日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠

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第六章 道場破り

六の八

 十文字の穂先がじりじりと迫ってくるようだ。

 ――これは……。
 と小源太は思った。
 さすがは、さっき闘った山内の師だけはあった。
 山内の構えも盤石であったが、丸橋の構えはさらに盤石であった。だが、どこかに柔らかさもある、と感じた。例えるなら、山内は漆喰で塗り固めた強固な土蔵である。丸橋は古刹の五重塔と言ったところか。どこか隙間がありそうにみえて、しかし、ちょっとやそっとの地震でも倒壊することはない。

 威圧感も凄まじい。
 闘志が炎となって目に見えるようだ。
 丸橋の長年の修行によって培ってきた武芸の技術と、実戦を重ねて磨かれた経験と、度胸と落ち着きを持った精神が、体から満ち溢れ、鍛えられた腕を伝って槍へと流れ込み、槍の切っ先のただ一点へと到達し、凝縮され、ただ穂先を向けられているだけなのに、小源太は貫かれるように思えた。

 山内は防御という面において達人の域に達していたが、攻撃に転ずるとわずかな隙があった。そこにつけいる余地があった。だが、丸橋はどうだ。今の瞬間攻撃に転じられたら、はたして隙が生まれるだろうか。いや、あるまい。この男には、防御だけでなく攻撃してきてもつけ入る隙など微塵もあるまい。

 ふと、己の手が小刻みに震えていることに小源太は気がついた。武者震いであろうか。これまでも、道場の試合の時でも真剣での闘いの時でも、手が震えるなどということがあっただろうか。ずっと気がつかなかっただけだろうか。なぜ今にかぎって、こうも手の震えが気になるのか……。
 手だけではない、膝もかくかくと震えていた。
 気をわずかでも緩めた瞬間、腰が砕けてこの場にへたりこんでしまいそうだ。

 ――怖い。
 小源太は素直にそう思った。今まで闘ったどの相手よりも、この男は強い。
 ――これは勝てるかどうかわからないぞ。
 そんな悲観的な思考に憑りつかれ始めていた。気で飲まれてはいけない。これでは刃を交える前から負けてしまう。飲まれてはいけない。
 しかし小源太は、すでに気後れしていたし、飲まれてもいた。

 額の汗が流れ、眉間を伝わって目頭に落ち、目に膜を張って視界をぼやけさせる。
 だが、まばたきするのさえ、怖い。
 丸橋はその字義どおりの一瞬を見逃すはずがなかった。大きな目は冷静でいるように見えて、剃刀のような鋭い光を宿し、小源太を射すくめるような視線で睨み、髪の毛ほどの隙も見逃さないように思える。

 ――これはまずい。これは勝てない。
 小源太の攻撃を丸橋はいともなげに躱してしまうだろう。そして、丸橋の攻撃を躱せる自信がまるでない。
 ――私の負けだ。
 思った瞬間、小源太は剣をおろし、頭をさげた。
「参りました」

 たちまち、周囲の門人達から冷笑が浴びせられた。小源太はそれをうなだれたまま聞くしかなかった。

「笑うなッ!」
 丸橋の大喝が道場に反響した。
 門人達は、一斉に口をつぐみ、道場は気味が悪いほどの重い静寂につつまれた。
「この栗栖小源太は強い。だから、闘わずしてわしと自分の力量の差に気が付けたのだ。お前達ならどうだ。負けたくない一念から、遮二無二突っ込んで来て、わしの槍に貫かれていただろう。今回はわしが勝ったが……」

 半年後はどうなるかわからん、と言おうとして丸橋は口を閉じた。
 この時、丸橋は内心、小源太に嫉妬していた。
 はじけるほどの若さと、あふれるばかりの剣術の才能を小源太は持ち、そしてそれらがまだ成長途中であった。躍動する若さに嫉妬し、あっという間に丸橋を追い越すのではないかという怖れすら感じた。
「まあ、十年後くらいには、わしの足元に達するかもしれぬて」
 そう言って丸橋は笑った。大笑し、内心に生まれた焦りを笑い飛ばそうとした。

「いろいろと生意気な態度をとり、まことに申し訳ございませんでした」
 小源太は顔をあげて謝った。顔をあげていなければ、涙がこぼれ落ちそうであった。
「いや、あやまらなくてはならんのは、わしのほうだ」
 そう言って、丸橋は深深と頭をさげた。
「おぬしと昵懇の質屋をいじめさせたのも、ここを探っていた若いのを痛めつけさせたのも、すべて、おぬしとこうして真剣で立ち会いたいがための、悪巧わるだくみであった。すまない。ゆるしてくれ。質屋にも若いのにも、明日にでも謝りに行こう」
 丸橋はにっと子供のような笑みを満面に浮かべた。
「おぬしのことは、張孔堂の金井半兵衛かない はんべえに聞いておった。ずっと真剣で闘ってみたくてのう。ふつうに勝負を申し込んだのでは、木剣とたんぽ槍での試合が関の山だ。真剣で闘うには、おぬしにわしを憎んでもらわなくてはならなんだ。いや、本当にすまなかった」

 そして笑いながら、丸橋は小源太を酒にさそった。
「いえ、酒は飲めません」小源太は断った。
「なんだと、ではしかたない。飯だ。飯をいっしょに食おう。断るなよ。おぬしはわしに負けたんだからな、小源太」
 丸橋は気安く小源太の名を呼び、肩をつかむと、強引に母屋へと連れて行った。
 ――この人には、かなわないな。
 戸惑いと、呆れる気持ちをないまぜにして、小源太はついていくしかなかった。
 小源太の胸にあった、丸橋を憎む気持ちがいつの間にか消えていた。



(第六章 おしまい)
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