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症状二、判断力低下。

症状二、判断力低下。⑦

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颯真さんみたいに一流の方の回りには、茜さんみたいに一流の人が居るってことなのかな。益々、ただのウエイトレスである私は彼の隣に居るのが怖くなってきた。

「あの、仕事に戻ります」
空になったグラスをお盆に乗せ、立ち去ろうとしたら、グラスを奪われた。

「何時に仕事が終わる?」
「あ、今日はちょっといつもより遅くて」
此処の授賞式が終わったら、一時間ほど片づけをして帰ることになっている。
「何時?」
「21時は過ぎます」
下手したらもっとかかる。
「じゃあ、待ってる。10階のBARで飲みなおそう」
「ええっ」

仕事が終わっても颯真さんに会えるなんて、嬉しい。でも、

「従業員は、ホテル内の施設の利用は原則禁止なんです」
残念。10階のBARは、夜景が綺麗だから颯真さんと二人で飲めたら最高だったのに。
「そっか。じゃあ、終わったら――俺の部屋においでよ」
「ええええ!」

更に大きな声が出てしまい、慌てて口を抑えた。仕事中なのに情けない。颯真さんも私の動揺っぷりに口元を隠してちょっと笑ってる。

「そーゆう反応って、ちょっと新鮮でいいよね」
「私は良くないですっ」
お腹を抑えて、くくっと声を漏らして笑いだした。ちょっと馬鹿にされてる気もしてきたぞ。
「客室に、もう一部屋あるしなんなら泊まっても良いんだから、おいで」
「そ、そんな風に、恋人じゃない人を簡単に部屋に入れたら駄目だと思います!」
「そんなに警戒されると逆に手を出さないといけないような気がしてきた」
「なっ」
「嘘だよ。部屋の中央の柱の中に水槽があって綺麗だから見せたかっただけ。嫌ならそうだな、取り合えず部屋に来て。場所決めとくから」

あっさりとそう言うと、私のお盆にグラスを置いた。結局、彼のペースに乗せられて仕事後に会えることにはなったらしい。
どうしよう。嬉しいかも。

一人で心の中で踊っていたら、彼は店長が用意した花束に迷いなく近づき受け取ると、茜さんに手渡した。
茜さんは嬉しそうに受け取ると華の匂いを気持ちよさそうに吸い込む。

そして、彼女からも真っ赤な赤いバラの花束を受け取って、二人の並んだ姿を記者が何枚も写真を撮っていた。
そうだ。彼はきっと私に婚約者のふりとして部屋に来てほしいだけで、勝手に意識した私に呆れていたのかもしれない。踊っていた心も、きゅうっと胸を締めつける痛みに静かになった。

「華寺さん、手が開いたらこっち、クリーニング室へお願い」
「はい」
「華寺さん、チェック表知らない? 触った?」
「触ってません」
「ねー。ピアノ動かす人まだ? もう明日でもいいんじゃない?」

右へ左へ走りまわり、あんなに食器や椅子、デーブルで溢れていたホールは、壁際の椅子と、端っこに置かれたグランドピアノだけになっていた。が、ピアノをレストランへ戻す作業がまだ始まっても居ない。

ピアノを戻さなければ鍵を閉めるに閉めれず、スタッフは身動きが取れない。
段々皆から、疲労と苛々している様子が伝わってくる。

時計も――もうすぐ22時。颯真さんに言っていた時間を大幅に過ぎてしまった。こんな遅くに部屋に伺うのは申し訳ないな。でも連絡先知らないし。

「終電ヤバい人多いし、もう後は帰っていいってよ」

菊池さんが入り口で大きく手を振って、教えてくれた。お陰で、皆が安堵の表情を浮かべる。
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