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第五章 暗い駕籠
五の四
漆黒の闇夜の中を、闇より黒い駕籠がひたひたと進んでいく。
駕籠の右に提灯を持った小源太が寄り添って歩き、その向こう側を、佐山三郎四郎がついて、駕籠の前には貝守八惣次という男が歩いている。
駕籠は、四人担ぎで、装飾はなかったが造りは立派なもので、横に戸もついていて、大名が私用の時に乗る、お忍駕籠と呼ばれるもののようであった。
小源太は中に乗っている人物のことは、何ひとつ教えられていなかった。
金井半兵衛からの依頼で、
――夜に駕籠の護衛をしてもらいたい。誰が乗っているかは、知らなくていい。行き先も知らなくていい。どちらも詮索するな。
そういう指示であった。
駕籠に何者かが乗るところも見ておらず、小源太と佐山は、張孔堂の門の前で待機していて、駕籠が中からでてきたところで護衛を始めたのだった。
役目に就く前、小源太は、駕籠に乗るのは、由井正雪だろうと想像していた。だが、駕籠を見れば(いかに有名であるとはいえ)一介の軍略家が乗っていいような格式の物ではなかった。
あれこれと、金井に禁じられている詮索をしている間にも、駕籠は粛粛と進んでいた。
牛込榎町の張孔堂を出た駕籠は、はじめ東に進み、大きな道を南へ、いくつか辻を過ぎて四つ辻を西へ……、あとはもう、右に行ったり左に行ったりで、あきらかに尾行されていないか警戒し、相手の目をくらませようという意図が見て取れた。
先にある木戸はもう閉まっていた。貝守は慣れていると見えて、先行して走っていき、木戸番屋の戸を叩いて番太郎を呼び、木戸を開けさせた。
まるで昼間と同じように、駕籠はするりと木戸を通り抜ける。
最初貝守に会った時、小源太は彼を、
――気味の悪い人間だ……。
そう感じた。
無口でまったく心が読めないし、不愛想だし、人ぎらいのようだし、猫背ぎみの肩のあたりに言いあらわしがたい黒い影みたいなものがまとわりついているようであった。
だが、すぐに小源太は考えをあらためた。世の中には、変わり者に見える人間が実は人助けを躊躇しない善良な人間だなんて例はいくらでもある。貝守だって、陰気にみえても性根は優しい人間かもしれない。
二十半ばの、見た目は中肉中背で、丸顔に細い目と薄い口と、周りの地味な造作とはいささか不釣り合いな筋の通った形のいい鼻があって、その鼻以外はこれといって印象に残らないごく普通の男であった。強いて特徴づけて言うなら烏天狗という妖怪を思わせる容姿である。
こうして前を歩く後ろ姿を見ていても、奇妙なところは何ひとつなかった。だが、出会って半刻ばかり、彼の人となりを知る機会はまったく巡ってきてはいないのだった。
さらに辻を幾度か折れ、駕籠は長い塀の脇を歩く。
とにかく果てのない塀であった。張孔堂の比ではなく、あきらかに、大大名の屋敷の塀である。
そしてたどり着いたのは、塀の厳しさにくらべるといささか凡庸な(それでも巨大だが)門だった。屋敷の裏門であろう。
駕籠の到来を待ちかまえていたように門が開き、駕籠が中へと飲み込まれていった。
小源太と佐山の役目はここまでであった。貝守のみが駕籠についていく。
かねて命じられていたとおり、ふたりは門前で立ち止まり、暗い口内へと飲み込まれていく駕籠を見送った。
帰りの護衛は命じられていない。駕籠の中が由井正雪であれば、かならず張孔堂へ帰るはずであるが、その時はまた別の護衛がつくのであろう。
門が閉じられると、小源太と佐山は目顔でうなずきあって、提灯片手に帰路についた。
「ここは紀州様のお屋敷だね」佐山が誰に言うでもなくつぶやいた。
「私はまだ江戸の地理には詳しくありませんで」小源太が返すと、
「張孔堂からは、まっすぐだとたかだか二十町(二キロ)程度しかないのに、普通に歩けば四半刻ばかりの距離を、たっぷり半刻かけて歩いたことになる」佐山が教えてくれた。
「駕籠に乗っておられたのは、由井様でしょうか?」
「おそれおおいことながら、紀州大納言様(徳川頼宣)であられたかもしれん」
「ま、まさか」
「金井さんがおっしゃっていたように、詮索はしないほうがようさそうだな。下手に勘繰ると、我我の首が危ないぞ」
佐山は冗談とも本気ともつかない言い方をしたが、ぞんがい、的外れなことを言っているわけでもないようだった。
駕籠の右に提灯を持った小源太が寄り添って歩き、その向こう側を、佐山三郎四郎がついて、駕籠の前には貝守八惣次という男が歩いている。
駕籠は、四人担ぎで、装飾はなかったが造りは立派なもので、横に戸もついていて、大名が私用の時に乗る、お忍駕籠と呼ばれるもののようであった。
小源太は中に乗っている人物のことは、何ひとつ教えられていなかった。
金井半兵衛からの依頼で、
――夜に駕籠の護衛をしてもらいたい。誰が乗っているかは、知らなくていい。行き先も知らなくていい。どちらも詮索するな。
そういう指示であった。
駕籠に何者かが乗るところも見ておらず、小源太と佐山は、張孔堂の門の前で待機していて、駕籠が中からでてきたところで護衛を始めたのだった。
役目に就く前、小源太は、駕籠に乗るのは、由井正雪だろうと想像していた。だが、駕籠を見れば(いかに有名であるとはいえ)一介の軍略家が乗っていいような格式の物ではなかった。
あれこれと、金井に禁じられている詮索をしている間にも、駕籠は粛粛と進んでいた。
牛込榎町の張孔堂を出た駕籠は、はじめ東に進み、大きな道を南へ、いくつか辻を過ぎて四つ辻を西へ……、あとはもう、右に行ったり左に行ったりで、あきらかに尾行されていないか警戒し、相手の目をくらませようという意図が見て取れた。
先にある木戸はもう閉まっていた。貝守は慣れていると見えて、先行して走っていき、木戸番屋の戸を叩いて番太郎を呼び、木戸を開けさせた。
まるで昼間と同じように、駕籠はするりと木戸を通り抜ける。
最初貝守に会った時、小源太は彼を、
――気味の悪い人間だ……。
そう感じた。
無口でまったく心が読めないし、不愛想だし、人ぎらいのようだし、猫背ぎみの肩のあたりに言いあらわしがたい黒い影みたいなものがまとわりついているようであった。
だが、すぐに小源太は考えをあらためた。世の中には、変わり者に見える人間が実は人助けを躊躇しない善良な人間だなんて例はいくらでもある。貝守だって、陰気にみえても性根は優しい人間かもしれない。
二十半ばの、見た目は中肉中背で、丸顔に細い目と薄い口と、周りの地味な造作とはいささか不釣り合いな筋の通った形のいい鼻があって、その鼻以外はこれといって印象に残らないごく普通の男であった。強いて特徴づけて言うなら烏天狗という妖怪を思わせる容姿である。
こうして前を歩く後ろ姿を見ていても、奇妙なところは何ひとつなかった。だが、出会って半刻ばかり、彼の人となりを知る機会はまったく巡ってきてはいないのだった。
さらに辻を幾度か折れ、駕籠は長い塀の脇を歩く。
とにかく果てのない塀であった。張孔堂の比ではなく、あきらかに、大大名の屋敷の塀である。
そしてたどり着いたのは、塀の厳しさにくらべるといささか凡庸な(それでも巨大だが)門だった。屋敷の裏門であろう。
駕籠の到来を待ちかまえていたように門が開き、駕籠が中へと飲み込まれていった。
小源太と佐山の役目はここまでであった。貝守のみが駕籠についていく。
かねて命じられていたとおり、ふたりは門前で立ち止まり、暗い口内へと飲み込まれていく駕籠を見送った。
帰りの護衛は命じられていない。駕籠の中が由井正雪であれば、かならず張孔堂へ帰るはずであるが、その時はまた別の護衛がつくのであろう。
門が閉じられると、小源太と佐山は目顔でうなずきあって、提灯片手に帰路についた。
「ここは紀州様のお屋敷だね」佐山が誰に言うでもなくつぶやいた。
「私はまだ江戸の地理には詳しくありませんで」小源太が返すと、
「張孔堂からは、まっすぐだとたかだか二十町(二キロ)程度しかないのに、普通に歩けば四半刻ばかりの距離を、たっぷり半刻かけて歩いたことになる」佐山が教えてくれた。
「駕籠に乗っておられたのは、由井様でしょうか?」
「おそれおおいことながら、紀州大納言様(徳川頼宣)であられたかもしれん」
「ま、まさか」
「金井さんがおっしゃっていたように、詮索はしないほうがようさそうだな。下手に勘繰ると、我我の首が危ないぞ」
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