日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠

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第二章 幻の虹

二の八

 伝通院裏の長屋の大家善吉は、おぼれそうなほど顔から汗を流し、平謝りに謝った。
「それは、おそらく息子の駒市こまいちでございます」
 小源太と幸太夫は居間で善吉に対面すると、すぐに多嘉の家にいた男の容姿を伝え、それを聞いた善吉はすぐに息子と察したのだった。
「以前、栗栖様が多嘉様のお子を探しにいらしたとき、駒市はどこかで話を盗み聞きしていたのでしょう。悪知恵をめぐらしたものと思います。多嘉様のお孫さんのふりをしたばかりか、金を無心するとは、なんという愚かなことを」

「その、駒市というのはどこにおるな」幸太夫が訊いた。
「今は家にはおりません。さて、どこに出かけたものか。まだ昼時ですから、この時間から賭場には行ってませんでしょう。おそらく博打仲間の家にでももっているのではないでしょうか」冷や汗を拭き拭き、善吉が答えた。
「場所はわかるか」
「薬研堀の辺りです。私がご案内いたします」
「うむ、見つけ出してとっちめてやる」
「私がいくら叱っても、まるで聞く耳をもちません。手荒なことをしていただいても、いっこうにかまいません。ぜひ、一度こっぴどく叱ってやってくださいませ」

 駒市の博打仲間という平五郎の家というのは、薬研堀近くの長屋のひとつで、おとないををつげると、おしろいの匂いを撒き散らしながら、やさぐれた年増の女が顔をだした。
「こちらに、駒市はおるかの」小源太が訊いた。
「駒さんですか、さっきまではいましたけどね、亭主と駒さんとあともうひとり、誰だったかしら、誰かとどこかにいっちゃいましたよ」見た目どおりのはすっぱな物言いをする女であった。
「どこに行ったか、聞いておらぬか」
「さあ、なんでも、みんな博打のツケがたまって首がまわらなくなったから、どこかの婆さんが小金をため込んでいるのを、いただきにいくとかなんとか」
 小源太は幸太夫と顔を見合わせた。
 間違いない、多嘉に金をたかりに行ったのだ。
「いつごろ出て行ったな」
「いつだったかしらねえ、もう四半刻は経ってるんじゃないですか」
 小源太と幸太夫、そして善吉はすぐに踵を返した。
 ここから、多嘉の家まで直線で一里ちょっとしかない。
「駕籠をひろっても、追いつけそうにないな」幸太夫が顎を撫でながら言った。
「舟を雇いましょう。駕籠よりは早く着くはずです」善吉が案を出した。

 隅田川まで出て、船宿で舟を雇った。
 千住まで急いでくれという注文に、船頭は、のぼりですからねえと渋っ面をしたが、酒手ははずむぞ、と幸太夫が一朱金を何枚か握らせると、相好をくずしてはずむように舟に飛び乗って竿を取った。

 舟にゆられている間、幸太夫はむっつりと黙りこくって、じっと隅田川の上流を見つめていた。空には灰色の雲がいくつか浮いているが、空を覆い隠すほどではなかった。川の流れは静かで、雲の間から顔をのぞかせた日の光をまぶしいくらいに反射して、小源太は目を細めて景色を眺めた。船頭がはりきって櫓を漕いでいるのだろう、浅草の町並みがたちまち通りすぎ、向島の土手が流れるように遠ざかっていく。一艘の釣り舟を追い抜き、客を乗せてくだってくる舟が矢のように通り過ぎる。

 千住に近づいてくると、幸太夫がぽつりと言った。
「人と人との出会いは縁だ。縁がなければどんなに近くに住んでいてもすれちがって出会うことはないし、縁があれば数十年会わなかった人ともまた出会える。貴公がその縁なのだ」
 言われて小源太は幸太夫の横顔を見た。刻まれた深い皺の中の細められた目は、なにか遠い思い出を見つめているようであった。



 多嘉の家が一町ほど向こうに見える松の木の下で、小源太と幸太夫と善吉は、駒市達を待った。
 家では多嘉が夕飯の支度をしているのであろう、裏手から炊煙が立ちのぼっていた。

 三人はもう半刻ばかりも待っていたが、男達はどこかで道草を食っているのだろうか、いっこうに姿をあらわさぬ。
「船頭に酒手をはずむ必要はなかったな」
 幸太夫が腕を組んで苦笑している。

 日はどんどんと傾いていくし、空にまだらに浮かぶ綿のような雲の、そのいくつかは雨雲で、すでにどこか遠くで雨を降らせているのか、しだいにこの辺りの空気も湿り気を帯びてきて、小源太達の頭上の雲からもいつ雨が落ちてきてもおかしくない様子だった。

 幸太夫はずっと多嘉の家を見つめていた。小源太が舟で見たのと同じ遠い過去を見ているような目であった。やはり四十年前の思い出を胸に描いているのかもしれない。小源太からすると、途方もない時間をふたりは離れ離れに生きてきた。その深い思いはいかほどのものか、小源太には想像もつかない。
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