日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠

文字の大きさ
79 / 93
第九章 宝よ、いずこ

九の十一

しおりを挟む
 池畔に舟がたどり着くと、小源太は船べりを蹴って、飛び降りた。

 自分の思慮の浅さが悔やまれた。
 不忍池で流される舟から、池に飛び込んで泳いで岸までたどり着こうと脳裡に浮かんだものの、泳ぎが得意でないのと、(丸橋忠弥に三分が一を斬られた)短い竿でもどうにか舟を操れるのではないかという気もあり、膝をついた姿勢で竿を使い、どうにかこうにか岸にたどり着いた。
 が、すでに兄を連れ去った者達の形跡などもはやなく、行方をたどる方法などまるで見いだせなかった。池の底に足がつく程度の深さなのだから、着ている着物をすべて脱ぎ捨ててでも池に飛び込めば良かったのだ。

 ――こうとなったら、もはや張孔堂に乗り込むしかない。

 思いを決めて、小源太は走り出した。

 雨ももうほとんど降ってはおらず、蒸し暑いだけの笠も蓑も脱ぎ捨てて走った。

 不忍池から離れ、町に入ると、人の生活が動き出していた。
 小源太の焦燥など知るよしもない人人が、あくびをしながら横丁から出てき、朝の挨拶をかわしあっている。

 侍がみだりに道を早駆するものではない、とはいうものの、兄の命がかかっていると思えば、のんびり歩いていられるものではなかった。侍姿の女が、恥もなく外聞もなく、全速力で走りすぎるのを、仕入れに行く棒手振りや朝立ちの旅人がいぶかしげな目で見送るのだった。

 そして湯島にさしかかったかという頃であった。

 横合いの、武家屋敷の塀のかどから飛び出してきた黒い影が、小源太の衿首を掴んで、力いっぱい引き倒した。
 瞬時、小源太には何が起きたかわからない。
 ただ尻餅ついた姿勢で見上げてみれば、そこに香流隼人かなれ はやとが息を荒げて立っている。

 香流は小源太の着物をつかんで立ち上がらせ、衿を絞め上げるようにして、塀に押しつけた。
「落ち着け、栗栖小源太」
 小源太は彼の手を振り払おうともがいた。だが小源太は衿を掴みつつ肘で肩を押さえられ、もう一方の手で腕を掴まれ、万力で絞めつけられたように体を動かすことができない。
「何をする気だ」顔を寄せて耳元で香流は言った。
「兄が連れ去られました。兄の命がかかっているんです」叫びそうになるのをこらえて小源太は言った。
「張孔堂に斬り込みに行く気だな」
「そうです」
「余計なことをするんじゃあねえ」
「余計なこと?何が余計だというのですか」
「何かひと騒動起きそうだと、張孔堂に潜入している密偵の報せで、上野の不忍池に行ってみれば、ちょうどお前が走り去っていくところだった。その走り方に不穏を感じて追ってみれば、そういうことか」

「わかったのなら、放してください」
「いいか、捕らえられたお前の兄が張孔堂にいるという確信があるのか。ないだろう。だったら、今は町奉行所の密偵が監禁場所を探り出すのを待て。お前が下手に動けば帰って兄の命があぶない」
「待ってなどおれません。いますぐ張孔堂に乗り込んで捜し出します」
「馬鹿を言え。張孔堂に手練がどれほどいると思っている。ちょっと腕が立つからって、うぬぼれるんじゃあない」
「もとより死は覚悟の上」
「てめえに暴れられたら、こっちの計画も潰れちまうんだよ。今は張孔堂の動きを探っているきわどい時期なんだ」
「町奉行所の計略などしったことではありません」
「ぐだぐだと言ってると、牢屋にぶち込むぞ」
「ならどうしろと」
「こらえて待てと言っている」

 小源太は顔をそむけてうめいた。そして急速に疲労が全身に湧いてくるのを感じた。

「だったら助けてください。兄を、兄の命を」
「あたりまえだ。町奉行所同心ってえのは、人の命を助けるのが本分だ」

 小源太はあふれてくる涙をこらえきれなかった。頰をつたい、とめどなく涙は流れた。ただ、香流にすがりつきたい衝動だけはこらえた。すがりついてしまえば、もう自分の力では兄を救う事ができないと、あきらめてしまうような気がした。

 雨がまた降ってきた。
 朝の冷たい雨が、小源太達を容赦なく濡らしていった。
 小源太は震えた。
 底冷えのする寒さと、何も成せない自分の不甲斐なさに、ただ震えたのだった。



(第九章 おしまい)
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

処理中です...