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第三章 打掛の用心棒
三の四
お茶の水にある、宝蔵院流槍術を教える道場の真ん中に、三人の男が座って、身を寄せ合うようにして会話をしている。
日暮れ近くの薄暗い道場の中には、三人の他に門人などの気配もなく、男達の真ん中には徳利が置かれ、それぞれの脇には酒の注がれた湯呑み茶碗があるばかりで、肴などは見えず、貧乏臭さすらあった。
「まさか、蝙蝠小町が出てくるとは思わなかった」無精髭を撫でながらひとりの男が言った。
「以前からお前の言っていた、あの男女か?」三人の中でとりわけ背の高い、体つきのがっしりとした男が訊いた。
「そうだ」
「べつにかまわんではないか」
「かまうさ。だって俺は顔を知られている」
「知られているだけなら何も問題はなかろう」
「丸橋、気軽に言ってくれるな。名前だって知られちまっているんだぜ」
「それは、お前が本名を教えてしまったのが悪い」
「勢いでついな、名乗っちまったんだ」
「軽薄な男だとは常から思っていたが、そこまで考えなしの浅はかだとは思わなかった。あきれるなあ、金井よ」
丸橋と呼ばれる男はそう言って、茶碗の酒をぐびりとあおった。
丸橋忠弥といって、この道場の主で、四十なかばの、体格におあつらえむきの、がっしりとえらの張った顔をしていて、太い眉に虎のような大きな目をぎょろぎょろさせて、頑固そうなへの字口を持っていた。
「大将に蝙蝠小町のことを話した時、何て返したと思う」金井も酒をすすった。
金井半兵衛は、さきの玉木屋お了駆け落ち事件の時、駆け落ちに手を貸した男達の中にいた、あの牢人者であった。
「さあ」丸橋は首をひねる。
「なんとか小町というあだ名は、ふつう地名を前につけて呼ぶものだ。浅草小町とか、神田小町とか。蝙蝠羽織を着ている女だからと言って、蝙蝠小町などと呼ぶのはおかしい、間違っている、とまあこうだ」
「大将らしいや」
「そうだよ、だから言ってやったよ、あんた、頭が固すぎるんだ。そんなんじゃ、ここぞと言う時に、時流を読み切れずにこけるぜ、ってな」
「そしたらなんだって」
「笑ってたよ」
聞いて、丸橋も笑った。
「だいたい、大将が穏便に打掛を手に入れろなんて命令するから、話がややこしくなってきたんだ」と金井はぼやくのだった。
「最初っから押し込んで、打掛だけ盗んで、代金を置いてくればそれで終わっていたな」
「丸橋らしい、真っすぐな発想だ」
「馬鹿にするな」
「馬鹿になんぞするものか。俺はお前さんのそういう気質が好きなんだ」
「へっ、どうだかな」
「おい」
と金井半兵衛は、もうひとりの、ずっと黙ってちびちびとなめるように酒を飲んでいる男に声をかけた。
「横手、お前さんはこの中じゃ一番頭がまわるんだからな、なんかとびきりの妙策を考え出してくれ」
「蝙蝠小町、確か栗栖小源太と名乗っているのでしたね」横手と呼ばれた男が答えた。静かな声音である。
横手は、名を誠一郎と言い、他のふたりよりもずっと若く、二十なかばくらいだろうか、まだ幼さの残る顔に、優し気な笑みを浮かべ、大きな目を爽やかに細めている。およそ牢人であろうが、身なりはこざっぱりとしていた。
「調べたところでは、生国は備前岡山、のち京の大叔父のもとで育ち、行方不明の兄を捜して江戸に出てきたそうだ。剣術の流派は一羽流。今の住まいは、神田明神下の、確か、けやき長屋と言ったかな。本名だけはわからん」
「ずいぶん詳しく調べたじゃないか、金井。惚れたか?」冷やかすように丸橋が言った。
「まさか、まだ小娘だぜ。大将が念のため調べとけって言うもんだから、調べたまでだ」
「一羽流か。面白そうだな、一度手合わせしてみたいもんだ」
「けっこう手ごわいぜ、丸橋。女と思ってなめてかかると絶対に痛い目をみるよ」
「そうですか」と横手は、腕を組んで天井を仰ぎ見た。「まあ、策などいくらでもありますよ。犠牲を出さずに打掛を手に入れればいいんですよね」
「そう、大将いわく、値三千両はくだらない打掛だそうだ」と金井は半信半疑といった言い様であった。
「大名の奥方の着物じゃあるまいし、そんなに価値のある打掛なんてあるわけがねえ」丸橋も疑っている。
「たしかに、打掛そのものにそれほどの値打ちがあるとは思えません。打掛に何か秘密が隠されているということでしょう」横手は冷静に推測している。
「ま、その辺は打掛を手に入れたら、大将が教えてくれるだろうぜ」
金井の楽観論に三人はうなずいた。
「では、私の計画を教えます」
横手が言うと、金井と丸橋は身を乗り出して企てを聴くのであった。
日暮れ近くの薄暗い道場の中には、三人の他に門人などの気配もなく、男達の真ん中には徳利が置かれ、それぞれの脇には酒の注がれた湯呑み茶碗があるばかりで、肴などは見えず、貧乏臭さすらあった。
「まさか、蝙蝠小町が出てくるとは思わなかった」無精髭を撫でながらひとりの男が言った。
「以前からお前の言っていた、あの男女か?」三人の中でとりわけ背の高い、体つきのがっしりとした男が訊いた。
「そうだ」
「べつにかまわんではないか」
「かまうさ。だって俺は顔を知られている」
「知られているだけなら何も問題はなかろう」
「丸橋、気軽に言ってくれるな。名前だって知られちまっているんだぜ」
「それは、お前が本名を教えてしまったのが悪い」
「勢いでついな、名乗っちまったんだ」
「軽薄な男だとは常から思っていたが、そこまで考えなしの浅はかだとは思わなかった。あきれるなあ、金井よ」
丸橋と呼ばれる男はそう言って、茶碗の酒をぐびりとあおった。
丸橋忠弥といって、この道場の主で、四十なかばの、体格におあつらえむきの、がっしりとえらの張った顔をしていて、太い眉に虎のような大きな目をぎょろぎょろさせて、頑固そうなへの字口を持っていた。
「大将に蝙蝠小町のことを話した時、何て返したと思う」金井も酒をすすった。
金井半兵衛は、さきの玉木屋お了駆け落ち事件の時、駆け落ちに手を貸した男達の中にいた、あの牢人者であった。
「さあ」丸橋は首をひねる。
「なんとか小町というあだ名は、ふつう地名を前につけて呼ぶものだ。浅草小町とか、神田小町とか。蝙蝠羽織を着ている女だからと言って、蝙蝠小町などと呼ぶのはおかしい、間違っている、とまあこうだ」
「大将らしいや」
「そうだよ、だから言ってやったよ、あんた、頭が固すぎるんだ。そんなんじゃ、ここぞと言う時に、時流を読み切れずにこけるぜ、ってな」
「そしたらなんだって」
「笑ってたよ」
聞いて、丸橋も笑った。
「だいたい、大将が穏便に打掛を手に入れろなんて命令するから、話がややこしくなってきたんだ」と金井はぼやくのだった。
「最初っから押し込んで、打掛だけ盗んで、代金を置いてくればそれで終わっていたな」
「丸橋らしい、真っすぐな発想だ」
「馬鹿にするな」
「馬鹿になんぞするものか。俺はお前さんのそういう気質が好きなんだ」
「へっ、どうだかな」
「おい」
と金井半兵衛は、もうひとりの、ずっと黙ってちびちびとなめるように酒を飲んでいる男に声をかけた。
「横手、お前さんはこの中じゃ一番頭がまわるんだからな、なんかとびきりの妙策を考え出してくれ」
「蝙蝠小町、確か栗栖小源太と名乗っているのでしたね」横手と呼ばれた男が答えた。静かな声音である。
横手は、名を誠一郎と言い、他のふたりよりもずっと若く、二十なかばくらいだろうか、まだ幼さの残る顔に、優し気な笑みを浮かべ、大きな目を爽やかに細めている。およそ牢人であろうが、身なりはこざっぱりとしていた。
「調べたところでは、生国は備前岡山、のち京の大叔父のもとで育ち、行方不明の兄を捜して江戸に出てきたそうだ。剣術の流派は一羽流。今の住まいは、神田明神下の、確か、けやき長屋と言ったかな。本名だけはわからん」
「ずいぶん詳しく調べたじゃないか、金井。惚れたか?」冷やかすように丸橋が言った。
「まさか、まだ小娘だぜ。大将が念のため調べとけって言うもんだから、調べたまでだ」
「一羽流か。面白そうだな、一度手合わせしてみたいもんだ」
「けっこう手ごわいぜ、丸橋。女と思ってなめてかかると絶対に痛い目をみるよ」
「そうですか」と横手は、腕を組んで天井を仰ぎ見た。「まあ、策などいくらでもありますよ。犠牲を出さずに打掛を手に入れればいいんですよね」
「そう、大将いわく、値三千両はくだらない打掛だそうだ」と金井は半信半疑といった言い様であった。
「大名の奥方の着物じゃあるまいし、そんなに価値のある打掛なんてあるわけがねえ」丸橋も疑っている。
「たしかに、打掛そのものにそれほどの値打ちがあるとは思えません。打掛に何か秘密が隠されているということでしょう」横手は冷静に推測している。
「ま、その辺は打掛を手に入れたら、大将が教えてくれるだろうぜ」
金井の楽観論に三人はうなずいた。
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