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幕間――ある男の独り言
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――もうあなたは立派な大人よ?
わたくしがいなくても大丈夫ね。
婚儀が決まったその日、あの方はわたしの城から出ていくと言い、微笑まれた。
――わたくしがいれば、吉川(きっかわ)氏の姫君がやりにくくて仕方がないでしょう。
杉大方(すぎのおおかた)様、あなたがそんな心配をしなくてもよかったのに。
わたしが玖(ひさ)と結婚したのを見届けて、あなたは出家し猿掛城(さるかけじょう)から多治比(たじひ)の外れの小庵に移った。
――杉大方様、わたしは……。
わたしは尼僧姿の杉大方様に声を掛けようとしたが、できなかった。
「夢か……」
薄闇のなか目を覚まし、わたしは片腕に乗る重みに目をやる。
小さな寝息を発てて、妻が寝ている。妻といっても、隠し妻だが。露になった女の肩に、乱れた黒髪が貼り付いている。
皆が寝付いた頃、妻がいる中の丸に忍んでいった。表向き筆頭侍女としてわたしに仕えているので、妻はわたしの目線で意図を察し、寝ずにわたしを待っていた。
――大内の御屋形の信頼厚い、小幡氏の女。
元春や隆景と大内館を訪れた折り、宴の席で気強い面持ちで侍女や小姓に指図し、己もてきぱきと働いている彼女に、わたしは今は亡き女人(ひと)の面影を重ねた。
彼女が聡明で使いやすすぎるので、小幡氏から彼女を輿入れさせるため返してほしいといわれたが、断り続け彼女の婚期を逸しさせてしまったと悔やむ御屋形に、わたしは彼女を吉田に連れ帰りたいと無理を言った。
御屋形はわたしの意思に気づいたのか、侍女にしてもよいし、妻としても構わぬとお許しになられた。
様々な雑事に阻まれたが、わたしは彼女――邦を妻にした。
――邦。おまえは、あの方と似ている。
幼くして両親に死なれ、孤児となったわたしを護り育てたあの方――父上の奥方に。
父上の後添いに入られたあの方は、父上が亡くなった頃まだお若かった。再婚の口もあった。が、わたしのために寡婦で一生を終えられた。
独りでお寂しかったはずだ。わたしを己だけで支えねばならず、心細かったはずだ。
だが、杉大方様は気丈な面持ちで、井上どもと渡り合っていた。その顔が、なぜか邦と重なった。
だから、わたしは邦を自分の城に連れ帰りたかったのだ。わたしのものにして、今度こそ放さぬようにしたかったのだ。
――杉大方様、わたしは、あなたをお守りしたかった。
玖が病がちになり看病で忙しくしている間に、杉大方様を独り寂しく死なせてしまったのが、悔しくてならぬ。
杉大方様がお亡くなりになり、わたしのこころは穴が開いたようになった。開いた穴を埋めようと、女を抱いてみたりしたが、こころの穴は埋まらなかった。
その穴はずっとわたしを苛んでいたが、邦を妻にし、やっと満たされたような気がした。
――邦、そなたは誰にもやらぬ。
井上元有(いのうえもとあり)が邦に色目を使っているのも知っている。奴は邦をものにし、わたしの情報を引き出そうとしたが、そうはいかぬ。
そして、隆元。そなたが邦に見ているのは幻だ。大内館や御屋形と邦を重ねようとしているが、邦はうたかたにはならぬ女子だ。
そう思ったところで、わたしは皮肉に笑ってしまう。
――いや、わたしも隆元のことは言えぬ。
邦は邦だ。杉大方様ではない。
杉大方様は、もうこの世にはいらっしゃらない――。
まだ、夜明けには間がある。わたしは邦の乳房をまさぐる。
「ん……大殿?」
寝惚け眼に言う邦を下敷きにし、わたしは今一度邦を貪った。
わたくしがいなくても大丈夫ね。
婚儀が決まったその日、あの方はわたしの城から出ていくと言い、微笑まれた。
――わたくしがいれば、吉川(きっかわ)氏の姫君がやりにくくて仕方がないでしょう。
杉大方(すぎのおおかた)様、あなたがそんな心配をしなくてもよかったのに。
わたしが玖(ひさ)と結婚したのを見届けて、あなたは出家し猿掛城(さるかけじょう)から多治比(たじひ)の外れの小庵に移った。
――杉大方様、わたしは……。
わたしは尼僧姿の杉大方様に声を掛けようとしたが、できなかった。
「夢か……」
薄闇のなか目を覚まし、わたしは片腕に乗る重みに目をやる。
小さな寝息を発てて、妻が寝ている。妻といっても、隠し妻だが。露になった女の肩に、乱れた黒髪が貼り付いている。
皆が寝付いた頃、妻がいる中の丸に忍んでいった。表向き筆頭侍女としてわたしに仕えているので、妻はわたしの目線で意図を察し、寝ずにわたしを待っていた。
――大内の御屋形の信頼厚い、小幡氏の女。
元春や隆景と大内館を訪れた折り、宴の席で気強い面持ちで侍女や小姓に指図し、己もてきぱきと働いている彼女に、わたしは今は亡き女人(ひと)の面影を重ねた。
彼女が聡明で使いやすすぎるので、小幡氏から彼女を輿入れさせるため返してほしいといわれたが、断り続け彼女の婚期を逸しさせてしまったと悔やむ御屋形に、わたしは彼女を吉田に連れ帰りたいと無理を言った。
御屋形はわたしの意思に気づいたのか、侍女にしてもよいし、妻としても構わぬとお許しになられた。
様々な雑事に阻まれたが、わたしは彼女――邦を妻にした。
――邦。おまえは、あの方と似ている。
幼くして両親に死なれ、孤児となったわたしを護り育てたあの方――父上の奥方に。
父上の後添いに入られたあの方は、父上が亡くなった頃まだお若かった。再婚の口もあった。が、わたしのために寡婦で一生を終えられた。
独りでお寂しかったはずだ。わたしを己だけで支えねばならず、心細かったはずだ。
だが、杉大方様は気丈な面持ちで、井上どもと渡り合っていた。その顔が、なぜか邦と重なった。
だから、わたしは邦を自分の城に連れ帰りたかったのだ。わたしのものにして、今度こそ放さぬようにしたかったのだ。
――杉大方様、わたしは、あなたをお守りしたかった。
玖が病がちになり看病で忙しくしている間に、杉大方様を独り寂しく死なせてしまったのが、悔しくてならぬ。
杉大方様がお亡くなりになり、わたしのこころは穴が開いたようになった。開いた穴を埋めようと、女を抱いてみたりしたが、こころの穴は埋まらなかった。
その穴はずっとわたしを苛んでいたが、邦を妻にし、やっと満たされたような気がした。
――邦、そなたは誰にもやらぬ。
井上元有(いのうえもとあり)が邦に色目を使っているのも知っている。奴は邦をものにし、わたしの情報を引き出そうとしたが、そうはいかぬ。
そして、隆元。そなたが邦に見ているのは幻だ。大内館や御屋形と邦を重ねようとしているが、邦はうたかたにはならぬ女子だ。
そう思ったところで、わたしは皮肉に笑ってしまう。
――いや、わたしも隆元のことは言えぬ。
邦は邦だ。杉大方様ではない。
杉大方様は、もうこの世にはいらっしゃらない――。
まだ、夜明けには間がある。わたしは邦の乳房をまさぐる。
「ん……大殿?」
寝惚け眼に言う邦を下敷きにし、わたしは今一度邦を貪った。
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