27 / 93
第三章 打掛の用心棒
三の八
打掛は古い物だから、縫い糸だか生地自体だかがすでに痛んでいたようだ。
小源太が力いっぱいつかんだ拳のちょっと先から、びりびりと破れていって、たちまち左右半分ずつに裂けてしまった。
舌打ちして金井は走り去った。ちょうど長屋をまわり込んだ卯之助が前途に現れたが、肩から当たって突き飛ばして、そのまま新道を走って横町へと姿を消していく。
それを追わんとする小源太の前に、巌のような巨体が立ちふさがった。
覆面をして顔の下半分は隠れているが、逆立つように眉毛が跳ねていて、血走った目は虎のようで、小源太は気おされるようにして、立ち止まった。
転んで立ちあがった卯之助は、すぐに金井を追いかけたが、小源太と香流同心は岩戸のような巨漢にふさがれた格好になった。
丸橋は、泥棒に入るのにまさか得物の槍をかいこんでくるわけにもいかず、二刀を腰に帯びただけであったが、ふたりの敵を前にもまるで動じない。どころか、突然の騒動に巻き込まれた数人の人人の中に魚の棒手振りを見つけると、さっと走り寄って肩にかついでいる天秤棒を奪い取った。
恐る恐るあとを追ってきた政吉に、小源太は半分になった打掛を放り投げると刀を抜いた。隣で香流が十手を構える。
丸橋はぶんぶんと道幅いっぱいに天秤棒を振り回した。猛然と棒を振り回すその姿は、闘牛が猛り狂って角を振り回しているようだ。
その闘牛が、おそらく覆面のしたで笑ったのだろう、目をにっとゆがませて言った。
「蝙蝠小町、いちど手合わせしてみたかった。そこの同心、ちょっとさがってろ、この女をのしたら相手をしてやる」
小源太は、蝙蝠小町などという奇妙なあだ名で呼ばれるのが自分だと気づいたが、なぜそんなふうに呼ばれるかまでは当然見当がつかない。深く息をはいて気を静めつづ、刀を正眼に構えて、背筋を伸ばす。
丸橋が地面に平行に棒を構えると、ぐっと腰を落とした。大地震がきても揺るがないような、どっしりとした構えであった。
「かっ!」
気合いをあげて、丸橋が棒を突き出した。
小源太は、まるで狙った獲物に隼がつっこむようなその突きを、体を滑らせるようにして、すんでのところでかわした。棒は小源太の左肩をかすめて通りすぎ、丸橋の体が伸び切った。と見て、小源太は間合いをつめる。だが、伸びきったはずの棒が旋風を起こして回転した。横薙ぎに襲って来る棒を、小源太は刀で受け止める。木の棒に刃が喰い込んで、乾いた音をたてる。
丸橋はさっと棒を垂直に回転させて手元に手繰り寄せる。引いていく棒を追って小源太が走り寄る。丸橋は棒を振って威嚇しながら、後ろ飛びに飛んで、自分の間合いを維持する。
小源太は心中歯噛みした。
相手は、巨躯のわりに動きが素早く、想像以上に隙が少ない。
丸橋が、小源太の焦りを見抜いたように、動いた。
棒を目いっぱい振り上げると、ぐっと腕の筋肉に力をみなぎらせ、天空を引き裂くようにして振り下ろす。
小源太は、体を横にずらしてよけつつ、刀を振って棒を弾く。
にぶい音がして、さきに刀が食いこんでついた傷から、棒が折れた。
折れた棒は六間ほども道を斜めに横ぎって、野次馬たちの間をすりぬけて飛んでいき、家の壁に突き刺さった。
無念そうな目で、丸橋が折れた棒を見つめ、
「こんなになっちまった」
悪びれる様子もなくそう言って、半分になった天秤棒を棒手振りに投げて返した。
投げた時には、すでにその巨躯はくるりと反転し、逃げだしている。
小源太達はその後を追ったが、巨漢なのにどうしたものか横町の人通りに紛れて、その姿を見失ってしまったのだった。
小源太が力いっぱいつかんだ拳のちょっと先から、びりびりと破れていって、たちまち左右半分ずつに裂けてしまった。
舌打ちして金井は走り去った。ちょうど長屋をまわり込んだ卯之助が前途に現れたが、肩から当たって突き飛ばして、そのまま新道を走って横町へと姿を消していく。
それを追わんとする小源太の前に、巌のような巨体が立ちふさがった。
覆面をして顔の下半分は隠れているが、逆立つように眉毛が跳ねていて、血走った目は虎のようで、小源太は気おされるようにして、立ち止まった。
転んで立ちあがった卯之助は、すぐに金井を追いかけたが、小源太と香流同心は岩戸のような巨漢にふさがれた格好になった。
丸橋は、泥棒に入るのにまさか得物の槍をかいこんでくるわけにもいかず、二刀を腰に帯びただけであったが、ふたりの敵を前にもまるで動じない。どころか、突然の騒動に巻き込まれた数人の人人の中に魚の棒手振りを見つけると、さっと走り寄って肩にかついでいる天秤棒を奪い取った。
恐る恐るあとを追ってきた政吉に、小源太は半分になった打掛を放り投げると刀を抜いた。隣で香流が十手を構える。
丸橋はぶんぶんと道幅いっぱいに天秤棒を振り回した。猛然と棒を振り回すその姿は、闘牛が猛り狂って角を振り回しているようだ。
その闘牛が、おそらく覆面のしたで笑ったのだろう、目をにっとゆがませて言った。
「蝙蝠小町、いちど手合わせしてみたかった。そこの同心、ちょっとさがってろ、この女をのしたら相手をしてやる」
小源太は、蝙蝠小町などという奇妙なあだ名で呼ばれるのが自分だと気づいたが、なぜそんなふうに呼ばれるかまでは当然見当がつかない。深く息をはいて気を静めつづ、刀を正眼に構えて、背筋を伸ばす。
丸橋が地面に平行に棒を構えると、ぐっと腰を落とした。大地震がきても揺るがないような、どっしりとした構えであった。
「かっ!」
気合いをあげて、丸橋が棒を突き出した。
小源太は、まるで狙った獲物に隼がつっこむようなその突きを、体を滑らせるようにして、すんでのところでかわした。棒は小源太の左肩をかすめて通りすぎ、丸橋の体が伸び切った。と見て、小源太は間合いをつめる。だが、伸びきったはずの棒が旋風を起こして回転した。横薙ぎに襲って来る棒を、小源太は刀で受け止める。木の棒に刃が喰い込んで、乾いた音をたてる。
丸橋はさっと棒を垂直に回転させて手元に手繰り寄せる。引いていく棒を追って小源太が走り寄る。丸橋は棒を振って威嚇しながら、後ろ飛びに飛んで、自分の間合いを維持する。
小源太は心中歯噛みした。
相手は、巨躯のわりに動きが素早く、想像以上に隙が少ない。
丸橋が、小源太の焦りを見抜いたように、動いた。
棒を目いっぱい振り上げると、ぐっと腕の筋肉に力をみなぎらせ、天空を引き裂くようにして振り下ろす。
小源太は、体を横にずらしてよけつつ、刀を振って棒を弾く。
にぶい音がして、さきに刀が食いこんでついた傷から、棒が折れた。
折れた棒は六間ほども道を斜めに横ぎって、野次馬たちの間をすりぬけて飛んでいき、家の壁に突き刺さった。
無念そうな目で、丸橋が折れた棒を見つめ、
「こんなになっちまった」
悪びれる様子もなくそう言って、半分になった天秤棒を棒手振りに投げて返した。
投げた時には、すでにその巨躯はくるりと反転し、逃げだしている。
小源太達はその後を追ったが、巨漢なのにどうしたものか横町の人通りに紛れて、その姿を見失ってしまったのだった。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。