帯刀医師 田村政次郎

第一話 上野の辻斬り

一

　上野の街には今日も楽しげな風が吹いている。徳川家縁者田村政次郎は今日もほのぼのと暮らしている。朝に転んで頭を打ったと言う怪我人を診ただけで、今日も特に大きな事は無かった。
　酉二つ（午後七時頃）になり、診療所を閉め、家へ帰った。
　政次郎は診療所から歩いて少しの所に大店級の屋敷を持っている。と言ってもこの屋敷は政次郎の実家田村家が持っているお抱え屋敷だ。
「ただいま。」
政次郎以外誰も住んでいない家に向かって政次郎は言った。すると台所の方から「お帰りなさい」と声がする。声の主は政次郎の恋人、お花である。お花の家は上野で一番の料亭を開いていて、お花はそこの次女である。歳は政次郎と同じ十八である。　　　　　
　台所に顔を出すと、もう少しで夕飯ができるので、居間で待っていてくれと言われたので、言われたとおりに従った。
　この間に政次郎とお花との関係を少し述べよう。
　お花とは、政次郎が八つのときに養父田村政義から自分が徳川秀忠嫡男家政の子だと知り、家出したときに出会った。その後十五のときに恋仲になったがそのときに自分の素性は話してある。政次郎の出自を知る数少ない人間の一人である。しばらくすると台所から二人分の夕飯を持ったお花がやってきた。
 今日の夕飯は、焼き魚にお花が漬けたぬか漬けだ。政次郎はこのぬか漬けが大好物でこれが出てくると、いつもたくさん食べる。
　この夜お花は政次郎の家に泊まることになり、二人で寝室に布団を敷いて寝た。