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第六章 道場破り
六の七
小源太は正眼に構えたまま、じっとして動かなかった。
山内は構えからして、今までの門人達とは格が違っていた。別段気負ったふうもなく、ただ稽古槍の先端を小源太に向けて、腰を何気なく落としているだけ、というふうに見える。
だが、隙がみつからない。
こちらがどこから打ち込もうが、すぐに跳ね返されてしまいそうだ。相手が動くのを待つしかないようだった。
と、山内の体が跳ねた。長身とは思えぬ身軽さで、助走もせずに二尺半(七十五センチ)は飛んだ。さらに伸びあがった体から、長い槍が振り下ろされてくる。槍の軌道も見定めにくい。
もはや、刹那の勘であった。
小源太は右足を軸にして体をねじり、左肩を狙って打ちおろされる槍をまさに紙一重で躱した。槍の柄が鼻先をかすめ、風圧が顔を引き裂くようだ。そして、そのまま独楽のように体を回した小源太は、山内の左肩を打った。
着地した山内が、瞬時に振り返り、また構える。
「浅いっ」
山内が叫び、試合を続行するようにうがなした。
小源太も構える。
「そこまでっ!」
小源太の後ろから、野太い声が聞こえた。
ふりむけば、そこにも長身の男が立っていた。長身というよりも巨躯と表現したほうが適切だろう。男の、肩幅の広い体を覆う筋肉が鉄のように硬そうに見える。
彫りの深い顔の大きな目が小源太を見据えている。
「栗栖の一撃は、しっかり入っていたぞ、山内。真剣であったら、左腕はつけねからばっさり落ちていた。お前の負けだ」
言われて山内は槍を納めると、深深と小源太に向けてお辞儀をした。つられるように、小源太もお辞儀を返した。
入ってきた男が言った。
「わしが道場主の丸橋忠弥である」
小源太は姿勢をただして、頭をさげた。栗栖という姓を知っていたところから考えて、丸橋はどこかで今の試合を見ていたのかもしれない。
「わしと立ち合いたいか」
丸橋の問いに、小源太はこくりとうなずいた。
「いいだろう、刀を抜け、真剣で勝負だ」
と丸橋に言われ、小源太は刀を腰に帯びたままだということに今気がついた。道場に入ってすぐにばたばたと試合が始まったので、両刀を抜くのすら忘れていた。だが、まさか真剣で勝負することになろうとは、思ってもいなかった。
「どうした、栗栖。わしが憎くて、乗り込んできたのであろう」
なぜ、丸橋は小源太が乗り込んできた理由を知っているのか。
小源太は、じっと丸橋の表情を見つめていた。上目づかいにこちらを見据え、不敵に口をゆがめていて、その顔からは丸橋の底意は読みとれなかった。
「なにをとまどっておる。お前の知り合いの質屋に難癖をつけさせたのも、内偵していた男を打擲させたのも、わしだ。わしが門人達に命じてやらせたことだ。どうだ、憎かろう」
「なぜ、そんなことをさせた」
その小源太の問いに、丸橋は答えなかった。
「どうした抜け、栗栖。威勢がいいのは木剣勝負だったからか。真剣で闘うのは怖いか」
そうして、おい、と門人に声をかけると、その門人は長押から十文字槍をおろし鞘を払って丸橋に渡した。
真剣勝負が怖いというよりも、小源太はこれまで、やむをえない状況に陥らないかぎりは刀を抜いてこなかった。傷つけられることより、人を傷つけるほうが怖いという気持ちがあった。今も、できうるなら、真剣での立ち合いなどは避けたいところだが、すでに丸橋は抜き身の槍の石突を床に突いて仁王立ちだ。
横にいた山内に木剣を渡し、しぶしぶ、小源太は刀を鞘から抜いた。
「それでいい」
つぶやいて、丸橋が構えた。大地震がきても揺るがぬような、どっしりとした構えであった。
――はて?
刀を正眼に構えつつ小源太の胸に、訝しむ気持ちがちらと湧いた。奇妙な既視感がかすめたようだ。この男と、いつか勝負したことがあっただろうか、どこで闘ったのだろう……。
――槍の相手……。
槍使いとこれまで闘ったことは、ほとんどなかったはずだ。
――いや、今はそんなことは考えるまい。
この勝負に意識を完全に集中し、全身全霊をもって挑まなければ、勝つことはできない。
目の前にいるのは、それほどの敵である。
山内は構えからして、今までの門人達とは格が違っていた。別段気負ったふうもなく、ただ稽古槍の先端を小源太に向けて、腰を何気なく落としているだけ、というふうに見える。
だが、隙がみつからない。
こちらがどこから打ち込もうが、すぐに跳ね返されてしまいそうだ。相手が動くのを待つしかないようだった。
と、山内の体が跳ねた。長身とは思えぬ身軽さで、助走もせずに二尺半(七十五センチ)は飛んだ。さらに伸びあがった体から、長い槍が振り下ろされてくる。槍の軌道も見定めにくい。
もはや、刹那の勘であった。
小源太は右足を軸にして体をねじり、左肩を狙って打ちおろされる槍をまさに紙一重で躱した。槍の柄が鼻先をかすめ、風圧が顔を引き裂くようだ。そして、そのまま独楽のように体を回した小源太は、山内の左肩を打った。
着地した山内が、瞬時に振り返り、また構える。
「浅いっ」
山内が叫び、試合を続行するようにうがなした。
小源太も構える。
「そこまでっ!」
小源太の後ろから、野太い声が聞こえた。
ふりむけば、そこにも長身の男が立っていた。長身というよりも巨躯と表現したほうが適切だろう。男の、肩幅の広い体を覆う筋肉が鉄のように硬そうに見える。
彫りの深い顔の大きな目が小源太を見据えている。
「栗栖の一撃は、しっかり入っていたぞ、山内。真剣であったら、左腕はつけねからばっさり落ちていた。お前の負けだ」
言われて山内は槍を納めると、深深と小源太に向けてお辞儀をした。つられるように、小源太もお辞儀を返した。
入ってきた男が言った。
「わしが道場主の丸橋忠弥である」
小源太は姿勢をただして、頭をさげた。栗栖という姓を知っていたところから考えて、丸橋はどこかで今の試合を見ていたのかもしれない。
「わしと立ち合いたいか」
丸橋の問いに、小源太はこくりとうなずいた。
「いいだろう、刀を抜け、真剣で勝負だ」
と丸橋に言われ、小源太は刀を腰に帯びたままだということに今気がついた。道場に入ってすぐにばたばたと試合が始まったので、両刀を抜くのすら忘れていた。だが、まさか真剣で勝負することになろうとは、思ってもいなかった。
「どうした、栗栖。わしが憎くて、乗り込んできたのであろう」
なぜ、丸橋は小源太が乗り込んできた理由を知っているのか。
小源太は、じっと丸橋の表情を見つめていた。上目づかいにこちらを見据え、不敵に口をゆがめていて、その顔からは丸橋の底意は読みとれなかった。
「なにをとまどっておる。お前の知り合いの質屋に難癖をつけさせたのも、内偵していた男を打擲させたのも、わしだ。わしが門人達に命じてやらせたことだ。どうだ、憎かろう」
「なぜ、そんなことをさせた」
その小源太の問いに、丸橋は答えなかった。
「どうした抜け、栗栖。威勢がいいのは木剣勝負だったからか。真剣で闘うのは怖いか」
そうして、おい、と門人に声をかけると、その門人は長押から十文字槍をおろし鞘を払って丸橋に渡した。
真剣勝負が怖いというよりも、小源太はこれまで、やむをえない状況に陥らないかぎりは刀を抜いてこなかった。傷つけられることより、人を傷つけるほうが怖いという気持ちがあった。今も、できうるなら、真剣での立ち合いなどは避けたいところだが、すでに丸橋は抜き身の槍の石突を床に突いて仁王立ちだ。
横にいた山内に木剣を渡し、しぶしぶ、小源太は刀を鞘から抜いた。
「それでいい」
つぶやいて、丸橋が構えた。大地震がきても揺るがぬような、どっしりとした構えであった。
――はて?
刀を正眼に構えつつ小源太の胸に、訝しむ気持ちがちらと湧いた。奇妙な既視感がかすめたようだ。この男と、いつか勝負したことがあっただろうか、どこで闘ったのだろう……。
――槍の相手……。
槍使いとこれまで闘ったことは、ほとんどなかったはずだ。
――いや、今はそんなことは考えるまい。
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