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第三章 打掛の用心棒
三の六
気がつけば、縁側には奉公人や妻であろう四十くらいの女がおののきながらこちらを見てい、障子の影から、みっつかよっつくらいの少女が立ってこちらをのぞいていた。
大人たちの目は別段気にもとめなかったが、少女のおびえた様子でこちらを見つめる震えるまなこを目にした瞬間、小源太はふと我に返った。
小源太は辰平の腹の上から脇へ体をずらして、辰平は起きあがりつつ言った。
「みんな向こうへ行っていなさい。いいね、これから私はこのかたと大事な話をするから、絶対に近づくんじゃない、わかったね」
言われて奉公人達は去り、少女は立ち去りがたい様子であったが、母に手をひっぱられて店のほうへと連れていかれた。
小源太と辰平は座り直した。たちまち、辰平はそこで頭を垂れた。額を床にこすりつけて深深と土下座をするのだった。
「申し訳ありませんでした、紅穂様」
小源太は、彼の歳とって白髪が混じり、量も薄くなった頭を、じっとみつめた。
ついさっきまでかっと頭にのぼって沸騰するようだった血が急速に冷えて、自分でも意外なほど冷静になっていた。冷静というより無感動と言えるかもしれない。ただ、辰平のてかてかとした月代を、なにか不思議な物がそこにあるように見つめていた。
「私は」としばらくしてやっと、小源太は、しぼりだすように言った。「あの時の恐怖を今でも忘れない。何かふとした瞬間に、たった今体験した出来事のように、あの時の光景を思い出す。人買いの男に連れ去られ、どことも知れぬ小屋に押し込められた、あの時の気持ちは、不安だの恐怖だのという言葉では言いあらわせないほどだ」
辰平はじっと額を床につけている。
「兄が、機転を利かせて脱出しなければ、今頃私はどうなっていたのか、まったく想像もできない」
辰平はまだ眼前につくばっていた。その肩が、恐怖のせいなのか慙愧のせいなのか、小刻みに、みじめに震えていた。
「顔をあげろ。その憎い顔を、私に見せろ」
恐る恐ると言った様子で、辰平は頭をあげた。だが、小源太を真っ向から見つめる勇気はないのか、視線は床に向いたままであった。
「わけを、聞いてください、紅穂様」
「くだらん言いわけなら聞きたくはない」
「私は赦されないことをしました。今でも、ずっと後悔をかかえて生きています。けっして赦されないことです」
体を震わせ、声を震わせ、辰平は話を続けた。
「侍に仕える下男などというものは、じつに惨めなものです。奴隷のように主人にかしずき、ちょっと酒やたばこをやるのが楽しみなだけで、あとは女に惚れる自由すらありません。それが、私の器量というならあきらめもつきましょう。しかし、私自身ではどうすることもできない、先祖代代受け継がれた仕組みとして、下男にあまんじて生きなくてはなりません」
「そんなものは、ただの言いわけだ」
「冬至郎様と紅穂様が出奔なさると聞いた時、これは絶好の機会だと思いました。このがんじがらめの惨めな生活から抜け出すには、今しかない、そう思いました。そして、おふたりが準備をしている隙をみて、人買いに連絡をとったのです」
「悲惨な境遇から逃れたいというのなら、他にも方法はあったはずだ。それなのに、お前は安易な方法を選んだ。人を地獄へ突き落とすような、劣悪な発想をした。それが天才的なひらめきとでも思ったのか」
「恥ずかしいことでございます。しかしその後、私も人並み以上に苦労を重ねたのです。私は人買いに受け取った金をもとでに江戸で仕事をはじめました。最初は小道具や古道具の振り売りから始めました。そうしてそれこそ足に豆をつくりながら、血のにじむような努力を重ね、ちょっとずつ金をため、やっと五年前に質屋をひらくことができました」
「苦労はしたが、充実はしていたと言いたいのだろう」
「はい、紅穂様。その通りでございます。栗栖家の下男であれば一生味わうことができない、自分の意思で選んだ苦労をしたのです。つらいこともありましたが、確かに心は充実しておりました」
辰平は立ち上がると、部屋の隅にある戸棚から何かを取り出すと袱紗に包んだものを持ってきて座り、小源太の前に置いた。
二十五両ぶんくらいの金包みだとわかった。
「なんだこれは」
「おふたりを、売った時の金額に、これまでご苦労をされてきたぶんを加えたお金でございます。これで、私の罪が赦されるとは思っておりませんが、なにとぞ、お納めください」
「馬鹿にするな」
「しかし、それでは私の気持ちがおさまりません」
「お前の気持ちなど知ったことではない。賠償の金などは欲しくはない。謝ってほしいわけでもない」
そう言って小源太はふと思った。はたして、自分はこの男に何をして欲しいのかと。なにを償って欲しいのかと。だが、それがなんであるか、模糊としてつかめない。
「では、私はどのようにして罪をあがなえばよろしいでしょう。ご覧の通り、すでに前非を悔い商いもそれなりに順調ですし、何も知らぬ家族もおります」
結局、この男は自分がかわいいだけだ、今の幸福にしがみつき、平穏を失いたくないだけではないか、と小源太は思う。
「私はお前を一生赦すことはできない。それだけだ」
大人たちの目は別段気にもとめなかったが、少女のおびえた様子でこちらを見つめる震えるまなこを目にした瞬間、小源太はふと我に返った。
小源太は辰平の腹の上から脇へ体をずらして、辰平は起きあがりつつ言った。
「みんな向こうへ行っていなさい。いいね、これから私はこのかたと大事な話をするから、絶対に近づくんじゃない、わかったね」
言われて奉公人達は去り、少女は立ち去りがたい様子であったが、母に手をひっぱられて店のほうへと連れていかれた。
小源太と辰平は座り直した。たちまち、辰平はそこで頭を垂れた。額を床にこすりつけて深深と土下座をするのだった。
「申し訳ありませんでした、紅穂様」
小源太は、彼の歳とって白髪が混じり、量も薄くなった頭を、じっとみつめた。
ついさっきまでかっと頭にのぼって沸騰するようだった血が急速に冷えて、自分でも意外なほど冷静になっていた。冷静というより無感動と言えるかもしれない。ただ、辰平のてかてかとした月代を、なにか不思議な物がそこにあるように見つめていた。
「私は」としばらくしてやっと、小源太は、しぼりだすように言った。「あの時の恐怖を今でも忘れない。何かふとした瞬間に、たった今体験した出来事のように、あの時の光景を思い出す。人買いの男に連れ去られ、どことも知れぬ小屋に押し込められた、あの時の気持ちは、不安だの恐怖だのという言葉では言いあらわせないほどだ」
辰平はじっと額を床につけている。
「兄が、機転を利かせて脱出しなければ、今頃私はどうなっていたのか、まったく想像もできない」
辰平はまだ眼前につくばっていた。その肩が、恐怖のせいなのか慙愧のせいなのか、小刻みに、みじめに震えていた。
「顔をあげろ。その憎い顔を、私に見せろ」
恐る恐ると言った様子で、辰平は頭をあげた。だが、小源太を真っ向から見つめる勇気はないのか、視線は床に向いたままであった。
「わけを、聞いてください、紅穂様」
「くだらん言いわけなら聞きたくはない」
「私は赦されないことをしました。今でも、ずっと後悔をかかえて生きています。けっして赦されないことです」
体を震わせ、声を震わせ、辰平は話を続けた。
「侍に仕える下男などというものは、じつに惨めなものです。奴隷のように主人にかしずき、ちょっと酒やたばこをやるのが楽しみなだけで、あとは女に惚れる自由すらありません。それが、私の器量というならあきらめもつきましょう。しかし、私自身ではどうすることもできない、先祖代代受け継がれた仕組みとして、下男にあまんじて生きなくてはなりません」
「そんなものは、ただの言いわけだ」
「冬至郎様と紅穂様が出奔なさると聞いた時、これは絶好の機会だと思いました。このがんじがらめの惨めな生活から抜け出すには、今しかない、そう思いました。そして、おふたりが準備をしている隙をみて、人買いに連絡をとったのです」
「悲惨な境遇から逃れたいというのなら、他にも方法はあったはずだ。それなのに、お前は安易な方法を選んだ。人を地獄へ突き落とすような、劣悪な発想をした。それが天才的なひらめきとでも思ったのか」
「恥ずかしいことでございます。しかしその後、私も人並み以上に苦労を重ねたのです。私は人買いに受け取った金をもとでに江戸で仕事をはじめました。最初は小道具や古道具の振り売りから始めました。そうしてそれこそ足に豆をつくりながら、血のにじむような努力を重ね、ちょっとずつ金をため、やっと五年前に質屋をひらくことができました」
「苦労はしたが、充実はしていたと言いたいのだろう」
「はい、紅穂様。その通りでございます。栗栖家の下男であれば一生味わうことができない、自分の意思で選んだ苦労をしたのです。つらいこともありましたが、確かに心は充実しておりました」
辰平は立ち上がると、部屋の隅にある戸棚から何かを取り出すと袱紗に包んだものを持ってきて座り、小源太の前に置いた。
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「なんだこれは」
「おふたりを、売った時の金額に、これまでご苦労をされてきたぶんを加えたお金でございます。これで、私の罪が赦されるとは思っておりませんが、なにとぞ、お納めください」
「馬鹿にするな」
「しかし、それでは私の気持ちがおさまりません」
「お前の気持ちなど知ったことではない。賠償の金などは欲しくはない。謝ってほしいわけでもない」
そう言って小源太はふと思った。はたして、自分はこの男に何をして欲しいのかと。なにを償って欲しいのかと。だが、それがなんであるか、模糊としてつかめない。
「では、私はどのようにして罪をあがなえばよろしいでしょう。ご覧の通り、すでに前非を悔い商いもそれなりに順調ですし、何も知らぬ家族もおります」
結局、この男は自分がかわいいだけだ、今の幸福にしがみつき、平穏を失いたくないだけではないか、と小源太は思う。
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