大好きなあなたを忘れる方法

山田ランチ

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20 壊れていく関係

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 よくよく考えてみれば、今いる場所は絶対に足を踏み入れる事が出来ない場所だった。

 王城にある魔術塔。

 魔術師を率いる魔術団の本部がある場所であり、その最上階に住むのは他でもない先生ことイーライ、大魔術師。部屋を出て数歩でそれを実感した瞬間、震えが止まらなくなってくる。もしこのローブを被っていなかったらきっとすぐに兵士達に止められていたに違いない。しかし特に見られる事がなかったのは、誰もが大魔術師に目が向き、引き連れていた弟子など気にも留めなかったのだろう。第一、大魔術師が連れている者を誰が足止め出来ようか。
 魔術塔で有名な空中廊下を通るとメリベルでさえ興奮してしまう。周囲も足元もうっすらと透けている。でも外からは見えない。外から見れば、塔と王城を繋ぐ物は何もないように見えるから不思議だ。遠目から見た事はあったが、まさか自分がこの場を通る事になるとは思いもしなかった。下を見て足が竦まないように先生の背中だけを見つめながらローブをきつく握り締めた。
 王城内に入って行くと、先生は本当に大魔術師なのだと思わずにはいられない場面が何度もあった。先生が歩く度に高位の官僚達でさえ頭を下げていく。使用人達に至っては、先生が通り過ぎるまで絶対に顔を上げようとはしなかった。

「あと少し我慢な」

 囁く声に返事が返せない。ローブは長くて重いし視界が極端に悪い為、そう長くない距離でさえ辛く感じてしまう。しかし次第に見慣れた廊下の模様になっていくと周囲が分かり始め、自然と足取りも軽くなっていった。メリベルがずり落ちそうなローブの裾を手繰り寄せた瞬間、聞いた事のある声が後ろからした。

「イーライ殿」

 びくりと止まったメリベルをよそに先生は立ち位置をさり気なく変えると、後ろに隠してくれた。

「ジャスパー殿下、これはどうも」

 王子相手にその挨拶は不敬に当たらないか内心ハラハラしながら聞き耳を立てていると、ジャスパーは特に気にしていない様子で更に続けた。

「二人で少し話せませんか?」

 離れるように言われているのだと分かり、メリベルは返事をする代わりに深く頭を下げた。

「これを使え。自由に馬車が使える」

 先生に渡された大魔術師の紋章が入ったペンを受け取ると、メリベルはすぐにその場を立ち去った。

「珍しく魔術師を連れているようですね」
「嫌だな、僕もたまにはちゃんと魔術師らしい事はしますよ」
「学園でばかり見かけるので、まさかこんな所で会えるとは思いもしませんでした」
「ジャスパー殿下、何か僕に用があるのでは?」

 ジャスパーは小さく咳払いをすると、イーライをまっすぐに見つめた。

「他でもないメリベルの事です。そろそろ園芸員から外してもらえませんか? メリベルはこれから公務も増えて大事な時期になります。勉学と公務をこなし更に園芸員までとなれば、負担がかからない訳がありません」
「殿下のご言い分も分かりますが、こういう事は本人の意思を尊重した方がいいですね。分かりました、早速今本人に聞いてみるとしましょう」
「ですがメリベルは出来ると言うに決まっています。ですから……今聞いてみると言いましたか?」
 
 ジャスパーは拍子抜けしたようにイーライを見た。

「メリベルに聞いてみるので失礼しても?」
「いや、これからだと遅くなるので明日にしてはいかがでしょうか?」

 ジャスパーは違和感を拾い集めていく。そして走り出していた。さっき歩いていった魔術師の後を追う。

ーー何故気が付かなかったんだ。あの背格好に頭を下げた時に一瞬見えた髪先。そしてイーライの言葉。

 ジャスパーは行き交う使用人達の間を縫うようにして王城の門を飛び出した。すでに馬車は走り出している。兵士が連れていた馬を半ば奪うように借り受けると、遠くなっていく馬車を追った。


 御者は後ろから物凄い速さで近づいてくる馬に気づき、とっさに馬車を止めた。
 メリベルは急に止まった馬車に驚き、小窓を開けて御者に声を掛けた。

「どうかしたの?」
「王城から伝令のようなので先に行かせます」
「分かったわ」

 小窓を閉めると馬の蹄の音が近づいてくる。緊急の知らせを持っていく王城からの伝令が優先されるのは当たり前の事。しかし馬の蹄は通り過ぎる事なくすぐ近くで止まった。メリベルは閉まっていたカーテンを少しだけ除けて覗くと、そこには馬を降りるジャスパーの姿があった。

「メリベル! 開けてくれ、メリベル!」

 メリベルはすぐに窓を下げた。

「ジャスパー様いけません。何かお話があるのなら週末に致しましょう」
「なぜイーライ殿といたんだ。王城にいるなら俺にも顔を見せに来るべきだろう?」

 その時、ヒュッと胃が冷える感覚がした。

「……恐れながら私達はそのように気安い関係ではないではありませんか」
「何打と?」
「学園でも挨拶はおろか、一緒に勉強する事も昼食を取る事もしませんよね。それなのに約束もしていないのにジャスパー様に会いに行く程、弁えていない女に見えますか?」
「そういう意味じゃない。ならどうしてイーライといたんだ? それにあの格好はなんだ。魔術師みたいだったじゃないか」
「王城を歩いていても変じゃないようにと先生がお部屋で貸して下さったのです」

 その瞬間、窓の縁がバンッと叩かれた。

「イーライ殿の部屋に行ったのか?」
「園芸室から繋がっているのです」
「学園からそのまま部屋に行けていたという訳か。それじゃあ今まで園芸室にいた時も部屋に行ったりしていたのか?」
「そんな訳ありません! 今日はたまたま疲れてしまって……」

 図書室でジャスパー達がいなくなるのを待って寝落ちしてしまったなど口が裂けても言えない。押し黙ると、ジャスパーはもう一度拳を振り上げて降ろした。

「……そんな事なら、大魔術師の婚約者になったらどうだ」

 息が止まる。ジャスパーもしまったとばかりに顔を上げたが、そのまま背を向けられてしまった。

「帰る所を止めて悪かった。話はまた今度しよう」
「私はジャスパー様が好きです」
「メリベル……」
「私はジャスパー様をお慕いしております! でもただ婚約者になったからという訳ではありません!」
「メリベル俺は……」

 メリベルは涙の溜まった顔でジャスパーを睨み付けた。ジャスパーは驚いたように言葉を止めた。

「今すぐにお返事は頂かなくて結構です。もし殿下も同じ気持ちなら、どうか卒業パーティーのダンスに誘って下さいませ。それまでは私はジャスパー様の婚約者です。誰が何と言おうと婚約者です!」

 早口で言うと、メリベルは小窓を叩いた。

「出して頂戴」
「ですが……」
「出して!」

 馬車はゆっくりと動き出していく。メリベルは馬車の中で涙を落ち着かせながら、家に飛び込んだ。


「おかえりメリベル……どうしたんだい!? 何があったんだ!」
「お父様、婚約を公にするのは一年延ばして下さい。お願いします」
「何があったのか話してくれないか? 王家との約束をこちらの理由で延期するのであれば、それ相応の覚悟が必要になるのだよ」

 絶対に出来ないとは言わない父親に、ジャスパーに言われた事を話す訳にはいかなかった。そうすればきっと家門を掛けてでも婚約破棄に動くに違いない。

「……魔術師になる為に勉学に励みたいの。でも打診してみてどうしても駄目だったらもう言わないわ。でも、もしかしたら一年後に婚約破棄されてしまうかもしれないけれど、それでも許してくれる?」
「そんなに嫌なら今すぐに止めたっていいだよ」
「そんな事したら家に罰が与えられるわ」
「私がなんとかするからお前はお前の望むようにしなさい」

 メリベルは涙を拭くと小さく笑った。その肩越しにはいつの間にか学園から戻って来ていたメラニーの姿があった。どんな時でも味方でいてくれる家族がいる。だからこそ、自分を不幸にするような決断をしてはいけない。

「ごめんなさいお父様、それとありがとう」

 父親の大きな手が頭の上に置かれた。

「大丈夫だよ、これでも長い事侯爵家当主をしているからね。お前の事も、この家も守ってみせるさ」

 メリベルは小さく頷いた。




「へえ、それが魔廻の一部から出来ると言われる“鍵”なんだ」

 温室でメリベルから渡されたという鍵を見せられた学園長もといノルン大公は、不思議そうに小さな鍵に見入っていた。

「おいこら、お前は触れるなよ。ただの鍵じゃない。魔廻を持たない人間が触れれば魔素にやられるのと同じだからな」

 出しかけた手を引っ込めたノルン大公は怖い怖いと言いながら鍵から離れた。

「そう言えば昔は蝶の姿じゃなかったかい?」
「あの時は漏れ出ては勝手に飛び回っていたから探すのが面倒だった。その点、成長するにつれて安定していっていたから安心してたんだけどな。でも視てみろ、死にかけている」

 イーライは温室の中央にある大木を見上げた。どこからどう見ても立派な木。しかしイーライにはまた別の姿が視えているようだった。

「視てみろって無茶振りじゃない? クレアボヤンズの力で言われてもね。先見の力を持つ者には何が視えているんだい?」
「……雷を受けたように縦半分に割れ、死ぬ大木の姿さ」

 ノルン大公はとっさに大木を見上げたが、今は青々とした葉と太い幹や枝があるだけだった。
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