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第七章 正雪は微笑む
七の六
財宝を探す手がかりのひとつである掛軸は由井正雪の屋敷にある。この掛軸を見つけ、ざっとしたものでいいので書き写さねばならない。
張孔堂に潜り込むことは簡単だった。
佐山に用があると言って昼のうちに敷地内に入り込み、夜まで待てばよい。
ただ、佐山の家に居続けると、彼に迷惑がかかるから、小源太は、事前に使われていない長屋の部屋を見繕っておき、日暮れがたに佐山の家を辞去し、空家にもぐりこんで夜を待った。
あとは、どうにかして由井正雪の屋敷に忍び込みさえすればいいだけである。
もちろん、泥棒まがいのことをしようというのだから、この忍び込むだけ、というのが今度の仕事の一番の難関なのであるが。
そうして、五つ、四つと時は流れ、深更。
小源太はあまりの閑暇をもてあまし、うつらうつらとうたたねをしつつ、時を過ごしたのだった。
目が覚めて、小源太は苦笑した。自分に対する自嘲めいた笑いであった。
真実あるかどうかもわからない財宝のために、張孔堂に潜み隠れ、これから他人の屋敷に忍び込もうとしている。ちょっと引いて自分をみれば、ひどく馬鹿馬鹿しいことをしている気さえする。
しかし狛蔵の真剣にうったえかける言葉を思えば、たとえ嘘だとしても、老人が納得いくまでつきあってやろうと思うのだった。
外に出ると、満月に近い月が冴え冴えと夜空に浮かんで、提灯がなくとも歩けるほどの明るさであった。時の鐘が聞こえたわけではなかったが、月の高さから判断して、まず、九つくらいの時刻であろうと、小源太は当たりをつけた。
小源太はそっと歩き出した。もちろん、佐山に貰った新しい下駄では足音が鳴るので、履き古した草履を履いている。
由井の屋敷は、講堂の裏にあるという。
途中、提灯を持った見回りの番士が歩いていたが、身をひそめて難なくやりすごし、小源太は屋敷に到着した。講堂からは渡り廊下で繋がっていて、別段塀や門扉のような物もなく、あっさりと屋敷の軒下に貼りついた。
――さて、どこから侵入するか。
大きな屋敷である。
十一、二間(二十メートル)四方はありそうだ。
壁に沿ってぬき足さし足で進んでいくと、かどを曲がったところが庭で、面した縁側は雨戸が立てられておらず、不用心なものであった。もっとも、張孔堂は高い塀で敷地が囲まれているから、安心しきっているのかもしれない。しかし、この寒い夜に、雨戸を閉めないというのは、まったく解せない。ひょっとすると、まだ人が起きていて、訳があって開け放しているのかもしれなかった。
小源太はそっと上がりこんだ。
掛軸は、床の間に飾ってあるという。まずは床の間のある部屋を探さなくてはいけない。
縁側に面した部屋の障子は締め切ってあった。
手近な戸をそっと、ほんの指の先ほど開けてみた。
その部屋は無人で十二畳ほどの広さで、奥に床の間があった。さっそく当たりを引いたかと、縁側づたいに床の間に近づき、また戸をわずかにあけた。
縁側から障子を通して差し込むわずかな月明かりでは、判然とはしないが、しかし、その床の間にかかっている掛軸は、文字のようなものが書いてあるばかりであった。
しかたがないので、この先は、ひと部屋ずつ当たっていくしかない。
廊下を曲がって、ひと部屋、ふた部屋と覗いてみたが、掛軸どころか床の間すらない部屋ばかりである。
と、廊下の先の、曲がり角のさらに先から、人が歩いてくる気配があった。
それを避けて反対方向に進路をとり、歩いて行くと、今度は入ってきた縁側とは反対の縁側にでた。こちらの縁は雨戸が閉められているが、おそらく雨戸をあければ裏庭が広がってでもいるのだろう。廊下の先は行き止まりであった。耳をすますと、かどの向こうから、人がこちらにどんどん近づいてくるひたひたという足音が聞こえる。
たまらず、小源太は目の前の唐紙を開けて、中に滑り込んだ。
そこに、人がいた。小源太の鼓動が大きく打ちつけた。心臓が口から飛び出しそうなほどの心悸であった。
その男は、部屋の向こうの隅で背をこちらにむけて座り、盃を片手に、手燭のかすかな明かりをたよりにして、床の間にかけられた掛軸を見つめていた。
しまった、と思ったが、時すでに遅い。そこは八畳ほどの部屋だったから、小源太が部屋に入った気配に気づかないはずはないが、だが、男は床の間を向いたまま平然と盃を傾けている。当然男の表情はまるでわからない。ただ、背にたらした長い総髪だけが小源太の目を引いた。
――由井だ。
と小源太にはわかった。由井だ、違いない。会ったことはないが、この男が由井正雪であるに違いない。
張孔堂に潜り込むことは簡単だった。
佐山に用があると言って昼のうちに敷地内に入り込み、夜まで待てばよい。
ただ、佐山の家に居続けると、彼に迷惑がかかるから、小源太は、事前に使われていない長屋の部屋を見繕っておき、日暮れがたに佐山の家を辞去し、空家にもぐりこんで夜を待った。
あとは、どうにかして由井正雪の屋敷に忍び込みさえすればいいだけである。
もちろん、泥棒まがいのことをしようというのだから、この忍び込むだけ、というのが今度の仕事の一番の難関なのであるが。
そうして、五つ、四つと時は流れ、深更。
小源太はあまりの閑暇をもてあまし、うつらうつらとうたたねをしつつ、時を過ごしたのだった。
目が覚めて、小源太は苦笑した。自分に対する自嘲めいた笑いであった。
真実あるかどうかもわからない財宝のために、張孔堂に潜み隠れ、これから他人の屋敷に忍び込もうとしている。ちょっと引いて自分をみれば、ひどく馬鹿馬鹿しいことをしている気さえする。
しかし狛蔵の真剣にうったえかける言葉を思えば、たとえ嘘だとしても、老人が納得いくまでつきあってやろうと思うのだった。
外に出ると、満月に近い月が冴え冴えと夜空に浮かんで、提灯がなくとも歩けるほどの明るさであった。時の鐘が聞こえたわけではなかったが、月の高さから判断して、まず、九つくらいの時刻であろうと、小源太は当たりをつけた。
小源太はそっと歩き出した。もちろん、佐山に貰った新しい下駄では足音が鳴るので、履き古した草履を履いている。
由井の屋敷は、講堂の裏にあるという。
途中、提灯を持った見回りの番士が歩いていたが、身をひそめて難なくやりすごし、小源太は屋敷に到着した。講堂からは渡り廊下で繋がっていて、別段塀や門扉のような物もなく、あっさりと屋敷の軒下に貼りついた。
――さて、どこから侵入するか。
大きな屋敷である。
十一、二間(二十メートル)四方はありそうだ。
壁に沿ってぬき足さし足で進んでいくと、かどを曲がったところが庭で、面した縁側は雨戸が立てられておらず、不用心なものであった。もっとも、張孔堂は高い塀で敷地が囲まれているから、安心しきっているのかもしれない。しかし、この寒い夜に、雨戸を閉めないというのは、まったく解せない。ひょっとすると、まだ人が起きていて、訳があって開け放しているのかもしれなかった。
小源太はそっと上がりこんだ。
掛軸は、床の間に飾ってあるという。まずは床の間のある部屋を探さなくてはいけない。
縁側に面した部屋の障子は締め切ってあった。
手近な戸をそっと、ほんの指の先ほど開けてみた。
その部屋は無人で十二畳ほどの広さで、奥に床の間があった。さっそく当たりを引いたかと、縁側づたいに床の間に近づき、また戸をわずかにあけた。
縁側から障子を通して差し込むわずかな月明かりでは、判然とはしないが、しかし、その床の間にかかっている掛軸は、文字のようなものが書いてあるばかりであった。
しかたがないので、この先は、ひと部屋ずつ当たっていくしかない。
廊下を曲がって、ひと部屋、ふた部屋と覗いてみたが、掛軸どころか床の間すらない部屋ばかりである。
と、廊下の先の、曲がり角のさらに先から、人が歩いてくる気配があった。
それを避けて反対方向に進路をとり、歩いて行くと、今度は入ってきた縁側とは反対の縁側にでた。こちらの縁は雨戸が閉められているが、おそらく雨戸をあければ裏庭が広がってでもいるのだろう。廊下の先は行き止まりであった。耳をすますと、かどの向こうから、人がこちらにどんどん近づいてくるひたひたという足音が聞こえる。
たまらず、小源太は目の前の唐紙を開けて、中に滑り込んだ。
そこに、人がいた。小源太の鼓動が大きく打ちつけた。心臓が口から飛び出しそうなほどの心悸であった。
その男は、部屋の向こうの隅で背をこちらにむけて座り、盃を片手に、手燭のかすかな明かりをたよりにして、床の間にかけられた掛軸を見つめていた。
しまった、と思ったが、時すでに遅い。そこは八畳ほどの部屋だったから、小源太が部屋に入った気配に気づかないはずはないが、だが、男は床の間を向いたまま平然と盃を傾けている。当然男の表情はまるでわからない。ただ、背にたらした長い総髪だけが小源太の目を引いた。
――由井だ。
と小源太にはわかった。由井だ、違いない。会ったことはないが、この男が由井正雪であるに違いない。
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