愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活

四馬㋟

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その後の話

池上水連のこれから

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「兄は、これからどうなるのですか?」

 獲物をおびき寄せるために馬鹿騒ぎをしたせいか、七穂は現在、激しい頭痛と吐き気に悩まされていた。ようするに二日酔いである。それでも、捕縛した池上海吉を軍所有の留置所へ運ぶべく、汽車の中で猛烈な吐き気と戦っていると、

「私が兄のためにできることは、もうないのでしょうか?」

 向かい側から声をかけられて、のろのろとそちらに顔を向ける。

「俺が知るかよ」

 つい乱暴な口を利いてしまったのは、体調不良のためである。池上水連は水も滴るいい女、もとい目を見張るような美女なので、たいていの男ならば鼻の下を伸ばして優しく質問に答えるだろうが、残念ながら今の七穂にはその気力すらなかった。

 ちなみに捕らえた海吉は貨物車の中、荷物の中に紛れ込ませている。蛇ノ目の毒が利きすぎて、今や仮死状態に陥っているが、解毒薬を与えるのは目的地に着いてからだと決めている。それまで生き延びてくれればいいが……。

「だいたい、なんであんたまで付いてくるんだ。せっかく見逃してやるって言ったのに」
「ですが、私も共犯ですし……そんなことをすれば貴方にご迷惑がかかるかと」
「他人の心配より自分の心配しろよ。これから先、誰もあんたのことを助けちゃくれない。兄貴ですら、妹のあんたを利用しようとしたじゃないか」

 青白い顔で唇を噛みしめて俯く水連に、七穂は容赦なく続ける。

「軍の刑務所で、混ざり者の囚人がどんな目に遭っているのか、知ってるか? あんたみたいな美人は特に目立つから、看守やら囚人やらに寄ってたかって痛めつけられて、肉体的にも精神的にも追い詰められる。それが毎日続くんだ。いっそ死んだ方がマシだと思うだろうな」

「……でしたら兄も?」

 なおも兄の身を案じる水連に、無性にイラついて、

「親兄弟に尽くすことがそんなに偉いのか? 身を粉にして家族に尽くしたところで、最後に何が残る? 疲れ切って、ボロボロになるだけだ」

 口を荒げる七穂を、水連は驚いたように見返す。

「親だろうと兄弟だろうと、しょせんは皆人間なんだ。たいていは自分のことで手一杯で、他人を思いやる余裕がない。たとえ相手が家族でもな。中には自分の欲を満たすことしか考えない、クソみたいな奴もいる。そんなクソ兄貴に、あんたは利用されたんだ。このままじゃ、骨の髄までしゃぶられて、二度と人を信用できなくなるぞ」

 いつもなら、こんな説教じみたことは言わないのだが、なんか俺も鬼上司に似てきたなと自己嫌悪していると、

「……優しいんですね、貴方は」

 思いがけない反応に、戸惑って水連の顔を見る。

「赤の他人である私を逃がそうとしてくれて……今だって、私のために怒ってくれている」

 なぜか感謝されてしまい、七穂はきまり悪くなって黙り込んだ。
 
「どうか誤解しないでください。私は自分を犠牲にしてまで家族に尽くすほど、善人ではありません。現に私を育ててくれた祖母の元から逃げてきましたし、今だって、祖母の家に帰るつもりはありません。理由は……説明したほうがよろしいですか?」

 必要ないと首を横に振ると、水連はホッとしたように息を吐いた。

「兄のことを気にかけるのは、私が家族思いの娘だからではなく、それ以外に考えることがないからです。今の私には、愛する夫も子どももいません。親しくしてくれる友人も、手を貸してくれる知り合いもいない。これから何をすればいいのか分からず、正直、途方に暮れています。いいえ、途方に暮れるどころか、怖くてたまらない……ですから兄の身を案じることで、現実逃避しているのかもしれません。貴方にはこの気持ち、理解できないでしょうね」

 理解できなくもないが、面倒臭い女だなと七穂は心の中で独りごちる。

「そういえばあんた、催眠術が使えるんだって?」

 話が逸れてキョトンとする水連に、七穂は言った。

「それが本当なら貴重な人材だ。軍は今どこも人手不足だから」
「……はぁ」

「あんたがまずやるべきことは、自分が使える人間だってことを周囲にアピールすることだ。少しでも利用価値があると錯覚させればこっちのもん。あんたの働き次第で、兄貴も減刑されるかもしれない」

 刑務所に入る以外にも罪を償う方法はある。
 自分や百目鬼の話をすると、水連の顔つきがにわかに変わった。

「分かりました。貴方の助言に従ってやってみます」

 少し前まで無気力で死んだ魚のような目をしていた水連だったが、今は生き生きとした表情を浮かべている。その変化に、思わずニヤッとした七穂だったが、直後に激しい吐き気がぶり返してきて、慌てて口を押えた。

「窓っ、頼むから窓を開けてくれっ」




 ***





「ほら見ろ、僕の言った通りじゃないか」

 報告を受けて得意げな顔をする紫苑に、

「そうですね、殿下。お見事です」

 一眞も反論することなく主人を褒め称えた。
 するとますます紫苑は調子に乗り、

「僕が玉座に座る日も近いなっ」
「殿下、いい加減にしないと、そろそろその鼻っ柱をへし折りますよ」

 紫苑はギクッとすると、慌てて鼻を隠す。
 そしておもむろに咳払いすると、

「お前の教育の賜物だな。それにお前の部下、黒須七穂だったか? ひとえに彼の働きのおかげだ」

 咄嗟に労いの言葉をかけるものの、一眞は少しも嬉しそうな顔をせず、

「優秀な男ですから、当然かと」
「褒めているのに、なぜそんな嫌そうな顔をする?」
「この顔は生まれつきですからお気になさらず。それより、池上水連の処遇は?」
「お前に任せる。いつも通り、うまくやってくれ」

 承知しましたと頭を下げて、一眞は執務室を出る。紫苑の前では平静を装っていたものの、最後の言葉を聞いて、一眞は内心ほっとしていた。温泉街から戻ってきてからというもの、愛する婚約者が池上水連のことを口にするたびに悲しげな顔をするので、どうしたものかと悩んでいたのだ。

 ――あとはその女性次第だが……。

 それから一月後、胡蝶は水連と再会し、無二の親友になるのだが、それはまた別の話だ。
 

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