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第五章 暗い駕籠
五の八
まだ西の空には赤い色がくすぶるように残っていたが、暗く冷たい夜気がだんだんと張孔堂を包んでいった。
張孔堂にある屋敷の一室に男達が集まって、よもやま話に花をさかせ、ときに笑声が混じる。
十畳ほどの部屋に、五人の男が、輪になって座っている。おのおのの前には膳が置かれていて、ひらいた魚の干物をつつきながら、手酌で盃を呷っている。
庭に面する戸は開けられ、秋の虫の声を肴に酒を呑んでいるようである。部屋の隅隅には、ちょっと早めであったが燭台に火が灯されていた。入り込んでくる風に、燭台の淡い火がちろちろと揺れる。
この上座も下座もない、奇妙な宴会には張孔堂を取り仕切る、いわば組織の中心にいる者達が集っていた。
金井半兵衛、丸橋忠弥、柴田三郎兵衛、横手誠一郎、そして……、
「今度の策はうまくいった」
総髪の髪を背にたらし、細面の丹精な顔をした男が言った。
「柴田の案を紀州様と図り、実行に移した」
由井正雪であった。その薄い唇にわずかに笑みを浮かべている。
「我が愚策がお役に立ちまして、なによりです」
と答えたのは柴田三郎兵衛であった。彼は由井正雪のもとで、実質的に張孔堂を取り仕切っている、いわば番頭とも宰相ともいえる男であった。
「紀州も一枚岩ではない」正雪が続けた。「大納言様のお気持ちを解せず、血気にはやる連中もいる。我らを大納言様をたぶらかす、獅子の腹に巣くうさなだ虫とでも思っているのだ。だがこれで、襲撃者の身元もやがて知れる。そうなれば、連鎖して不平不満をもつ者達が発覚し、粛清されるであろう」
「俺を使わなかったのは気に入らん」
丸橋が不服そうに言って、嫌な気分を飲み込むように酒を呑んだ。
「おぬしのような気合い満満の巨体の男を駕籠に並んで歩かせてたら、刺客達が尻込みしてしまうよ」柴田が返した。
丸橋は面白くなさそうに、また盃を口に運んだ。
「蝙蝠小町はどうだった、大将。面白い女だったろう」言った金井半兵衛自身が面白がっているふうである。
その隣では横手が、ちまちまと魚をつついている。集まっている皆が四十代の中で、ひとりだけ極端に若い。
「うん、ああいうのも、ひとりは仲間にしたいものだ」正雪が答えた。
「だろう。この徒党に引き込めば、労せずして、例の梅の打掛の残り半分だって手に入るわけだしな」
「徒党はない」柴田が苦笑した。「それでは私達は、お上に反旗をひるがえさんと、悪巧みをしているみたいだ」
「違うのか?」と金井が冗談めかして問うたが、目は笑っていず、柴田を睨むようだ。柴田は視線を落として苦笑した。
「だが」と正雪が話をもとにもどした。「栗栖というあの女を引き込むにしても、強引なのはいけない。自然に、ごく自然に我らの考えに同調してもらいたい。今の季節のようにだ。いつの間にか蝉の声は聞こえなくなり、ふと気がつけば秋の虫が鳴いている。いつ蝉の声がやんだのか、いつから秋の虫が鳴き始めたのか誰も知らない。過去を振り返っても思い出せもしない。それでいいんだ。それが世の中の移り変わりというものだ」
景色が夏から秋へと移り変わっていくように、だんだん小源太を引き込め、と正雪は言っているのだった。
丸橋が思案するように目を天井に向けた。彫りの深い顔の太い眉の間に深い皺が刻まれた。
「俺はあの蝙蝠小町と、もう一度手合わせしたい。こないだは、ちゃちな棒を使ったから、うまくいかなかった。ちゃんとした勝負がしたい」
金井がそれに答えた。
「あのお嬢ちゃん、谷中の道場で雇われ師範代をしているそうだ。お前さん、道場破りにでも行ったらいいじゃないか」
「それもいいなあ。だが、ちょっと芸がないというか、趣向が欲しい」
「贅沢いいやがる」
「ああ、なんかうまく言えねえなあ」丸橋は頭を掻いた。「蝙蝠小町をその気にさせて闘わせる、なんかいい手段がねえもんか」
「横手、どうだ」柴田が話を振った。「お前の明晰な頭で、丸橋に策を授けてみろ」
横手が魚に落としていた目線をあげた。
「まあ、なくもないですが、へたをすると、かえって嫌われてしまうかもしれませんよ」
「いいよ」丸橋が身を乗り出した。「悪役だってやってやる。教えろ」
皆が額を寄せ合って小源太を取り込む策を練っているのを、由井正雪は何か楽しいものでもみるように、目を細めて、微笑しながら見ているのだった。
(第五章 おしまい)
張孔堂にある屋敷の一室に男達が集まって、よもやま話に花をさかせ、ときに笑声が混じる。
十畳ほどの部屋に、五人の男が、輪になって座っている。おのおのの前には膳が置かれていて、ひらいた魚の干物をつつきながら、手酌で盃を呷っている。
庭に面する戸は開けられ、秋の虫の声を肴に酒を呑んでいるようである。部屋の隅隅には、ちょっと早めであったが燭台に火が灯されていた。入り込んでくる風に、燭台の淡い火がちろちろと揺れる。
この上座も下座もない、奇妙な宴会には張孔堂を取り仕切る、いわば組織の中心にいる者達が集っていた。
金井半兵衛、丸橋忠弥、柴田三郎兵衛、横手誠一郎、そして……、
「今度の策はうまくいった」
総髪の髪を背にたらし、細面の丹精な顔をした男が言った。
「柴田の案を紀州様と図り、実行に移した」
由井正雪であった。その薄い唇にわずかに笑みを浮かべている。
「我が愚策がお役に立ちまして、なによりです」
と答えたのは柴田三郎兵衛であった。彼は由井正雪のもとで、実質的に張孔堂を取り仕切っている、いわば番頭とも宰相ともいえる男であった。
「紀州も一枚岩ではない」正雪が続けた。「大納言様のお気持ちを解せず、血気にはやる連中もいる。我らを大納言様をたぶらかす、獅子の腹に巣くうさなだ虫とでも思っているのだ。だがこれで、襲撃者の身元もやがて知れる。そうなれば、連鎖して不平不満をもつ者達が発覚し、粛清されるであろう」
「俺を使わなかったのは気に入らん」
丸橋が不服そうに言って、嫌な気分を飲み込むように酒を呑んだ。
「おぬしのような気合い満満の巨体の男を駕籠に並んで歩かせてたら、刺客達が尻込みしてしまうよ」柴田が返した。
丸橋は面白くなさそうに、また盃を口に運んだ。
「蝙蝠小町はどうだった、大将。面白い女だったろう」言った金井半兵衛自身が面白がっているふうである。
その隣では横手が、ちまちまと魚をつついている。集まっている皆が四十代の中で、ひとりだけ極端に若い。
「うん、ああいうのも、ひとりは仲間にしたいものだ」正雪が答えた。
「だろう。この徒党に引き込めば、労せずして、例の梅の打掛の残り半分だって手に入るわけだしな」
「徒党はない」柴田が苦笑した。「それでは私達は、お上に反旗をひるがえさんと、悪巧みをしているみたいだ」
「違うのか?」と金井が冗談めかして問うたが、目は笑っていず、柴田を睨むようだ。柴田は視線を落として苦笑した。
「だが」と正雪が話をもとにもどした。「栗栖というあの女を引き込むにしても、強引なのはいけない。自然に、ごく自然に我らの考えに同調してもらいたい。今の季節のようにだ。いつの間にか蝉の声は聞こえなくなり、ふと気がつけば秋の虫が鳴いている。いつ蝉の声がやんだのか、いつから秋の虫が鳴き始めたのか誰も知らない。過去を振り返っても思い出せもしない。それでいいんだ。それが世の中の移り変わりというものだ」
景色が夏から秋へと移り変わっていくように、だんだん小源太を引き込め、と正雪は言っているのだった。
丸橋が思案するように目を天井に向けた。彫りの深い顔の太い眉の間に深い皺が刻まれた。
「俺はあの蝙蝠小町と、もう一度手合わせしたい。こないだは、ちゃちな棒を使ったから、うまくいかなかった。ちゃんとした勝負がしたい」
金井がそれに答えた。
「あのお嬢ちゃん、谷中の道場で雇われ師範代をしているそうだ。お前さん、道場破りにでも行ったらいいじゃないか」
「それもいいなあ。だが、ちょっと芸がないというか、趣向が欲しい」
「贅沢いいやがる」
「ああ、なんかうまく言えねえなあ」丸橋は頭を掻いた。「蝙蝠小町をその気にさせて闘わせる、なんかいい手段がねえもんか」
「横手、どうだ」柴田が話を振った。「お前の明晰な頭で、丸橋に策を授けてみろ」
横手が魚に落としていた目線をあげた。
「まあ、なくもないですが、へたをすると、かえって嫌われてしまうかもしれませんよ」
「いいよ」丸橋が身を乗り出した。「悪役だってやってやる。教えろ」
皆が額を寄せ合って小源太を取り込む策を練っているのを、由井正雪は何か楽しいものでもみるように、目を細めて、微笑しながら見ているのだった。
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