日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠

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第二章 幻の虹

二の六

 谷中の青山道場というのは、寺がたち並ぶ一画にあって、寺と寺に挟まれた狭い敷地に窮屈そうに道場が建っていて、いまにも押しつぶされそうなちっぽけな道場である。

 小源太は、その青山道場に、久右衛門の紹介でひと月ほど前から代稽古をつとめていた。
 道場に通って来る門人は、近隣の帯刀を許された商人や百姓がほとんどで、趣味の手習い程度の軽い気持ちで竹刀を握っている。そういう中年おやじ達は、年頃の娘が稽古をつけてくれるというので、いっそう足しげく通って来るようになったし、小源太の教え方が丁寧でわかりやすいものだから、少年の門人達にもにんきがあるようであった。

「いやあ、お前さんが来るようになって、うちは大繁盛だよ」
 道場主の青山清左衛門あおやま せいざえもんは酒臭い息でそんなことを言うのだ。
 清左衛門は、三十後半の男で、道場主らしくがっしりとした体つきではあるが、胸にも手足にもびっしりと毛が生えて、見るからに男くさく、じっさい汗臭い体臭をふりまいていた。

 今日も小源太は代稽古を勤め、門人たちに見送られるようにして道場を後にした。

 さて、と小源太は思った。
 ここまで来たついでに、多嘉に会いにいこうか、という気分であった。
 寺の間を縫うようにして、いったん日光街道まで出て千住へと向かった。
 街道をそれて田畑を抜けて多嘉の家についてみると、なにやら多嘉以外の人の気配がする。
 庭から居間をのぞいてみると、町人の男が囲炉裏を挟んで多嘉と楽しそうに話しをしている。歳の頃は二十なかばで痩気味の長身で、銀煤竹ぎんすすたけ色のあわせに紺に白い筋の入った帯を巻いて、ちょっと女好きのする容姿の青年だった。ふたりは一見すると、すっかりうちとけているように見える。

「あら」と多嘉が小源太に気づいた。「いらっしゃい、小源太さん」
「こんにちは、お元気そうで」
「ほほほ、最後に会ってから、まだ十日くらいしか経っていないじゃないの」
「そうですか」と小源太は男を盗み見るようにして見た。
「ああ、この人?」と多嘉はいたずらっぽく微笑んだ。「誰だと思う?」
「さあ」
「孫の市太郎よ」
「ええっ」とのけぞらんばかりに小源太は驚いた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないの。話は聞いているわ。小源太さんが私に内緒で探してくれていたんでしょう」
「はあ、勝手なことをしまして。ですが、このかたにはお会いしておりません」

「実は」と市太郎が話を受けて、「善吉店の大家さんからお話を聞きまして」
 市太郎は細面の白い顔をしていて、人がよさそうににこにこと笑って、いかにも好青年という印象である。
「ということは、善吉さんがあなたを見つけてくれたと?」
「そうなんです、なんでも、火事で焼けたと思っていた当時の帳面が、焼け残っていたのを見つけ、そこから私にたどりついたそうなんです」
「ああ、そうであったか」
 善吉には多嘉の家の場所を教えてあったから、市太郎はそれを聞いて直接ここに来たのであろう。
「まさか、ほんとうの祖母に出会えるとは、夢にも思っていませんでした。あいにく母はもう他界していまして、私がこうして、母の思い出話をおばあ様としています」

 小源太はふかくうなずいた。そうして、
 ――ざまをみろ。
 と胸の中で石上幸太夫に向けて吐き捨てるように言った。確固たる思いを胸に事にのぞめば、こうして良い成果が訪れるのだ。あの頑固じいさんに多嘉のこの嬉しそうな顔をみせてやりたいくらいだ。

「では、私はこれで失礼します」と市太郎が頭をさげた。
「あら、もう帰ってしまうの?」と多嘉はすがりつきそうな様子である。
「あまり長居をしては、申し訳がないですから。またきっと来ますよ、おばあ様」
「ああ、待って」と多嘉は箪笥まで立って行って、いくらかの金を包んだようだ。「これを持っていって」
「いやそんな、この前もあんなにいただいたのに」
「いいのよ、年寄りひとり、生きていくには充分すぎるほどのたくわえがあるんですもの。かわいい孫にあげるお小遣いくらい、どうということはないわ」
「そうですか、ではありがたくいただきます」
 市太郎は金を押し頂くようにして受け取って、小源太にも深深と頭をさげて帰っていった。

「ああ、この齢になって、あんな優しい孫ができるなんて、私は幸せだわ。小源太さん、色色と骨を折ってくださって、ありがとう」
 礼を言われて小源太はなんとなく照れくさい気がして、頭を掻いた。
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