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第二十一話
しおりを挟むヨルンは必死になってイングリットさんに食らいついていましたが、勝負はとっくに見えていました。彼の身体はすでにボロボロ――満身創痍であるのに対して、イングリットさんはほとんど傷を負っておらず、余裕のある表情を浮かべています。
「まさかこんなに時間がかかるなんて思わなかった」
毒で動けない私の前に立つと、ヨルンはそこから動こうとしません。
イングリットさんから私を守るためでしょう。
ドラゴンの姿を維持するだけでもきっと大変なはず……その上、イングリットさん相手に戦うなんて。無茶が過ぎます。
案の定、ヨルンはその場に倒れてしまいました。ついに毒が全身に回ったのか、それとも体力が尽きたのかはわかりませんが、私は心配でたまらず「ギャっ、ギャっ(ヨルン、ヨルン)」とひたすら彼の名前を呼んでいました。
「記念にその生皮を剥いで、私の新しい武器にしてあげるわ」
イングリットさんは倒れたヨルンの身体の上に飛び乗ると、とどめを刺すために短剣を振り上げました。
ですが途中で固まってしまい、動けないようです。
一体何が起こったのかと、顔を強張らせるイングリットさんでしたが、
「――イングリットっ」
激しい怒りのこもった声。
すぐそこにいたのは、ヨルンの父親――クレイヴァル公爵でした。
しかも魔術師が持つような杖を手にしていて、先端をイングリットさんに向けています。
彼も魔術師だったなんて知りませんでした。おそらく魔法を使ってイングリットさんの動きを止めたのでしょう。
後ろにはワイスさんの姿もあります。肝心な時にいないと思ったら……公爵を呼びに行っていたのですね。
「これはどういうことだっ」
魔法を解かれ、自由に身体を動かせるようになったイングリットさんは、あらためて周囲を見回した。
そこでようやく自分がどこにいるのか気づいたのでしょう、後ろめたい顔をしています。
「……ドラゴンを追いかけるのに夢中で……気づかなかったの。まさか貴方の私有地に入っていたなんて……」
そんなことを言っているんじゃないと、ヨルン父は一喝するように返します。
あまりの剣幕に、イングリットさんの肩がビクっと震えました。
「そこから降りろっ、イングリットっ。息子の顔も見忘れたかっ」
イングリットさんはポカンとし、訳が分からないといった顔をしながらも、素直にヨルンの身体から離れました。
直後にドラゴンの身体が光り輝き、魔法が解けて、人間に戻ったヨルンが現れます。
ついに魔力が尽きたのでしょう。ぐったりと地面に横たわっていました。
「……ヨルン?」
彼女は最初、呆然としていました。
目の前の光景が――自分のしでかしたことが信じられないのでしょう。
イングリットさんの顔がみるみる青ざめていきます。耐え切れず、彼女はその場で嘔吐してしまいました。
「……………………………う、そ」
傷だらけの我が子を前に、彼女は絶叫しました。
戦いのさ中、顔色一つ変えなかった彼女が、へなへなと地面に膝をついて、泣き叫んでいます。
「うそよっ――うそよっ」
身体を丸めて、子どものように泣きじゃくるイングリットさんを目にしたのが、最後の光景でした。「イオ君、無事か?」というワイスさんの声が遠くに聞こえます。「駆け付けるのが遅れてすまない」ですって? まったくです。
毒のせいで、意識を保つのが難しくなってきました。
どうか、ヨルンが無事でありますようにと願いながら、私は目を閉じました。
***
「ヨルンにしてやられたな。あの子はこうなることが初めから分かっていたんだ。だからあえてドラゴンの姿でイングリットと戦った。自分を捨てた母親に復讐するために」
「イングリット殿はヨルンを捨てたわけではない。彼女の同僚から話は聞いた。そう思い込ませたのは貴殿じゃ、アーネスト」
夢うつつに、ヨルン父とワイスさんの話声が聞こえてきました。
アーネストというのは、ヨルン父のファーストネームです。
名前で呼び合うくらい、二人は仲が良かったのですね。知りませんでした。
「イングリット殿に絶縁状を送りつけたそうじゃな。王家の紋章入りで」
「そうでもしなければ息子を守れなかった。イオもだ。イングリットの性格は君もよく知っているだろう? ワイス」
ワイスさんはやりきれないといったように重いため息をつきました。
「だがこの仕打ちはあまりにも残酷すぎる。万が一、イングリット殿が我が子を手にかけていたら……どうするつもりじゃった?」
「考えて実行に移したのはヨルンだ。私がそう仕向けたわけじゃない」
ヨルン父は困ったように続けます。
「それにヨルンは勝つ気でいたさ。プライドの高い子だ。殺されるなんて少しも考えていなかっただろう。現に生きている」
「だとしても残酷じゃ。イングリット殿はどうなる? 彼女は彼女なりにヨルンを愛しておるのじゃぞ、心から」
「ヨルンはイオ君に執着している。彼女に手を出したらどうなるか、イングリットに思い知らせたかったのさ」
「そして見事にトラウマを植え付けたわけじゃな。彼女がドラゴンを殺すことは二度とないじゃろう。おそらくこれから先、ドラゴンを見かけるたびに、息子が魔法で変身しているのではないかと、疑心暗鬼に駆られるはずじゃ」
ワイスさんの声はどこかホッとしているようでした。
それはヨルン父も同じようで、
「見た目は私に似ていても、あの子の性格はイングリットそのものだ」
「そうじゃな、互いにドラゴンに執着しておる、それこそ人生をかけて……」
二人の声が徐々に遠ざかっていきます。
次第に眠気が強くなってきました。
「しかしヨルンは、貴殿の素質もしっかりと受け継いでおるぞ。あまたの魔獣を生み出し、二百年にも及ぶ戦争を終結させた大魔術師アーネスト・ケルリック・クレイヴァルの血を。純粋な魔力量で言えば、わしやザイオンですらヨルンの足元にも及ばんからのう」
「大昔の話を持ち出すのはやめてくれ。魔術師はとっくの昔に廃業したんだ。ヨルンにも話していない」
その時のヨルン父の声は暗く、沈んでいました。
「いくら王命とはいえ、人間を殺す殺りく兵器を作ったんだ。誇れることじゃない」
「じゃが……」
「今この瞬間も魔獣は増え続け、人間を殺している。何度も自決しようと思ったが、私一人の命ではとても償いきれないからね」
こうしてのうのうと生き延びているわけだと自嘲気味に語ります。
「今の私にできることといえば、魔術師協会が保有している情報――新種の魔獣の生態や弱点をハンターギルドに横流しするくらいさ」
「おまけに毎年、多額の寄付もしておるしのう」
「あんなのはただの自己満足……」
二人の会話が聞こえなくなったと思ったら、どうやら途中で寝落ちしてしまったようです。
私は夢を見ないくらい、深い眠りにつきました。
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