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第七章 正雪は微笑む
七の五
佐山三郎四郎は、器用に下駄の前緒を通すと、鼻緒を整えた。
「いやあ、なかなか良い物ができた。これまでは、左右の高さが合わず、歩くとぎくしゃくするものばかりだったが、今度のはうまくいった」
張孔堂の佐山にあてがわれた長屋を小源太が訪れると、佐山は下駄作りに心血をそそいでいたのだった。
「あのう、佐山さん、傑作ができてご機嫌なところ、水を差すつもりはないのですが、箪笥作りはもうあきらめてしまったのですか?」
小源太が訊くと、
「そうじゃないよ。箪笥ばかり作っていても飽きてしまうし、ちょっと手慰みに作ってみたんだ。この下駄、貴公に差し上げよう」
「え、そんな、ご新造に悪いですよ」
「気にせんでよい。これはちょっとした習作だ。家内には、もっといいのができたらやるつもりだよ」
「ああ、そうですか」
小源太は喜んでいいのか、ふてくされていいのかわからない複雑な気分であった。
「まあ、草履もずいぶんすり減ってきてますから、遠慮なくいただきます」
「はい、どうぞ」佐山はにっこりと笑うのだった。
「その後、お家には帰っておられますか?」
「心配しなくてもいいよ、栗栖殿。あれ以来、ちょくちょく帰っている。指物の師匠も筋がいいと褒めてくれているし、もうちょっとしたら工房で雇ってもいいとも言ってくれている。そうしたら、こことも、大小(刀と脇差)ともお別れだ」
「そうですか、それは良かった」
「最近じゃあ、町人髷は似合うのだろうかとか、着物はどんなのがいいかとか、そんなことばかり考えてるよ」
「きっとお似合いになりますよ」
「して、今日はそんなよもやま話をしに来たわけじゃないんだろう」
と佐山が話を変えた。さっきから、話の潮合いを読んでいた小源太が落ちつかない様子なので、察したのだろう。
「ええ、用というほどのこともないのですが、ちょっとお訊きしたいことがありまして。由井先生がお持ちの、鷺が描かれた掛軸のことをご存じではないでしょうか」
「さあ、まるで聞いたことがないなあ。それが、いかがした」
「いえ、たいしたわけはないんですよ。ちょっとそんな話を耳にしましたので、どんなものかな、と」
そんな話、というのは、狛蔵がどこかかから拾ってきた話であった。今日小源太は、その真偽を確かめにここへ来たのだった。
「ふうん。由井先生のことなら、金井さんのほうがよくご存じだろうさ。訊いてみたら?」
「うん、そうですねえ」
小源太は歯切れ悪く答えた。ことが隠し財宝がらみの話であるので、金井半兵衛に訊くことはためらわれた。
「いや待てよ」ふと佐山が腕を組んで考え込んだ。「そう言えば、掛軸がどうのという話をちらっとどこかで聞いたことがったな。おぬしのいう鷺の絵が描かれた掛軸のことかどうかは、わからぬ。だが……、うんそうだ、由井先生が掛軸を手に入れて、居間の床の間にかけて毎日のように眺めている、という噂だったな」
「そうですか」
話を聞くと、なんとなくその由井正雪お気に入りの掛軸が鷺の掛軸のように思えてはくるが、さて、どうしたものか。
小源太は首をひねりつつ、新しい下駄を履いて佐山の家をあとにした。
狛蔵は寝床の中で団子虫のように丸まって、苦しそうに咳を繰り返していた。筵を敷いて、綿入れを掛けただけの、粗末な寝床だった。四畳半の狭い家のなかは、病人のすえたような匂いが充満していた。
様子を見に狛蔵の家を訪れた小源太は、すぐに、背中をさすってやった。
「薬か何かないのか?」
「そんなもん、あるわけありません」狛蔵はぜえぜえと苦しそうな息を繰り返した。「医者なんぞ、高い金をふんだくって、効きもしない薬をあてがうばかりだ。信用ならねえ」
そう言って、しばらくまた咳をした。
「なに、こないだ無理をして、あんたさまの家まで歩いたのがいけなかっただけで。いつものことなんでさ。ちょっと調子がいいと油断してると、急に具合が悪くなる。二、三日寝ていりゃあ、また良くなりまさあ」
小源太は、背をさすりながら、それはどうだろうという気がした。つい先日よりもずっと衰弱が進んでいるように見える。このままだんだんと寝たきりになっていくのではなかろうか。
「そんなことより、掛軸の行方はつかめましたかい」
「うん、どうやら、由井民部之助が大切に所持しているらしい」
「由井に近しいもんに訊いたんじゃあ、ありますまいな」
「いや、それは大丈夫だ」
「あんたさまが、掛軸を探していることが由井にばれでもしたら、動きづらくなる。その掛軸、なにも盗む必要はござんせん。どんな絵が描かれているか見て、覚えてきてくれれば充分なんでさ」
「なんとかやってみるよ」
「それも、人目を忍んでやってくんなさいよ。すべてひっそりと」
そうして狛蔵は、また咳をしはじめたのだった。
「いやあ、なかなか良い物ができた。これまでは、左右の高さが合わず、歩くとぎくしゃくするものばかりだったが、今度のはうまくいった」
張孔堂の佐山にあてがわれた長屋を小源太が訪れると、佐山は下駄作りに心血をそそいでいたのだった。
「あのう、佐山さん、傑作ができてご機嫌なところ、水を差すつもりはないのですが、箪笥作りはもうあきらめてしまったのですか?」
小源太が訊くと、
「そうじゃないよ。箪笥ばかり作っていても飽きてしまうし、ちょっと手慰みに作ってみたんだ。この下駄、貴公に差し上げよう」
「え、そんな、ご新造に悪いですよ」
「気にせんでよい。これはちょっとした習作だ。家内には、もっといいのができたらやるつもりだよ」
「ああ、そうですか」
小源太は喜んでいいのか、ふてくされていいのかわからない複雑な気分であった。
「まあ、草履もずいぶんすり減ってきてますから、遠慮なくいただきます」
「はい、どうぞ」佐山はにっこりと笑うのだった。
「その後、お家には帰っておられますか?」
「心配しなくてもいいよ、栗栖殿。あれ以来、ちょくちょく帰っている。指物の師匠も筋がいいと褒めてくれているし、もうちょっとしたら工房で雇ってもいいとも言ってくれている。そうしたら、こことも、大小(刀と脇差)ともお別れだ」
「そうですか、それは良かった」
「最近じゃあ、町人髷は似合うのだろうかとか、着物はどんなのがいいかとか、そんなことばかり考えてるよ」
「きっとお似合いになりますよ」
「して、今日はそんなよもやま話をしに来たわけじゃないんだろう」
と佐山が話を変えた。さっきから、話の潮合いを読んでいた小源太が落ちつかない様子なので、察したのだろう。
「ええ、用というほどのこともないのですが、ちょっとお訊きしたいことがありまして。由井先生がお持ちの、鷺が描かれた掛軸のことをご存じではないでしょうか」
「さあ、まるで聞いたことがないなあ。それが、いかがした」
「いえ、たいしたわけはないんですよ。ちょっとそんな話を耳にしましたので、どんなものかな、と」
そんな話、というのは、狛蔵がどこかかから拾ってきた話であった。今日小源太は、その真偽を確かめにここへ来たのだった。
「ふうん。由井先生のことなら、金井さんのほうがよくご存じだろうさ。訊いてみたら?」
「うん、そうですねえ」
小源太は歯切れ悪く答えた。ことが隠し財宝がらみの話であるので、金井半兵衛に訊くことはためらわれた。
「いや待てよ」ふと佐山が腕を組んで考え込んだ。「そう言えば、掛軸がどうのという話をちらっとどこかで聞いたことがったな。おぬしのいう鷺の絵が描かれた掛軸のことかどうかは、わからぬ。だが……、うんそうだ、由井先生が掛軸を手に入れて、居間の床の間にかけて毎日のように眺めている、という噂だったな」
「そうですか」
話を聞くと、なんとなくその由井正雪お気に入りの掛軸が鷺の掛軸のように思えてはくるが、さて、どうしたものか。
小源太は首をひねりつつ、新しい下駄を履いて佐山の家をあとにした。
狛蔵は寝床の中で団子虫のように丸まって、苦しそうに咳を繰り返していた。筵を敷いて、綿入れを掛けただけの、粗末な寝床だった。四畳半の狭い家のなかは、病人のすえたような匂いが充満していた。
様子を見に狛蔵の家を訪れた小源太は、すぐに、背中をさすってやった。
「薬か何かないのか?」
「そんなもん、あるわけありません」狛蔵はぜえぜえと苦しそうな息を繰り返した。「医者なんぞ、高い金をふんだくって、効きもしない薬をあてがうばかりだ。信用ならねえ」
そう言って、しばらくまた咳をした。
「なに、こないだ無理をして、あんたさまの家まで歩いたのがいけなかっただけで。いつものことなんでさ。ちょっと調子がいいと油断してると、急に具合が悪くなる。二、三日寝ていりゃあ、また良くなりまさあ」
小源太は、背をさすりながら、それはどうだろうという気がした。つい先日よりもずっと衰弱が進んでいるように見える。このままだんだんと寝たきりになっていくのではなかろうか。
「そんなことより、掛軸の行方はつかめましたかい」
「うん、どうやら、由井民部之助が大切に所持しているらしい」
「由井に近しいもんに訊いたんじゃあ、ありますまいな」
「いや、それは大丈夫だ」
「あんたさまが、掛軸を探していることが由井にばれでもしたら、動きづらくなる。その掛軸、なにも盗む必要はござんせん。どんな絵が描かれているか見て、覚えてきてくれれば充分なんでさ」
「なんとかやってみるよ」
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そうして狛蔵は、また咳をしはじめたのだった。
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