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第三章 打掛の用心棒
三の一
人波に流されるようにして柳原の土手まで出たところで、栗栖小源太はひとつ深呼吸をした。
いつまでたっても、この人の多さには慣れないものだと、人いきれに辟易しつつ、土手の端に寄って途切れることのない人の流れを眺めつづけていた。
――今日も無駄足だった。
小源太は吐息をついた。
行方しれずの兄、冬至郎の捜索はまったく進捗をみせなかった。おぼろげでもいいから、なにか踪跡の一端でもみつかれば、前途に希望が見いだせるのだが、影も形もなく、まるで冬至郎という存在そのものがこの世から消滅してしまったようですらあった。
かつて冬至郎が江戸にいると教えてくれたのは、伏見の商人の男であった。
京のはずれの、三十三間堂の南にある大叔父の道場に、気が向いた時だけ顔をだす男であったが、その商人の男が江戸に商談に言った時に、吉原の近くで冬至郎を見たと言う。
あの真面目一徹な兄が、まさか遊里に通っていたとも思われないから、他人の空似かもしれないが、その商人が言うには、すれ違いざまに目が合った時、冬至郎はあわてた様子で目を逸らしたそうであるから、信憑性がなくもない目撃談であった。それで、小源太は、江戸にでてきてからこっち、日本橋、京橋、神田辺りを重点的に歩き回り冬至郎を捜していた。
兄が出奔した理由はわからない。
流行らない道場を継がせようとする大叔父(もっとも冬至郎の剣術の腕前はいまいちであった)に反発しての家出にも思えたが、賢明で理知に富んだ兄がそんな子供じみた理由で、わざわざ東海道を下って江戸まで出てくるとは思えない。
小源太はいつもはおっている蝙蝠羽織を脱ぐと小脇に抱えた。午後の春の陽射しは暖かく、人ごみの中にいたこともあり、いつの間にかじっとりと汗をかいていた。神田川は川面を揺らしながら静かに流れていて、流れに沿うように渡ってくるそよ風が心地よかった。そうして小源太は額の汗を手で拭うと、いつみ殿橋(和泉橋)を北に渡って、神田明神下にある長屋へと帰路についた。
裏長屋の、風通しの悪い、じめじめとした路地を歩き、家のそばまでくると、入り口の戸が開け放たれてい、中から人の気配がする。
はてなにものだろう、うちになぞ空き巣に入ったところで盗る物などありはしないのに。そう思いながら入り口からのぞくと、大家の久右衛門が上がり框の上に、見知らぬ町人の青年とならんで腰かけている。
のぞいた小源太のほうに、ふたりは息をあわせたように同時にふりむき、
「やっと帰った」
と久右衛門が溜め息まじりに、ほっとしたように言った。
隣の青年が立ちあがり、
「日本橋富沢町で古手屋を営んでおります豊岡屋の息子金助と申します」
そう言って深深と頭をさげた。
ふっくらとした体つきの丸い顔に澄んだ目をした青年で、人の良さそうな顔立ちではあるが、目は落ち着きなく左右にいったりきたりしているし、声の調子もおどおどとしているし、どこか頼りない人のように小源太には思えた。歳は二十二、三といったところだろう。
金助は続けた。
「柳原の玉木屋さんに、こちらに人助けを生業にしているかたがいらっしゃるとうかがいまして、ぜひ相談に乗っていただきたく参上しましたしだいです」
「ああ、そうでしたか」顔をほころばせて小源太は答えた。久しぶりの用心棒仕事だとありがたい。「お話をうかがいましょう。おあがりください」
久右衛門が話に割って入って、
「話がうまくまとまるといいですな。これで店賃を払っていただければ、わたしもうれしい」
ガラガラ声で嫌味を投げかけるのへ、小源太は、
「家賃は先日払ったでしょう」
「溜まっていたぶんだけですけどね。今月分はちゃんと払ってくれるんでしょうな」
今月分の店賃など、この金助が手当てをはずんでくれねば払えるはずもないではないか。小源太はむっとして話を変えた。
「ところで大家さん、あなたなんでいるんだい」
「なんでって、金助さんをご案内して、あんたがいないもんだから、ただお待ちいただくのも申し訳ない、話し相手になっていただけです」
「そうですか、でしたら、もうおかえりになってけっこう」
久右衛門はさも意外な言葉を耳にしたという顔で、小源太をにらみつけた。
小源太は素知らぬ顔で部屋にあがり、金助を手招きしたのだった。
いつまでたっても、この人の多さには慣れないものだと、人いきれに辟易しつつ、土手の端に寄って途切れることのない人の流れを眺めつづけていた。
――今日も無駄足だった。
小源太は吐息をついた。
行方しれずの兄、冬至郎の捜索はまったく進捗をみせなかった。おぼろげでもいいから、なにか踪跡の一端でもみつかれば、前途に希望が見いだせるのだが、影も形もなく、まるで冬至郎という存在そのものがこの世から消滅してしまったようですらあった。
かつて冬至郎が江戸にいると教えてくれたのは、伏見の商人の男であった。
京のはずれの、三十三間堂の南にある大叔父の道場に、気が向いた時だけ顔をだす男であったが、その商人の男が江戸に商談に言った時に、吉原の近くで冬至郎を見たと言う。
あの真面目一徹な兄が、まさか遊里に通っていたとも思われないから、他人の空似かもしれないが、その商人が言うには、すれ違いざまに目が合った時、冬至郎はあわてた様子で目を逸らしたそうであるから、信憑性がなくもない目撃談であった。それで、小源太は、江戸にでてきてからこっち、日本橋、京橋、神田辺りを重点的に歩き回り冬至郎を捜していた。
兄が出奔した理由はわからない。
流行らない道場を継がせようとする大叔父(もっとも冬至郎の剣術の腕前はいまいちであった)に反発しての家出にも思えたが、賢明で理知に富んだ兄がそんな子供じみた理由で、わざわざ東海道を下って江戸まで出てくるとは思えない。
小源太はいつもはおっている蝙蝠羽織を脱ぐと小脇に抱えた。午後の春の陽射しは暖かく、人ごみの中にいたこともあり、いつの間にかじっとりと汗をかいていた。神田川は川面を揺らしながら静かに流れていて、流れに沿うように渡ってくるそよ風が心地よかった。そうして小源太は額の汗を手で拭うと、いつみ殿橋(和泉橋)を北に渡って、神田明神下にある長屋へと帰路についた。
裏長屋の、風通しの悪い、じめじめとした路地を歩き、家のそばまでくると、入り口の戸が開け放たれてい、中から人の気配がする。
はてなにものだろう、うちになぞ空き巣に入ったところで盗る物などありはしないのに。そう思いながら入り口からのぞくと、大家の久右衛門が上がり框の上に、見知らぬ町人の青年とならんで腰かけている。
のぞいた小源太のほうに、ふたりは息をあわせたように同時にふりむき、
「やっと帰った」
と久右衛門が溜め息まじりに、ほっとしたように言った。
隣の青年が立ちあがり、
「日本橋富沢町で古手屋を営んでおります豊岡屋の息子金助と申します」
そう言って深深と頭をさげた。
ふっくらとした体つきの丸い顔に澄んだ目をした青年で、人の良さそうな顔立ちではあるが、目は落ち着きなく左右にいったりきたりしているし、声の調子もおどおどとしているし、どこか頼りない人のように小源太には思えた。歳は二十二、三といったところだろう。
金助は続けた。
「柳原の玉木屋さんに、こちらに人助けを生業にしているかたがいらっしゃるとうかがいまして、ぜひ相談に乗っていただきたく参上しましたしだいです」
「ああ、そうでしたか」顔をほころばせて小源太は答えた。久しぶりの用心棒仕事だとありがたい。「お話をうかがいましょう。おあがりください」
久右衛門が話に割って入って、
「話がうまくまとまるといいですな。これで店賃を払っていただければ、わたしもうれしい」
ガラガラ声で嫌味を投げかけるのへ、小源太は、
「家賃は先日払ったでしょう」
「溜まっていたぶんだけですけどね。今月分はちゃんと払ってくれるんでしょうな」
今月分の店賃など、この金助が手当てをはずんでくれねば払えるはずもないではないか。小源太はむっとして話を変えた。
「ところで大家さん、あなたなんでいるんだい」
「なんでって、金助さんをご案内して、あんたがいないもんだから、ただお待ちいただくのも申し訳ない、話し相手になっていただけです」
「そうですか、でしたら、もうおかえりになってけっこう」
久右衛門はさも意外な言葉を耳にしたという顔で、小源太をにらみつけた。
小源太は素知らぬ顔で部屋にあがり、金助を手招きしたのだった。
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