そのハンカチ返してくださいッ!

山田ランチ

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5章 王都の街は怖い所

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 王都の街は広場を中心にして放射線状に道が整備されており、美しい景観を保っていた。街の至る所に想像上の生き物である竜の装飾があり、建物の雨樋のほとんどには竜の彫刻が施されていた。人々は賑やかに行き交い、食べ物の匂いがする通りに、明らかに高級店が立ち並ぶ道、馬車では通れない細道などがあり、田舎から出てきたイレネにはとても覚えきれない広さだった。

「っと、すまないね」

 振り返った時にはもう誰とぶつかったか分からない程の混み具合に加え、食欲を唆る匂いに意識は右へ左へと誘惑されていた。タイストが気分転換にと街へ行く事を許してくれたはいいが、どこに行ったらいいのか分からない為、カティヤに着いて来てもらっていた。街の人達の生活が見たいと言うと、カティヤは市場がある通りを選んでくれた。しかし馬車は入れないうえに護衛がいるとかえって目立ってしまう為、こうして二人で市場の中を歩いていた。

「凄い人ね。私達潰されないかしら。王都で暮らす人達は毎日こんな混雑の中で過ごしているの? うわ、え、どうしようッ」

 その場で右往左往し出すイレネにカティヤは苦笑いした。

「奥様、あまり行き交う人に視線を向けてはいけません。私は私の行きたい方に行くんだという強い思いで歩くんです。混んでいる道を進む時は上手く歩いている人の後ろを付いて行き、向こうから人が来たら顔ではなく足元を見るようにして避けるのですよ。そして目的地を見つけたら、何が何でも道を横断して下さい。もちろんぶつからないように避けてですよ。でも遠慮して道を譲っていたらどんどん流されてしまいますからね!」
「……む、難しいわね。私好みのお店を見つけても絶対に入れない気がするわ」

 左右には幾つもの店が軒を連ねている。行き交う人々の多さと活気のよい声や世間話をする女性達の笑い声にたじろいでいると、見兼ねたカティヤが一旦脇へと避難させてくれる。そこは店と店との間の、本当に狭い場所だった。

「やはり人通りの少ない場所から馴れていきましょうか? 市場はここが一番大きいですけど他にもありますからそちらから……」
「大丈夫よ。それじゃそうだわ……あの人の後ろを付いて行きましょうッ!」

 通りを行き交う者の中で、少し早歩きの男性が持っている紙袋に目が留まった。イレネはヨシッと気合を入れてその後ろに付いた。男性が持っている紙袋には蜥蜴と薔薇の花束が描かれている。そして持ち手にはくるんとしたリボンが巻かれていた。その男性は人が行き交う道も何のその、上手に掻き分けて進んでいくものだから先程とは打って変わり歩きやすくなっていき、軽快に足を進めていた。

「奥様! 待って下さい! そっちは……」

 カティヤの声が雑踏に紛れて聞こえた瞬間、突然前を歩いていた人が止まり、その背にぶつかってしまった。顔を押さえて見上げると青年が不思議そうにこちらを見下ろしていた。

「あなたも入るの?」

 信じられない程に綺麗な顔をした青年の透き通るような薄水色の瞳と至近距離で目が合う。青年は少し戸惑ったような顔をして扉を開ける前に確認してきた。

「ええと、ここは……」

 見上げるとそこは綺麗な三階建ての建物で、看板には女性の体と酒の入ったコップの絵が描かれている。いくら田舎から出てきたとはいえそれくらいの知識はある。ここは娼婦のいる酒場だった。

「あらいらっしゃい。早かったわね……」

 中から女性が出てくると、青年に伸ばしかけた手を止めて目をパチクリさせた。そして青年と二人目を見合わせた。

「この娘さんはだぁれ?」
「さあ、君もしかしてここで働きたいの? ちょっと若いかな。どう思う?」
「奥様! こっちへ! お早く!」

 驚いて放心したままでいるとカティヤがぐいぐいと腕を引いてくる。そして初めて市場がある道から逸れていたと分かった。再び人通りの多い通りに戻るとカティヤは涙目でギュッと手を握ってきた。

「申し訳ございません奥様! 私が誰かの後を付いて行ったらいいなんて言ったせいです!」
「大丈夫よ、あの男性は私が入る前にどうしたのか聞いてくれたもの。着いて行ってしまったのに親切な方だったわ。その、中から綺麗な人が出てきたし、あそこってつまり、そういう事よね?」
「……比較的裕福な者が集まる場所ですね。庶民の憩いの場はもっと気安い場所にありますよ。ささッ、もう忘れましょう! 奥様には御縁のない場所ですよ」
「私には縁がなくても旦那様には御縁があるわよね? 戦いに出た兵士達はよく通うと聞いた事があるわ」
「何を仰っているんです奥様! 旦那様はああいった場所には行かれませんよ、えぇ絶対にです!」

 もう一度離れた場所から先程の宿がある通りを見つめた。辺境伯の任に就いているという事はつまり、この国で一番ああいった場所に縁があるといってもいい。今まで男性が娼館に通うと聞いても自分とは関係のない世界のように思っていた。それでも家を出る時に閨事について教えてくれた最古参の侍女の言葉を思い出していた。

“いいですかお嬢様、男にとって愛と体は別物なのですよ。嫁がれる辺境伯様が治める領地はいつ争いに巻き込まれるか分からない土地です。戦地に赴いた男達は気が高ぶり乱暴に女を抱くと聞きます。そのような時の相手はプロに任せればよいのです。宜しいですね? お嬢様は大事にされるべきお方なのですから、心にゆとりを持ってむしろ送り出すくらいのお気持ちでお構え下さいませ”

 でも実際、こうして相手をしているかもしれない実際の女性を目にすると心は複雑だった。あんな綺麗な人をタイストも抱いたかもしれない。そう思うと重苦しい気持ちになった。

「奥様? 本当にお気になさらないで下さいね」

 その瞬間、イレネは首を振った。

「考えても仕方ないわね。旦那様にお土産を買って帰りましょう! さっき可愛らしい紙袋を見たんだけど、食べ物のお店からしら。蜥蜴と薔薇の柄だったわ」
「ああそれでしたら少し前に出来た菓子店ですね。確かとても人気だそうでうちの使用人の間でも話題になっておりました」
「旦那様はお菓子をお食べになるの?」
「そうですね、最近は分かりませんが子供の頃はよく召し上がっておられましたね」

 イレネはカティヤの案内でその菓子店を目指す事にした。


 流行りだと聞いていた通りその菓子店はとても繁盛していた。店の看板にはあの紙袋と同じように蜥蜴と薔薇が描かれている。そして中には沢山の種類の菓子が並べてあった。

「店内でのご飲食ですと今日はもうすでにご予約で一杯です。お持ち帰りでしたらお求め頂けますよ」

 店員がそう言って指を差したそこには二十人以上の人達が列を連れねていた。

「宜しければ明日屋敷から使用人を寄こします。奥様がお並びになられるなんていけません」
「大丈夫よ、旦那様へのお土産だもの。私が並んで選びたいわ」

 渋々承諾したカティヤとおしゃべりをしながら待っていると、ようやく順番が回ってきた。店の中には数種類のケーキに見た目も美しいババロア、焼き菓子が可愛らしく包まれて籠に盛られている。屋敷の者達へケーキを数種類と、タイストは今夜帰るか分からなかった為、日持ちのする焼き菓子の中でも特に若いらしい見た目のお土産を選んで帰路についた。

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