日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠

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第四章 男色

四の八

 四谷にある鉄砲百人組組屋敷の志賀家の門をくぐると、たちまち異様な空気を感じた。あきらかに普通でない、何かがこの屋敷で起きたのだ。
 雨はいつかやんでいて、まだ湿り気を含んだ空気が辺りを包んでいたが、そんな物質的なものではない、感覚的な異様さであった。

 飯島が小源太の耳元で、つんざくような悲鳴をあげた。
 驚いて首を回すと、飯島の向こうが庭になっていて、その猫の額ほどの庭の真ん中に人が倒れているのが見えた。
 志賀であった。
 志賀はうつ伏せに倒れてい、普段着のままで、血にまみれ、首が胴から離れている。
 そして、かたわらには、血に濡れた刀をさげた男が立っている。
 男は五十くらいであろう、だが体型は崩れておらず、がっしりとした筋肉質で、日頃武術の鍛錬を欠かしていないとわかる肉質と身構えであった。

山中粂次郎やまなか くめじろうだなっ」飯島が叫んだ。
「初対面の、しかも年長者を呼び捨てにするなど、無礼であるぞ」男が低く冷静な声で答えた。「お主は飯島弥九郎であるな。ふん、男色の人間なぞは、礼儀すらわきまえぬとみえる」
「貴様、彦之丞を殺したな」
「愚かな、見てわからぬか、切腹したのだ。わしは介錯をしたにすぎぬ」
 小源太は、最初の驚きが過ぎ去って、怒気が湧いてきたのを感じた。切腹と言いながら、このやり方は、作法もなにもあったものではない。人を無礼と叱責しながら、この山中という男のやっていることはまるで矛盾しているように見える。

「なぜ、彦之丞が腹を切らなければならない。そんな落ち度はなにもしていない」飯島が怒鳴った。
「男しか好きになれぬ。彦之丞はそう言った。それが落ち度だ。家系を守らねばならぬ武士にあって、子をなすつもりも妻をめとるつもりもないのなら、生きている意味などありはせぬ。そんなものは人間ではない。死んでしまえばいいのだ」

 ――そんな馬鹿なことはない。
 小源太は思った。同性愛者だというだけで、どうして死に追いやられねばならぬ。
 ――そんな馬鹿なことがあってたまるか。
 憤りで手を強く握りしめた。

「ふざけるなッ!」絶叫して、飯島が山中に向けて走った。
 反射的に小源太はあとを追った。
 間合いに入らんとする飯島に向けて、山中が刀を振るった。鞘はなかったが、腰から刀を走らせた。居合の剣筋であった。
 その瞬間、追いついた小源太が飯島の着物の背をつかみ、力いっぱい引っ張ってとめた。
 飯島が滑って仰向けに転がり、虚空に血刃が閃いた。

「次ははずさんぞ。死にたくなくば、消え失せろ」
 山中の声は低く、しかしよく通り、威圧的ですらあった。
 尻もちをついた飯島の脇から、小源太が前に出た。この男の言い様がゆるせなかった。斬っては大事になってしまうが、少しでも痛い目に会わせなくては、死んだ志賀彦之丞が浮かばれない。

「男色の次は、男すがたの女か。気味が悪い者ばかりが出てくる」山中がはき捨てるように言った。

 小源太は鞘から刀を抜くと、正眼に構えた。
 山中は腰を落とし、右手に持った刀を左腰に構えた。鞘は差していないので腰に刃を当てるようにして、先ほどと同じ、居合の構えであった。その構えだけで、凄まじい手練れだとわかる、迫力と圧力であった。

 その圧迫感に気おされまいとして、しばらく相手の目を睨んだ小源太は、気が整った瞬間、刀を振りあげ飛び込んだ。
 が、凄まじい居合の一撃が右脇めがけて飛んできた。すんでのところで、小源太はそれを受けたが、強烈な敵の一撃は、小源太の刀を空に飛ばした。刀は風車のように回転しながら飛び、乾いた音をたてて地に落ちた。

 小源太は、次の一撃を警戒し、脇差の柄をつかんで、あとじさった。
 脇からどっと汗が流れ落ちているのがわかった。
 ――これは勝てぬかもしれぬ。
 山中が一歩前にでて威圧する。
 小源太が、さらに引く。

ね」
 山中が低く言った。

 小源太は構えを解くと、落ちた刀を拾って、飯島を助け起こした。
 手が震え、膝が震えた。
 これまで味わったことのないほどの凄まじい敗北感であった。そして、志賀の無念を晴らせない悔しさが、背中から重くのしかかってくるようだった。

 志賀家を出て、御堀端までくると、飯島が泣き崩れた。押さえていた感情が爆発し、叫ぶように泣いた。そして、しゃくりあげながら言った。
「なんで俺達はこんなに苦しまなくてはならない。俺達のような、異性を愛せない人間は、いつの世もいたし、これからも生まれてくるはずだ。そんな少数の者達は、ずっと苦しまなくてはならないのか。世の中はわかってくれないのか、何百年経っても……」
 小源太はうなだれ、悔しさを握りつぶすように力いっぱい手を握りしめて、泥にまみれる飯島を見つめるしかなかった。彼にかける言葉が何も浮かんでこない。空洞のような心でじっと見つめた。気づかぬうちに、小源太の目からも、一縷の涙がこぼれていた。

 いつの間にか、また雨が降り始めていた。その雨でも、ふたりの涙は洗い流せない。



(第四章 おしまい)
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