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そこは、何の変哲もない村だった。
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そこは、なんの変哲もない、村だった。
そして、なんの面白みのない、ただの村だった。
自然に囲まれ。
綺麗な空気にかこまれ。
ただぼんやりとしていて。
のんびりと過ごすには、丁度いい、そんな村だ。
村民は、建物を円状に建て、静かに暮らしているようだ。
建物の並び方としては、些か歪とも思えるよう形だが、原因は村の中央にある、建物が原因だろう。
人が住むには小さすぎるような、そんな建物だった。
それが、何かを祀るかのように、ぽつんと、たれられているのだった――。
+ + + + + +
「いやぁ、助かりました。本当に、一時はどうなることかと思いましたよ」
俺は、目の前の女性に言う。
長い髪を髪飾りで一纏めにした、綺麗な女性だ。
彼女は、山で遭難していた俺を、この村へと案内し、少し休んでいくようにと、自分の家まで連れてきてくれたのだ。
「ほんと、迂闊でした。ちょっと、近道しようと思っただけなのに、ここまで迷うとは……」
「あらあら。それは大変でしたね」
女性は、俺の前にあるちゃぶ台へと、お茶を運びながらいう。
俺は「あ、どうも……」と、軽く頭を下げると、
「すみません。助けていただいただけでなく、こんな……」
「これくらい、いいんですよ。それとも、お茶じゃない方がよかったですか?」
「い、いえいえ。十分すぎるくらいで……」
「そうですか」
「それなら、よかった」と、女性は笑みを浮べる。
本当に、綺麗な女性だ。
笑みを向けられて、あらためて、そう思う。
とたん、ほんの少し、のどが渇いた。
「あちっ」
つい、あわてて、出された茶を含みすぎてしまった。
幸い、舌をやけどすることはなかったが、
「あ、ごめんなさい。熱かったですか?」
「いえ。今のは、俺の不注意で……。自業自得ですから」
俺が言うと、女性は、考える素振りを見せた。
「もしかして、喉が渇いてたんですか?」
「いえ……、まあ……」
「なら、冷たいお茶の方の方がよかったですかね?」
「い、いえいえ! 大丈夫です!」
茶を入れなおそうとする女性を、俺は慌てて止める。
「ですけど……」
「本当に、大丈夫ですから。ほら、もうだいぶ、冷めてきたみたいですし」
俺は言いながら、茶をすする。
もちろん、わずかな時間で、それほど冷めているわけもないのだが、俺は適量を口に含むと、
「うまい。やっぱり、お茶は熱い方が、風味が感じると言うか……。なんていうか……」
俺が苦笑いで答えると、女性は安堵するように、お盆を適当な場所におき、たたみの上に腰を下ろす。
「そうですか。それでしたら、いいのですが……」
「ははっ……」
乾いた笑いをする俺。
……。
と、そこで、唐突に間がうまれる。
話す内容が思い浮かばなかったのだ。
風の音。木々の揺れる音。鳥の鳴き声。
周りの音が、やけによく聞こえる。
心地よい音だ。
しかし、いつまでも無言でいるのは、居心地が悪く、
「あの……」
俺の声に、女性が「はい」と答えるのを受け、
「俺、健三、っていいます」
「へ?」
突然なんの話だろうと、首をかしげる女性。
確かに、何の脈絡もない。
「あ、ああ……。いや……」
ここは話題を変えよう。俺がそう思っていると、
「――子といいます」
「へ?」
考え事をしていたせいで、声が聞き取れず、首を傾げる俺。すると、
「ですから。私のことは、梅子とよんでくださいね、って言ったんです。その……、健三さん」
「あ」
少し、恥ずかしそうに言う梅子さんの感じが、可愛らしいと思った。
「あ、ああ。どうも……」
その返事をきっかけに、また、言葉がでなくなる。
と、そこで。あ、っと、俺はある疑問を思い出した。
「そういえば……」
「はい」と、梅子さんが話を促す。
「あの……、あれって、なんなんですか?」
「あれ、ですか?」
「なんていうか……、ありましたよね? 村の中央に……」
村の中央にある、よくわからない小屋を思い浮べながら、俺は口を開く。
まあ。ほんの少し、気になっただけだ。
興味があるわけではい。
ただ、つなぎの話題として、いいと思ったのだ
「ああ、あれですか……。気になります?」
「まあ、少しだけ」
なんとなく勿体つけるような返事に、俺は疑問を覚えて答える。
「そうですか」
梅子さんが呟くように言う。
と、そのとき――がらがら。
引き戸の開く音がする。
この家からでなく、外。
近所の家の戸が開いた音だ。
その音を聞きいた瞬間、梅子さんは、あ、っと顔をあげると、何故か窓の方へと向かい、薄いカーテンを、しゃ、とあけた。
すると、そこからちょうど、小屋の様子がよく見えるようになり、その小屋へと向かおうとする人が見えた。
先ほど戸を開けたご近所さんだろう。
明るめのセミロングの髪をした女性が、向かっていた。
女性は、梅子さんがカーテンをあけたことに気づくと、軽く会釈をする。
梅子さんも会釈で返したので、俺も、ならうようにしておじぎをした。
ちら、とその女性と目があう。
綺麗な女性だ。
そして、女性は俺にも軽くお辞儀をすると、その足取りのまま、小屋へと入っていった。
ちなみに、小屋の戸は、この家からだと、死角側についているので、開いた瞬間に中を覗き見ることはできなかった。
「あ、あの――」
「しー」
俺が喋りだそうとした瞬間、梅子さんは口元に人差し指を立て、なぜか、がらっ、と窓をあけた。
まるで、何かに聞き耳を立てるかのような素振りだ。
それから、しばらく。
俺と梅子さんは黙りこむ。
疑問を覚えつつも、もしかして小屋に何かあるのではと、俺はそちらに目をじっとやった。
だが、特に何かがあるわけでもなく。
集中力がきれた俺は、小屋の向こう側、山の方へとぼんやりと目を向け、のんびりと自然を茶の残りをすすりながら、ぼんやりと外の景色を見ていた。
すると――、
ぷぅ……
そんな高音が、小屋の中から聞こえてきた。
梅子さんの家から、小屋までの距離は、役20メートル弱といったところ。にもかかわらず、ここまで聞こえるほどの音なのだから、よっぽどのものだろう。
そして、いましがた聞こえてきた音。
どう聞いてもその音は――。
がちゃ。
小屋の戸が開き、中から、先ほどの女性がでてくる。
そして、女性は梅子さんが窓を開けていることに気づくと、軽く手をふり、こちらの方へ歩いてきた。
「……お客さん?」
女性の問いに、梅子さんは親しげな様子でうなずく。
「森で迷っちゃったんだって」
「あれま、可愛そうに……」
そう言って、俺に苦笑いを向けてくる女性。
何か、返事をした方がいいんだろうか。
そう考えていると、
「この子は、私の友人で……」
「成美っていいます」
「ど……、どうも……。健三です」
梅子に続けるようにして、女性が名乗ったのをきっかけに、俺も同じように返す。
「っていうか……、もしかして、聞こえた?」
成美さんは言葉を濁し、梅子さんに訊く。
濁した部分は、恐らく――。
成美さんの問いにたいし、梅子さんはにやりと笑みをうかべて言った。
「ばっちりきこえたよー」
「……やっぱりかぁ」
「成美ってば、お芋でも沢山食べたの?」
「いやぁ。昨日は鍋だったから……、って。梅子ってば、お客さんの前だってこと、わすれてない?」
あきれた風に言う成美。
「あっ。け、健三さん! すみません……!」
梅子は今思い出したように、申し訳なさそうに言うと、
「けど、もう隠さなくても……、わかっちゃいました……、よね?」
「……」
だが、どう返したらいいのかわからず、呆然としていると、
「やっぱり、引いてしまいましたか?」
「あ……、いえ……。引いた、というより、びっくりしたといいますか……。まあ、ここでは。“そういうこと”なんですよね? 決まりと言うか、なんというか……」
その場所には、その場所のルールというものがある。
少しばかりそれが特殊だろうと、口出しすべきことではない気がして、俺は無理やり納得することにした。
「仰るとおり、この村では、その……」
「だ、大丈夫ですよ。みなまで言わなくても、ちゃんと理解していますし、引いたりしていませんから」
「それなら、いいのですが……」
俺の様子に、ほっと息を吐く梅子。
と、そのタイミングで、
「とりあえず、梅子。私はすっきりしたし、帰るよー」
成美が手をふり、自宅へと帰っていく。
「あ、うん。またねー、成美」
「はいはいー」
そんなこんなで。
話がひと段落したところで、成美さんがそう言って家へ戻り、それを見送った。
と――そこへ、
がらがら。
また、別の家の戸が開き、中から、ふんわりした髪の、おしとやかそうな女性が出てくる。
その人は、こちらに気づきながらも、急いでいるかのように、軽い会釈をし、そそくさと小屋の中へと入っていく。
そして、
ぼふうぅ……!!
小屋の中から、かすかに聞こえてくる。
その音は、先ほどと同様、間違いなく――屁のようだが、それにしても、先ほどの女性の腹の中に、収まっていたとは思えないような風圧だ。
もしかすると、小屋が少し、ゆれたかもしれない。
そうして、
がちゃ。
小屋から、先ほどの女性がでてくる。
その顔が真っ赤だ。今の音が聞こえたかもと、恥ずかしくなってしまったのかもしれない。女性は俺と梅子さんの顔を見ないまま、再び軽い会釈をすると、そそくさと家へ戻ってしまった。
「ひえぇ……」
一連のことを、息を呑むようにして目撃していた俺は、思わず声をもらした。
すると、そんな俺の様子を見てか、梅子さんがくすりとわらった。
「驚きましたか?」
「そりゃあ、まあ……。あんな、綺麗な方から、あんな音が出るなんて、想像もしなかったですからね……」
「どんびき、ですか?」
「……へ?」
梅子さんの声のトーンが変わった気がして、ぽかんとする俺。
ほんの少し、おずおずとしたような、そんな感じがした。
気のせいかもしれないが、俺は一呼吸おいて、手を横に振った。
「いえ、驚いただけです。っていうか、俺としましては、綺麗な女性には、ちょっとくらいああいう部分があったほうが、ギャップがあっていいと思いますけどね」
「ギャップ、ですか?」
驚いた風にきく梅子。
その問いに、俺は首を縦に振る。
「梅子さんみたいな綺麗な人を見ていると、俺みたいなもんはは、息がつまってしまいます。だから、ちょっとくらい、崩してくれたほうが、いいといいますか……」
――ぷう……
「……へ?」
今しがた聞こえた音はなんだろうか。
まるで、屁のように聞こえて、驚きの表情で梅子さんを見ると、
「ギャップ……、感じました?」
「……え」
というか。
臭い。
ものすごく、卵臭い。
けど、
「ええ……、なんだか、嫌じゃないというか……」
「嫌じゃないというか……?」
首をかしげる梅子さん。
そんな姿も、綺麗で、
「いいと、思います。ちょっと……、どきっとしました……」
俺は動揺を悟られないように、どうにか笑みを作って答える。
すると、しばらくの沈黙があり、
「ほんとですかー?」
「ほ、本当です」
からかうような梅子さんに、俺は少し慌てて返す。
まだ、動揺が抜け切れておらず、考えがまとまっていないのだ。
恐らく、悪い印象を感じた風ではないと思うのだが、自分でも、これがどういう感情なのか、よくわからなかった。
すると、梅子さんはさらにからかうようにして、
「ほら、ぱたぱたー……。どうですか?」
「あ、ちょっと。あおがないでください。っていうか……」
ますます強い臭気を感じた。
これ、本当にさっきの残り香なんだろうか。
先ほどのセリフの手前、鼻をつまむことはしないが、
「ごめんなさい。ちょっと、すかしっ屁を追加しておきました」
「あ、どうりで」
唖然とする俺の目の前で、梅子さんは、「えへへ」と、いたずらっぽく笑う。
そんな彼女の表情を見ていたら、なんだか、まあいいかと笑えてきた。
そんなふうに、いつのまにか空気が和やかになり、二人して笑っていると、
がらがら。
また、別の女性が外へ出てくる。
つんとした感じの、涼しげな感じの人だった。
その人は、窓を開けっ放しで会話をしていく、俺と梅子さんにきずくと、どうもと、さらりとしたふうに頭をさげ、小屋へと入っていく。
やはり、あんな感じの子でも、おならをするんだな。
俺はぼんやりと思いながら、少し息をのんだ。
そして、しばらくして、
カンカン。
そんな音が、小屋のほうから響いた。
うるさい感じではないが、村中に聞こえたかのような、すうっと、鼓膜にくるような音だった。
というか、スピーカーのようなものがどこかについているのかもしれない。
そんな、何かを伝えるような音だった。
「今の音って……」
「今の音は、次に小屋へ入る方へ、注意を促す音です」
「注意、ですか?」
確かに、そのような感じのする音だった気もする。
説明にたいし、ぴんとこず、さらに訊くと、梅子さんはうなずいて続けた。
「しばらくは、入らないほうがいいですよ、っていう合図として、あの鐘が鳴るようになっているんです」
「それって、つまり……」
「今小屋の中に入ると、目を回すことになります」
「目を? まさかぁ……」
冗談だろう、と。ほんの少し茶化すように言う。
しかし、梅子さんは表情をくずすことなく、
「ちなみにあの音は、臭いの濃度に反応する仕掛けになっているので、仕掛けに不具合がない限り、間違いはないはずです」
「……」
いったい、何の話をされているんだろう。
そう思いつつも、脳のほうは少しずつ理解していく。
もしそれが本当なら、先ほどの涼しげな女性が、小屋の中で、とんでもない屁をしたということになるわけで、まだ半信半疑の俺に、
「まあ、どちらにせよ、女性しか、あそこに入ることは許されていないので、健三さんにしても、意味のない話ではあるんですけどね」
梅子は少しだけ注意を含ませるように、声のトーンを落していった。
あそこに入ってはいけないと。
だが、そういわれてしまうと、気になってしまうもので、俺はそんな気持ちをおしころすと、
「な、なるほど……」
そんな返事しかできなかった。
と、そのタイミングで、
がちゃ。
小屋の戸が開き、先ほどの、涼しげな感じの女性がでてくる。
「おえぇ……、昨日、何食べたっけ……」
なんだか、女性は青い雰囲気の顔色をしている。
いや、赤いかもしれない。
恥ずかしさの滲む、複雑な表情をしていた。
そして、女性は、カンカン、と鳴らしてしまったことへの羞恥心なのか、俺と梅子さんのほうへ視線を向けないまま、軽くお辞儀をして、そそくさと帰っていったしまった。
その様子を、俺が呆然と見ていると、
「ところで、今日はどうされるんですか?」
「どう、とは?」
「日が、だいぶ暮れてきているので」
「あ」
梅子さんの言葉に、俺はようやく、空がうっすらとくらくなっていることに気づいた。
まだ、だいぶ明るいが、まっくらになるまで2時間ともたないだろう。
「そういえば。ここから町のほうまで、3、4時間ほど、かかるんでしたっけ?」
「ええ。一番近くの町でも、だいたい、そのくらいはかかるとおもいます」
梅子さんは空の様子を確認すると、窓をしめ、畳の床に腰をおろしながら答える。
「そうですか……」
どうやら、今森に入るとなると、森の中で、一晩を過ごすことになりそうだ。
まあ、道に迷ったのは自業自得なわけで、それでもいいのだが。
「とりあえず。今日は、うちに泊まっていったら、いかがですか?」
「…へ?」
唐突な提案に、俺は驚きの声を漏らす。
「いやいや、そういうわけには。それに……」
「私、わけあって、ここで一人で住んでいるので……。その……、人気があったほうが、にぎやかで、良いといいますか……」
「はあ……」
どう答えたもんか。
俺は答えに迷う。
「それに、今から森にはいっては、また迷子になりますよ」
「ぐっ……」
返す言葉もない。
それに、別に、ただ泊まらせてもらうだけだ。
深い意味はない。
ならば、
「それでは、すみませんが……」
俺がそう答えると、梅子さんは笑みを浮かべて、受け入れてくれたのだった――。
そして、なんの面白みのない、ただの村だった。
自然に囲まれ。
綺麗な空気にかこまれ。
ただぼんやりとしていて。
のんびりと過ごすには、丁度いい、そんな村だ。
村民は、建物を円状に建て、静かに暮らしているようだ。
建物の並び方としては、些か歪とも思えるよう形だが、原因は村の中央にある、建物が原因だろう。
人が住むには小さすぎるような、そんな建物だった。
それが、何かを祀るかのように、ぽつんと、たれられているのだった――。
+ + + + + +
「いやぁ、助かりました。本当に、一時はどうなることかと思いましたよ」
俺は、目の前の女性に言う。
長い髪を髪飾りで一纏めにした、綺麗な女性だ。
彼女は、山で遭難していた俺を、この村へと案内し、少し休んでいくようにと、自分の家まで連れてきてくれたのだ。
「ほんと、迂闊でした。ちょっと、近道しようと思っただけなのに、ここまで迷うとは……」
「あらあら。それは大変でしたね」
女性は、俺の前にあるちゃぶ台へと、お茶を運びながらいう。
俺は「あ、どうも……」と、軽く頭を下げると、
「すみません。助けていただいただけでなく、こんな……」
「これくらい、いいんですよ。それとも、お茶じゃない方がよかったですか?」
「い、いえいえ。十分すぎるくらいで……」
「そうですか」
「それなら、よかった」と、女性は笑みを浮べる。
本当に、綺麗な女性だ。
笑みを向けられて、あらためて、そう思う。
とたん、ほんの少し、のどが渇いた。
「あちっ」
つい、あわてて、出された茶を含みすぎてしまった。
幸い、舌をやけどすることはなかったが、
「あ、ごめんなさい。熱かったですか?」
「いえ。今のは、俺の不注意で……。自業自得ですから」
俺が言うと、女性は、考える素振りを見せた。
「もしかして、喉が渇いてたんですか?」
「いえ……、まあ……」
「なら、冷たいお茶の方の方がよかったですかね?」
「い、いえいえ! 大丈夫です!」
茶を入れなおそうとする女性を、俺は慌てて止める。
「ですけど……」
「本当に、大丈夫ですから。ほら、もうだいぶ、冷めてきたみたいですし」
俺は言いながら、茶をすする。
もちろん、わずかな時間で、それほど冷めているわけもないのだが、俺は適量を口に含むと、
「うまい。やっぱり、お茶は熱い方が、風味が感じると言うか……。なんていうか……」
俺が苦笑いで答えると、女性は安堵するように、お盆を適当な場所におき、たたみの上に腰を下ろす。
「そうですか。それでしたら、いいのですが……」
「ははっ……」
乾いた笑いをする俺。
……。
と、そこで、唐突に間がうまれる。
話す内容が思い浮かばなかったのだ。
風の音。木々の揺れる音。鳥の鳴き声。
周りの音が、やけによく聞こえる。
心地よい音だ。
しかし、いつまでも無言でいるのは、居心地が悪く、
「あの……」
俺の声に、女性が「はい」と答えるのを受け、
「俺、健三、っていいます」
「へ?」
突然なんの話だろうと、首をかしげる女性。
確かに、何の脈絡もない。
「あ、ああ……。いや……」
ここは話題を変えよう。俺がそう思っていると、
「――子といいます」
「へ?」
考え事をしていたせいで、声が聞き取れず、首を傾げる俺。すると、
「ですから。私のことは、梅子とよんでくださいね、って言ったんです。その……、健三さん」
「あ」
少し、恥ずかしそうに言う梅子さんの感じが、可愛らしいと思った。
「あ、ああ。どうも……」
その返事をきっかけに、また、言葉がでなくなる。
と、そこで。あ、っと、俺はある疑問を思い出した。
「そういえば……」
「はい」と、梅子さんが話を促す。
「あの……、あれって、なんなんですか?」
「あれ、ですか?」
「なんていうか……、ありましたよね? 村の中央に……」
村の中央にある、よくわからない小屋を思い浮べながら、俺は口を開く。
まあ。ほんの少し、気になっただけだ。
興味があるわけではい。
ただ、つなぎの話題として、いいと思ったのだ
「ああ、あれですか……。気になります?」
「まあ、少しだけ」
なんとなく勿体つけるような返事に、俺は疑問を覚えて答える。
「そうですか」
梅子さんが呟くように言う。
と、そのとき――がらがら。
引き戸の開く音がする。
この家からでなく、外。
近所の家の戸が開いた音だ。
その音を聞きいた瞬間、梅子さんは、あ、っと顔をあげると、何故か窓の方へと向かい、薄いカーテンを、しゃ、とあけた。
すると、そこからちょうど、小屋の様子がよく見えるようになり、その小屋へと向かおうとする人が見えた。
先ほど戸を開けたご近所さんだろう。
明るめのセミロングの髪をした女性が、向かっていた。
女性は、梅子さんがカーテンをあけたことに気づくと、軽く会釈をする。
梅子さんも会釈で返したので、俺も、ならうようにしておじぎをした。
ちら、とその女性と目があう。
綺麗な女性だ。
そして、女性は俺にも軽くお辞儀をすると、その足取りのまま、小屋へと入っていった。
ちなみに、小屋の戸は、この家からだと、死角側についているので、開いた瞬間に中を覗き見ることはできなかった。
「あ、あの――」
「しー」
俺が喋りだそうとした瞬間、梅子さんは口元に人差し指を立て、なぜか、がらっ、と窓をあけた。
まるで、何かに聞き耳を立てるかのような素振りだ。
それから、しばらく。
俺と梅子さんは黙りこむ。
疑問を覚えつつも、もしかして小屋に何かあるのではと、俺はそちらに目をじっとやった。
だが、特に何かがあるわけでもなく。
集中力がきれた俺は、小屋の向こう側、山の方へとぼんやりと目を向け、のんびりと自然を茶の残りをすすりながら、ぼんやりと外の景色を見ていた。
すると――、
ぷぅ……
そんな高音が、小屋の中から聞こえてきた。
梅子さんの家から、小屋までの距離は、役20メートル弱といったところ。にもかかわらず、ここまで聞こえるほどの音なのだから、よっぽどのものだろう。
そして、いましがた聞こえてきた音。
どう聞いてもその音は――。
がちゃ。
小屋の戸が開き、中から、先ほどの女性がでてくる。
そして、女性は梅子さんが窓を開けていることに気づくと、軽く手をふり、こちらの方へ歩いてきた。
「……お客さん?」
女性の問いに、梅子さんは親しげな様子でうなずく。
「森で迷っちゃったんだって」
「あれま、可愛そうに……」
そう言って、俺に苦笑いを向けてくる女性。
何か、返事をした方がいいんだろうか。
そう考えていると、
「この子は、私の友人で……」
「成美っていいます」
「ど……、どうも……。健三です」
梅子に続けるようにして、女性が名乗ったのをきっかけに、俺も同じように返す。
「っていうか……、もしかして、聞こえた?」
成美さんは言葉を濁し、梅子さんに訊く。
濁した部分は、恐らく――。
成美さんの問いにたいし、梅子さんはにやりと笑みをうかべて言った。
「ばっちりきこえたよー」
「……やっぱりかぁ」
「成美ってば、お芋でも沢山食べたの?」
「いやぁ。昨日は鍋だったから……、って。梅子ってば、お客さんの前だってこと、わすれてない?」
あきれた風に言う成美。
「あっ。け、健三さん! すみません……!」
梅子は今思い出したように、申し訳なさそうに言うと、
「けど、もう隠さなくても……、わかっちゃいました……、よね?」
「……」
だが、どう返したらいいのかわからず、呆然としていると、
「やっぱり、引いてしまいましたか?」
「あ……、いえ……。引いた、というより、びっくりしたといいますか……。まあ、ここでは。“そういうこと”なんですよね? 決まりと言うか、なんというか……」
その場所には、その場所のルールというものがある。
少しばかりそれが特殊だろうと、口出しすべきことではない気がして、俺は無理やり納得することにした。
「仰るとおり、この村では、その……」
「だ、大丈夫ですよ。みなまで言わなくても、ちゃんと理解していますし、引いたりしていませんから」
「それなら、いいのですが……」
俺の様子に、ほっと息を吐く梅子。
と、そのタイミングで、
「とりあえず、梅子。私はすっきりしたし、帰るよー」
成美が手をふり、自宅へと帰っていく。
「あ、うん。またねー、成美」
「はいはいー」
そんなこんなで。
話がひと段落したところで、成美さんがそう言って家へ戻り、それを見送った。
と――そこへ、
がらがら。
また、別の家の戸が開き、中から、ふんわりした髪の、おしとやかそうな女性が出てくる。
その人は、こちらに気づきながらも、急いでいるかのように、軽い会釈をし、そそくさと小屋の中へと入っていく。
そして、
ぼふうぅ……!!
小屋の中から、かすかに聞こえてくる。
その音は、先ほどと同様、間違いなく――屁のようだが、それにしても、先ほどの女性の腹の中に、収まっていたとは思えないような風圧だ。
もしかすると、小屋が少し、ゆれたかもしれない。
そうして、
がちゃ。
小屋から、先ほどの女性がでてくる。
その顔が真っ赤だ。今の音が聞こえたかもと、恥ずかしくなってしまったのかもしれない。女性は俺と梅子さんの顔を見ないまま、再び軽い会釈をすると、そそくさと家へ戻ってしまった。
「ひえぇ……」
一連のことを、息を呑むようにして目撃していた俺は、思わず声をもらした。
すると、そんな俺の様子を見てか、梅子さんがくすりとわらった。
「驚きましたか?」
「そりゃあ、まあ……。あんな、綺麗な方から、あんな音が出るなんて、想像もしなかったですからね……」
「どんびき、ですか?」
「……へ?」
梅子さんの声のトーンが変わった気がして、ぽかんとする俺。
ほんの少し、おずおずとしたような、そんな感じがした。
気のせいかもしれないが、俺は一呼吸おいて、手を横に振った。
「いえ、驚いただけです。っていうか、俺としましては、綺麗な女性には、ちょっとくらいああいう部分があったほうが、ギャップがあっていいと思いますけどね」
「ギャップ、ですか?」
驚いた風にきく梅子。
その問いに、俺は首を縦に振る。
「梅子さんみたいな綺麗な人を見ていると、俺みたいなもんはは、息がつまってしまいます。だから、ちょっとくらい、崩してくれたほうが、いいといいますか……」
――ぷう……
「……へ?」
今しがた聞こえた音はなんだろうか。
まるで、屁のように聞こえて、驚きの表情で梅子さんを見ると、
「ギャップ……、感じました?」
「……え」
というか。
臭い。
ものすごく、卵臭い。
けど、
「ええ……、なんだか、嫌じゃないというか……」
「嫌じゃないというか……?」
首をかしげる梅子さん。
そんな姿も、綺麗で、
「いいと、思います。ちょっと……、どきっとしました……」
俺は動揺を悟られないように、どうにか笑みを作って答える。
すると、しばらくの沈黙があり、
「ほんとですかー?」
「ほ、本当です」
からかうような梅子さんに、俺は少し慌てて返す。
まだ、動揺が抜け切れておらず、考えがまとまっていないのだ。
恐らく、悪い印象を感じた風ではないと思うのだが、自分でも、これがどういう感情なのか、よくわからなかった。
すると、梅子さんはさらにからかうようにして、
「ほら、ぱたぱたー……。どうですか?」
「あ、ちょっと。あおがないでください。っていうか……」
ますます強い臭気を感じた。
これ、本当にさっきの残り香なんだろうか。
先ほどのセリフの手前、鼻をつまむことはしないが、
「ごめんなさい。ちょっと、すかしっ屁を追加しておきました」
「あ、どうりで」
唖然とする俺の目の前で、梅子さんは、「えへへ」と、いたずらっぽく笑う。
そんな彼女の表情を見ていたら、なんだか、まあいいかと笑えてきた。
そんなふうに、いつのまにか空気が和やかになり、二人して笑っていると、
がらがら。
また、別の女性が外へ出てくる。
つんとした感じの、涼しげな感じの人だった。
その人は、窓を開けっ放しで会話をしていく、俺と梅子さんにきずくと、どうもと、さらりとしたふうに頭をさげ、小屋へと入っていく。
やはり、あんな感じの子でも、おならをするんだな。
俺はぼんやりと思いながら、少し息をのんだ。
そして、しばらくして、
カンカン。
そんな音が、小屋のほうから響いた。
うるさい感じではないが、村中に聞こえたかのような、すうっと、鼓膜にくるような音だった。
というか、スピーカーのようなものがどこかについているのかもしれない。
そんな、何かを伝えるような音だった。
「今の音って……」
「今の音は、次に小屋へ入る方へ、注意を促す音です」
「注意、ですか?」
確かに、そのような感じのする音だった気もする。
説明にたいし、ぴんとこず、さらに訊くと、梅子さんはうなずいて続けた。
「しばらくは、入らないほうがいいですよ、っていう合図として、あの鐘が鳴るようになっているんです」
「それって、つまり……」
「今小屋の中に入ると、目を回すことになります」
「目を? まさかぁ……」
冗談だろう、と。ほんの少し茶化すように言う。
しかし、梅子さんは表情をくずすことなく、
「ちなみにあの音は、臭いの濃度に反応する仕掛けになっているので、仕掛けに不具合がない限り、間違いはないはずです」
「……」
いったい、何の話をされているんだろう。
そう思いつつも、脳のほうは少しずつ理解していく。
もしそれが本当なら、先ほどの涼しげな女性が、小屋の中で、とんでもない屁をしたということになるわけで、まだ半信半疑の俺に、
「まあ、どちらにせよ、女性しか、あそこに入ることは許されていないので、健三さんにしても、意味のない話ではあるんですけどね」
梅子は少しだけ注意を含ませるように、声のトーンを落していった。
あそこに入ってはいけないと。
だが、そういわれてしまうと、気になってしまうもので、俺はそんな気持ちをおしころすと、
「な、なるほど……」
そんな返事しかできなかった。
と、そのタイミングで、
がちゃ。
小屋の戸が開き、先ほどの、涼しげな感じの女性がでてくる。
「おえぇ……、昨日、何食べたっけ……」
なんだか、女性は青い雰囲気の顔色をしている。
いや、赤いかもしれない。
恥ずかしさの滲む、複雑な表情をしていた。
そして、女性は、カンカン、と鳴らしてしまったことへの羞恥心なのか、俺と梅子さんのほうへ視線を向けないまま、軽くお辞儀をして、そそくさと帰っていったしまった。
その様子を、俺が呆然と見ていると、
「ところで、今日はどうされるんですか?」
「どう、とは?」
「日が、だいぶ暮れてきているので」
「あ」
梅子さんの言葉に、俺はようやく、空がうっすらとくらくなっていることに気づいた。
まだ、だいぶ明るいが、まっくらになるまで2時間ともたないだろう。
「そういえば。ここから町のほうまで、3、4時間ほど、かかるんでしたっけ?」
「ええ。一番近くの町でも、だいたい、そのくらいはかかるとおもいます」
梅子さんは空の様子を確認すると、窓をしめ、畳の床に腰をおろしながら答える。
「そうですか……」
どうやら、今森に入るとなると、森の中で、一晩を過ごすことになりそうだ。
まあ、道に迷ったのは自業自得なわけで、それでもいいのだが。
「とりあえず。今日は、うちに泊まっていったら、いかがですか?」
「…へ?」
唐突な提案に、俺は驚きの声を漏らす。
「いやいや、そういうわけには。それに……」
「私、わけあって、ここで一人で住んでいるので……。その……、人気があったほうが、にぎやかで、良いといいますか……」
「はあ……」
どう答えたもんか。
俺は答えに迷う。
「それに、今から森にはいっては、また迷子になりますよ」
「ぐっ……」
返す言葉もない。
それに、別に、ただ泊まらせてもらうだけだ。
深い意味はない。
ならば、
「それでは、すみませんが……」
俺がそう答えると、梅子さんは笑みを浮かべて、受け入れてくれたのだった――。
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