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第四章 男色
四の七
朝から梅雨に戻ったような、嫌な小雨がしとしとと降る日であった。
なんの気まぐれか、道場主の青山清左衛門が小源太に、ひとつ手合わせしよう、などと持ちかけてきた。
道場には門人もほとんど顔を見せないし、来ている数人の門人もやる気がないしで、暇を持て余しているということなのかもしれない。
小源太と青山が相対すと、鼻をほじったり欠伸をしていた門人達が、興味をそそられて前のめりで見学しはじめた。いい見世物が始まったくらいの気持ちなのかもしれない。
竹刀での打ち合いであったが、小源太は三本ちゅう一本とれただけで終わった。本気になれば、青山の、さすがの道場主の面目躍如といったところである。
小源太の一羽流と青山の新当流は、もとは同じ神道流(天真正伝香取神道流)から出た流派であり、もちろん似て非なるものではあるが、どこか相通ずる部分もあって、青山の太刀筋に大叔父の面影をふっと垣間見ることもあった。竹刀を合わせながら、小源太はそういう懐かしさのうようなものを感じたのだった。
最初面白半分で見ていた門人達も、最後には息をするのも忘れるほど、没頭して観戦していた。
その手合わせが終わり、小源太が汗を拭いている時であった。
どたどたと床板を踏み抜かんばかりに踏み鳴らし、急激に近づいてくる足音に、はっと小源太が振り返った。
すると、飯島弥九郎が凄まじい剣幕で道場に入ってきた。
「栗栖小源太!」飯島が叫んだ。「剣を取れ、真剣で勝負しろっ!」
あまりに凄絶な形相と怒声に、小源太は最初唖然となり、すぐにたじろいだ。
「な、なんです、飯島さん、突然に」訊いた小源太の声が震えた。
「なんですとは何だ。貴様、自分が何をしたのかわかっているのか」
「なんのことです。落ち着いて説明してください」
「お前のせいで彦之丞が連れていかれた。俺達は引き裂かれてしまった」
「わ、私のせい……。どうして私のせいになるのですか」
「お前が不用意に家に来たせいだ。その時あとをつけられていたのだろう。お前が来た翌日に、彦之丞の叔父が手下を連れてあらわれ、彦之丞をさらって行った」
「いや、私は道すがら、なんども尾行されていないことは確かめました」
「言いわけか、見苦しい」
「まてまて、落ち着け、飯島」と青山が割って入った。「話を聞けば、栗栖のせいだとは言い切れない。何か他の手がかりがあって、お前達の隠れていた住まいが露見したのかもしれん。もし、栗栖が追跡されたのだとしても、悪いのは栗栖ではなかろう、お前の連れ合いの親戚が悪いのではないのか」
言われて、飯島は、ううとうなった。
「気持ちが乱れているときは深く息をするんだ、飯島。そう教えたはずだぞ」
そうして飯島は、言われるままに深呼吸をした。それでも、気がたかぶって、息はまるで整わなかったが、やがてじょじょに、気分が落ち着いてきたようだ。
「そうだ」と飯島はうなだれた。「あなたを責めるのはお門違いだ、栗栖先生。あまりの怒りで、我を忘れてしまった。ゆるしていただきたい」
深深と頭をさげる飯島に、小源太はただ、いえ、と首をふるしかなかった。
「落ち着いて考えてみれば、別に彦之丞の命が奪われたわけでもない」
と飯島が顔をあげた。もうすっかり、もとの優しい飯島の顔に戻っていた。
「そうだ、彦之丞は生きている。そうだ、そうなんだ」
そして飯島は突然思いを固めたようすで、くるりと勢いよく振り返り、出口に向かって行った。
「待て待て、どこへ行く」青山がとがめた。
「彦之丞を連れ戻しに行きます」足をとめ、振り向いて飯島が言った。決然とした声音であった。
「連れ戻しに、って、討ち入りに行く気だな。それは剣術の師としてゆるせることではない」
「でしたら、今日限り破門してください。では、お元気で」
「待ってください」今度は小源太がとめた。「無茶をさせるわけにはいきません。私もついて行きます。着替えますのでちょっと待ってください」
「栗栖がお目付け役だと、いっしょに討ち入りに加わりかねない不安はあるが、俺がくわわって大仰になってもいけない。だから栗栖にまかせる。とにかく、飯島は待て」そうして青山は声を落として小源太に言った。「ゆっくり着替えてこい。飯島の頭を冷やさねばならん」
小源太はうなずくと、道場を出たのだった。
なんの気まぐれか、道場主の青山清左衛門が小源太に、ひとつ手合わせしよう、などと持ちかけてきた。
道場には門人もほとんど顔を見せないし、来ている数人の門人もやる気がないしで、暇を持て余しているということなのかもしれない。
小源太と青山が相対すと、鼻をほじったり欠伸をしていた門人達が、興味をそそられて前のめりで見学しはじめた。いい見世物が始まったくらいの気持ちなのかもしれない。
竹刀での打ち合いであったが、小源太は三本ちゅう一本とれただけで終わった。本気になれば、青山の、さすがの道場主の面目躍如といったところである。
小源太の一羽流と青山の新当流は、もとは同じ神道流(天真正伝香取神道流)から出た流派であり、もちろん似て非なるものではあるが、どこか相通ずる部分もあって、青山の太刀筋に大叔父の面影をふっと垣間見ることもあった。竹刀を合わせながら、小源太はそういう懐かしさのうようなものを感じたのだった。
最初面白半分で見ていた門人達も、最後には息をするのも忘れるほど、没頭して観戦していた。
その手合わせが終わり、小源太が汗を拭いている時であった。
どたどたと床板を踏み抜かんばかりに踏み鳴らし、急激に近づいてくる足音に、はっと小源太が振り返った。
すると、飯島弥九郎が凄まじい剣幕で道場に入ってきた。
「栗栖小源太!」飯島が叫んだ。「剣を取れ、真剣で勝負しろっ!」
あまりに凄絶な形相と怒声に、小源太は最初唖然となり、すぐにたじろいだ。
「な、なんです、飯島さん、突然に」訊いた小源太の声が震えた。
「なんですとは何だ。貴様、自分が何をしたのかわかっているのか」
「なんのことです。落ち着いて説明してください」
「お前のせいで彦之丞が連れていかれた。俺達は引き裂かれてしまった」
「わ、私のせい……。どうして私のせいになるのですか」
「お前が不用意に家に来たせいだ。その時あとをつけられていたのだろう。お前が来た翌日に、彦之丞の叔父が手下を連れてあらわれ、彦之丞をさらって行った」
「いや、私は道すがら、なんども尾行されていないことは確かめました」
「言いわけか、見苦しい」
「まてまて、落ち着け、飯島」と青山が割って入った。「話を聞けば、栗栖のせいだとは言い切れない。何か他の手がかりがあって、お前達の隠れていた住まいが露見したのかもしれん。もし、栗栖が追跡されたのだとしても、悪いのは栗栖ではなかろう、お前の連れ合いの親戚が悪いのではないのか」
言われて、飯島は、ううとうなった。
「気持ちが乱れているときは深く息をするんだ、飯島。そう教えたはずだぞ」
そうして飯島は、言われるままに深呼吸をした。それでも、気がたかぶって、息はまるで整わなかったが、やがてじょじょに、気分が落ち着いてきたようだ。
「そうだ」と飯島はうなだれた。「あなたを責めるのはお門違いだ、栗栖先生。あまりの怒りで、我を忘れてしまった。ゆるしていただきたい」
深深と頭をさげる飯島に、小源太はただ、いえ、と首をふるしかなかった。
「落ち着いて考えてみれば、別に彦之丞の命が奪われたわけでもない」
と飯島が顔をあげた。もうすっかり、もとの優しい飯島の顔に戻っていた。
「そうだ、彦之丞は生きている。そうだ、そうなんだ」
そして飯島は突然思いを固めたようすで、くるりと勢いよく振り返り、出口に向かって行った。
「待て待て、どこへ行く」青山がとがめた。
「彦之丞を連れ戻しに行きます」足をとめ、振り向いて飯島が言った。決然とした声音であった。
「連れ戻しに、って、討ち入りに行く気だな。それは剣術の師としてゆるせることではない」
「でしたら、今日限り破門してください。では、お元気で」
「待ってください」今度は小源太がとめた。「無茶をさせるわけにはいきません。私もついて行きます。着替えますのでちょっと待ってください」
「栗栖がお目付け役だと、いっしょに討ち入りに加わりかねない不安はあるが、俺がくわわって大仰になってもいけない。だから栗栖にまかせる。とにかく、飯島は待て」そうして青山は声を落として小源太に言った。「ゆっくり着替えてこい。飯島の頭を冷やさねばならん」
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