大好きなあなたを忘れる方法

山田ランチ

文字の大きさ
18 / 48

18 秘密の温室へ

しおりを挟む
 夜の学園。
 門の前に立ち、メリベルは二の足を踏んでいた。

「行って来るわ。ここで待っていてね」
「もちろんですとも。例え朝になろうとも一歩も動かずにお待ちしております」
「それは駄目よ。生徒達に見られたら面倒だわ。朝になるようだったら一度帰って頂戴」
「それならお嬢様はどうされるんですか?」
「先生はあそこに住んでいるみたいだから色々準備されているだろうし心配ないわよ」
「お嬢様! 幾ら学園内とはいえ結婚前のご令嬢が異性と同じ部屋に泊まるなどあってはなりません!」

 真夜中の学園前でひとしきりやり取りをした後、メリベルは息を整えた。

「それじゃあ行って来るわね」

 二回目の行って来ますを言うと門を越えた。
 すんなりと入れた学園は気のせいかうっすらと寒い気がした。

「きっと気のせいよ。夜だからね、大丈夫大丈夫……」

 自分に言い聞かせながらゆっくりと歩いて行く。温室のある場所は校舎の裏。こうして歩いてみると校舎の裏というのは遠過ぎる気がする。中廊下を過ぎ、園芸室の前を通り、校舎をぐるりと回っていく。風が木々を揺らし、窓硝子がカタカタと一斉になっている前を薄目で足早に通り過ぎた。

 未開の温室。

 何人もの生徒達が入室を試みては返り討ちになっている温室。こうして夜に見上げると、暗い中にぼんやりと白く大きな建物があるのは恐ろしく思えた。外からは何も見えない。どこから入ったらいいのか周囲をウロウロしていると、目の前に突如扉が出来た。

「何してんだ、さっさと入れ」
「入るも何も入り口がなかったんです」
「誰にも見られていないだろうな?」
「校舎に誰もいなければ見られていませ……」

 そう言いながら温室内を見た瞬間、メリベルは言葉を失っていた。
 とてつもなく広い空間。天井はかなり高く、やはり思っていた通り巨木が中央に一本立っていた。そうでなくてはあの高さは必要ないだろう。
 花壇などはなく、一面に草花が咲き誇っている。一角には研究する場所なのか遮られる事なく椅子や机、管に繋がれた硝子瓶、秤に桶、薬草に、花弁が一杯に詰められた麻袋があった。そして外は夜だというのに、温室の中は小春日和のように暖かく適温で明るかった。

「こっちだ」

 今日は綺麗な上着でも汚れた白衣でもない。ただのシャツにゆるいズボンという格好だったが、顔を隠す事はもう止めたのか、前髪が上で結ばれていた。

「ここに座れ。まぁ楽にしてろよ」

 とっ散らかっている机の上で何も書いていない紙を引っ張り出すと、徐ろに円を描いていく。更にその中に逆三角形を描き、その三隅に予言の女神のシンボルを描いていく。そして仕上げとばかりに紙に何事かを呟きながら息を吹き掛けた。

「魔素はな、人の負の感情が好きなんだ。負の感情が多ければ多い程吸い寄せられると言ってもいい。と言われると、じゃあ魔術が扱える者は皆負の感情が強いのかと思われがちだが別にそうじゃない。第一に僕がそうじゃない」

 そう自身満々に言う先生を見ていると本当にそう思えてくるから不思議だ。

「自分で調整出来るのが一番だが、難しい時の方法として魔廻を小さくするという方法がある。それはすなわち記憶を無くしていく方法だ」

 メリベルは絶句した。記憶を無くして生きていけるのだろうか。どんな過去でも些細な幸せでも、それらが自分を形成していると思っていた。

「別に記憶喪失になるって訳じゃないさ。お前の中にある負の記憶を消していくんだ。ただしそれがどれかは僕にも分からん」
「……その負の記憶を消していったら、大事な記憶もなくなったりはしませんか?」
「あるいはそうかもな。中には悲しくても忘れたくない事もあるだろう」
「記憶を無くしていけば魔廻が小さくなって、そうしたらお母様の事を考えて不安になる事も、魔術を使う事もなくなるんですか?」
「どんな風に作用するかは人によるが、魔術が使えなくなる訳じゃない。そもそもお前の使い方が他の生徒と違うのは自分でも分かっているだろ? お前は魔素に頼り過ぎているんだよ。だから勉強も出来ないんだ」
「それとこれとは関係ないです!」

 少し笑った所で気持ちが随分軽くなった気がする。先生が描いた紙を覗き込んだ。

「この紙を使ってお前は過去を見られる。消したい過去が見つかったら、自らの意志で“鍵”を使い過去を手放していくんだ。そうして魔素が溜まりやすい場所を小さくしていく。その対価としてお前は記憶を失っていく。記憶が戻らないようにその“鍵”は僕が預かろう」
「少し考えさせて下さい。お父様にも相談してみます」
「今回の薬の件でお前の魔廻が損傷している事はほぼ確定だ。その状態で魔術を使い続ければ、いずれ魔廻は壊れて溜め込んだ魔素が暴走するぞ」

 ぞっとする言葉にメリベルは身を小さくした。

「まあな、すぐにどうこうなるもんでもないだろうから少し考えろ。どれ、せっかくだから温室の中を案内してやろうか」

 この温室では季節に関係なく育てたい薬草の栽培が出来るようで、まるで花畑にいるような気分になってしまう。今が夜だという事も忘れてぼんやりと佇んでいると、勢いよく先生が仰向けになった。

「先生! 花達が潰れてしまいます!」
「よく見てみろ」

 先生が仰向けに寝転んだ場所は、丁度草の上。深呼吸する先生は気持ちよさそうに目を瞑った。

「ここは僕は昼寝の場所用に作った芝生だ。特別に許可してやるからお前も寝てみろ」

 本当に気持ちよさそうに寝転んでいるものだがら、メリベルも真似してみたくなり、そっと芝生の上に横になってみた。初めての感覚だが心地よいチクチクとした刺激と、少し弾力のある寝心地にメリベルは同じように深呼吸をしていた。

「気持ち良いです」
「だろ? ここは外の音も遮断されているし、天候も思いのままだ」

 そう言うと周囲が次第に暗くなっていく。そしていつの間にか薄闇に変わっていた。

「暗くなったら眠くなるので明るくして下さいよ」
「……お前は記憶がそんなに大事か?」
「先生だって忘れたくない事くらいあるでしょう? それが例え悲しい事でも」

 突然の質問にふと横を向くと、緑色の綺麗な瞳と目が合った。

「先生の目って綺麗ですよね」
「それを言うのはお前で二人目だ。普通は嫌がる、魔物の瞳の色だから。僕は悲しい事なら覚えていたくない。心を蝕むだけだろう?」

 そう言って先生は目を瞑ってしまった。


「だから言ったんですよ! 暗くしたら眠くなるって! 先生のせいですからね!」

 メリベルは慌てて身支度をすると温室の扉をそっと開いた。まだ裏庭には誰もいない。メリベルが擦り抜けると、後ろから先生が紙を差し出してきた。

「試してみたくなったらやってみろ。その代わり、一枚につき一つの記憶だ。鍵を掛けたならこの紙に包んで僕の所に持って来い。そしたら次の紙を渡してやる。いいな?」

 メリベルは用紙を受け取るのを躊躇ったが、結局は受け取った。先生は大欠伸をしながら再び中に戻って行こうとする。その腕をとっさに引いた。

「また温室に籠もるんですか?」
「お前のいびきが煩くて眠れなかったんだよ」
「わ、私はいびきなんてかいていませんッ!」

 先生は楽しそうに笑うと温室の扉を閉めてしまった。するとスッと扉は消え、再び出入り口の分からない温室に戻っていく。メリベルは紙を綺麗に畳むとポケットの中に押し込んだ。そしてメラニーの待つ門へと向かった。

「アップルパイちゃん……?」

 校舎の裏からその光景を見ていたマイロは、その場をゆっくりと後退り、離れて行った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、 幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。 父に褒められたことは一度もなく、 婚約者には「君に愛情などない」と言われ、 社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。 ——ある夜。 唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。 心が折れかけていたその時、 父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが 淡々と告げた。 「エルナ様、家を出ましょう。  あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」 突然の“駆け落ち”に見える提案。 だがその実態は—— 『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。 期間は一年、互いに干渉しないこと』 はずだった。 しかし共に暮らし始めてすぐ、 レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。 「……触れていいですか」 「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」 「あなたを愛さないなど、できるはずがない」 彼の優しさは偽りか、それとも——。 一年後、契約の終わりが迫る頃、 エルナの前に姿を見せたのは かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。 「戻ってきてくれ。  本当に愛していたのは……君だ」 愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。

【本編完結】笑顔で離縁してください 〜貴方に恋をしてました〜

桜夜
恋愛
「旦那様、私と離縁してください!」 私は今までに見せたことがないような笑顔で旦那様に離縁を申し出た……。 私はアルメニア王国の第三王女でした。私には二人のお姉様がいます。一番目のエリーお姉様は頭脳明晰でお優しく、何をするにも完璧なお姉様でした。二番目のウルルお姉様はとても美しく皆の憧れの的で、ご結婚をされた今では社交界の女性達をまとめております。では三番目の私は……。 王族では国が豊かになると噂される瞳の色を持った平凡な女でした… そんな私の旦那様は騎士団長をしており女性からも人気のある公爵家の三男の方でした……。 平凡な私が彼の方の隣にいてもいいのでしょうか? なので離縁させていただけませんか? 旦那様も離縁した方が嬉しいですよね?だって……。 *小説家になろう、カクヨムにも投稿しています

せめて、淑女らしく~お飾りの妻だと思っていました

藍田ひびき
恋愛
「最初に言っておく。俺の愛を求めるようなことはしないで欲しい」  リュシエンヌは婚約者のオーバン・ルヴェリエ伯爵からそう告げられる。不本意であっても傷物令嬢であるリュシエンヌには、もう後はない。 「お飾りの妻でも構わないわ。淑女らしく務めてみせましょう」  そうしてオーバンへ嫁いだリュシエンヌは正妻としての務めを精力的にこなし、徐々に夫の態度も軟化していく。しかしそこにオーバンと第三王女が恋仲であるという噂を聞かされて……? ※ なろうにも投稿しています。

【完結済】政略結婚予定の婚約者同士である私たちの間に、愛なんてあるはずがありません!……よね?

鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
「どうせ互いに望まぬ政略結婚だ。結婚までは好きな男のことを自由に想い続けていればいい」「……あらそう。分かったわ」婚約が決まって以来初めて会った王立学園の入学式の日、私グレース・エイヴリー侯爵令嬢の婚約者となったレイモンド・ベイツ公爵令息は軽く笑ってあっさりとそう言った。仲良くやっていきたい気持ちはあったけど、なぜだか私は昔からレイモンドには嫌われていた。  そっちがそのつもりならまぁ仕方ない、と割り切る私。だけど学園生活を過ごすうちに少しずつ二人の関係が変わりはじめ…… ※※ファンタジーなご都合主義の世界観でお送りする学園もののお話です。史実に照らし合わせたりすると「??」となりますので、どうぞ広い心でお読みくださいませ。 ※※大したざまぁはない予定です。気持ちがすれ違ってしまっている二人のラブストーリーです。 ※この作品は小説家になろうにも投稿しています。

これ以上私の心をかき乱さないで下さい

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。 そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。 そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが “君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない” そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。 そこでユーリを待っていたのは…

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

もう何も奪わせない。私が悪役令嬢になったとしても。

パリパリかぷちーの
恋愛
侯爵令嬢エレノアは、長年の婚約者であった第一王子エドワードから、公衆の面前で突然婚約破棄を言い渡される。エドワードが選んだのは、エレノアが妹のように可愛がっていた隣国の王女リリアンだった。 全てを失い絶望したエレノアは、この婚約破棄によって実家であるヴァルガス侯爵家までもが王家から冷遇され、窮地に立たされたことを知る。

あなただけが私を信じてくれたから

樹里
恋愛
王太子殿下の婚約者であるアリシア・トラヴィス侯爵令嬢は、茶会において王女殺害を企てたとして冤罪で投獄される。それは王太子殿下と恋仲であるアリシアの妹が彼女を排除するために計画した犯行だと思われた。 一方、自分を信じてくれるシメオン・バーナード卿の調査の甲斐もなく、アリシアは結局そのまま断罪されてしまう。 しかし彼女が次に目を覚ますと、茶会の日に戻っていた。その日を境に、冤罪をかけられ、断罪されるたびに茶会前に回帰するようになってしまった。 処刑を免れようとそのたびに違った行動を起こしてきたアリシアが、最後に下した決断は。

処理中です...