日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠

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第四章 男色

四の一

 谷中やなかにある青山道場は暑い。
 建物の両側が寺に挟まれているものだから、風通しが悪く、窓はすべて開け放っているにもかかわらず、そよとも風が吹かぬ。
 栗栖小源太くりす こげんたの住む神田明神下のけやき長屋も年中じめっとしているが、この道場は異常といっていいほどしけっているのだ。
 道場主の青山清左衛門あおやま せいざえもんなどは、単衣ひとえの着物のえりをくつろげて、濃い胸毛を丸出しにして、高座で胡坐をかいて、必死に団扇で胸元をあおいで、あおぐ運動でかえって汗をかきそうなほどである。

 横目で弛緩しきったその姿を見てなかば呆れながら、小源太は門人に稽古をつけていた。
 近所に住む帯刀を許された商人の子弟で、ひょろ長い体をして腰の定まらない構えをして、それでも健気に打ってくる、まったく腕にも腰にも力の入っていない竹刀の一撃を、小源太は軽くさばいて、すっかりがら空きになっている、へっぴり腰を打った。
 軽く竹刀で打っただけなのに、門人はよろよとと一間ばかりもよろけて、
「あいたた、栗栖先生は本気で稽古をするから嫌」
 ふくれっ面をして、そんなことを言うのだった。
「ここは剣術の道場だから、本気で稽古をするのが当たり前だ」ぴしゃりと小源太が言い返すと、門人は拗ねた顔をして、道場の隅にさがっていった。

「誰か、他にやる気のある者はいないのかっ」
 小源太が金切り声で叫んで見まわせば、道場の隅のそこここには、門人たちが何人か集まって、よもやま話に興じている。目が合った門人があわてて視線をそらす。真剣に稽古をしようとしている自分が馬鹿馬鹿しくなってくるほどの、怠惰な空気が道場内を支配していた。普段は女の小源太に稽古をつけられるのを、なかば面白がっている門人達も、今日に限ってはまるでやる気をみせない。

「もういいっ」
 ぷんと拗ねた顔をして、小源太は道場を後にした。うしろから、ああ帰っちゃったよ、怒らせたの誰だ、みんなだよみんな、などという揶揄するような声が聞こえ、つづいて声を合わせてどっと笑うのだった。

 この新当流剣術を教える青山道場、不思議な道場であった。
 谷中などという江戸の北の端では門人は集まらなさそう思えるが、意外にもぽつぽつと人が通ってくる。千駄木、日暮里あたりの、商人や農家の帯刀を許された家の者は、市中の本格的な剣術道場は敷居が高く感じられるようで、こうした小さくて人気にんきのなさそうな場末の道場の方が気安く落ち着けるようだ。武家でも二十半ばや、三十を越えて発起して剣術を習いはじめるような、いわば出遅れた者たちも、入門しやすく居心地もよいのだろう、筋は悪く上達は望めないのに熱心に通ってくる者も(少数ではあるが)いたのだった。

 京の大叔父の道場とあまりにも似たような境遇だったので、はじめ小源太は奇妙な親近感を湧かせていたものである。

 しかし道場主の青山清左衛門というのが、たいそうな怠け者で、門人の稽古もなおざりだし、いつも高座で怠惰に寝そべって、鼻をほじりながら門人が竹刀を振るのにケチをつけているだけであった。

 裏の井戸端へきて、衿をくつろげると、小源太は手ぬぐいを突っ込んで汗を拭いた。稽古で汗を流したわけでなく、ただ、蒸し風呂のような道場の暑さで汗がにじみ出ているだけではあったが。
「あら小源太さん、今日はお早いあがりですのね」
 後ろからかけられた声にふりむくと、清左衛門の娘の沙弥さやたらいに山のような洗濯物を盛ったのを抱えて歩いて来た。
 沙弥は清左衛門の実の娘ではなく、最初下働きとして道場に来ていたのを、清左衛門が気性を気に入って養女として迎えたのだそうな。
 丸い顔に丸い目をして、ちょっと太めの眉にいささか上向きのだんごっ鼻があって、唇も分厚く、けっして器量良しとはいいがたい顔立ちだが、くるくると目が回りそうなほどよく働くし、陽気で人あたりが良く、門人の誰からも好かれていた。

 沙弥は井戸の脇に座ると、せっせと稽古着を洗濯しはじめた。門人の、ひとり者で稽古着の手入れすらしないような連中のものを、洗ってやっているのだ。しかも、その稽古着には、門人の姓名が縫われていて、それを縫い取ったのも沙弥であった。

 小源太も、この十六の少女と話していると、なんだか心の芯が温かくほてってくるのだった。

「あ、小源太さん、ごめんなさいね」
「何が?」
「こないだ頼まれたの、なかなか仕上がらないのよ」

 過日、盗賊に狙われた打掛うちかけが、騒動の折に半分に裂けてしまった話を沙弥にしたところ、それなら衿巻えりまきにでも仕立て直してあげましょうか、と申し出てくれ、小源太は厚意に甘えることにしたのだった。

「まだ衿巻って季節でもないしね、ゆっくりやってくれればいいんだよ」
「悪いわねえ。安請け合いしたのはいいんだけど、他に内職の仕立物もしているものだから、なかなか手がまわらないのよ」
「いやいや、悪いのはこちらのほうだよ。面倒ごとを押し付けちゃって」
「あれ、図柄が綺麗でしょ。赤い梅の花が全体に散らしてあって、ひとつだけ白い花が刺繍してあるの。あれなら、衿巻にしても、年寄りくさくも病人くさくもないわ。若い人が巻いてもおかしく見えないんじゃないかしら。ぜったい小源太さんに似合うと思うわ」
 そう言って、沙弥は顔をあげて、にっこりとほがらかな笑みを浮かべるのだった。そうして笑うとうわむきのだんごっ鼻も魅惑的にすら感じられる。
 その笑顔をみて、小源太はまた胸が熱くなるような気がしたのだった。
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