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第一章 たそがれの女助け人
一の二
日本橋での兄の捜索も空振りに終わり、小源太はふてくされたような顔をして、お了と並んで柳原の店まで帰るのであった。
ひとり娘がうろんな者にあとをつけられているようだし、そうでなくても、昨今は身なり卑しい牢人が多くて年頃の娘を持つ親としては気が気でない。なので玉木屋は用心棒を雇うことにした、というのがいきさつであった。
そうして今日は、いつもお了の供をしている女中のおためが風邪をこじらせて臥せっているので、代わりに小源太がお了の送り迎えをしている。小袖に袴をはいて、蝙蝠羽織をひっかけて、長い袖をひらひらさせて小源太は歩いた。
二月の、温かみをおびてきた陽の光がいちめんに降りそそぎ、道行く人人のなかには手ぬぐいで額や首筋の汗をぬぐう者もいた。
「そんな仏頂面をしていては、せっかくのご器量が台無しだわ」お了が小源太の顔をのぞきこむようにして言った。「そのご様子だと、お兄様の手がかりは見つからなかったようですね」
江戸っ子気質というのだろうか、お了は侍の小源太に対しても、まるで遠慮する気色もなく姉に物を言うような調子で喋るのだった。
お了は十六で、まだ子供子供したあどけなさが顔にも体つきにも残っていたが、若若しく明るい少女の魅力がはじけるようであった。
「うん、まったく見つからない」
「あら、茶店だわ。小源太様、団子を食べていきましょうよ」
自分のほうから話を振っておいて、急に話題を変えたお了にまたむっとして、小源太は、
「侍が女子と団子なぞを食べられるものではない」
「あら、侍ですって。いつもお世話になっているから、おごって差し上げようと思ってたのに」
「男が女子におごってもらうなど、なおさらいけない」
「ほほほ、男ですって。本気で言っているのかしら、面白いわね、小源太様は」
茶店は魚河岸の端にあって、小屋掛けの店の前に長椅子をふたつ並べてあって、腰の曲がりかけた老婆が営んでいるようであった。
お了は駆けていき、さっさと団子と茶を店の婆さんに注文すると、椅子にすわって、小源太も座るように椅子を叩くのだった。
このころはまだ庶民が気軽に食事できる料理屋というものはなかったようで、小屋や屋台で汁粉、団子、蕎麦などが売られ、客は立ち食いするのが一般的だった。ただ、もう数年も経つと料理屋の記録が文献にあらわれてくるので、この物語の頃には、萌芽のようなものはあったかもしれない。
小源太はお了の脇に座って、腕を組んで団子が出てくるのを待った。
江戸に幕府が開かれて五十年ほども経てば、このような、身分秩序を軽視する女子も出てくるのだろう、と小源太は思った。長屋のかみさん達だってそうだ、小源太を侍とも思わない態度で接してくる。それにはもちろん小源太が女であることに原因の一端があるのだが、小源太は男として接してほしいし、侍に対しての敬意というものを払ってもらいたいものだと思う。だが、その反面、変り者の男姿の女に対しても気安く接してくれることには、ある種の安らぎのようなものさえ感じているのだった。
「ねえ、小源太様、ついぞ訊きそびれていましたけど、なぜ男の身なりをしていらっしゃるの?」
「理由なんてないよ。ただ私は女の着物を着ているより、こっちのほうが気分がしっくりくるんだ」
「ご家族からはなにも言われませんの?」
「大叔父は何も言わなかったし、兄はお転婆だと笑っていたな」
「お兄様って行方しれずの?どんな方ですの」出された団子を口にはこびながら、お了が訊いた。
「そうだなあ、兄の名は冬至郎。冬至に生まれたから冬至郎と名付けられた」
「いえ、それでは、捜すのにいちいち名前を聞いてまわらなくってはいけないわ」
「あそうか、見た目の話だな。そう、見た目は、背丈が五尺三寸、太ってもなし痩せてもなしで、顔は太めの眉に大きな目で尖った鼻をしていたな。歳は私と八つ違いだから、二十六になる」
「ううん、そう言われてみても、そんな顔の人ばかりだわ」お了はあたりを見廻しながら言った。「ほら、通りを歩いているあのお武家様だってそんな感じに見えますわよ」
「どれ、あ、本当だ」と小源太は団子を咥えたまま立ち上がった。「ちょっと近くで見てこよう」
が、近づいて見たその侍の顔は兄とは似ても似つかなかったし、年齢もまるで違う中年男であった。
ちぇっと舌打ちをして、訝しむ牢人の視線を背中に感じながら茶店に戻った小源太であったが、そこで座って茶を飲んでいるはずのお了の姿が消えていた。
団子は食べ終わって串だけ残っていたし、茶もすっかり飲み干されていた。
顔から血の気がさがって、肝がぐっと冷えた。
「おい、婆さん」小源太は店の奥に向かって引きつったような声で叫んだ。
すぐに出てきた老婆は、「へえ、合わせて十二文になります」などと言う。
「ちがう、ここに座っていた女子はどこへ行った」
「さあ」
「さあでは困る」
「そう言われましても」
そう言いながらも、婆さんは催促するように手のひらを小源太に突き出してくるのだった。
ひとり娘がうろんな者にあとをつけられているようだし、そうでなくても、昨今は身なり卑しい牢人が多くて年頃の娘を持つ親としては気が気でない。なので玉木屋は用心棒を雇うことにした、というのがいきさつであった。
そうして今日は、いつもお了の供をしている女中のおためが風邪をこじらせて臥せっているので、代わりに小源太がお了の送り迎えをしている。小袖に袴をはいて、蝙蝠羽織をひっかけて、長い袖をひらひらさせて小源太は歩いた。
二月の、温かみをおびてきた陽の光がいちめんに降りそそぎ、道行く人人のなかには手ぬぐいで額や首筋の汗をぬぐう者もいた。
「そんな仏頂面をしていては、せっかくのご器量が台無しだわ」お了が小源太の顔をのぞきこむようにして言った。「そのご様子だと、お兄様の手がかりは見つからなかったようですね」
江戸っ子気質というのだろうか、お了は侍の小源太に対しても、まるで遠慮する気色もなく姉に物を言うような調子で喋るのだった。
お了は十六で、まだ子供子供したあどけなさが顔にも体つきにも残っていたが、若若しく明るい少女の魅力がはじけるようであった。
「うん、まったく見つからない」
「あら、茶店だわ。小源太様、団子を食べていきましょうよ」
自分のほうから話を振っておいて、急に話題を変えたお了にまたむっとして、小源太は、
「侍が女子と団子なぞを食べられるものではない」
「あら、侍ですって。いつもお世話になっているから、おごって差し上げようと思ってたのに」
「男が女子におごってもらうなど、なおさらいけない」
「ほほほ、男ですって。本気で言っているのかしら、面白いわね、小源太様は」
茶店は魚河岸の端にあって、小屋掛けの店の前に長椅子をふたつ並べてあって、腰の曲がりかけた老婆が営んでいるようであった。
お了は駆けていき、さっさと団子と茶を店の婆さんに注文すると、椅子にすわって、小源太も座るように椅子を叩くのだった。
このころはまだ庶民が気軽に食事できる料理屋というものはなかったようで、小屋や屋台で汁粉、団子、蕎麦などが売られ、客は立ち食いするのが一般的だった。ただ、もう数年も経つと料理屋の記録が文献にあらわれてくるので、この物語の頃には、萌芽のようなものはあったかもしれない。
小源太はお了の脇に座って、腕を組んで団子が出てくるのを待った。
江戸に幕府が開かれて五十年ほども経てば、このような、身分秩序を軽視する女子も出てくるのだろう、と小源太は思った。長屋のかみさん達だってそうだ、小源太を侍とも思わない態度で接してくる。それにはもちろん小源太が女であることに原因の一端があるのだが、小源太は男として接してほしいし、侍に対しての敬意というものを払ってもらいたいものだと思う。だが、その反面、変り者の男姿の女に対しても気安く接してくれることには、ある種の安らぎのようなものさえ感じているのだった。
「ねえ、小源太様、ついぞ訊きそびれていましたけど、なぜ男の身なりをしていらっしゃるの?」
「理由なんてないよ。ただ私は女の着物を着ているより、こっちのほうが気分がしっくりくるんだ」
「ご家族からはなにも言われませんの?」
「大叔父は何も言わなかったし、兄はお転婆だと笑っていたな」
「お兄様って行方しれずの?どんな方ですの」出された団子を口にはこびながら、お了が訊いた。
「そうだなあ、兄の名は冬至郎。冬至に生まれたから冬至郎と名付けられた」
「いえ、それでは、捜すのにいちいち名前を聞いてまわらなくってはいけないわ」
「あそうか、見た目の話だな。そう、見た目は、背丈が五尺三寸、太ってもなし痩せてもなしで、顔は太めの眉に大きな目で尖った鼻をしていたな。歳は私と八つ違いだから、二十六になる」
「ううん、そう言われてみても、そんな顔の人ばかりだわ」お了はあたりを見廻しながら言った。「ほら、通りを歩いているあのお武家様だってそんな感じに見えますわよ」
「どれ、あ、本当だ」と小源太は団子を咥えたまま立ち上がった。「ちょっと近くで見てこよう」
が、近づいて見たその侍の顔は兄とは似ても似つかなかったし、年齢もまるで違う中年男であった。
ちぇっと舌打ちをして、訝しむ牢人の視線を背中に感じながら茶店に戻った小源太であったが、そこで座って茶を飲んでいるはずのお了の姿が消えていた。
団子は食べ終わって串だけ残っていたし、茶もすっかり飲み干されていた。
顔から血の気がさがって、肝がぐっと冷えた。
「おい、婆さん」小源太は店の奥に向かって引きつったような声で叫んだ。
すぐに出てきた老婆は、「へえ、合わせて十二文になります」などと言う。
「ちがう、ここに座っていた女子はどこへ行った」
「さあ」
「さあでは困る」
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