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20.魔女の力
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「ウィノラ、入るぞ」
ライナーが部屋に入ると室内には誰もいなかった。急いで部屋を出ようとした瞬間、サシャとぶつかるぶつかる寸前の距離で止まった。
「どうされましたか坊っちゃん」
「ウィノラがいないんだ、部屋から出したのか? あれほど内密にと言ったはずだぞ!」
「ウィノラ様ならちゃんとお部屋におりますよ」
「それがいないんだ! どこにいるって……」
その時、奥の扉が開いてガウンを巻いたウィノラが出てきた。長い髪は濡れ少し波打っている。上気した肌と頬に視線が奪われた瞬間悲鳴が上がった。
「すみません! こんな格好で! 誰もいないと思っていたので」
慌てて今来た部屋に戻ろうとするその奥からガティネがひょっこりと顔を出した。そしてサシャを見るなり顔を青褪めさせ、ガウン姿のウィノラに抱きついた。
「駄目ですサシャ様! ウィノラさんはそれはお綺麗ですし、私などよりもきっと上手にサシャ様のお相手をされるのでしょうけれど、それでも駄目ですよ!」
最後の方は泣き出すようにガティネがウィノラにしがみついている。するとひょいっとサシャがガティネを引き離された。
「大事なお客様になんという事をしているのですか。こちらに来なさい、お仕置きですよ」
「え、サシャ様のお仕置きですか?」
「顔を赤らめないでこちらに来なさい」
その瞬間、サシャの後ろから部屋に飛び込んできた女性に誰もが言葉を失って立ち尽くした。
ライナーと同じ燃えるような髪色が高い位置で結い上げられ、大きな瞳は少し上がっている。強い意志を感じる薄茶色の瞳はウィノラを真っ直ぐに捉えていた。首元まで詰まったブラウスと女性にしては珍しいスラックス姿が元々の体型を更に美しく映えさせている為、美しい女性を見飽きていたウィノラでさえも見惚れてしまった。その女性は勢いよく距離を詰めて来るとまじまじと見下ろしてきた。
「お兄様が連れ込んだ女はあなたね?」
「連れ込んだ?! 誤解です!」
「ちゃっかり湯浴みまでしちゃって、これからお兄様を誘惑する気なのは分かっているんだから!」
「リディア、ちゃんと説明するからそう威嚇するんじゃない。すまないウィノラ」
「お兄様ったら呼び捨てなの?! もうそんな仲なのね? まあ確かに綺麗?というよりは可愛くはあるけれど、それでもお兄様には婚約者がいるじゃない!」
「このお方はもしかして妹さんですか?」
「そうに決まっているでしょ! 今の話の流れで妹以外のなんだっていうのよ! 私がいるうちは絶対にお兄様には指一本触れさせないんだから!」
「落ち着けと言っても無理だろうから……ガティネ!」
サシャの横で心底嫌そうな顔をしたガティネはリディアの腕を引いた。しかしそれは振り解ける程に弱々しいものだった。
「それをどっかに連れて行け。しばらく戻って来るんじゃないぞ」
「しばらくって二人で何をするつもりよ?! お兄様!」
「えぇ、これからサシャ様のお仕置きがあるんですが……」
それぞれに勝手な事を言いながら騒いでいる者達の背を押すように部屋から出すと、ライナーは扉に手を突いて大きな溜息を吐いた。
「えっと、とりあえず着替えて来ます!」
「騒がしくてすまない。ゆっくりで構わないからそこのソファで待たせてもらうよ」
ライナーはソファに座ってはみたものの、衝立越しに聞こえてくる衣擦れの音に耐えきれず、勢いよく立ち上がった。その時、衝立の後ろから着替えを済ませたウィノラが出てくる。一人でも着られる簡素なワンピースを着ていてもどこか美しく見え、とっさに顔を逸していた。
「お待たせし申し訳ありません」
「いや、こちらこそ急かせてすまなかったな」
「ガティネさんがお湯を準備下さってとても助かりました」
「ガティネはどうだ? 不便はないか? あの通りそそっかしい所もあるが真っ直ぐな良い侍女だと思っているんだが」
「私もガティネさんが好きですよ」
「それは良かった。それで、君はガティネの容姿をどう思う?」
ウィノラは最初聞かれている事が分からなかった。
「見ての通りガティネは異国の血を引いている。恐らく今はもうない、帝国に飲まれた小国の血だ。もうほとんど残ってはいないが、たまにガティネのように肌の色や髪の色が濃く生まれる者もいるという。そういった者達がどういう扱いを受けてきたかは知っているだろう?」
「奴隷や安い賃金で労働していると聞いた事はあります」
「傭兵や食うに困って盗賊になる者達もいる。そのような悪循環が更に差別を生んでいくんだ」
消え去った小国。ウィノラが住んでいる高級娼館が立ち並ぶ一帯は比較的豊かな者達が住む土地で、ただ単に出会った事がないからこそ純粋にガティネが綺麗だと思えたのかもしれなかった。
「平民の私にもとても良くしてくれますし、もちろん肌や髪の色で差別される事はあると思いますけど、それは娼館で働く私達も同じですから」
「……君は今まで差別されていると感じて来たのか?」
ライナーの視線は驚いているようだった。娼館に生まれた者は皆娼館に関わる仕事に就く。それが当たり前で選択肢などない。それに、一歩娼館を出れば否応なく女性達からは不躾で嫌悪に満ちた視線を受けるのだ。それは性を商売にしているのだから当たり前だと分かっていても、何も感じない訳はなかった。
「差別されていないと感じない時なんてないですよ。それでも同情はお断りです、私達は娼館の仕事に誇りを持っていますから」
「そうだな。でもまた皆元通りにというのは難しいだろう。近々オーティス殿下が迎えに来るだろうから少しの辛抱だ」
「私だけ安全でも意味がないんです。家族が捕らえられているのに自分だけ安全な所に行ける理由がありません」
「だが、オーティス殿下と一緒に居られるんだぞ」
「? そうですが今更うまくやっていける訳……」
言い掛けて設定を思い出し、思わず口を噤んだ。
「上手くいっていないのか?」
「上手くいってますよ。それはもちろん、はい」
「俺から見てもオーティス殿下はウィノラを大事にしようとしているのは十分に伝わってきている。そうじゃなかったら他の男に任せたりはしないだろう?」
「……そもそも恋人じゃないから平気で任せられるんですよ」
「何か言ったか?」
「いえ何も! それより先程のリディア様は大丈夫でしょうか。随分お怒りのようでしたが」
「ああやって騒ぎ立てるのが通常だから別に怒っている訳じゃないんだ」
気にするまいと思っていたが、一度考えると頭の中が一杯になってしまう。意を決してライナーを見た。
「……ライナー様にも婚約者がいらっしゃるとか」
するとその瞬間、ライナーの表情は明らかに強張った。
「ウィノラが気にする事じゃない」
「ですがもし本当ならこんな風に二人きりで会うべきではありません。お相手に申し訳ないです」
「まだ婚約者候補であって正式なものではないんだ。それに今はそれどころではないだろ」
「でも私なら、やっぱり嫌だと思うんです」
「もしオーティス殿下に婚約者が出来たらどうする?」
「オーティス殿下にですか? いつかはそうなるとは思いますけど。皇子ですし」
「随分さっぱりしているんだな。相手が皇子であろうと客は客という事か」
「別にそういう意味ではなく……」
「すまない。部外者の俺がとやかく言う事じゃなかったな」
それは暗に、だからこちらも婚約者の事について言及してくるなと言われているようだった。
「やっぱり私家に帰ります。皆も心配しているでしょうし、今すぐにどうこうなる事でもないと思うので、もし捕まりそうなったらその前に皆でなんとか逃げます」
しかしライナーからの返事はない。不安になってライナーを見ると金色の瞳が逸らされた。
「何かあったんですか?」
「……何を見てもここに帰ると約束してくれるか?」
「どうしてそんな事言うんです。不安になるので止めてください」
しかし今度は先程逸らされた瞳が真っ直ぐにこちらに向き、ウィノラは跳ねる心臓を押さえるようにとっさに手を当てた。
「着いて来てくれ」
「どこに行くんです?」
「ヒュー娼館に連れて行く。だが先程も言ったがここに戻ると約束してくれ」
「何かあったんですか?」
「見た方が早いだろ」
フックス家の馬車に乗り、ガティネの服を借りて到着したのは生まれ育った家があるはずの場所だった。
帝都で栄華を極めたヒュー娼館はどこにもなく、焦げた臭いが充満し、燻る煙を出しながら立派だった娼館の門は崩れていた。大事な思い出の詰まった我が家は無惨にも黒化した瓦礫の山と化していた。
「何があったの……」
飛び出そうとする馬車の中でライナーに後ろから抑え込まれる。力強い腕の力に抗い腕に爪を立て、滅茶苦茶に身体を動かした。何にぶつかっているのか、どこが痛いのかも分からない。それでも腕の力が緩まる事はなかった。道行く人が馬車の揺れに視線を留めていく。それでも薄いカーテンが引かれた公爵家の馬車の中を覗き込もうとする命知らずはいない。しばらくしてウィノラはずるりと力が抜けて項垂れた。
「大規模な魔女捕縛が行われたんだ。娼館が焼かれる前に女将達が皆を逃したと聞いているから、館は残念だったが心配するな」
「心配するなですって? 家が焼かれて家族の行方が分からないのに心配するななんて出来る訳ないじゃない! 誰も捕まっていないって、死んでいないって言えるんですか!」
「女将は自ら捕まってバラードを守ってくれた。そうじゃなければバラードが捕らえられていた」
「それならアディが殺されるわ! 絶対に殺されちゃう!」
「魔女ではないと証明が出来ればいいんだが」
「そんな事しなくたって捕らえた者達を殺して一掃する気なのよ! 早く助けに行かないと!」
「逃げた娼館の者達の行方はこちらで追うからウィノラは屋敷に戻るんだ」
「ライナー様も本当は魔女が憎くいんじゃないですか?」
「帝都の人々はもう魔女の事なんてなんとも思っていないさ。第一、魔女なんてどこにいるっているんだ? 誰も出会った事などないのに、どうやったら憎しみを持ち続けられるのか教えて欲しいくらいだよ。なぜ今国力を割いてまで魔女だと騒いで女性達を捕らえているのか全く訳が分からないんだ!」
その瞬間、帝都中に大きな鐘が鳴り響いた。腹の底に響くような重苦しい鐘が何度も何度も帝都に響き渡っていく。
「まさか、帝都に近づいているのか? 前線部隊はどうしたんだ!」
「どういう事です?」
「エミル王国が攻めてきたらしい」
外から扉を叩く音にライナーは鍵を開けた。
「ライナー様! 避難を知らせる鐘です!」
「もちろん聞こえている。父上からの伝令が来ているかもしれないから屋敷に……」
ウィノラはライナーの背を押し退けると馬車から飛び降りた。
「ウィノラ! 待て!」
「ライナー様! すぐにお屋敷に戻り下さい!」
「お前は先に屋敷に戻ってサシャに帝都に置いている部隊の準備を進めるように伝えろ!」
「お待ち下さい! ライナー様どちらにッ!?」
ライナーはウィノラの消えた後を追って走り出した。
「陛下、アイテル軍団の後発部隊の準備が整いました。私兵を持つ家門にもすでに早馬を出しております。各砦にて落ち合う手筈になっております」
「今から出陣する部隊はガリオンに指揮を執らせよ!」
少し前、早馬がもたらした悲報は信じがたいものだった。
タシェ子爵率いる先発部隊の全滅。
これで前線は壊滅状態にあると言わざるおえなかった。帝都に着くまでも幾つか防衛線はある。しかしそもそもエミル王国が前線を突破するとは考えていなかったギルベアト帝国は、まだ防衛線に十分な兵力を向かわせてはいなかった。
「やはり魔女なのか」
「陛下! まだそうお考えになるのは時期尚早です! タシェ子爵は半数以上の師団を引き連れて行ったのですよ? 全滅ではなく一部が突破されたと考える方が現実的です」
「ローズ侯爵がそう思いたいのも分かるが、エミル王国が我が軍よりも強かった。それだけの事だと思うぞ。フックス公爵は私に着いて来い。ガリオンには出陣を待つように伝えておけ」
「待つとは?! もうそこまでエミル王国の軍勢は迫っているのですよ? 陛下!」
ルシャードはそれ以上は何も言わず部屋を出ていくと、地下牢へと続く階段を降り始めた。
「あの絵を見つけた時はまだあそこまで朽ちてはいなかった。破り捨てたのはお前だな?」
「だとしたらどうされますか?」
「……今はもう失われたあの絵には極彩色の瞳の魔女が描かれていた。その魔女が、祝福を与える魔女とは別に王に剣を渡していた。真の統治者とは二人の魔女に祝福を得た王の事なのだろう。お前は“真の統治者”を望んでいるのかいないのか、私にはもう分からん」
「望んだ時もありました。この国に必要ならと。ですが望むあまり私達は大事な者を失ってしまった。望まなければ今もそばにいたはずです」
「……お前は昔からそうだった。いつも私の成す事全てが気に食わぬのだ」
フックス公爵は拳を握り締めたがそこで階段は終わり、地下牢へと続く道へと出ていた。
「ウィノラ! 待て! 待つんだ!」
人並みを押し退け皇宮の門前に辿り着くと、皇宮の門前には兵士達がすでに出撃の準備をしているようだった。その中で銀の鎧を付けた一際目立つ兵士が目に入る。その兵士は誰かと口論しているようで、馬を横にしてもその身体の大きさは他を圧倒していた。ウィノラがその兵士めがけて進もうとした瞬間、腕を捕らえられた。
「ウィノラ! いい加減にしろ! 屋敷に戻るぞ」
「話して下さい! アディの所に行かなくちゃいけないんです!」
「だから危険だと言っているだろ!」
兵士達は何事かとピリつく視線でこちらを見てくる。その時、兵士達の間を先程の大きな体の兵士が近づいてきた。
「良いご身分だな! こんな時まで女の尻を追いかけているとは、今から帝国の為に戦いにいく兵士達に悪いとは思わないのか? ライナー・フックス!」
「ウィノラ戻ろう」
「行けません!」
「なんだこの女は。ちゃんと躾けておけ」
「ウィノラ帰るぞ。さすがに兵達の邪魔になってしまう」
「お願いですからアデリータの所に連れて行って下さい!」
ウィノラは腕を引かれたままそう叫んだ。途端に興味なさ気だったガリオンの表情が鋭く変わった。
「お前まさかあの娼館の生き残りか?」
「この者は関係ありません。ウィノラ行こう」
「そうだと言ったらアデリータ達の所に連れて行ってくれますか」
「魔女だと認めたらいくらでも連れて行ってやるよ」
「ウィノラ、信じるな!」
しかしウィノラは真っ直ぐにガリオンを見上げた。
「私は魔女です。だからアデリータの所に連れて行って下さい」
「ははッ! いいのか? お前には堪えられないような拷問が待っているかもしれないぞ?」
怯みそうになる足に力を入れると、ウィノラは小さく呟いた。
「レン、ここに来て」
ずっと気配の感じられなかったレンの気配がここに来て微かに感じられる。まるで深い眠りから覚めるように重く、だるそうに、それでもむくりと起き上がる感覚が手に重なるように感じる。ウィノラの前に渦巻くように沸き起こった煙が次第に形を成していく。そしてウィノラよりも大きな姿の狐が姿を現した。輪郭は風に揺れている。そしてキラキラと光を放っていた。
「今までどこに行っていたの? 気配を消していたわね」
“ずっとエデルに力を吸い取られていたんだよ。あいつならもう大丈夫だぞ。もう本来のエデルだ”
レンの姿もレンとの会話も誰にも聞こえてはいない。それでもレンの気配は圧倒的だった。ガリオンは身震いをすると、見えない宙に向かって剣を抜いた。
「なんだこれは。何をしたんだ」
「今ここには私のフェッチがいます。でも危害を加えるものではありません。お願いですからアデリータの所に連れて行って下さい」
ガリオンは剣を降ろすと、嬉しそうにウィノラの腕を掴んだ。ライナーももう片方の腕を更にしっかりと掴んでくる。しかしふわりとした何かに弾かれたようにその手は突如として離された。
「ライナー様、今まで騙していて申し訳ありませんでした」
そう言ったウィノラの姿があまりに真っ直ぐで、ライナーは何も言う事が出来ないまま伸ばしかけた手は宙をかいた。
「父上! 力を持つ魔女を捕らえました!」
連れて来られたのは皇宮のきらびやかな一室。しかしそこには見覚えのある男性が驚いた表情で立っていた。
「皇帝陛下なら地下牢へ行かれましたよ」
側近がそう言った瞬間、ガイナスはウィノラを掴む手に力を込めた。
「一人で向かわれたのか?」
「宰相様とご一緒です。その脇に抱えていらっしゃるのはどなたでしょう?」
「こいつは魔女だ」
「ま、魔女?」
ガリオンはそう言うと、どんどん歩き出してしまう。側近はゆっくり後退しながら青褪めた顔で走り出していた。
「大変だ、第二側妃様にお伝えしなければ……」
「ローズ侍女長にお目通り願います」
呼吸を整え緊張をなんとか隠しながらも、掌は汗で濡れていた。しばらくして現れたのは不機嫌そうなローズだった。ローズは到着するなり側近の顔を睨み付けた。
この男はウィノラが生まれた夜にたまたま陛下から遣わされた従者だった。結局は皇宮で動く手足も必要だと判断しリナが配下に置いた者で、リナのおかげで出世出来たと言っても過言ではない男。
「お約束をお忘れのようですね。こちらが呼ばない限り接触はしない、そう決めたはずですが」
「私だって来たくて来た訳じゃありませんよ。ガリオン殿下があの女性を連れて行ってしまいました」
「女性? 誰の事です?」
「私が案内した女性ですよ! あの舞踏会の夜にここに連れてきた女性です! ガリオン殿下は魔女だと仰っておりました。嘘ですよね? 魔女なんかじゃないですよね?」
その瞬間、ローズは側近の喉元を掴み上げていた。
「完結に素早く報告して下さい」
「で、ですから、殿下が陛下の元に魔女を捕らえたと連れて来られたのです」
「どちらに向かったのですか?」
「地下です。魔女を捕らえている地下牢に陛下が宰相様と共に向かわれていたので、その後を追って行かれました」
するとローズは深い溜息を吐いた。
「あなたはもう結構です。教えて下さってありがとうございました」
「私はもう行っても大丈夫ですか? 本当にもういいです?」
ローズは一瞥するともう背を向けていた。
「リナ様、ウィノラ様がガリオン殿下に捕らえられ、どうやら魔女だと知られているようです」
自室のベッドで眠っているエデルの髪を撫でていたリナは表情を変えないまま頷いた。
「ウィノラのフェッチが消えたからどうしたのかと思っていたけれど、そう……」
「地下には陛下とフックス公爵もいるそうですがどうされますか」
「恐らくエミル王国の勢いに対抗する為、魔女を探しに行ったんでしょう。それにしてもまさかお兄様があの石に手を出すなんて思いもしなかったわ」
「わざわざリナ様がご身分を隠され魔女達の為に帝国へ嫁いだというのに、攻め入るなど無謀な事をッ」
「お兄様は魔女を虐げるこの国を憎んでいらしたから、きっかけさえあればありえる事だったわ。対策を取らなかった私のせいね。でも今は考えても仕方がない。陛下は“真の統治者”にこだわっていらっしゃる。逃したはずの娘が今になってこんなにも頻繁に現れるようになるなんて、陛下はどんな顔をして対面するのかしら」
「リナ様! このままではウィノラ様が危険です!」
「本当はもう少し眠らせてあげたかったのだけれど。エデル? 起きられる?」
するとエデルは眠い目を擦りながら目を開けた。その瞳を見た瞬間、ローズは言葉を失った。
エデルの瞳は極彩色に輝いていた。
「どういう事ですか、リナ様……」
「魔女の血を引いた男児よ。魔女は女にしか遺伝しない。それでも遥か昔は魔女に性別は関係なかったとと聞いたわ。本来“魔女”は力のある者を指す言葉であって、性別縛りはないのよ」
「そのような事は私は初めて聞きます」
「これは代々フェッチから教えられる事だからね。フェッチは脈々と伝えられる魔女の力。親から子へ時代を超えて伝わる記憶そのものよ。そうしてフェッチは長い間、魔女の歴史を語り継いできたの」
「それはエミル王国の王室の血筋でしょうか。それともフェッチを顕現出来る魔女ならば知っている事なのですか? ウィノラ様も?」
「ウィノラのフェッチはおそらくまだフェッチに主導権があるようだから、恐らく知らないわね。ウィノラのフェッチはエデルを治そうと集中していたようだし」
「母上、エデル! すぐに避難を……」
部屋に飛び込んできたオーティスはエデルを見ると言葉を失った。
「エデル、その目はどうしたんだ。……母上?」
「この子は“真の統治者”を選ぶ鍵として生まれてきたのよ。そして私はその鍵を産む為に帝国に嫁いできたの」
「何を言っているんです。エデルはあなたの息子でしょう。そんな物みたいに言わないで下さい」
「エデルだけじゃない。ウィノラもそうなのよ。そしてどれだけ足掻こうと宿命は二人を導くんだわ」
「母上しっかりして下さい! 今すぐに逃げましょう。ウィノラも迎えに行きますから!」
「オーティス殿下、ウィノラ様は捕らえられ地下牢に連れて行かれました!」
「逃れられないのよ。真の統治者が誕生しない限り魔女は永遠に虐げられ続けるの。あの子達は魔女達の希望になるの」
「ッ、ウィノラを助けに行くので母上とローザは安全な所に……」
「それでは帝国は滅びるわよ! あの国は魔女の力を増幅させて帝都を破壊する為に向かっているの」
「増幅? 母上、何をご存知なのですか」
「あの国は魔女誕生の地なの。だからあの国にある魔女の墓を暴けば、魔女の力が結晶化された物がゴロゴロと出てくるわ」
「その結晶化された物をどうするのです」
「魔女に与えるのよ。力を与えられた魔女は過分ゆえに絶えられずに命を落とすはずだわ。帝都で亡くなったという女はおそらくエミル王国でその魔石を与えられたんでしょう」
「死ぬと分かっていてそんな事をするなんて」
「オーティス、止められるのは“真の統治者”だけなの。私は真の統治者を選ぶ者を産む為に後宮へ入ったの。それがフェッチの言葉だったから。フェッチの言葉は先祖の言葉よ。私達が変えて良いものではないわ!」
「それならなぜ母上はウィノラが生まれた時に逃したのですか? そんな宿命から逃そうとしたのではありませんか?!」
リナは唇を強く噛み締めた。
「私は姉弟を必ず逃してみせます」
オーティスが部屋を出た瞬間、目の前には騎士が立っていた。
「陛下がエデル殿下をお呼びです」
「エデルは具合が悪いんだ。少し休ませたら連れて行くとそう陛下に伝えてくれ」
「必ずお連れするようにとのご命令です。もし抵抗するようなら武力による行使の許可も出ております」
「……分かった。その変わり私も共に行く。それだけは譲れない」
「かしこまりました」
「お兄様……?」
「大丈夫だ、しっかりと捕まっているように」
不安そうな表情のエデルは、オーティスの首に腕に回すように手を伸ばした。
騎士達がオーティスとエデルを連れて部屋を出ていく。ローザはリナの腕を激しく揺さぶった。
「殿下方が行ってしまわれます! リナ様!」
「……いいのよこれで。心のどこかでこうなる事を望んでいたのかもしれないわ。だから私はフェッチからの言葉にはなかった“空白の時期”にあの子を産んだのかもしれない。フェッチの言葉はもう長らく聞いていないの。きっともっと伝えたい事もあっただろうに」
リナの周囲には小さな鈍い光が不規則に浮遊しているだけだった。
「お時間が残されていない事は重々承知しております。ですが陛下はあの時、魔女であるリナ様の助言を聞き入れ、後宮にお迎えになられたのです。必ず“真の統治者”になろうとされるでしょう」
「……陛下は私を受け入れる為に最愛の人をお諦めになられたのよ。エミル王国との戦争に行かれる直前、本来ならジェニー様を側妃にお迎えになられるはずだったのに、戻られたら私を迎え入れるお約束をしたが為に、ジェニー様は他の方の元へ嫁がれてしまわれたわ。そしてお心を弱らせた中のご出産で帰らぬ人になってしまった」
「出産で命を落とす事は珍しい事ではございません! 現にリナ様もお命を削ってお子をお産みになられました!」
「罪滅ぼしのようにジェニー様のお子を気に掛けた所で所詮私は偽善者なのよ。きっとジェニー様も笑っていらっしゃるわね。妊娠中ライナー様にお子をお嫁に下さいと言われた時、心臓が止まるかと思ったの。まるでジェニー様に言われたようだった。陛下を奪った私に子をくれと言われた気がしたの」
「ライナー様はリナ様を慕っていらしたからそう仰ったのです」
リナは虚無を見つめるように首を振った。
ライナーが部屋に入ると室内には誰もいなかった。急いで部屋を出ようとした瞬間、サシャとぶつかるぶつかる寸前の距離で止まった。
「どうされましたか坊っちゃん」
「ウィノラがいないんだ、部屋から出したのか? あれほど内密にと言ったはずだぞ!」
「ウィノラ様ならちゃんとお部屋におりますよ」
「それがいないんだ! どこにいるって……」
その時、奥の扉が開いてガウンを巻いたウィノラが出てきた。長い髪は濡れ少し波打っている。上気した肌と頬に視線が奪われた瞬間悲鳴が上がった。
「すみません! こんな格好で! 誰もいないと思っていたので」
慌てて今来た部屋に戻ろうとするその奥からガティネがひょっこりと顔を出した。そしてサシャを見るなり顔を青褪めさせ、ガウン姿のウィノラに抱きついた。
「駄目ですサシャ様! ウィノラさんはそれはお綺麗ですし、私などよりもきっと上手にサシャ様のお相手をされるのでしょうけれど、それでも駄目ですよ!」
最後の方は泣き出すようにガティネがウィノラにしがみついている。するとひょいっとサシャがガティネを引き離された。
「大事なお客様になんという事をしているのですか。こちらに来なさい、お仕置きですよ」
「え、サシャ様のお仕置きですか?」
「顔を赤らめないでこちらに来なさい」
その瞬間、サシャの後ろから部屋に飛び込んできた女性に誰もが言葉を失って立ち尽くした。
ライナーと同じ燃えるような髪色が高い位置で結い上げられ、大きな瞳は少し上がっている。強い意志を感じる薄茶色の瞳はウィノラを真っ直ぐに捉えていた。首元まで詰まったブラウスと女性にしては珍しいスラックス姿が元々の体型を更に美しく映えさせている為、美しい女性を見飽きていたウィノラでさえも見惚れてしまった。その女性は勢いよく距離を詰めて来るとまじまじと見下ろしてきた。
「お兄様が連れ込んだ女はあなたね?」
「連れ込んだ?! 誤解です!」
「ちゃっかり湯浴みまでしちゃって、これからお兄様を誘惑する気なのは分かっているんだから!」
「リディア、ちゃんと説明するからそう威嚇するんじゃない。すまないウィノラ」
「お兄様ったら呼び捨てなの?! もうそんな仲なのね? まあ確かに綺麗?というよりは可愛くはあるけれど、それでもお兄様には婚約者がいるじゃない!」
「このお方はもしかして妹さんですか?」
「そうに決まっているでしょ! 今の話の流れで妹以外のなんだっていうのよ! 私がいるうちは絶対にお兄様には指一本触れさせないんだから!」
「落ち着けと言っても無理だろうから……ガティネ!」
サシャの横で心底嫌そうな顔をしたガティネはリディアの腕を引いた。しかしそれは振り解ける程に弱々しいものだった。
「それをどっかに連れて行け。しばらく戻って来るんじゃないぞ」
「しばらくって二人で何をするつもりよ?! お兄様!」
「えぇ、これからサシャ様のお仕置きがあるんですが……」
それぞれに勝手な事を言いながら騒いでいる者達の背を押すように部屋から出すと、ライナーは扉に手を突いて大きな溜息を吐いた。
「えっと、とりあえず着替えて来ます!」
「騒がしくてすまない。ゆっくりで構わないからそこのソファで待たせてもらうよ」
ライナーはソファに座ってはみたものの、衝立越しに聞こえてくる衣擦れの音に耐えきれず、勢いよく立ち上がった。その時、衝立の後ろから着替えを済ませたウィノラが出てくる。一人でも着られる簡素なワンピースを着ていてもどこか美しく見え、とっさに顔を逸していた。
「お待たせし申し訳ありません」
「いや、こちらこそ急かせてすまなかったな」
「ガティネさんがお湯を準備下さってとても助かりました」
「ガティネはどうだ? 不便はないか? あの通りそそっかしい所もあるが真っ直ぐな良い侍女だと思っているんだが」
「私もガティネさんが好きですよ」
「それは良かった。それで、君はガティネの容姿をどう思う?」
ウィノラは最初聞かれている事が分からなかった。
「見ての通りガティネは異国の血を引いている。恐らく今はもうない、帝国に飲まれた小国の血だ。もうほとんど残ってはいないが、たまにガティネのように肌の色や髪の色が濃く生まれる者もいるという。そういった者達がどういう扱いを受けてきたかは知っているだろう?」
「奴隷や安い賃金で労働していると聞いた事はあります」
「傭兵や食うに困って盗賊になる者達もいる。そのような悪循環が更に差別を生んでいくんだ」
消え去った小国。ウィノラが住んでいる高級娼館が立ち並ぶ一帯は比較的豊かな者達が住む土地で、ただ単に出会った事がないからこそ純粋にガティネが綺麗だと思えたのかもしれなかった。
「平民の私にもとても良くしてくれますし、もちろん肌や髪の色で差別される事はあると思いますけど、それは娼館で働く私達も同じですから」
「……君は今まで差別されていると感じて来たのか?」
ライナーの視線は驚いているようだった。娼館に生まれた者は皆娼館に関わる仕事に就く。それが当たり前で選択肢などない。それに、一歩娼館を出れば否応なく女性達からは不躾で嫌悪に満ちた視線を受けるのだ。それは性を商売にしているのだから当たり前だと分かっていても、何も感じない訳はなかった。
「差別されていないと感じない時なんてないですよ。それでも同情はお断りです、私達は娼館の仕事に誇りを持っていますから」
「そうだな。でもまた皆元通りにというのは難しいだろう。近々オーティス殿下が迎えに来るだろうから少しの辛抱だ」
「私だけ安全でも意味がないんです。家族が捕らえられているのに自分だけ安全な所に行ける理由がありません」
「だが、オーティス殿下と一緒に居られるんだぞ」
「? そうですが今更うまくやっていける訳……」
言い掛けて設定を思い出し、思わず口を噤んだ。
「上手くいっていないのか?」
「上手くいってますよ。それはもちろん、はい」
「俺から見てもオーティス殿下はウィノラを大事にしようとしているのは十分に伝わってきている。そうじゃなかったら他の男に任せたりはしないだろう?」
「……そもそも恋人じゃないから平気で任せられるんですよ」
「何か言ったか?」
「いえ何も! それより先程のリディア様は大丈夫でしょうか。随分お怒りのようでしたが」
「ああやって騒ぎ立てるのが通常だから別に怒っている訳じゃないんだ」
気にするまいと思っていたが、一度考えると頭の中が一杯になってしまう。意を決してライナーを見た。
「……ライナー様にも婚約者がいらっしゃるとか」
するとその瞬間、ライナーの表情は明らかに強張った。
「ウィノラが気にする事じゃない」
「ですがもし本当ならこんな風に二人きりで会うべきではありません。お相手に申し訳ないです」
「まだ婚約者候補であって正式なものではないんだ。それに今はそれどころではないだろ」
「でも私なら、やっぱり嫌だと思うんです」
「もしオーティス殿下に婚約者が出来たらどうする?」
「オーティス殿下にですか? いつかはそうなるとは思いますけど。皇子ですし」
「随分さっぱりしているんだな。相手が皇子であろうと客は客という事か」
「別にそういう意味ではなく……」
「すまない。部外者の俺がとやかく言う事じゃなかったな」
それは暗に、だからこちらも婚約者の事について言及してくるなと言われているようだった。
「やっぱり私家に帰ります。皆も心配しているでしょうし、今すぐにどうこうなる事でもないと思うので、もし捕まりそうなったらその前に皆でなんとか逃げます」
しかしライナーからの返事はない。不安になってライナーを見ると金色の瞳が逸らされた。
「何かあったんですか?」
「……何を見てもここに帰ると約束してくれるか?」
「どうしてそんな事言うんです。不安になるので止めてください」
しかし今度は先程逸らされた瞳が真っ直ぐにこちらに向き、ウィノラは跳ねる心臓を押さえるようにとっさに手を当てた。
「着いて来てくれ」
「どこに行くんです?」
「ヒュー娼館に連れて行く。だが先程も言ったがここに戻ると約束してくれ」
「何かあったんですか?」
「見た方が早いだろ」
フックス家の馬車に乗り、ガティネの服を借りて到着したのは生まれ育った家があるはずの場所だった。
帝都で栄華を極めたヒュー娼館はどこにもなく、焦げた臭いが充満し、燻る煙を出しながら立派だった娼館の門は崩れていた。大事な思い出の詰まった我が家は無惨にも黒化した瓦礫の山と化していた。
「何があったの……」
飛び出そうとする馬車の中でライナーに後ろから抑え込まれる。力強い腕の力に抗い腕に爪を立て、滅茶苦茶に身体を動かした。何にぶつかっているのか、どこが痛いのかも分からない。それでも腕の力が緩まる事はなかった。道行く人が馬車の揺れに視線を留めていく。それでも薄いカーテンが引かれた公爵家の馬車の中を覗き込もうとする命知らずはいない。しばらくしてウィノラはずるりと力が抜けて項垂れた。
「大規模な魔女捕縛が行われたんだ。娼館が焼かれる前に女将達が皆を逃したと聞いているから、館は残念だったが心配するな」
「心配するなですって? 家が焼かれて家族の行方が分からないのに心配するななんて出来る訳ないじゃない! 誰も捕まっていないって、死んでいないって言えるんですか!」
「女将は自ら捕まってバラードを守ってくれた。そうじゃなければバラードが捕らえられていた」
「それならアディが殺されるわ! 絶対に殺されちゃう!」
「魔女ではないと証明が出来ればいいんだが」
「そんな事しなくたって捕らえた者達を殺して一掃する気なのよ! 早く助けに行かないと!」
「逃げた娼館の者達の行方はこちらで追うからウィノラは屋敷に戻るんだ」
「ライナー様も本当は魔女が憎くいんじゃないですか?」
「帝都の人々はもう魔女の事なんてなんとも思っていないさ。第一、魔女なんてどこにいるっているんだ? 誰も出会った事などないのに、どうやったら憎しみを持ち続けられるのか教えて欲しいくらいだよ。なぜ今国力を割いてまで魔女だと騒いで女性達を捕らえているのか全く訳が分からないんだ!」
その瞬間、帝都中に大きな鐘が鳴り響いた。腹の底に響くような重苦しい鐘が何度も何度も帝都に響き渡っていく。
「まさか、帝都に近づいているのか? 前線部隊はどうしたんだ!」
「どういう事です?」
「エミル王国が攻めてきたらしい」
外から扉を叩く音にライナーは鍵を開けた。
「ライナー様! 避難を知らせる鐘です!」
「もちろん聞こえている。父上からの伝令が来ているかもしれないから屋敷に……」
ウィノラはライナーの背を押し退けると馬車から飛び降りた。
「ウィノラ! 待て!」
「ライナー様! すぐにお屋敷に戻り下さい!」
「お前は先に屋敷に戻ってサシャに帝都に置いている部隊の準備を進めるように伝えろ!」
「お待ち下さい! ライナー様どちらにッ!?」
ライナーはウィノラの消えた後を追って走り出した。
「陛下、アイテル軍団の後発部隊の準備が整いました。私兵を持つ家門にもすでに早馬を出しております。各砦にて落ち合う手筈になっております」
「今から出陣する部隊はガリオンに指揮を執らせよ!」
少し前、早馬がもたらした悲報は信じがたいものだった。
タシェ子爵率いる先発部隊の全滅。
これで前線は壊滅状態にあると言わざるおえなかった。帝都に着くまでも幾つか防衛線はある。しかしそもそもエミル王国が前線を突破するとは考えていなかったギルベアト帝国は、まだ防衛線に十分な兵力を向かわせてはいなかった。
「やはり魔女なのか」
「陛下! まだそうお考えになるのは時期尚早です! タシェ子爵は半数以上の師団を引き連れて行ったのですよ? 全滅ではなく一部が突破されたと考える方が現実的です」
「ローズ侯爵がそう思いたいのも分かるが、エミル王国が我が軍よりも強かった。それだけの事だと思うぞ。フックス公爵は私に着いて来い。ガリオンには出陣を待つように伝えておけ」
「待つとは?! もうそこまでエミル王国の軍勢は迫っているのですよ? 陛下!」
ルシャードはそれ以上は何も言わず部屋を出ていくと、地下牢へと続く階段を降り始めた。
「あの絵を見つけた時はまだあそこまで朽ちてはいなかった。破り捨てたのはお前だな?」
「だとしたらどうされますか?」
「……今はもう失われたあの絵には極彩色の瞳の魔女が描かれていた。その魔女が、祝福を与える魔女とは別に王に剣を渡していた。真の統治者とは二人の魔女に祝福を得た王の事なのだろう。お前は“真の統治者”を望んでいるのかいないのか、私にはもう分からん」
「望んだ時もありました。この国に必要ならと。ですが望むあまり私達は大事な者を失ってしまった。望まなければ今もそばにいたはずです」
「……お前は昔からそうだった。いつも私の成す事全てが気に食わぬのだ」
フックス公爵は拳を握り締めたがそこで階段は終わり、地下牢へと続く道へと出ていた。
「ウィノラ! 待て! 待つんだ!」
人並みを押し退け皇宮の門前に辿り着くと、皇宮の門前には兵士達がすでに出撃の準備をしているようだった。その中で銀の鎧を付けた一際目立つ兵士が目に入る。その兵士は誰かと口論しているようで、馬を横にしてもその身体の大きさは他を圧倒していた。ウィノラがその兵士めがけて進もうとした瞬間、腕を捕らえられた。
「ウィノラ! いい加減にしろ! 屋敷に戻るぞ」
「話して下さい! アディの所に行かなくちゃいけないんです!」
「だから危険だと言っているだろ!」
兵士達は何事かとピリつく視線でこちらを見てくる。その時、兵士達の間を先程の大きな体の兵士が近づいてきた。
「良いご身分だな! こんな時まで女の尻を追いかけているとは、今から帝国の為に戦いにいく兵士達に悪いとは思わないのか? ライナー・フックス!」
「ウィノラ戻ろう」
「行けません!」
「なんだこの女は。ちゃんと躾けておけ」
「ウィノラ帰るぞ。さすがに兵達の邪魔になってしまう」
「お願いですからアデリータの所に連れて行って下さい!」
ウィノラは腕を引かれたままそう叫んだ。途端に興味なさ気だったガリオンの表情が鋭く変わった。
「お前まさかあの娼館の生き残りか?」
「この者は関係ありません。ウィノラ行こう」
「そうだと言ったらアデリータ達の所に連れて行ってくれますか」
「魔女だと認めたらいくらでも連れて行ってやるよ」
「ウィノラ、信じるな!」
しかしウィノラは真っ直ぐにガリオンを見上げた。
「私は魔女です。だからアデリータの所に連れて行って下さい」
「ははッ! いいのか? お前には堪えられないような拷問が待っているかもしれないぞ?」
怯みそうになる足に力を入れると、ウィノラは小さく呟いた。
「レン、ここに来て」
ずっと気配の感じられなかったレンの気配がここに来て微かに感じられる。まるで深い眠りから覚めるように重く、だるそうに、それでもむくりと起き上がる感覚が手に重なるように感じる。ウィノラの前に渦巻くように沸き起こった煙が次第に形を成していく。そしてウィノラよりも大きな姿の狐が姿を現した。輪郭は風に揺れている。そしてキラキラと光を放っていた。
「今までどこに行っていたの? 気配を消していたわね」
“ずっとエデルに力を吸い取られていたんだよ。あいつならもう大丈夫だぞ。もう本来のエデルだ”
レンの姿もレンとの会話も誰にも聞こえてはいない。それでもレンの気配は圧倒的だった。ガリオンは身震いをすると、見えない宙に向かって剣を抜いた。
「なんだこれは。何をしたんだ」
「今ここには私のフェッチがいます。でも危害を加えるものではありません。お願いですからアデリータの所に連れて行って下さい」
ガリオンは剣を降ろすと、嬉しそうにウィノラの腕を掴んだ。ライナーももう片方の腕を更にしっかりと掴んでくる。しかしふわりとした何かに弾かれたようにその手は突如として離された。
「ライナー様、今まで騙していて申し訳ありませんでした」
そう言ったウィノラの姿があまりに真っ直ぐで、ライナーは何も言う事が出来ないまま伸ばしかけた手は宙をかいた。
「父上! 力を持つ魔女を捕らえました!」
連れて来られたのは皇宮のきらびやかな一室。しかしそこには見覚えのある男性が驚いた表情で立っていた。
「皇帝陛下なら地下牢へ行かれましたよ」
側近がそう言った瞬間、ガイナスはウィノラを掴む手に力を込めた。
「一人で向かわれたのか?」
「宰相様とご一緒です。その脇に抱えていらっしゃるのはどなたでしょう?」
「こいつは魔女だ」
「ま、魔女?」
ガリオンはそう言うと、どんどん歩き出してしまう。側近はゆっくり後退しながら青褪めた顔で走り出していた。
「大変だ、第二側妃様にお伝えしなければ……」
「ローズ侍女長にお目通り願います」
呼吸を整え緊張をなんとか隠しながらも、掌は汗で濡れていた。しばらくして現れたのは不機嫌そうなローズだった。ローズは到着するなり側近の顔を睨み付けた。
この男はウィノラが生まれた夜にたまたま陛下から遣わされた従者だった。結局は皇宮で動く手足も必要だと判断しリナが配下に置いた者で、リナのおかげで出世出来たと言っても過言ではない男。
「お約束をお忘れのようですね。こちらが呼ばない限り接触はしない、そう決めたはずですが」
「私だって来たくて来た訳じゃありませんよ。ガリオン殿下があの女性を連れて行ってしまいました」
「女性? 誰の事です?」
「私が案内した女性ですよ! あの舞踏会の夜にここに連れてきた女性です! ガリオン殿下は魔女だと仰っておりました。嘘ですよね? 魔女なんかじゃないですよね?」
その瞬間、ローズは側近の喉元を掴み上げていた。
「完結に素早く報告して下さい」
「で、ですから、殿下が陛下の元に魔女を捕らえたと連れて来られたのです」
「どちらに向かったのですか?」
「地下です。魔女を捕らえている地下牢に陛下が宰相様と共に向かわれていたので、その後を追って行かれました」
するとローズは深い溜息を吐いた。
「あなたはもう結構です。教えて下さってありがとうございました」
「私はもう行っても大丈夫ですか? 本当にもういいです?」
ローズは一瞥するともう背を向けていた。
「リナ様、ウィノラ様がガリオン殿下に捕らえられ、どうやら魔女だと知られているようです」
自室のベッドで眠っているエデルの髪を撫でていたリナは表情を変えないまま頷いた。
「ウィノラのフェッチが消えたからどうしたのかと思っていたけれど、そう……」
「地下には陛下とフックス公爵もいるそうですがどうされますか」
「恐らくエミル王国の勢いに対抗する為、魔女を探しに行ったんでしょう。それにしてもまさかお兄様があの石に手を出すなんて思いもしなかったわ」
「わざわざリナ様がご身分を隠され魔女達の為に帝国へ嫁いだというのに、攻め入るなど無謀な事をッ」
「お兄様は魔女を虐げるこの国を憎んでいらしたから、きっかけさえあればありえる事だったわ。対策を取らなかった私のせいね。でも今は考えても仕方がない。陛下は“真の統治者”にこだわっていらっしゃる。逃したはずの娘が今になってこんなにも頻繁に現れるようになるなんて、陛下はどんな顔をして対面するのかしら」
「リナ様! このままではウィノラ様が危険です!」
「本当はもう少し眠らせてあげたかったのだけれど。エデル? 起きられる?」
するとエデルは眠い目を擦りながら目を開けた。その瞳を見た瞬間、ローズは言葉を失った。
エデルの瞳は極彩色に輝いていた。
「どういう事ですか、リナ様……」
「魔女の血を引いた男児よ。魔女は女にしか遺伝しない。それでも遥か昔は魔女に性別は関係なかったとと聞いたわ。本来“魔女”は力のある者を指す言葉であって、性別縛りはないのよ」
「そのような事は私は初めて聞きます」
「これは代々フェッチから教えられる事だからね。フェッチは脈々と伝えられる魔女の力。親から子へ時代を超えて伝わる記憶そのものよ。そうしてフェッチは長い間、魔女の歴史を語り継いできたの」
「それはエミル王国の王室の血筋でしょうか。それともフェッチを顕現出来る魔女ならば知っている事なのですか? ウィノラ様も?」
「ウィノラのフェッチはおそらくまだフェッチに主導権があるようだから、恐らく知らないわね。ウィノラのフェッチはエデルを治そうと集中していたようだし」
「母上、エデル! すぐに避難を……」
部屋に飛び込んできたオーティスはエデルを見ると言葉を失った。
「エデル、その目はどうしたんだ。……母上?」
「この子は“真の統治者”を選ぶ鍵として生まれてきたのよ。そして私はその鍵を産む為に帝国に嫁いできたの」
「何を言っているんです。エデルはあなたの息子でしょう。そんな物みたいに言わないで下さい」
「エデルだけじゃない。ウィノラもそうなのよ。そしてどれだけ足掻こうと宿命は二人を導くんだわ」
「母上しっかりして下さい! 今すぐに逃げましょう。ウィノラも迎えに行きますから!」
「オーティス殿下、ウィノラ様は捕らえられ地下牢に連れて行かれました!」
「逃れられないのよ。真の統治者が誕生しない限り魔女は永遠に虐げられ続けるの。あの子達は魔女達の希望になるの」
「ッ、ウィノラを助けに行くので母上とローザは安全な所に……」
「それでは帝国は滅びるわよ! あの国は魔女の力を増幅させて帝都を破壊する為に向かっているの」
「増幅? 母上、何をご存知なのですか」
「あの国は魔女誕生の地なの。だからあの国にある魔女の墓を暴けば、魔女の力が結晶化された物がゴロゴロと出てくるわ」
「その結晶化された物をどうするのです」
「魔女に与えるのよ。力を与えられた魔女は過分ゆえに絶えられずに命を落とすはずだわ。帝都で亡くなったという女はおそらくエミル王国でその魔石を与えられたんでしょう」
「死ぬと分かっていてそんな事をするなんて」
「オーティス、止められるのは“真の統治者”だけなの。私は真の統治者を選ぶ者を産む為に後宮へ入ったの。それがフェッチの言葉だったから。フェッチの言葉は先祖の言葉よ。私達が変えて良いものではないわ!」
「それならなぜ母上はウィノラが生まれた時に逃したのですか? そんな宿命から逃そうとしたのではありませんか?!」
リナは唇を強く噛み締めた。
「私は姉弟を必ず逃してみせます」
オーティスが部屋を出た瞬間、目の前には騎士が立っていた。
「陛下がエデル殿下をお呼びです」
「エデルは具合が悪いんだ。少し休ませたら連れて行くとそう陛下に伝えてくれ」
「必ずお連れするようにとのご命令です。もし抵抗するようなら武力による行使の許可も出ております」
「……分かった。その変わり私も共に行く。それだけは譲れない」
「かしこまりました」
「お兄様……?」
「大丈夫だ、しっかりと捕まっているように」
不安そうな表情のエデルは、オーティスの首に腕に回すように手を伸ばした。
騎士達がオーティスとエデルを連れて部屋を出ていく。ローザはリナの腕を激しく揺さぶった。
「殿下方が行ってしまわれます! リナ様!」
「……いいのよこれで。心のどこかでこうなる事を望んでいたのかもしれないわ。だから私はフェッチからの言葉にはなかった“空白の時期”にあの子を産んだのかもしれない。フェッチの言葉はもう長らく聞いていないの。きっともっと伝えたい事もあっただろうに」
リナの周囲には小さな鈍い光が不規則に浮遊しているだけだった。
「お時間が残されていない事は重々承知しております。ですが陛下はあの時、魔女であるリナ様の助言を聞き入れ、後宮にお迎えになられたのです。必ず“真の統治者”になろうとされるでしょう」
「……陛下は私を受け入れる為に最愛の人をお諦めになられたのよ。エミル王国との戦争に行かれる直前、本来ならジェニー様を側妃にお迎えになられるはずだったのに、戻られたら私を迎え入れるお約束をしたが為に、ジェニー様は他の方の元へ嫁がれてしまわれたわ。そしてお心を弱らせた中のご出産で帰らぬ人になってしまった」
「出産で命を落とす事は珍しい事ではございません! 現にリナ様もお命を削ってお子をお産みになられました!」
「罪滅ぼしのようにジェニー様のお子を気に掛けた所で所詮私は偽善者なのよ。きっとジェニー様も笑っていらっしゃるわね。妊娠中ライナー様にお子をお嫁に下さいと言われた時、心臓が止まるかと思ったの。まるでジェニー様に言われたようだった。陛下を奪った私に子をくれと言われた気がしたの」
「ライナー様はリナ様を慕っていらしたからそう仰ったのです」
リナは虚無を見つめるように首を振った。
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