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第三章 打掛の用心棒
三の五
日本橋の人ごみにも辟易するが、浅草も物凄いにぎわいで、芋を洗って洗った芋がこすれて潰れそうなくらいの広小路の人波にうんざりしながら、小源太は角を曲がって浅草寺の西を北へと向かった。
寺社の乱立する通りを抜けた先、百姓地の雑木林に囲まれるようにして、その質屋はあった。まるで人目を避けるようにして、陰気な陰をまとわせて店は建っている。
質店児島屋の噂を小源太が耳にしたのは、つい昨日のことであった。
昼間、人目もあってまず打掛を盗みに入られる心配もなかろうという時には、小源太は店の周辺を逍遥しがてら、兄を捜していた。
ちょっと一息入れようかと通りのかどで立ち止まって、手のひらで額の汗を拭った時、吉原からの帰りだろうか、堀沿いの道を歩いてくる、町人ふたり連れの話しているのが、ふと耳にとまった。
男のひとりが浅草寺近くの質屋児島屋の親爺ががめついの、吝嗇だの、因業だのとののしったあと、
――あの爺は、江戸っ子じゃあねえからな、気っ風がよかあねえんだよ。
――どこの出だい。
――備前岡山だってよ。
その後も、そのふたりは、児島屋の悪口を並べたてながら遠ざかって行ったが、小源太には、備前岡山の出だということだけが、頭に残った。
冬至郎と小源太きょうだいと同郷ということになる。
まさか、その児島屋という質屋が冬至郎の消息を知っているとは思えないが、いつかその店に行って顔を見てみたい気にはなっていた。
その気持ちは、ひと晩経つと、胸の中にだんだん膨らんで、陽が昇ったころには、胸が苦しくなるほど大きく膨らんでいた。
もういてもたってもいられず、小源太は三波屋に断りを入れて、浅草までやってきたのだった。
時刻はまだ昼前であったが、商売柄だろうか、店はどこかひっそりと陰気な感じでたたずんでいる。
小源太は、まだ質屋を利用した経験がないのだが、こういう店を利用するというのは、人をどこか後ろめたい気持ちにさせるものなのかもしれない、と思うのだった。
店は、通りに面した間口が五間ほどであったが、奥はずっと伸びているようで、店の裏には、大きな土蔵の屋根が見えた。
入り口の格子戸はずっと閉まっているが、暖簾はでているから営業はしているのだろう。しかし、どこか入りにくく、小源太はいささか逡巡してしまい、店の前を数回行ったり来たりした。
そうしているのも飽きてきて、ちょっと自分が馬鹿馬鹿しくも思えた頃、小源太は店の前で足をとめて、意を決して、入り口の戸を引き開けた。
店の中は薄暗く、外見の印象の通り、陰気でじめじめした店内であった。
「いらっしゃい」
と、これも陰気に帳場の男が言った。
これが店の主であろうか。
明るい陽の下から暗い店に入ったものだから、目がくらんだようになって、しばらくは男の容姿すら判然としなかったが、瞬きを繰り返して見つめていると、男が、
「あっ」
と頓狂な声をあげた。
ほとんど同時に小源太も、
「あっ」
と叫声をあげた。
主人と思われる五十がらみの男は、弾かれたように立ちあがり、立ちあがりつつくるりと翻り、店の奥へと駆けこんでいった。
「あ、待て、辰平!」
叫んで小源太は帳場に飛びあがり、男のあとを追った。
間違いない、十三年前、備前岡山から栗栖きょうだいが出奔する時、人買いにきょうだいを売った、あの下男の辰平であった。
廊下で、なにごとが起きたのか理解もできずに立ち尽くす奉公人の男を突き飛ばして、小源太は走った。
どたどたと、ふたりの激しい跫音が家じゅうに響き渡った。
小源太はすぐに追いついた。
縁側から庭へと飛びおりようとする辰平の衿をつかみ、後ろに引き倒した。
辰平は、障子戸を押し倒し、八畳ばかりの部屋へと転がって行った。
床に伸びた辰平の上に、小源太はまたがった。
五歳だった頃の思い出から相手が辰平と見抜いた小源太も、十三年経って大人になったうえに男装をしている小源太を紅穂だと見抜いた辰平も、なぜお互いがお互いだとわかったのかは、後になっても判然としない。
ふたりとも、ただ直感でわかったのだ。
「辰平!」
小源太は、仰向けに倒れた辰平の衿をつかんで締め上げた。
「紅穂お嬢様。勘弁して、勘弁してください、お嬢様」
辰平はもはや観念したのか、あがきもせずに赦しを請うのだった。
寺社の乱立する通りを抜けた先、百姓地の雑木林に囲まれるようにして、その質屋はあった。まるで人目を避けるようにして、陰気な陰をまとわせて店は建っている。
質店児島屋の噂を小源太が耳にしたのは、つい昨日のことであった。
昼間、人目もあってまず打掛を盗みに入られる心配もなかろうという時には、小源太は店の周辺を逍遥しがてら、兄を捜していた。
ちょっと一息入れようかと通りのかどで立ち止まって、手のひらで額の汗を拭った時、吉原からの帰りだろうか、堀沿いの道を歩いてくる、町人ふたり連れの話しているのが、ふと耳にとまった。
男のひとりが浅草寺近くの質屋児島屋の親爺ががめついの、吝嗇だの、因業だのとののしったあと、
――あの爺は、江戸っ子じゃあねえからな、気っ風がよかあねえんだよ。
――どこの出だい。
――備前岡山だってよ。
その後も、そのふたりは、児島屋の悪口を並べたてながら遠ざかって行ったが、小源太には、備前岡山の出だということだけが、頭に残った。
冬至郎と小源太きょうだいと同郷ということになる。
まさか、その児島屋という質屋が冬至郎の消息を知っているとは思えないが、いつかその店に行って顔を見てみたい気にはなっていた。
その気持ちは、ひと晩経つと、胸の中にだんだん膨らんで、陽が昇ったころには、胸が苦しくなるほど大きく膨らんでいた。
もういてもたってもいられず、小源太は三波屋に断りを入れて、浅草までやってきたのだった。
時刻はまだ昼前であったが、商売柄だろうか、店はどこかひっそりと陰気な感じでたたずんでいる。
小源太は、まだ質屋を利用した経験がないのだが、こういう店を利用するというのは、人をどこか後ろめたい気持ちにさせるものなのかもしれない、と思うのだった。
店は、通りに面した間口が五間ほどであったが、奥はずっと伸びているようで、店の裏には、大きな土蔵の屋根が見えた。
入り口の格子戸はずっと閉まっているが、暖簾はでているから営業はしているのだろう。しかし、どこか入りにくく、小源太はいささか逡巡してしまい、店の前を数回行ったり来たりした。
そうしているのも飽きてきて、ちょっと自分が馬鹿馬鹿しくも思えた頃、小源太は店の前で足をとめて、意を決して、入り口の戸を引き開けた。
店の中は薄暗く、外見の印象の通り、陰気でじめじめした店内であった。
「いらっしゃい」
と、これも陰気に帳場の男が言った。
これが店の主であろうか。
明るい陽の下から暗い店に入ったものだから、目がくらんだようになって、しばらくは男の容姿すら判然としなかったが、瞬きを繰り返して見つめていると、男が、
「あっ」
と頓狂な声をあげた。
ほとんど同時に小源太も、
「あっ」
と叫声をあげた。
主人と思われる五十がらみの男は、弾かれたように立ちあがり、立ちあがりつつくるりと翻り、店の奥へと駆けこんでいった。
「あ、待て、辰平!」
叫んで小源太は帳場に飛びあがり、男のあとを追った。
間違いない、十三年前、備前岡山から栗栖きょうだいが出奔する時、人買いにきょうだいを売った、あの下男の辰平であった。
廊下で、なにごとが起きたのか理解もできずに立ち尽くす奉公人の男を突き飛ばして、小源太は走った。
どたどたと、ふたりの激しい跫音が家じゅうに響き渡った。
小源太はすぐに追いついた。
縁側から庭へと飛びおりようとする辰平の衿をつかみ、後ろに引き倒した。
辰平は、障子戸を押し倒し、八畳ばかりの部屋へと転がって行った。
床に伸びた辰平の上に、小源太はまたがった。
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ふたりとも、ただ直感でわかったのだ。
「辰平!」
小源太は、仰向けに倒れた辰平の衿をつかんで締め上げた。
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