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第四章 男色
四の三
飯島と志賀から受けた依頼の前金を持って、店賃を払いに大家久右衛門の荒物屋に行くと、久右衛門はえらくご機嫌な顔で家にあげてくれた。
「いやあ、初めてじゃないですかな、栗栖様が月が変わらぬうちに店賃を納めてくれるなんて。お天道様もびっくりして、雲の間から顔を出してくれそうですな」
例のがらがら声で、久右衛門は余計な一言を言う。そうして、団扇で小源太をあおいでくれ、この蒸し暑い中をご足労いただいて、などとこぼれんばかりの笑顔である。愛想を言うなど体力の無駄と思っているくらいの吝嗇漢が、思わずもらした愛想言葉であった。
これは都合がいい、と小源太は思った。頼み事をするにはいい塩梅の機嫌である。
「実は大家さんにちょっと聞きたいことがあっての」
「ははあ、訳ありだったというわけですな。栗栖様にしては殊勝なことだと思った」と久右衛門は禿頭をつるりとなでた。
ほうっておくとだんだん機嫌が降り調子になりかねない雰囲気なので、小源太はすぐに話をきりだした。
「実は、家を探しておる」
「なんと、まあ、出てお行きになる。それは長屋が寂しくなりますなあ」そう言って、久右衛門は本当に寂し気に顔を曇らせた。
「いや、違う違う、私じゃあない。人に頼まれたんだ」
「なんだ、それを最初に行ってくださいよ。心臓に悪いじゃないですか」
「江戸で、人目につかないようなひっそりとした場所に、ふたり住むのにちょうどよい家をさがしてくれないかと頼まれた」
「御府内でひっそりとしたところなんて、そうそうありませんよ」
「そこをなんとか、思い当たる場所はなかろうかのう」
「私も無駄に江戸に長く暮らしておりますでな。江戸のことを隅から隅まで熟知しているわけではございません」
と久右衛門が嫌味たらしく言ったのは、以前、小源太が大御番組屋敷の場所を聞いた時に、久右衛門が見当違いの案内をしてしまったので、小源太が嫌味を言ったことがあったのを、今でも根に持っているようだ。
「栗栖様が代稽古に通われている道場は谷中にありましたな。ちょうど、あの辺りがおっしゃる条件にぴたりとあっているんじゃありませんか」
「いや、依頼主と関連のある場所では、まずいのだ」
「というと、誰かから隠れ潜むような場所がよろしいので」
「そうなるな」
「でしたら、思いきって江戸を出ることですな」
「うん、それは当人も言っていたよ。本当は上方まででも行けたらいいのだが、それほど手持ちがないし、あまり急激に暮らしが変わるのも不安なのだそうだ」
「難儀なものですなあ」と久右衛門は腕を組み、天井を見上げて考えた。「江戸よりちょっとはずれてもよろしければ、渋谷、目黒、なんていかがでしょう」
言われてみても、江戸に土地勘のない小源太にはさっぱりわからない。
「さて、一度行ってみないことには、なんとも言えないなあ」
「ちょっと遠いですよ。千代田のお城を挟んで向こう側になります」
「四谷あたりからだとどれくらいになるかの」
「そうですな、南に一里ちょっとというところでしょうか」
「依頼主のひとりの今の組屋敷が四谷らしいんだ。家族に露見しないくらい離れた場所がいい」
「一里というのは微妙な距離ですな。でしたら、大川(隅田川)を渡った向こう。本所、深川辺りはいかがでしょう。市中と距離は近いですが、大川に隔てられているから、隠れ住むにはよろしかろうかと思います」
この頃はまだ隅田川には、千住まで行かなければ橋はなかった。行き来するには舟を使わねばならず、川の東西では隔絶の感すらあった。本所や深川など、後年のように市街地は形成されておらず、田畑の中に点在する集落があるばかりなのである。
「うん、そうか、それは妙案、明日にでも行ってみよう」小源太はうなずいた。
「行った所で、つてもないのに、どうやって家を探します。道行く人をつかまえて、あの家を売ってくれ、と言ったところで、うろんな目で見られるだけですよ」
「ううむ、そ、そんなことは言われなくてもわかっておる」
久右衛門は、はあ、とひとつ溜め息をついた。
「よございます。私がひと肌脱ぎましょう」
「脱いでくれるか」
「そのかわり、来月もちゃんと店賃を納めてくださいませな」
「それはもう」
「しかし、木を隠すには森の中、人を隠すには人の中、という場合もあります。町なかの裏長屋にでも住んだ方が隠れ蓑になるんじゃないですかね。へんに辺鄙な景色のなかで住み暮らすと、かえって目立ってしまうかもしれませんよ」鹿爪らしい顔で、久右衛門はそんなことを言うのだった。
「いやあ、初めてじゃないですかな、栗栖様が月が変わらぬうちに店賃を納めてくれるなんて。お天道様もびっくりして、雲の間から顔を出してくれそうですな」
例のがらがら声で、久右衛門は余計な一言を言う。そうして、団扇で小源太をあおいでくれ、この蒸し暑い中をご足労いただいて、などとこぼれんばかりの笑顔である。愛想を言うなど体力の無駄と思っているくらいの吝嗇漢が、思わずもらした愛想言葉であった。
これは都合がいい、と小源太は思った。頼み事をするにはいい塩梅の機嫌である。
「実は大家さんにちょっと聞きたいことがあっての」
「ははあ、訳ありだったというわけですな。栗栖様にしては殊勝なことだと思った」と久右衛門は禿頭をつるりとなでた。
ほうっておくとだんだん機嫌が降り調子になりかねない雰囲気なので、小源太はすぐに話をきりだした。
「実は、家を探しておる」
「なんと、まあ、出てお行きになる。それは長屋が寂しくなりますなあ」そう言って、久右衛門は本当に寂し気に顔を曇らせた。
「いや、違う違う、私じゃあない。人に頼まれたんだ」
「なんだ、それを最初に行ってくださいよ。心臓に悪いじゃないですか」
「江戸で、人目につかないようなひっそりとした場所に、ふたり住むのにちょうどよい家をさがしてくれないかと頼まれた」
「御府内でひっそりとしたところなんて、そうそうありませんよ」
「そこをなんとか、思い当たる場所はなかろうかのう」
「私も無駄に江戸に長く暮らしておりますでな。江戸のことを隅から隅まで熟知しているわけではございません」
と久右衛門が嫌味たらしく言ったのは、以前、小源太が大御番組屋敷の場所を聞いた時に、久右衛門が見当違いの案内をしてしまったので、小源太が嫌味を言ったことがあったのを、今でも根に持っているようだ。
「栗栖様が代稽古に通われている道場は谷中にありましたな。ちょうど、あの辺りがおっしゃる条件にぴたりとあっているんじゃありませんか」
「いや、依頼主と関連のある場所では、まずいのだ」
「というと、誰かから隠れ潜むような場所がよろしいので」
「そうなるな」
「でしたら、思いきって江戸を出ることですな」
「うん、それは当人も言っていたよ。本当は上方まででも行けたらいいのだが、それほど手持ちがないし、あまり急激に暮らしが変わるのも不安なのだそうだ」
「難儀なものですなあ」と久右衛門は腕を組み、天井を見上げて考えた。「江戸よりちょっとはずれてもよろしければ、渋谷、目黒、なんていかがでしょう」
言われてみても、江戸に土地勘のない小源太にはさっぱりわからない。
「さて、一度行ってみないことには、なんとも言えないなあ」
「ちょっと遠いですよ。千代田のお城を挟んで向こう側になります」
「四谷あたりからだとどれくらいになるかの」
「そうですな、南に一里ちょっとというところでしょうか」
「依頼主のひとりの今の組屋敷が四谷らしいんだ。家族に露見しないくらい離れた場所がいい」
「一里というのは微妙な距離ですな。でしたら、大川(隅田川)を渡った向こう。本所、深川辺りはいかがでしょう。市中と距離は近いですが、大川に隔てられているから、隠れ住むにはよろしかろうかと思います」
この頃はまだ隅田川には、千住まで行かなければ橋はなかった。行き来するには舟を使わねばならず、川の東西では隔絶の感すらあった。本所や深川など、後年のように市街地は形成されておらず、田畑の中に点在する集落があるばかりなのである。
「うん、そうか、それは妙案、明日にでも行ってみよう」小源太はうなずいた。
「行った所で、つてもないのに、どうやって家を探します。道行く人をつかまえて、あの家を売ってくれ、と言ったところで、うろんな目で見られるだけですよ」
「ううむ、そ、そんなことは言われなくてもわかっておる」
久右衛門は、はあ、とひとつ溜め息をついた。
「よございます。私がひと肌脱ぎましょう」
「脱いでくれるか」
「そのかわり、来月もちゃんと店賃を納めてくださいませな」
「それはもう」
「しかし、木を隠すには森の中、人を隠すには人の中、という場合もあります。町なかの裏長屋にでも住んだ方が隠れ蓑になるんじゃないですかね。へんに辺鄙な景色のなかで住み暮らすと、かえって目立ってしまうかもしれませんよ」鹿爪らしい顔で、久右衛門はそんなことを言うのだった。
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