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第九章 宝よ、いずこ
九の九
早暁の不忍池は霧雨につつまれていた。
白い紗で覆われたような景色のもとで、水面は黒い絨毯を敷いたように不気味に広がり、周囲の木木は、魔物かなにかのように枝を広げて、舟を浮かべる小源太と冬至郎をいぶかしむ眼差しで見つめているようであった。しかし蛙の合唱が耳にうるさいくらい奏でられていて、魔物の巣窟のごとき不気味な景色をどこか和ませていた。
小源太の冬至郎は、笠をつけて蓑をはおり、しとしとと降る雨の中、舟を浮かべていた。
舟は、薄い雲を張った空がしらじらと明けていく中、池の東の桜があった場所から、鷺岩のあった場所まで、一直線に進んだ。
小源太が竿を操り、冬至郎は舟のなかほどでうずくまって、提灯のあかりのもと、水を張った椀に浮かべた針を見つめていた。
舟が池の中ほどに近づくと、水に浮かべた針は、北をささなくなった。
この針の先は、宝の位置をしめしているのではないか。
「もう少し、右に向けてくれ」
冬至郎が命じるのに、小源太が応じた。
「もう少し、もう少しだ」
やがて、針が水を張った碗の中で、ぐるぐると回転し始めたではないか。
「とまれ、紅穂」
小源太が冬至郎の脇から、回る針をのぞき見た。
「この辺りのようだぞ」と冬至郎は竿を取って池の底をつつき始めた。
小源太もいっしょにつつき始める。
と、小源太の竿の先が、何かにあたった。石などではない奇妙な手ごたえがし、つつくと響くような音が竿からかえってくるのだ。
「兄上、何かありますよ」
舟の反対側の水底を探っていた冬至郎は振り向いて、小源太の竿と同じ場所をつつきはじめた。
「うむ、確かにあるな」
と、冬至郎は笠をとり、蓑をはずし、着物を脱ぎすてて、下帯ひとつになると、池に飛びおりた。
その場所の水深は腰ほどの深さで、冬至郎は足先で何かがある場所を確かめると、息をすって、とぶりと池にもぐった。
しばらくして冬至郎は水面から顔を出した。
「木箱のようなものがある。もう一度もぐってみる」
またもぐる冬至郎を小源太は不安げに見ていた。
今度は長い。
まさか、溺れてしまったのではないか、と小源太が不安になったころ、水面から顔を飛び出し、冬至郎は息を大きく吸った。
「あった、あったぞ」
そう言って舷につかまり、両手に握った物を舟の中に落とした。
小判のようなものが、十数枚、ばらばらと音をたてて船底に転がった。
小源太は目を丸く見開いて、そのくすんだ黄金色の物体を見つめた。目が吸い寄せられるような心持ちである。
冬至郎が舟にあがって、
「いくつか箱があって、ひとつは木が腐っていた。穴が開いていたので、なかから掴み取ったんだ」
小源太は興奮で震える手で、兄に手ぬぐいを渡した。冬至郎は体を拭きながら、
「紺珠の啼声は宝のことではなかった。宝を示すこの針のことだったのだ」
「引き上げられますか、兄上」
「いや、ふたりでは無理だな。水の重みが加わるから、簡単に持ちあげることができない。紐で縛って引きあげようとすると、舟が傾いてしまうだろう。人を頼んで、二艘か三艘で引っ張りあげるしかないな」
「いったん多嘉様の家に帰って、算段を練りますか」
「そうだな、舟を岸に戻してくれ、紅穂」
舟は高揚するふたりの心とは正反対に、静かに水面を滑っていく。
着物を着た冬至郎は、小判をかき集めると、先ほど体を拭いた手ぬぐいで包んで、懐にしまった。磁石の針は丁寧に紙に包み、椀といっしょに、持ってくる時に包んでいた風呂敷に包みなおし、これは小源太に渡した。小源太から多嘉に椀を返しておいてくれということなのだろう。
舟着きに舟をとめて、陸へあがった。
歩きはじめて数歩、ふと、ふたりは足をとめた。
小源太の、ごくりと息を飲む音が、静かな池畔に響くようであった。
木陰、草陰から、もぞもぞと、不気味に、ひそやかに、いくつもの影が現れ、ひたひたと近づいて来た。
白い紗で覆われたような景色のもとで、水面は黒い絨毯を敷いたように不気味に広がり、周囲の木木は、魔物かなにかのように枝を広げて、舟を浮かべる小源太と冬至郎をいぶかしむ眼差しで見つめているようであった。しかし蛙の合唱が耳にうるさいくらい奏でられていて、魔物の巣窟のごとき不気味な景色をどこか和ませていた。
小源太の冬至郎は、笠をつけて蓑をはおり、しとしとと降る雨の中、舟を浮かべていた。
舟は、薄い雲を張った空がしらじらと明けていく中、池の東の桜があった場所から、鷺岩のあった場所まで、一直線に進んだ。
小源太が竿を操り、冬至郎は舟のなかほどでうずくまって、提灯のあかりのもと、水を張った椀に浮かべた針を見つめていた。
舟が池の中ほどに近づくと、水に浮かべた針は、北をささなくなった。
この針の先は、宝の位置をしめしているのではないか。
「もう少し、右に向けてくれ」
冬至郎が命じるのに、小源太が応じた。
「もう少し、もう少しだ」
やがて、針が水を張った碗の中で、ぐるぐると回転し始めたではないか。
「とまれ、紅穂」
小源太が冬至郎の脇から、回る針をのぞき見た。
「この辺りのようだぞ」と冬至郎は竿を取って池の底をつつき始めた。
小源太もいっしょにつつき始める。
と、小源太の竿の先が、何かにあたった。石などではない奇妙な手ごたえがし、つつくと響くような音が竿からかえってくるのだ。
「兄上、何かありますよ」
舟の反対側の水底を探っていた冬至郎は振り向いて、小源太の竿と同じ場所をつつきはじめた。
「うむ、確かにあるな」
と、冬至郎は笠をとり、蓑をはずし、着物を脱ぎすてて、下帯ひとつになると、池に飛びおりた。
その場所の水深は腰ほどの深さで、冬至郎は足先で何かがある場所を確かめると、息をすって、とぶりと池にもぐった。
しばらくして冬至郎は水面から顔を出した。
「木箱のようなものがある。もう一度もぐってみる」
またもぐる冬至郎を小源太は不安げに見ていた。
今度は長い。
まさか、溺れてしまったのではないか、と小源太が不安になったころ、水面から顔を飛び出し、冬至郎は息を大きく吸った。
「あった、あったぞ」
そう言って舷につかまり、両手に握った物を舟の中に落とした。
小判のようなものが、十数枚、ばらばらと音をたてて船底に転がった。
小源太は目を丸く見開いて、そのくすんだ黄金色の物体を見つめた。目が吸い寄せられるような心持ちである。
冬至郎が舟にあがって、
「いくつか箱があって、ひとつは木が腐っていた。穴が開いていたので、なかから掴み取ったんだ」
小源太は興奮で震える手で、兄に手ぬぐいを渡した。冬至郎は体を拭きながら、
「紺珠の啼声は宝のことではなかった。宝を示すこの針のことだったのだ」
「引き上げられますか、兄上」
「いや、ふたりでは無理だな。水の重みが加わるから、簡単に持ちあげることができない。紐で縛って引きあげようとすると、舟が傾いてしまうだろう。人を頼んで、二艘か三艘で引っ張りあげるしかないな」
「いったん多嘉様の家に帰って、算段を練りますか」
「そうだな、舟を岸に戻してくれ、紅穂」
舟は高揚するふたりの心とは正反対に、静かに水面を滑っていく。
着物を着た冬至郎は、小判をかき集めると、先ほど体を拭いた手ぬぐいで包んで、懐にしまった。磁石の針は丁寧に紙に包み、椀といっしょに、持ってくる時に包んでいた風呂敷に包みなおし、これは小源太に渡した。小源太から多嘉に椀を返しておいてくれということなのだろう。
舟着きに舟をとめて、陸へあがった。
歩きはじめて数歩、ふと、ふたりは足をとめた。
小源太の、ごくりと息を飲む音が、静かな池畔に響くようであった。
木陰、草陰から、もぞもぞと、不気味に、ひそやかに、いくつもの影が現れ、ひたひたと近づいて来た。
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