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16 花火大会
しおりを挟む花火大会当日。
綾子が調達してくれたワンピースを、結局凛音は着ていかなかった。
普通に、いつも着ている、ゲームのキャラクターの絵柄がプリントされたTシャツとシンプルな半ズボンを履いていった。
家まで迎えにきてくれた愁も同じく普段着そのものといったラフな格好で、玄関から凛音が出てきたのを見て、嬉しそうに目元を緩める。
「行くか」
「うん」
当たり前みたいに手を繋がれる。
花火大会の会場までは少し距離がある。
以前は自転車で近くまで行っていたけど、今日は電車に乗っていくことにした。
家の最寄り駅のホームで電車を待っていると、女の子がじっとこちらを見てくる気配があったのでそちらを見たら、知っている顔だった。
「凛音くん」
軽く手を振られる。
幼稚園で一緒だった女の子だった。
小学校は別なので会うのは数ヶ月ぶりだが、ずいぶんと久しぶりな気がする。
「花火行くの?」
「うん」
妙に緊張しながら、凛音は答えた。
女の子は次に、凛音と手を繋いでいる男の方を見上げる。
「お父さん……?」
「なに言ってんの。お兄さんでしょ」
女の子の隣にいたお母さんが、慌ててたしなめるように言ってくる。
「お父さんでもお兄さんでもない。友達だよ」
苦笑しながら、愁は女の子に向かって答えた。
「友達? 大人なのに?」
「まだ大学生だよ」
「ふーん。大学生の友達がいるなんて、かっこいいね、凛音くん!」
ちょうどそこに、乗る予定の電車がやってきたので、その子とはそこで別れる。
その子はお母さんに連れられて、先頭車両の方まで歩いて行った。
凛音と愁は目の前で開いたドアに乗り込み、ちょうど二人分あいていた席に並んで座った。
「……オレ、そんなに老けてるように見えるか?」
乗客をひととおり乗せた電車が発車してから、愁がためらいがちに聞いてきた。
「ふけてる、ってどういう意味?」
「おっさんに見えるか、ってことだ」
どうやら、お父さんに間違われそうになったことを気にしているらしい。
凛音は思わず吹き出した。
「シュウちゃんは、どこからどう見てもカッコいいお兄さんだよ」
「……っ、どこからどう見ても、は言い過ぎだろう」
凛音の方ではなく真正面を向きながら、愁は照れくさそうに目元を掻いている。
あたたかな空気が二人の間に流れた。
「この間のお土産のみかんゼリー、美味しかったよ」
電車に揺られながら、凛音はゆっくりと話し始めた。
「そうか、よかった」
「お母さんも、わさびせんべい? 喜んでたよ。辛くて、僕はちょっとしか食べられなかったけど」
「凛音は、えびせんべいの方を食べたらいい」
笑いながら、愁は答えた。
先日、水泳合宿のお土産だといって、愁は黒崎家にわさびせんべいとえびせんべいを、そして凛音個人へのお土産としてみかんゼリーを買ってきたのだ。
せいべいが二種類になったのは、どちらがいいか迷った末に二つとも買ってきてしまったためらしい。
おかげで、お土産をたくさんもらって恐縮した母は『今度お礼に、夕飯をご馳走するから』と愁に声をかけていた。
いつになるかはわからないけど、愁が家にごはんを食べに来てくれるなら楽しみだ。
ウキウキしてきた凛音は、いつの間にか脚をぶらぶらさせていた。
それを咎めるでもなく、愁は微笑ましそうにこちらを見下ろしてくる。
いつまでものんびり話していたかったけど、目的地の駅には十分もたたないうちに着いてしまった。
駅のまわりにはコンビニと何軒かの飲み屋はあるが、繁華街といったほどのものはなく、普段は通勤通学の人しか使わない落ち着いた駅は、今日は華やかな衣装を纏った老若男女で賑わっていた。
浴衣を着た人たちもたくさんいた。
その中でごくありきたりな服で歩くのは、いつもとは逆に落ち着かないものだ。
(ワンピースはナシにしても、せめてもっとおしゃれな格好でくるべきだったかな……!?)
今さら不安になってくる。
といっても、家におしゃれな服なんてほとんどない。
七五三と入学式の時に着たスーツ風の服ぐらいだろう。
あれを花火大会に着ていったら、相当浮く。
「……おう」
知り合いを見つけたらしい。
愁がぎこちなく手を挙げる。
駅前のコンビニの駐車場の角のところに、浴衣を着た、愁と同世代ぐらいの男の人が立っていた。
「小学生……? 弟なんていたか?」
いぶかしげな視線が凛音に向けられる。
低い声。それは全然知らない声だったけど、近くで目を見たら、知っている人物だということがわかった。
(タカキ……!?)
来栖リンネの友達の一人。須藤貴希。
思わず声を上げそうになった凛音の口元を、愁の大きな掌がやんわりと覆った。
「そんなようなものだ」
さっきは兄であることを否定したのに、今回は否定しない。
愁はどうやら、凛音の正体を貴希に教えるつもりはないらしい。
「小学生のお守りとは大変だな。彼女とは来なくてもよかったのか?」
バカにしたような口調。
貴希は、こんな嫌味な言い方をする人だっただろうか。凛音は戸惑う。
「彼女はいないから、問題ない」
愁は不快をあらわにするでもなく、淡々と答える。
「そうか、いないのか。やっぱり、おまえを好きになるような物好きは、佐城ぐらいだったというわけか。それをわざわざ振るなんて、もったいないことをしたな」
「何年前の話をしている? 礼香のことがそんなに気になるなら、取り次いでやるぞ」
「……結構。相手には困ってないんでね」
見下したような視線を、愁は微動だにせず受け止める。
「タカくーん! おまたせーっ」
そこに、華やかな浴衣姿の女の子がやってきた。
白地にピンクの百合の柄が入った浴衣。ウェーブがかった茶色の長い髪を後ろで綺麗に結った女の子はバサバサの睫毛に、キラキラの目元をしていた。
「友達?」
女の子がこちらを振り返る。
「ううん。昔の同級生」
貴希はさっきまでの嫌味な態度とは打って変わったにこやかな態度で答えると、彼女と手を繋いでいってしまった。
綾子は、遺品の件で貴希には連絡したけど、『忙しいから』と取り合ってもらえなかったと言っていた。
彼女と遊ぶのに忙しいという意味だったのだろうか。
それにしても……なんというか、近寄りがたい感じがした。
「オレたちも行くか」
「……うん」
少し距離を置いてから、愁と凛音も歩き出した。
人が多いから、貴希の後ろ姿はすぐに見えなくなった。
「……タカキとは、今は、友達、じゃないの?」
たくさんの人の話し声が響く道路。掻き消されそうな声で、凛音はぽつりと尋ねる。
返答がくるまで、数秒の間が開いた。
「…………友達だと、オレは今も思ってるよ」
実直な物言いは、それが嘘ではないことを伝えてくる。
「あんなふうに嫌なこと言われたのに?」
「あいつは昔からずっとああだ。嫌いなんだよ、オレのことが」
「嫌いだと思われてるのに、ずっと友達なの?」
「仲良くお喋りするだけが友達じゃないだろ」
「……わかんない」
貴希はいつもリンネに対して厳しかったけど、愁に対しては尊敬しているように見えた。
でも、リンネがいないところで、愁に対してどんな態度を取っていたのかまではわからない。
ほんとはずっと愁のことが嫌いだったのなら、嫌だな、と思う。
「……礼香も鳴沢も、仁八もそうだ。一度友達になったやつは、ずっと友達なんだよ」
懐かしい名前。昔とは違う呼び方。
それでも、愁の胸にはずっと、六人で遊んだ思い出が大切なものとしてしまわれているのだろう、と察した。
そういう愁が好きだと、改めて思った。
「……またみんなで遊べる時がくる?」
「凛音がいれば、きっとな」
ぽん、と軽く頭を叩いてくる手は優しかった。
愁はいつだって嘘をつかない。
未来のことはわからないけど、そう信じられるから、凛音はふふっと笑った。
「またみんなでアイスが食べたいなーっ」
「とりあえずそこでかき氷買っていくか?」
河原のそばに出ると、お祭りの屋台がいくつか並んでいた。
「お客さん、けっこう並んでるみたいだけど?」
「時間はまだあるし、大丈夫だろ。疲れそうならそこらへんに座ってろ。オレが並んでくる」
(覚えてる? シュウちゃん、そう言って、いつかの花火大会の時もかき氷のお店の列に並んでくれたことがあったね)
あの時、リンネは暑さと人の多さで気持ち悪くなってしまって、申し訳ないと思いながらも階段のところに座って愁が戻ってくるのを待っていたのだ。
確か、三十分ぐらいかかった。
遅くなって悪い、と愁が申し訳なさそうな顔をしていたが、謝るべきはリンネの方だった。
「今日は一緒に並ぶよ!」
凛音は元気よく答えた。
「大丈夫か?」
「うん。ブルーハワイ食べたい!」
「オレは……メロンにするかな」
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