日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠

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第九章 宝よ、いずこ

九の六

 不忍池は、梅雨の雲に覆われた空の下で、灰色の水面をにぶく輝かせていた。
 小源太と冬至郎は、その蓮の群れて浮かぶ地水の向こうの土手を眺めて、溜め息をつき、頭を抱え込んだ。
 不忍池の中心に浮島のようにある辯天堂べんてんどうの背後に、長く伸びた土手には、今は葉が茂るばかりであったが、桜の木が、ずらりと数え切れぬほど並んでいた。

「鷺に当たる物を探す以前の問題だな」
 冬至郎は、顔を隠すためにかぶっている笠の下で、額に手を当ててしきりに首をふっている。
 小源太と冬至郎が探しているのは、掛軸に描かれた鷺に当たる何かと、その対岸にある桜の木である。不忍池が整備されたのは、寛永寺が建立された頃のことで、三十年近く前になる。掛軸はさらにその十年ほど前に描かれたものだった。
「天海僧正も余計なことをしてくれた」冬至郎は溜め息をついた。
 池の整備によって、風景は一変した。それまではまだ自然のままといってよかった池畔は、綺麗に造成され、数百本の桜が植えられた。これでは、目指す桜の木が、他の桜の木で埋もれてしまって、見つけることなど到底不可能であった。

「紅穂、お前、近所に住んでいて、花見に来たりしなかったのか」
「そうもうされましても。兄上こそ、五年も江戸に住んでいて、この有名な池に来たことはなかったんですか」
 責任を押し付け合うような互いの言い様に、互いにうなって腕を組んで、頭を振った。
「宝さがしがいきなり行き詰まったな」
「兄上、そう嘆くこともないのでは」
「なんだと」
「掛軸の桜は、ずいぶん立派なものでした。ということは、天海僧正が桜の木を植えさせる前に、すでにそれなりの大樹だったことになります」
 冬至郎はぱちんと両手を打った。
「なるほど、冴えてるな紅穂。当の桜が抜かれたり切り倒されたりしていないのなら、他の桜より格段に大きく育っているはずだ」
 ふたりが対岸を見渡すと、数本の巨木が見つけられ、池のこちら側、つまり東側にも数本それらしい桜が見つかった。

 さらに、池を周回してみたが、鷺に当たるそれらしい岩だとか木だとか建物だとかそういうものはまるで見当たらなかった。

「ううむ」と冬至郎が水面を見つめてうなった。「桜は残っていたとしても、鷺に当たる物は撤去されてしまったかもしれないな。この辺りで四十年前の景色を覚えている人を、捜して聞き出すしかなさそうだな」
「それなら、とりあえず大家の久右衛門さんに当たってみましょう」小源太は兄を励ますように言った。
「なるほど、久右衛門なら何か覚えているかもしれないし、でなければ、詳しく知っている人を紹介してくれるかもしれんな」

 ふたりは神田明神下のけやき長屋に帰って、大家の家の荒物屋をおとずれて、
「不忍池の周りに、何か目立つものはなかったかの。変わった形の岩とか木とか」
 と小源太が訊くと、
「ありましたよ」と久右衛門は誇らしげに言うのだった。「その名も鷺岩と言いましてな。鷺が首をちぢめて、くちばしがこう突き出たような形で、大人の腰くらいの高さがありましたな」
 小源太と冬至郎はふたり顔を見合わせて、最初驚き、次ににんまりと笑った。
「子供の頃、というのは権現様が江戸に入府されてまだ間もない頃のことになりますが、その岩の辺りでよく遊んだものです。雪が降った時には、雪玉を投げつけるまとにしたりしましてな。悪餓鬼などは小便をかけたりしまして。悪い奴もいたもんです。いや、私ではないですよ」

「で、それは、どこにある?」いらだたしげにに冬至郎が催促した。
「もうありませんよ。寛永寺ができた時に池も整備されましてな、道は引かれるやら桜の木は植えられるやら、しまいには辯天堂なんてものが立てられて、池のまわりは昔の面影はずいぶんなくなってしまいました。まあ、良くも悪くも目立つ岩でしたからな、見栄え悪く邪魔だったんでしょう、撤去されてしまい、噂では旗本のお屋敷の庭石になっているとか」

 冬至郎は顔を曇らせたが、訊いた。
「それで、どこにあったか覚えておらぬか?」と訊くだけ訊いてみようという暗い声音だった。
「西のなかほどのところです。行けば詳しい場所も思い出すかもしれませんな」
 冬至郎の雲った顔がたちまち晴れた。
「よし、来てくれ、久右衛門さん」
 と小源太が久右衛門の袖を引いて立ちあがった。
「あ、そんな強く引っ張らないでください。袖がちぎれてしまいますよ」
 久右衛門は困惑げな顔をして、難儀そうに立ちあがるのであった。
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