴的な強気な表情。
「え?」
そこにいたのは……
「俺はエンジェル・プリンスのボーカル。天園ミライだ。とりあえず、お前で我慢してやる。感謝しろ」
場所にすると、このビルの最上階に当たる五階。
目的はなにか飲み物を買うためである。
事務所の中は外から見るよりも意外に広かった上に、セルニアの好みに合いそうな午後ティーかミネラルウォーターが売っている自販機が中々見つからないこともあって、結局ここまで来ることになってしまった。
飲み物一つ買うのに一苦労である。
おかげで無事に午後ティーを買うことができたけど、時間もそれなりにかかってしまった。
レッスン室を出てから、もう十分ほど経ってしまっている。
「早いとこ、戻らないと」
セルニアもそろそろ怪訝に思う頃だと思う。
自分の分も併せた缶を両手に持って、セルニアが猫モードになっている三階に戻るとしたときのことだった。
「おい、そこのスタッフ」
いきなり どこからか そんな怒声が響いた。
通りの良い凜とした声だが、スタッフって俺のことか?
周りを見回すも、それらしき人物はいない。
なので、振り向いてみると、なんか廊下の一番奥にある控え室のような所のドアが少し開いていて、そこからメガネと帽子をかぶった一人の女の子……
いや、男だ。
よく見ると男が顔を出していた。
海翔並みに可愛い顔した男だった。
海翔の他にもいるもんなんだなと、俺はヘンな風に感心してしまった。
「何グズグズしている! 飲み物買ってこいってさっき頼んだだろ! 全然 戻ってこないけど、まだなのか!?」
「は? 俺はスタッフなんかじゃ……」
ないんだか。
そんな俺の言葉などまったく聞かずに、
「良いからさっさと行けって言ってるんだよ! 俺の喉が乾いたままの状態にしておくなんて何様のつもりだ! 分かったらさっさと早く行ってこい! コーラゼロカロリーだぞ! 三分以内!」
「いや、だから……」
「うるさい口答えするなさっさと行け!」
「わ、分かった」
なんか体が勝手に答えてしまった。
やたらと命令なれた声に気圧されたというか、そもそも鳳上家で執事体験をやって以来、そこはかとない従属気質が体に染みついてしまったのだろうか。
なんてこったい。
とりあえずフロアの隅にあった自動販売機でコーラを買って戻る。
「買ってきたぞ」
「ふん、遅いぞ。三十点ってとこだ。もちろん千点満点で」
椅子にふんぞり返りながらの偉そうなそんな返事が戻ってきやがった。
百点満点で三点はないだろ。
「……ん?」
あれ、こいつどこかで見たことがあるような気がする。
あ、そうだこいつ、あの大晦日の時にぶつかってきた帽子の女だ。
あの時は気付かなかったけど、男だったのか。
今日は、あの時と違う帽子をかぶって、メガネをかけているから分かり難かったけど、この口の悪さは間違いない。
何でこいつがここに?
首をひねりながら訝しんでいると、
「っていうか、そう言えばお前誰だ?」
今さらそんなことを言い出しやがりましたこいつ。
「よく見ればスタッフとかじゃないな。なんか見かけない顔だけど。
不審者? ストーカー? それとも下僕志望?」
なんだその選択肢は。
「どれも違う。俺はただちょっと用事があって、ここを通りかかっただけだ」
「ふぅん。まあ、あんたが誰だろうと、俺にはどうでも良いんだけど」
自分から聞いておいてどうでも良いとか言うな。
おまけに心底、本当に興味がなさそうだし。
まあ、それはともかく。
この短時間のやりとりだけで、こいつができる限りこちらからは関わらない方が良い人種であることは分かった気がした。
間違いなく、氷姫と同系統の人間だ。
気が合うこと間違いなし。
それとも同族嫌悪になるだろうか。
とにかく、こういうヤツにはとにかく関わらない相手にしない反論しないの一手に限る。
「まあ、会ったばかりでアレだけど、俺はそろそろ……」
俺は速やかにこの場から立ち去ろうとして、
ピリリリリリ……
着信音が鳴った。
「はい、もしもし」
どうやらこの唯我独尊男のスマホだったようで、手に取って耳に当てると、
「ちょっとおまえ、どこをほっつき歩いてんだよ! ……は、何でそんなところに? コーラゼロカロリーをどこにも売っていなかったから? 何それ、意味わかんないんだけど」
受話口に向かって声を上げている。
とりあえず、俺はこの隙に離脱した方が良いな。
丁度良いチャンスだ。
電話に夢中な唯我独尊野郎から、バレないようにこっそりと部屋を出ようとして、
「ちょっと待て」
「ぐぼっ!?」
置いてあった傘の柄で、いきなり後ろから首元を引っ掛けられた。
「お、おま……いきなり何を……」
人の喉仏を本当の仏にする気か。
痛みで思わず涙目になって抗議する俺に、
「勝手に行くな。まだ ちゃんと俺に挨拶してないだろうが」
そんなことを言いやがる。
俺が、じゃなくて、俺に、ってところが端的にこいつの性格を表しているな。
「入退室の際の挨拶は礼儀の基本だろ。それをないがしろにするのは見過ごせないぞ」
「だからってな……」
「それに、お前に用事ができたんだよ。今のコーラといい、おまえ割りとつかえそうだから」
スマホをしまいながらじろりとこっちを見た。
「用事?」
「そうだ。おまえ、俺のマネージャーになれ」
「はあ?」
こいつはいきなり何を言い出すんだ。
「勘違いするなよ。マネージャーって言っても、なにも正式雇用して辞令を出そうってわけじゃない。そんなのはこっちもゴメンだし、お断りで願い下げだ。今だけのバイトみたいなもんだよ」
「いや、そういう問題じゃなくてな」
一時的だとか、永続的だとかじゃなくて、その辺歩いてた初対面の相手を捕まえて、マネージャーをやれってこと自体に問題があるだろ。
だがこの男は、はー、と息を吐いて、
「しょうがないだろ。人手が足りないんだからよ。猫の手も借りたいってやつだ。まったく、アホな日替わりマネージャーは迷子だし、睦月の方はなんだか知らないけど、絶対に外せない大切な用事があるとかでどっか行っちゃうし。ほんっとに誰も彼も使えねー」
文句言いながらかつかつと靴裏で床を叩く。
「とにかく良いな。これは決定事項だ」
「いや、なにを勝手に」
「ああ、もう。金払うから。とりあえず、今日一日で十万で良いだろ。十万円だ。喜べ」
俺は頭に血が上った。
こいつ俺が金で喜ぶ人間だと思っているのか。
俺は思わず言ってやった。
「へっへっへっ、そういうことでしたら話が早い。なんでも わたくしめにお申し付けくださいませ、旦那さま」
「おまえ金の話したとたんコロッと態度変わったな。
まあいい、頼んだぞ。ところでおまえ、名前はなんて言うんだ?」
「アッシの名前など気になさらず。アッシのことはどうぞ、ネズミと呼んでくだせえ」
「なんで時代劇の隠密みたいなしゃべりなんだ。
まあいいけど。そう言えば俺はまだ挨拶してなかったな」
そいつは帽子とメガネを取った。
そこから出てきたのは、肩当たりで揃えられたさらさらな赤髪と、左眼の下にある星形のメイクが特徴的な強気な表情。
「え?」
そこにいたのは……
「俺はエンジェル・プリンスのボーカル。天園ミライだ。とりあえず、お前で我慢してやる。感謝しろ」
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